第四十五話 『正義に堕ちる』
──正義に執着する少年が再動する、数日前。
妙な感覚だった。
「────」
あれは猟奇殺人鬼に執拗に追いかけ回された時だったか。
あの件以降、私は自らの首を絞める結果を避けるべく、首刎ねを一時的に我慢した。リデルの残した特大の嫌がらせは私にとっては大きなダメージだったからだ。我慢せず変わらず首刎ねを続けていたら、馬鹿な恋心を抱かれた男を殺した時点で終わりだった。
さておき。やはり、妙な感覚だ。
それは、馬鹿な男を殺した時にも抱いて当然の感覚だったはずだ。なにせ彼を殺した時は二ヶ月も殺人までに期間が空いていたのだ。
けれど、現在私が抱く感覚はなかった。
常に殺人に付きまとうのは快感と終えた後の疲労感と倦怠感。
変わらずそれらの感覚はある。
だが、別の感覚が私の中に芽生えていた。
「満たされない」
満たされるはずの心に、空白が生まれた。
そんな感覚が私の胸中に小さく渦巻いていた。
他の感覚とは一線を画すこの感覚を不思議に思う。同時に、激しい不快感が伴う。
満たされたいから、吐き出したいから、人を殺して首を刎ねているのに。
人間である以上疲弊と気怠さが生まれるのは仕方のないことだ。そこはどうしようない部分だと受け入れている。
だが、起こり得ない感情が生まれるのは全くもって望ましくない。
不快だ。
「死体、隠すのを手伝ってもらえますか?」
「あ! う、うん。はい……」
途切れ途切れの返事をしたのは麗花だ。
羅奈が警察に逮捕されたため、致し方なく麗花を羅奈の代わりとして使っている。
「一ヶ月」
新名羅奈が逮捕されてから既に一ヶ月が経とうとしていた。
私の父を殺せと命じて、彼女はしっかりと役目を完遂してくれた。
事前に計画を練り上げ、怪しまれないよう監視カメラや移動経路の把握、私の父親の動向確認に心血を注ぎ、結果としてうまくいった。
首を刎ねるのはもちろん私の手で行った。
父を殺した時、恐ろしいほどに何も思わなかった。
あったのはいつも通り首を刎ねて気持ちいいというのと、今回の計画が成功してほしいと言う願望だけ。
殺すまではいい。問題なのは事情聴取だった。
当然、私に疑いの目は向いていた。おおよそ、父親が警察官の菜野琴葉が馬鹿な男の件をチクったといったところだろう。
長時間に渡る事情聴取が、行われたもののアリバイ工作もしてあったこともあり時間都合での疑いは晴れた。だがそれでも、警察は私を疑っていた。
悲劇の少女をひたすらに演じて、羅奈のDNAが検出されるのを待った。
流石の警察も三日目には私を哀れみ始め、疑いも薄れつていった。そして、そのタイミングで羅奈のDNAが検出された形だ。
「────」
新名羅奈は、新名羅奈としてではなく『刎ね子』となって逮捕された。
──大いなる冤罪を被って。
実行したくて実行した策ではない。
新名羅奈は使える駒だった。アレを失うのは痛手だ。私がミスを積み重ねさえしなければ、こんな苦し紛れの一手を打つ必要性は生まれなかった。
全て、私の愚かしさが招いた過ちに他ならなかった。
けれど。時間は、進んでいく。
何もせずとも時間は強引に人生を動かす。
正解不正解が判別できればどれほど楽か。
私が生きる道は、危難に満ち満ちている。
だから──、
「次を始めましょう」
──また、首を刎ねるのだ。
「ふふふ」
月明かりに照らされながら、横たわる死体を見て嗤う。
手慣れたものだ。
場所を整え、道具を揃え、人を狩る。
厄介なのは死体処理だけ。それも今や手際良くこなせるようになった。問題点があるとすれば、道具が使えなくなったこと。
元は一人だった。道具のやり残しは私が処理すれば問題ない。
