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第四十一話 『奪われた者の激情』



 

十二月十七日。瀬波の退院から二日が経過した。


 瀬波はさした休養を取ることなく現場に復帰することとなった。

 幸い殴られた箇所が軽傷で済み早期退院となったわけだが、愛宮にとっては心配で仕方がなかった。


 傷のこともある。けれどそれとは別の何かが、瀬波碧斗の『変化』が心の内で糸が引っかかったような感覚に愛宮は陥っていた。


「────」


 捜査会議開始直前にモヤモヤとした思いを抱えてしまい愛宮の心は落ち着かなかった。

 しかし、大事な仕事の場でいつまでも子供みたいなことは言ってはおられず、無理矢理に自分の手首の皮をつねって気を引き締めた。


 瀬波が眠っていた三日の間に埼玉県警では大きな変化が起こっていた。

 それは大沼一課長の死後、長らく空席だった捜査一課長の席に就く者が現れたことだ。

 代理で既に位の高い管理官や菜野警部が捜査会議などを主導していたが、正式に新たな捜査一課長がそれらを主導する事となったのだ。


 任命されたのは──。


「瀬波、十二月九日の夜に起きた出来事を話せ」


「はい」


 伊津野悠生。

 数々の難事件を解決に導いた実力者である伊津野が、新たに捜査一課長を担う事となった。


 この発表に対して多くの警察官から疑問の声が上がった。

 それもそのはず、伊津野は三十五歳。他にキャリアの長い警察官が多く在籍する捜査一課の場において、伊津野は捜査一課長となったのだから。


 だが、詳細に伊津野の捜査一課長就任に至るまでの経歴を見ると納得がする者もいた。

 二十代前半で当時難航していた事件を伊津野が捜査本部に加わった一週間後に解決。その後も大小問わず、伊津野は二十代前半のうちに多くの事件を解決した。

 昇進も同期と比較して最速で行われ、在籍するベテラン警察官たちに高く評価されまさに『天才』と言わしめるほどの存在として認知された。


 圧倒的なまでの知識と判断力、卓越した武道の心得など他者が到達するには並々ならぬ努力を要することを見事に体現してみせている、

 故に伊津野が捜査一課長に就任するに足る経験と能力を持ち合わせているから、彼が選ばれのだ。


「僕は──」


 伊津野に指示され、瀬波は休暇中の出来事を語った。

 上からの指示で休暇を得たこと。

 愛宮と共に一日を過ごしたこと。

 そして実家に帰省し──『刎ね子』と遭遇したこと。


「以上です」


 瀬波が一通りの話を終えると会議室内で響めきが上がった。

 愛宮自身も話を聞くのは初めてで地獄の一日に瞳を震わせた。


「先輩……」


 また自分の胸に引っかかりを感じた。

 だがここへ来てようやく、愛宮は引っかかりの答えを得た。


 瀬波があまりにも静かだ。

 普段彼が喧しい性格という意味ではない。

 努力家で一生懸命に突っ走る。それが瀬波碧斗だ。

 姿勢を正してハキハキと話し、全身からは強い正義感を常に溢れさせている。


 しかし今は何も感じなかった。

 凪を思わせるほどに落ち着いている。成嶋と大沼が殺害された時は誰の目から見ても傷を負った姿だった。

 今回は瀬波の大切な両親を奪われたのだ。いくら以前にも大切な人々を奪われたからと言って、それに慣れる人間などこの世には存在しない。


 存在しないはずなのに。


「────」


 今の瀬波の雰囲気は愛宮の目から見て伊津野に似ている印象だ。

 冷静沈着で事件以外の事には意識を向けない姿勢。

 まだ整理しきれていないのだろう。目覚めたばかりで即座に現場に復帰して捜査に加わるなど、普通はできない。

 瀬波は両親を失った。

 その悲しみを克服するのには相当時間を要するはずだ。


 ならば、どうすべきか。考えるまでも無い。

 今瀬波碧斗を身近で一番よく知る存在は、後輩である愛宮彩瀬だけだ。

 今すぐに寄り添える場所に愛宮はいる。

 たとえ彼が失意の底に再び陥ったとしても、寄り添い続けて手を差し伸べて底から引き上げる。

 何としてでも、また純粋に笑えるようになるまで全力を尽くす。


 愛宮は事件解決とは別にそう誓ったのだった。




 ◾️◾️◾️




 捜査会議の後。

 早速捜査一課の面々は瀬波の実家を訪れた。


「大丈夫ですか先輩」


「うん」


 血色の悪い瀬波の横顔に問いかけた愛宮。しかし返ってきた返事は実に淡白なものだ。

 いつもなら笑いかけてくれるはずが、愛宮に一瞥さえくれなかった。

 その変わってしまった瀬波に愛宮は胸が張り裂けそうな想いになった。


