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第四十四話 『再動』

 



 事件解決から一ヶ月。

 しんしんと降り積もる雪の冷たさを感じながら、僕は通い慣れた道を車で移動していた。


 一ヶ月前までは日差しが出ていて暖かい日があったが、今は一日としてそんな日はなく凍えるほどに寒い日々が続いていた。

 道路はスタッドレス無しでは運転が困難で、どうやら歴史的にも記録的大雪だとニュースで報道されていた。


「────」


 警察署の駐車場に着いて車を駐車した。

 外へ出ると車の上には雪が積もっていた。帰る頃には溶けているといいが、気温的にどうだろうか。

 難しいラインだ。


「瀬波先輩ー!!」


 背後から僕を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返れば、愛宮が駆け足にこちらに向かって走ってきていた。


「おはようございます!」


「おはよう、愛宮」


 事件解決前後から、彼女の態度が変わることはなかった。いつも明るく、顔に疲れなどのマイナス感情を滲ませていても、愛宮彩瀬という存在は誰に対しても分け隔てなく明るさを振りまいていた。


 事件解決後、か。

 未だに実感のない『刎ね子』事件の解決。あの悪夢のような日々は、女子高生の新名羅奈の逮捕により終わりを迎えた。

 裁判も実施され、具体的な証拠こそ少なかったものの新名本人が弁護人の話を遮ってまで「ワタシが『刎ね子』です」と言い張り、一連の犯行の証言も一部を除き事細かに語ったことで彼女はあっさりと有罪となった。


 裁判において被害者側が恐れる要素が一つある。それは、犯人が精神の問題あるいは明確に精神的病を患っていた場合だ。

 刑法第三十九条第一項には、『心神喪失者の行為は罰しない』とあり、これが謂わば殺人鬼の抜け道のようなものとなってしまっている。

 事実、法廷の場でおよそ正常とは言えぬ言動を繰り返したり、問答に対して的外れな回答を繰り返したり、壊れたフリをしたりなど。こうした行為を繰り返して減刑、または有罪を回避し無罪になった事例は数多く存在している。


