第三十六話 『理想の嘘に気づく者』
この男と会話するのは霜月優を殺した時以来か。
「瀬波です。僕のこと覚えていますか?」
「霜月さんの時にお話した方、ですね。覚えていますよ」
瀬波碧斗。埼玉県警の警察官。
一人目、霜月優を殺した時に私の元に聞き込みに来た人物が瀬波碧斗だった。
しかし、死体発見が翌朝とは。
わかっていたことだけれど、私にとっては最悪だ。
今回の聞き込みをどう切り抜けるかが問題の争点になる。ボロは出さず、上辺感を出さず、真剣に対話に臨む。今私がやるべき使命だ。
「では早速、いくつか質問をさせてください。阿久津大河さんとはどんなご関係でしたか?」
「今年初めて同じクラスになったくらいで、文化祭まではあまり話したことはありませんでした。文化祭で実行委員が同じになってから仲良くなったのですが……」
顔を鎮痛な表情に変えて悲しんでいる自分を私は演出した。
警察も私を見て辛そうな表情をした。
「お辛い中ありがとうございます。もう少しだけお話を聞かせてください」
「……はい」
「夏休みはどちらに行きましたか?」
思わず表情が崩れそうになった。
考えずとも聞かれて当然の質問だ。
頭から抜けていた自分に腹が立つ。
何人目かは忘れたが、私は一度だけ高知県で首を刎ねた。
あの時も衝動が抑えられなくなり首を刎ねるに至った。あの日の殺人は捜査を撹乱するプラスの結果とリデルという異常者に悩まされるマイナスな結果に終わった。
問題は素直に答えるべきか否か。
いや、嘘をつけば簡単に嘘だと暴かれる。
両親や私の親戚は高知県にいたことを知っていて、向こうの街中にある防犯カメラにも映ってしまっている。
致し方ない。
「ええ。父の親戚の挨拶回りに八月の頭に高知県に行きました」
「何日間ですか?」
「七日間ですね。山中の別荘に宿泊しました」
「観光とかは?」
「挨拶回りだけでしたね。私一人の時間もありませんでしたし」
「ずっとご両親と一緒に行動していたんですね」
「そうです」
嘘を交えてある程度のラインまで事実を話した。
殺害した時、そしてリデルに出会した最終日以外は親と共に行動していた。
最低限防犯カメラの無い道を歩き、時間も経過している。バレないと思いたいところだが。
この部分を正直に話せば確実に怪しまれる。いずれにしても嘘をつくほかない。
「阿久津くんに関して他に気になるところはありましたか?」
「気になるところ……ありませんね。話す仲になったと言っても、親密と呼べるほどではなかったので」
好意を寄せられていたのは気づいていた。
露骨に気を遣い、最終的に告白された事実も。
「最後に一つ。別の方から文化祭の後夜祭中、抜け出したと聞いたのですがどちらに行っていたんですか?」
「阿久津くんと少し話した後お手洗いにいきました。その日今朝から体調が優れなくて、個室で座って休憩していました」
校舎内にはほとんど防犯カメラは設置されていない。
あるのは門のところだけだ。
体調不良も周囲に話しているし怪しまれることはないはずだ。
「聞き込みへのご協力ありがとうございました。辛いかと思いますが、あまり思い詰めないでくださいね」
「お気遣いいただきありがとうございます」
お互いに軽く会釈をして私は部屋を出た。
「……ふぅ」
どうやら私は思っていた以上に緊張していたらしい。
どっと肩の荷が降りた感覚がある。
けれど、まだ終わりじゃない。
今日の聞き込みの結果が吉と出るか凶と出るか。
それ次第で私の──『刎ね子』の命運が決まるのだ。
どうか、上手くいってほしい。
三芳芽亜が部屋を出た後。
「やっぱり怪しい点は一つもなかったな」
一人目の被害者の霜月優の際と何も変わらない。
怪しさがまるで感じられなかった。
ただ。
「高知県には行ったのは、三芳芽亜さんを含めて五人か」
三芳芽亜は夏休みに高知県を訪れていた。
現状、聞き込みした人数は三十人。のち、高知県に行ったのは三人だ。
『刎ね子』が瑛陵高校の人間でないのなら高知県に訪れていたと言っても単なる観光に終わる。
しかし、瑛陵高校の人間が『刎ね子』の場合、危険が身近にいた事になる。
「念の為、警戒しておかないと」
三芳芽亜に限らず、先に高知県に行ったという男子生徒と女性教員。それから近隣住民二人。
これから聞き込みをする相手の中にも高知県への訪問者が現れる可能性は十分にある。
万が一を想定して、夏休みに高知県に滞在していた人たちは要警戒対象としておこう。
◼️◼️◼️
黒い鞄を片手に持って菜野は暗い夜道を歩いていた。
時刻は十時を回り、一連の職務を終えてようやく自宅への帰路についたところだ。
瑛陵高校の聞き込みが始まって二日。
多くの関係者の協力のお陰で阿久津大河に関する情報が集まった。阿久津の人柄や人間関係、直近の出来事に至るまで聞けることは全て聞いた。
だが、これと言って『刎ね子』に迫る情報は出ていない。
「手強いな」
異質なまでの進展のなさに苦々しく呟いた。
二十年以上の警察人生の中で菜野は数々の難事件に遭遇してきた。
中には解決にかなりの時間を要したものも少なくない。が、今取り扱っている事件は過去の事件と比較しても群を抜いていた。