重ねた失敗の数だけ人は成長する。人間とはそうできているのだ。
だが、失敗を失敗と認められなければ何も変わらない。
私は失敗を認められる。ミスだと、過ちだと判断できる。
故に、私は『私』として完成されていく。
全ては己が快感を満たすために。
喜んで生き地獄へと道々しよう。
──再び、三芳芽亜ではなく『刎ね子』として歩みを進める。
◾️◾️◾️
時は戻り、現在。
「被害者は野間大助、三十三歳。都内の企業に勤める会社員だ」
ホワイトボードの前に立ち、静かに被害者情報を伝えているのは伊津野一課長だ。
捜査一課一同は彼に視線を集中し、事の重大さを真摯に受け止めている。
殺人事件は等しく大悪であり赦されるべき行為ではない。
だが、今回の事件は通常の殺人事件とは状況が異なる。
「被害者は首を切り落とされた状態で発見された」
伊津野一課長が言った内容が示すのは、再び『刎ね子』が殺人を犯した事を意味する。
僕たちは終わったはずの事件に身を投じる事となる。
犠牲はこれ以上は出させない。
その誓いを常に持っていても、相手は僕らの予測を悉く上回ってくる。
正攻法だけで挑むんじゃ今までと同じ踏鞴を踏み続けるだけだ。
僕らがすべきなのは、凶悪な殺人鬼である『刎ね子』を逮捕する事。
そして──必ず死刑にする。
悪は全て消し去るべきなんだ。
正義の名の下に『刎ね子』はこの手で葬る──。
「この事件には一つ例外がある」
伊津野一課長がそのまま指示を振る流れかと思っていた。
彼の言った思いがけない一言に嫌な予感を覚えた。
「今回の事件──犯人のものと思われる証拠が存在している」
「え?」
証拠? 『刎ね子』が証拠を残した?
過去にも『刎ね子』が証拠を残した事はある。しかしどれも偽の証拠だった。
唯一本物だったのは、僕が『刎ね子』と遭遇した時のみ。
新名羅奈が偽の『刎ね子』であったのなら、新名が残したものも偽物ということになる。
『刎ね子』はイタズラに証拠を残すような存在ではないのは、過去の事件からも明らかだ。
明らかな事実ではあるが、新名羅奈を逮捕後に首を切り落とすような残酷な殺人事件は一度として起きていない。
『刎ね子』として新名羅奈が逮捕された後というタイミングを考えれば、模倣犯である可能性は大いにある。
未だに『刎ね子』信奉者の掲示板は閉鎖されていない以上、掲示板から生まれた模倣犯説は否めない。
否めないけど……胸騒ぎがする。
ここで、模倣犯と断定することへの抵抗感がある。
「今回の事件は証拠が出ている。故に『刎ね子』と断言はできない。『刎ね子』である可能性と模倣犯である可能性の両面で捜査を進めろ」
「「「はい!!」」」
捜査会議室に一課の刑事たちの声が高々と響き渡る。
衝撃と胸騒ぎに揉まれながら、僕はホワイトボードに張り出された新たな『刎ね子』の被害者の写真に目を向けた。
本物だろうと偽物だろうと、相手は狂気に堕ちた殺人鬼な事実に変わりはない。
たとえ『刎ね子』の模倣犯であれ等しく殺人事件だ。
ただ、それでも。
仄暗い感情が、形にしてはならない願望が、僕の胸中で渦を巻く。
果たせなかった復讐を果たせるかもしれないという荊が心に絡みつき、その棘で内側を突き刺してくる。
「正義を──」
行き場を失っていた正義を再び振り翳す機会が巡ってきたんだ。
そう機会だ。これは正しくあるための帳尻合わせなんだ。
そうであってくれなきゃ、僕は──。
◾️◾️◾️
『刎ね子』が再び事件を起こしてから一ヶ月。
──新たに三人の犠牲者を出した。
「────」
捜査会議室には陰鬱な空気が漂っていた。
