第四十話 『どうかお元気で』
北本市にあるいつもの公園に羅奈と麗花を呼び出して私たちは集まっていた。
「なんとか捕まらずに済みそうですねぇ……」
「時間の問題です」
秩父市にある民家を襲撃してから二週間。
最新の注意を払ってあの場所を狙った。実際、住人二人を殺すところまでは順調だった。
けれど予期せぬ来訪者により、状況は最悪の一途を辿る結果となった。
「具体的に、なにが、あったの?」
未だしっかりと言葉を紡げない麗花がこちらを見ながら私に質問をした。
「目撃者を生かしてしまいました」
「そんな……」
「それだけなら可愛いモノですよ。問題なのはろくな証拠隠滅もできなかった上に腕と足に触れられた。なにより──顔を見られた」
激昂した第三者が私に襲いかかってきたのを私は交わせず、そのまま馬乗りになられた。
不構築の幸いだったのは暴力を振るわれなかったことだが、小さな幸を圧倒的な不幸が上書きしている。
犯人の衣服に私は恐らく触れている。手袋はつけていたため指紋は検出されないと思われるが、手袋に何かしらの付着物があればそこから炙り出される。
手袋に限らず押し倒された時点で私の衣類から落ちた物が証拠になる可能性も考えられる。
しかしあらゆる条件以上に帽子を取られ、顔を見られたことがあまりにも大きすぎる失態だ。
性別を知られただけで済むのが最高だがそうはいかない。
髪の毛一本でも落ちていればDNA鑑定で判別されて終わりだ。仮にそこを乗り越えても、襲ってきた男がどこまで私の顔を覚えているかにもよるが簡単に三芳芽亜だと特定されてしまうに違いない。
「どうすれば……」
迷いを抱えたまま殺人などすべきではなかった。
正常な思考能力を欠如した状態で行った結果こうなった。
このままではあっさり逮捕されることになる。
どうすれば打開できる?
どうすれば『刎ね子』として先へ進める?
どうすればいい。
どうすれば、どうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすれば──!
「──ぁ」
熱くなる思考の最中、羅奈と目が合った。
心配げに私を見つめる羅奈。
彼女の顔を見て、稲妻が落ちたかのような激震が私の中に起こった。
もはやこのままでは打てる手がない。確実に状況を大きく変える一手が必要だ。
大きく変えるための手なら、作れるかもしれない。
「羅奈」
「は、はい!」
静かに羅奈を呼ぶと彼女は嬉しげに声を張り上げて返事をした。
最初に出会ったのは同じ北本市の畑。私の最初の失態により作ってしまった最初の目撃者、それが新名羅奈だ。真っ先に殺そうとしたのは記憶に新しい。
偶然、羅奈が『刎ね子』の信者であったことに救われたが、そうでなければ既に刑務所の中だった可能性も十分にあり得る話だ。
救われたのは見つかった時に限らない。
夏、リデルという二十年前の一家連続殺人事件の犯人である猟奇殺人鬼に執拗に追い回された。追い回され続けるか、奴隷にされて心を壊されるまで弄ばれた果てに殺されるかの二択しかない私を、羅奈の奇策が救ってくれた。
あの畑で羅奈に出会ったのは幸運だったと断言できる。
純粋に私を慕い、一度として裏切らなかった新名羅奈。そんな彼女を──私は捨てるのだ。
「──私のために、警察に捕まってくれませんか?」
一瞬、羅奈はポカンと口を開けた。何を言われたのかわからないと言った様子だ。
反対に麗花は両手を口に押さえて驚きを露わにしている。
人生は選択の連続などと言うが、首刎ねの快感に目覚めるまではまるで理解できない考えだった。
しかし、『刎ね子』となって真の意味で理解した。
殺人鬼として捕まらず生き延びるために苦しい選択を幾度も強いられる。一つの選択ミスが命取りとなるから。
そうした状況に置かれて初めて、人生を謳歌している実感が得られた気分だ。
羅奈を捨てる選択肢もまた、私にとっては謳歌すべき人生の糧となる。
第三者は皆口を揃えてこう言い放つだろう。外道と。
そも多くの人間を殺している時点で、今更味方を捨てる方策を外道と言われたところでという話ではあるが、自分自身でも外道だと思う選択をとった感覚だ。
かといって、撤回するつもりはさらさらないけれど。
「────────。あ、えーーーーっと?」
殊の外理解に時間を要して待つ事五分弱。
羅奈はようやく次の言葉を発した。
だが、彼女の表情に困惑の色はなかった。
「羅奈が『刎ね子』様の囮になるってこと、です、よねあってます?」
「ええ」
彼女の疑問に私は肯定した。
新名羅奈を私の代わり、即ち『刎ね子』の代わりとして警察に逮捕させる。これが、私が捕まらないために思いついた苦肉の策だ。
羅奈を失うのは証拠隠滅時の手間がまた多くなることに他ならない。加えて、私の最大の理解者にして全てを晒せる存在である羅奈を捨てたくはない。
しかし、ここまで追い詰められてうまく警察を欺く方法など他に思いつかなかった。
「……おぉ」
「?」
突然、羅奈がニヤけながら呻き声のようなものを発した。
そこから彼女の表情はみるみる明るくなっていった。
「おお、おおお、おおおおおおお‼︎」
「なんですか」