 だが、新名羅奈は決して嘘をつくようなことはなく、理路整然と言葉を並べていた。

 受け答えも普通であり、取り調べの際に見た狂人の空気感とは別ものだった。

 言い換えると、別人のように感じられたのだ。


 普通なら黙秘や有罪を回避すべく感情を露骨に表に出す被告人が多い中で、新名羅奈は、『刎ね子』は足掻く素振りさえ見せなかった。

 僕に限らず、取り調べで『刎ね子』を見た人たちは皆不信感を覚えたことだろう。

 まるで、自らの意思で死刑になる事を望んでいるかのように。


 と言っても、新名羅奈が逮捕された日から同様の事件は発生していない。

 やはり新名羅奈が『刎ね子』だったのは、まごう事なき事実であり疑う余地もない。


「行こうか」


 愛宮にそう言うと彼女は「はい!」と元気よく返事を返してくれた。

 彼女の明るさのお陰で、僕は暗く沈まずにいられている。

 ……ほんと、どっちが先輩で後輩なんだか。


「昨日久々に実家に帰って手料理を振る舞ってきたんですよ!」


「料理得意って言ってたもんね。何作ったの?」


「茶碗蒸しとか鶏つくねの炊き合わせとか、和食をたくさんです!」


「いいね。機会があれば僕も愛宮の手料理食べてみたいな」


「言ってくれれば全然作りますよ?」


 ここ最近、愛宮が僕に振る話はどれも明るい内容ばかりだった。

 友達と遊園地に行った話、姉妹でショッピングモールに行ってビックリするぐらいお金を使った話、従姉妹の家でゲームをして大盛り上がりした話などなど。

 聞いていて自分も楽しくなる内容ばかりだった。


 日々、世界では多くの時事が多発している。

『刎ね子』が逮捕されだからといって世界は停滞することなく、新しい物事が常に激しく動かし続けている。

 実際たった一ヶ月でも『刎ね子』事件に関する話題は薄れてきていた。

 ニュースで取り上げられる事も減り、考察勢も犯人の正体とその目的が明らかになり答えが掲示された事で『刎ね子』の話題に触れる者は減った。


 事件が終わって世界は確かにいい方向に進んでいる──とは、断言できない状況なのが辛い話だけど。


「────」


『刎ね子』事件発生二ヶ月目から解決に至るまでの殺人や強盗など、凶悪な犯罪行為の統計を見るとそうした事件は減少傾向にあった。

 等しく同じ悪人でも、姿さえ掴めない得体の知れない殺人鬼に恐怖を抱いたのかもしれない。

 その反動か事件解決後、今度は減少していた凶悪犯罪は大きく増加した。


 この事実により、一部の人々からは「『刎ね子』が秩序を正していた」という発言が出始めた。

 消しても消しても消えることのない『刎ね子』崇拝者の掲示板。あの掲示板が起点となり、現状の負の流れが生まれてしまっている。


 都合よく事は進まない。

 たとえ、事件が終わっても、それで全てが丸く収まる事などありえない。

 その証左が、他でもない『刎ね子』にもたらされた事実が、憎らしかった。


「先輩?」


「ああ、ごめん。なんだっけ?」


 僕が考え事をしている間も愛宮は話しかけてきてくれていたが、ほとんど内容を聞けていなかった。

 そのことに頭を下げると、愛宮は眉尻を下げて心配げな表情を浮かべた。


「もう、悩む必要はないんですよ」


「…………」


「事件は終わったんです。先輩はあの事件に囚われず、もっと伸び伸びと生きるべきです」


 透き通った真っすぐな瞳で僕と目を合わせて、愛宮は力強くそう言った。


 ……事件に囚われるな、か。

 何もできなかった無力感は、今もなお僕の精神を蝕み続けている。

 次へ進もうと努力はした。でも、『刎ね子』に奪われた人々は戻ってこない。

 救えなかった事実も、無かったことにはならないのだ。

 簡単に切り替えるなんて、僕には当分できそうもなかった。


 では、愛宮や他の刑事が簡単に意識の切り替えができたかと言えば、それは決して否だという事は理解している。

 誰も彼もあの事件の悲しみを背負って、前を向こうと足掻いている。

『死』を、簡単に割り切れる人間など常人には存在しない。


 理解していても、前を向く事が僕にはできなかった。

 成嶋を、大沼一課長を、家族を。大切な存在をことごとく救えなかった僕に、再度前を向く決意が果たして許されるのだろうか。

 きっと、彼らは僕を恨むのではないか。

 何もできなかったくせに、自分は生きて未来を歩むことを、認めてはくれないんじゃないか。


 どうしても、そう考えてしまい前をむけそうになかった。

 事実、僕は未だに墓参りに行けていない。

 行くべきではないと魂が咎める。

 だとしても、


「僕は大丈夫だよ。心配かけてごめん愛宮」


 表裏で感情が乖離していても、表では『大丈夫』だと嘘をつくのだ。


 そうしていなければ、心が砕けてしまいそうだから。




 ◾️◾️◾️




 捜査一課室につき、捜査会議を終えた後。


「しっかし、なんでこうもまぁ『刎ね子』が逮捕された後に凶悪犯罪が増えるんだか」


「同感です菜野警部」


「根城もそう思うよなぁ。……嫌な事件を起こさせちまったよ、ったく」


「辛いです……」


 言いながら苦い顔をして捜査資料を眺めているのは、菜野警部と根城巡査部長、そして愛宮だ。

 二人は先日発生した強盗立てこもり事件と女児誘拐事件の資料を見ていた。


 両事件はすでに解決済みだ。

 だが、似たような事件の報告は他にも幾つか上がってきている。

 誘拐、拉致、ストーカー、薬物、強盗、殺人など。

 一種に限らず、複数種を同時に起こした例も存在する。


「────」


「どうした? 瀬波」


 何も言わずに窓の外を見ていた僕に菜野警部が声をかけてきた。

 返す言葉が思いつかずに「いえ」と言って、僕に向いた 意識を逸らそうとした。

 しかし、


「お前、最近休めてるのか?」


 マジマジと僕の顔を見て菜野警部は僕の心配をした。


 どうだろう。休めては、いるのかな。

 休日はずっと家で寝ているし。

 いや……『刎ね子』事件のことばかり考え続けている今を、休めているとは言えないか。


「無理は禁物だ。キツイなら」


「結構です。疲れていないので」


 語気を強くして僕は菜野警部に言い放った。

 無用な心配だ。疲れるほど僕は警察官として働いていない。

『刎ね子』事件の時に比べれば、なんてことはない。


「失礼します」


 三人の顔を見ずに僕は捜査一課室を出ようとした。

 心配してもらった人間がする態度ではない。

 でも、今心配されるのは、ハッキリ言って迷惑──、


「──た、大変ですっ!!!!」


 微かな苛立ち混じりに廊下へ出ようとしたところで、一人の刑事が捜査一課室に入ってきた。

 蘇我巡査だ。僕より一つ上の警察官だ。


 彼は顔を青くし、切羽詰まった様子で捜査一課室を見渡した。

 室内全体を見渡した後、最後に正面に立つ僕と目が合った。

 すると蘇我巡査は唾を飲み込み、深く深呼吸をして、拳を強く強く握り締めた。

 そして──、


「──首が切り落とされた死体が発見されました!!」


 その一言に僕の心臓は大きく脈を打ち、周囲の音の一切合切が聞こえなくなった。


「……はっ、ぁ、ぁ」


 首を切り落とす殺人事件。

 放たれた言葉は停滞した心を大きく揺さぶった。

 多くの命を奪ってきた異常者が、再び無遠慮に、無作為に、無秩序に、無配慮に、無神経に、時を強引に動かした。


 凍てついた心は『憎悪』という名の熱を纏い、氷解する。

 焼き切れそうな程に思考は赤く染まり、今や体のどこにも冷たい場所はない。


「──『刎ね子』」


 単語を口にして、煮えたぎる憎悪は熱を増す。


 世界を震撼させた最悪の事件は終わってなどいなかった。

 あの異常な殺人鬼は、まだこの世のどこかに存在している。

 その現実が、最悪の事件に囚われたままの僕を突き動かす。




 ──再動する。『刎ね子』を殺すために。





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