他県の警察署と連携を取り、以前よりも更に多くの人員を導入して大規模な捜査対策本部を設立したものの、望んだ成果を得るには至らなかった。
一度は消えた国民の恐怖感は再度拡大し、急速に蔓延し続けている。
その結果、日本中から埼玉県警を始め多くの警察官が理不尽なバッシングの嵐に晒されてしまっている。
計三件の事件の共通点は、やはり遺体の首を切り落とされた状態であったことだ。
殺害方法自体は一人目が刺殺、二人目が絞殺、そして三人目が毒殺だ。
そして、三件ともに──証拠が出ている。
下足痕に指紋、凶器など。三件目に至っては複数の証拠が現場に残されていた。
「『刎ね子』によるものと思われる殺人事件は、未だ我々の失態で解決には至っていない」
沈黙を破ったのは伊津野一家長だ。
挨拶をするでもなく定刻通りに現れて、彼は冷酷に自分達に宣告した。
一家長の宣告に誰一人として異議を唱えることなどできなかった。
仕方がないとか、無理だとか。そんな言葉は泣き言にしかならない。
何人も犠牲を出して何人も怖い想いをさせている僕たちに、異議を唱える資格などありはしないのだ。
「伝えておく事がある」
伊津野一課長の一言に室内の空気が重くなる錯覚を得た。
また、自分たちは最悪に最悪を上塗りしたというのか。
そんな諦観にも近い敗北感が一室を満たしているように感じられた。
どうしようもない袋小路。打つ手なしの迷宮が無情に僕たちの心を翻弄する。
「────」
息を呑み、自身の黒瞳に伊津野一課長の姿を映した。
目を逸らすことも、耳を塞ぐことも、逃げ出すことも許されない。
今僕らがすべきなのは、正義を貫くこと。
必ず『刎ね子』を捕らえ、正しい平和を掴むことなのだ。
一瞬、伊津野一課長が僕の方を見た。
何故かは理解できなかった。
しかし、直後にその意味を思い知った。
「今回の事件を──『刎ね子』の模倣犯による者の犯行とする」
放たれた予想外の宣言に僕の脳内を大きな疑問符が満たした。
「は?」
思わず口にしてしまった。
意味がわからず、自らの聞き間違えを疑った。
「以降は模倣犯の線で捜査を進めろ」
「なにを、言って……」
「いずれにせよ相手は猟奇殺人鬼だ。本物だろうが偽物だろうが、俺たちのやることは変わらない」
本気で模倣犯として今回の事件を捜査するつもり……?
確かに新名羅奈逮捕以前の『刎ね子』による殺人と比較すると、致命的とも思われる証拠がいくつも残されているのは事実だ。
下足痕に始まり、血濡れた凶器、破れた服の破片など。犯行の翌日は必ず雨で天候をも利用して、狂人は完全犯罪を幾度も成立させてきたのだ。
一部の犯行を除いて、『刎ね子』は証拠ひとつ残すことはなかった。
だから、証拠が毎回残されていて、翌日が雨ですらなくて、ほぼ屋外の犯行であった中、直近二回の犯行は屋内での犯行が重なった現状から模倣犯と推測するのもわからなくはない。
わからなくはにないけど──。
「──っ!」
慌てて僕は室内を見渡した。
僕と同じように流石に模倣犯による犯行と断言するのは早計だと、そう思っている人ばかりだと信じて。
しかし、
「みんなも模倣犯だと思ってるのか……」
淡い希望は即座に打ち砕かれた。
誰も彼も、伊津野一課長を見る瞳に否を唱えようとする光はない。
──皆、新たに動き出した『刎ね子』は偽物であると、共通見解として持ってしまっている。
「先輩?」
僕は静かに自分の席を立った。
伊津野一課長が話している最中の突然の行動に、驚いた表情を浮かべて愛宮が僕を見ている。
申し訳ないが彼女の存在を意識の外に追いやり、周囲の目も構うことなく伊津野一課長と対峙した。
「なんだ瀬波」
「本気で模倣犯として捜査を進めるおつもりですか?」