「羅奈が『刎ね子』様になれて、『刎ね子』様の作戦の大一番を任せてもらえるって、そういうことなんです!?」
「まぁ、はい」
「いえっす‼︎」
羅奈は周辺に響き渡る声量で喜びを叫んだ。
全身で謎の動きをしながらひたすらに喜んでいる。
「想定外の反応です。嫌がるかと思っていました」
「嫌がる? まさか! 羅奈は『刎ね子』様の道具! お役に立てるのがなにより嬉しいんです! それに」
「それに?」
「ここまで信用してもらえるようになったのが、嬉しくて嬉しくて!」
花が咲いたように羅奈は満面の笑顔で応えた。
信用。
言われてみれば、私は羅奈を信用するようになっていた。
いつか必ず裏切るのだと常に警戒していた。けれど、新名羅奈の圧倒的な不幸な家庭環境と、リデルを自ら策を立てて殺害した事で彼女を無意識のうちに信用してもいいと判断していた。
誰かに裏切られた経験などないのに他者を信用できなかった。
私自身が理想を演じ他人を騙して生きてきたのだ。だから、寄ってくる人間は皆、自分が位の高い人と接することで自己肯定感を上げるか、あるいは周囲から蔑まれないようにするための柱として使われているとしか思えなかった。
だから、羅奈を信用する自分が不思議でならないのだ。
「わたし、じゃ、ダメなの?」
そこで今まで無言を保っていた麗花が問いかけてきた。
「とてもじゃありませんが麗花には私の代わりを任せられませんね」
「どうして?」
「これだけ完璧な犯罪をしてきた犯人が、臆病者まるだしの人物でしたなどと言われて誰が信じるんですか?」
「で、でも、兄さんを殺したこともあるし……」
「死体すら発見されていないリデルを殺したからと言って『刎ね子』だと信じるほど警察の目は腐っていないでしょう。そも、あなたがリデルを殺したわけではないでしょうに。そうしたところから取り調べの際にボロを出されては困ります」
「……ぅ」
「殺す殺さないの話をするなら、羅奈は自分の父親を殺しています。警察に直接会って事情聴取も受けている。形のない殺人よりも形ある殺人を伝える方が信ぴょう性は高まります。どうあろうと麗花には任せられません」
一通り麗花を囮にしないことを伝えると彼女は俯いて黙り込んだ。
確かに由ヶ崎麗花を囮にする案を考えはした。
だが、麗花に伝えた通り羅奈と麗花では、明らかに羅奈の方が警察を騙す上での条件が揃っている。
後は羅奈の演技にかかっている状態だ。
羅奈は麗花とは異なり、初めの段階から会話は普通にできていた。
最近は施設に入った影響もあってか、私以外の人々に対してもオドオドしたりせず問題なく接せている。
対する麗花は私に対しても未だにまともに会話ができない。仕方のない話とはいえこれでは話にならない。
『刎ね子』に成り切るには、説得力のある自白と私をトレースした完璧な演技力が求められる。
必然的に選択肢は羅奈に絞られるのだ。
「では羅奈、決してミスをしないよう、よろしくお願いしますね」
「はい! ……あーでも」
そこで羅奈は言葉を区切ると、私の目の前まで近づいてきた。
すると彼女は柔らかく微笑みながら、右手で私の頬に触れた。
触れられたその手は冷たい。
けれど、何故だろう。とても、温かい。
「最後の最後の最後まで! 『刎ね子』様の行く末を見届けられないのが、寂しくて辛い……!」
「────」
「どうかお元気で……! そしていつの日か──心から笑えるようになれますように」
段々と語気が弱くなっていき、最後の一言で羅奈は涙を流した。
「────」
本当の意味で私を知り、私を見て、私を愛する存在。
裏表の介在しない無償の愛に返すべき言葉が出てこない。
「────」
道具。
新名羅奈は、道具。道具は、使い捨てるものだ。
そのはずなのに。どうして。
どうして、心が締め付けられるのか。
「私の代わりを務める以上、ミスは許されません。くれぐれもミスを犯さないように」
内心とは裏腹に冷酷な一言が出た。
誉めもしない上に感謝もしない。
つくづく卑劣で外道な人間だと自分を評価する。
同時にそれでいいとも思う。
今の私は理想を演じる『三芳芽亜』ではない。
人の命を、己が快感を満たすために利用する。
冷徹で慈悲のない、世界で最も醜悪な異常者。
『刎ね子』とはそういう存在なのだ。
「ところで……誰を殺すんです?」
まだ僅かに涙声の羅奈。
彼女に誰を殺すかを問われて私は空を見上げた。
曇りのない澄み切った青空に邪魔な人間の姿を思い描く。
阿久津大河を殺したことにより、現時点で三芳芽亜が『刎ね子』である疑惑は高める結果となってしまった。
二人目の瑛陵高生の殺害。加えて、一連の殺人が埼玉県民であったにも関わらず唯一香川県で殺人を犯したことの二つが、瑛陵高校の関係者と仮定して八月頭に四国に行った人を疑う状況になっている。
私の場合、学年の秀才という点から多少は疑いの目は軽いと思われる。
が、多少に過ぎない。疑われている事実には代わりない。
だからこそ、この一手で確実に疑いを晴らすのだ。
ここで、絶対に警察に『三芳芽亜は犯人ではない』と思わせる。
羅奈の方に向き直り、私は深く目を瞑った。
そしてゆっくりと瞼を開けて、言った。
「──私の父を殺してください」