 けれど今は捜査中だ。私情は後回しにしなければならない。

 辛い気持ちをグッと堪えて愛宮は瀬波の後に続いた。


「状況を説明しろ」


「はい」


 玄関前に立っていた伊津野が開口一番、瀬波に対してそう言った。


 愛宮から見て、伊津野の在り方は人としても警察としても感心できる振る舞いだとは到底思えなかった。

 事件のことしか考えず、悲しむ人々に寄り添わずに結果のみを追求する。

 伊津野が捜査一課長になると聞いて愛宮は眉を寄せたほどだ。


 何より、伊津野は何故か瀬波に対して事あるごとに突っかかって来ていた事が、やはり不快に感じた。

『刎ね子』事件の捜査に限った話ではない。

 前々から伊津野は瀬波にだけはやけに冷たい対応をして強い口調でものを言っていた。

『若き天才』とされる瀬波だが、かつては伊津野が同じように周囲から評価を得ていた。今も変わらず伊津野は天才だと称されるが、そのことが気に食わないのだろうか。


 理由は何であれ愛宮は伊津野に対して良い印象を持てなかった。


「なんだ?」


「あ、いえ……」


 ふと愛宮に視線を向けた伊津野と目が合い、冷えた眼差しで問いかけられて慌てて目を逸らし愛宮は答えた。

 顰めっ面になっていなかったことを願いつつ、再度愛宮は二人の話に意識を傾けた。


「状況はわかった。中に入るぞ」


 状況説明が終わり、瀬波の実家の中へと足を踏み入れることとなった。


 瀬波を先頭に彼が木製の古びた扉を開いた。

 外観からも感じられたが、中も同様に築年数の経過が伺えるほど建物の老朽化が目立つ。


「リビングはこっちです」


 靴を脱ぎ、三人は奥のリビングへと向かった。

 愛宮は二人に気付かれないように心を落ち着かせて、気を引き締めてから遅れて後に続く。

 そして──、


「──っ」


 リビングの扉を開け放った瞬間、強烈な腐敗臭が立ち込めてきた。

 以前には吐き気を催していたが腐敗臭。だが、完全には慣れていなくともある程度は耐性ついたことで愛宮は顔を顰める程度で済んだ。

 それから、愛宮は瀬波と伊津野の隣に並び立ち、彼らと同じモノを目にする。


「──僕の両親です」


 絶望的な光景に愛宮は口を覆った。


 古い木製の椅子に麻縄で縛り付けられた二人の男女。

 夥しい量の血痕が顔や手足に付着しており、衣服には複数の傷跡があることから滅多刺しにされたとわかる。


「────」


 瀬波が無言で遺体に近づいていくのに伊津野と愛宮も続いた。

 そうしてある事に気がついた。


「首が……」


 瀬波の父親にはない傷が母親の方にあった。

 弧を描いて首に切り傷がついていた。

 それは、自分たちが追い求める快楽殺人鬼『刎ね子』によるモノだと一眼で思い知らされる傷だった。


「ちょうど犯人が母の首を切り落とそうとする瞬間に僕は遭遇しました」


 淡々と表情ひとつ変えずに瀬波は当時の状況を語った。

 だが成嶋と大沼が死亡した際、たくさん悲しみ涙を流した青年の瞳に涙の跡はない。


「……っ」


 伊津野から見えない位置に右手を隠す瀬波。しかし、愛宮の立ち位置からはその右手がしっかりと見えた。

 血管が浮かび上がるほど、拳を振るわせながら強く強く握り締めていた。


 それを目の当たりにしてから愛宮は再度瀬波の瞳を見た。

 一見無感情を思わせる表情だが、瞳の奥には赤い光が宿っているように見えた。

 底知れない激情を、溢れでそうな憎悪を、瀬波は周囲に悟られないために今の物静かな振る舞いを行っているのかもしれない。


「──大変です!!」


 玄関側から焦った大声が聞こえた。

 振り返ると、瀬波と愛宮と同じ巡査の階級の警察官が駆け足でこちらに向かってきていた。


「どうした?」


 伊津野が問いかけるとその巡査は呼吸を整えて姿勢を正した。

 それから冷や汗を流しながら、口を震わせて、言った。




「──『刎ね子』の目撃情報が上がりました!」




 その一言にその場にいた全員が驚愕した。

 今日に至るまで、一度たりとも得られなかった『刎ね子』に関する目撃証言。

 恐らく姿を変えて行動しているであろう『刎ね子』は、いくら街の人々や防犯カメラ探しても特定する事ができなかった。


 だが、遂に情報を得た。

 確かな尻尾を掴んだようだ。


「瀬波せんぱっ……」


 笑みを浮かべて咄嗟に愛宮は瀬波を呼ぼうとした。

 しかし、彼の表情を見て名前を呼ぶ事を躊躇した。

 何故なら──、


「『刎ね子』……!」


 見た事のない、嚇怒の形相を浮かべていたから。






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