「現状の犯行から適切に判断したまでだ。不満でもあるのか?」
「失礼を承知でお伝えさせていただきます。ええ。不満です。どう考えても、僕には伊津野一課長の判断が誤っているとしか思えない」
騒ぐ心を無理やり落ち着けて、僕は努めて冷静を装い伊津野一課長に言い放った。
一課長は僕の異論に瞳孔を細めた。
微かな苛立ちを漂わせて。
真っ向から僕に鋭い眼光を突き刺す伊津野一課長。
しかし、向けられた視線に怯むことなく、僕は一課長と対峙した。
ここで、僕が引く理由などない。
堂々としていてなんら問題ないのだ。
「何故、俺の判断が誤りであると考える」
「以前の犯行と比較した時、証拠を残すという点を踏まえれば模倣犯だと疑うのも道理です。完璧な犯罪行為を続けてきた『刎ね子』の主義にも合いませんしね」
「────」
「なにより、以前の『刎ね子』も証拠は残していた。明らかなミスにより生まれた確実なものを。だから、証拠の有無一点で決めつけるのはあまりに早い」
チラと隣の席に目をやると愛宮が冷や汗をあたふたしていた。
他の席の一部の刑事も一触即発の空気感に固唾を呑むような雰囲気だ。
そんな第三者たちの反応など意に介さず、僕は伊津野一課長に再度目を向けた。
これは、簡単に結論づけていいような事件ではとうにない。
国中を揺るがす一大事件だ。一度の判断ミスも許されない。一つ一つが究極の選択となる。
まして本物か偽物か、模倣犯か否かなど、決定するには早すぎる。
だから──誰かが異議を、唱えなければいけないんだ。
「上の判断ですか?」
「違う。俺個人の判断だ」
「ならば尚更、僕にはあなたの考えが理解できません。数々の難事件を解決に導いた、かつての『若き天才』であるあなたの判断が」
最後に言った僕の言葉に伊津野一課長の瞳が細められた。
「お前に何を言われようと決断を変えるつもりはない」
「本気で最善だと? もう一度考え直すべきです! 過ちを犯す前に! 『刎ね子』は──」
「──降りろ」
赤くなり始めた思考が停止した。
今、なんと言ったか。
「あの……」
「捜査を降りろと、そう言ったんだ」
────────────────は?
「冷静でないお前を捜査には加えられない」
「……冗談にしては出来が悪いですよ」
「今の流れで冗談を言うと思うか?」
真っすぐに僕の瞳を見ながら伊津野一課長は冷酷に宣告した。
「場を乱す存在を、捜査一課は必要としない」
「……っ」
「出ていけ」
そうして伊津野一課長は僕から目を逸らした。
停止した思考が再び動き始める。
瞬間、怒りが全身を満たした。
唯一無二の『刎ね子』の目撃者にして被害者の生き残りである僕を、捜査から外す? 馬鹿げてる。
おかしい。ありえない。ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない──!
ふざけるな!
ただでさえ、過ちを犯しているというのに、まだ過ちを重ねるっていうのか!
そんなの! そんなのって!
「──。……必ず後悔することになりますよ」
絞り出した罵声。しかし、伊津野一課長は二度として僕を見ることはなかった。
「……先輩」
腕の裾を掴まれて僕は愛宮の方を見た。
彼女は瞳を揺らして悲しげな表情で僕を見ていた。
愛宮に向けられる純粋な優しさが、今は痛くて痛くてたまらなかった。
思わず目を伏せた。
きっと、失望させたに違いない。
でも、間違ったことをしたつもりはない。
必要で仕方なのないことだったんだ。
「──っ」
荷物を手に取って駆け足に僕は会議室を出た。
ざわついていた室内が、やけに静かに感じられた。