性別もわからない。
年齢もわからない。
特徴一つ掴めない。
多くが知れないままでも複数犯だとわかり、瑛陵高校の関係者の線が浮上した。普通なら犯人像は形になり始める。場合によっては一気に解決に進展することもある。
それでも『刎ね子』の存在は形にならない。
幾度も完全犯罪を成立させる手腕、異常なまでの首切りへの執着。
いったいどんな人間が犯人なのかまるで想像もつかない。
「疲れたなぁ……」
我が家に到着して菜野はゆっくりと扉を開いた。
「おっと」
「あ」
扉を開いた直後、菜野は視界に一人の人物が入り声を漏らした。相手も菜野の存在に気がついて口を開くと互いの声が重なった。
その姿を見て、疲れた菜野の心は穏やかな安堵感に満たされる。
二十年間。決して短い時間ではない。
辛く苦しいことは何度もあった。その度に乗り越えられたのは、正面に立つ少女と、愛する妻の存在があったからだ。
正面に立つ制服姿の少女──菜野の娘である琴葉だ。
「ただいま琴葉」
「おかえり」
無愛想な表情で返す実の娘。
妻は和気藹々とした性格で、菜野自身はおちゃらけた性格なのだが琴葉は感情表現に乏しく、誰に対しても比較的冷たい性格だ。
親戚の誰に似たのかとよく話題に上がる。
親にとってはどんな性格であれ可愛くて仕方がないのだが。
「今日は塾か?」
「違う。空手」
「あー、そうだったなぁ。どうだ空手、楽しいか?」
「楽しくない」
「あれま……」
「まぁ、警察になるために必要だしこれからも長く続けるつもり」
その答えを聞いて菜野は落胆した表情から笑顔に変わった。
娘の琴葉の夢は警察官になることだ。
琴葉が幼い頃、菜野は自分の話を何度もした。些細な事件から大きな事件まで話せる範囲で娘に話してきた。
そのせいか、幼くして警察になるという夢を掲げるようになり今尚その夢は変わっていない。
空手はまさにその一環で、他にも武道は琴葉の希望で習わせている。
妻は琴葉の夢を全力で応援している。
基本自由主義の菜野家だが、やはり警察になると言ってくれた娘が嬉しかったのだろう。
「──お父さん」
靴を脱ぎぐ自身の背に娘の声がかかる。
一声。しかし、芯の通った真剣なものだと父親である菜野にはわかった。
靴を脱いで綺麗に並べた後、娘と向かい合った。
「話したいことがあるんだけど」
いつもとは異なる娘の鋭い視線が菜野の心に緊張感を生む。
丁度菜野側も娘に聞きたいことがあった。元より娘も瑛陵高校の生徒。
一通り聞き終えてからにしようと考えていたが今でも問題はない。
「奇遇だな。父さんもだ」
「じゃあ、私の部屋で」
「待った母さんは?」
「実家に帰ってるけど。なんで?」
「ネガティブな話は聞かせたくないんだよ」
いつも笑顔の妻に事件に関する話を聞かせたくはない。
聞かれればせざるを得ないが、聞かれなければ話してもくすっと笑えるような軽い内容の事件だ。
妻が不在なことを確認してから二人は階段を上がり、琴葉の部屋で話すことになった。
「話ってなんだ?」
「お父さんの方は何?」
「おれのは聞き込みの件だから後で構わないよ」
「なら、ちょうどよかった」
「なにが?」
「同じ内容だから」
琴葉の言葉に菜野は顔を顰めた。
「てーと、あれか、『刎ね子』の」
「うん」
「危険なマネはしてないよな?」
「するわけないでしょ」
「お前の基準じゃ信用できないぞ……」
仮に娘や妻に何かあったらと思うと心身が今にも凍りつきそうだ。
日々家族には言い続けている。
自分の命は大事にしろと。
それを破る場合は、誰かを救う時だけにするようにとうるさいと言われるほどに言い聞かせてきた。
だがこのタイミングで、娘が『刎ね子』について話題を出してきた。
不安でたまらなくなる。
親は子どもが何歳になっても心配なものだ。
ただ今回ばかりは話が違う。条件も状況も、下手をすれば死さえありうるのだ。
単なる心配では終われない。
「そこの椅子座って」
「ああ」
琴葉に言われて菜野は木製の机の前に置かれたオフィスチェアに腰掛けた。
その対面に置かれた桃色のベッドの上に琴葉は腰掛ける。
父と娘が向かい合う状態となった。
「先に琴葉の話を聞こうか」
恐る恐る菜野は娘に先に話をさせることにした。
心配事は先に解消しておきたいのが菜野剛伸という男の性分。
それ以前に、娘が『刎ね子』に関してどんな情報を持っているのか今すぐにでも聞いておきたかったのだ。
もしかすると、事件全体を動かしうる一手になるかもしれない。
どこまでいっても外部の人間な警察官とは違い、瑛陵高校の生徒である内部の人間、それも最も聞きやすい相手からもたらされる情報は大きいに違いない。
そう希望を抱いて父として娘を案じる気持ちと、事件解決の好奇心の両面で対話に臨む。
「聞き込みしてて、一人の名前が多くが上がらなかった?」
「名前? あー、そう言えば三芳って子の名前がやたら出てた。人気者なんだろ?」
「そう。万人に好かれる八方美人。それが三芳芽亜って女」
「なにが言いたいんだ?」
話題に上がった三芳芽亜。聞き込みで出たワードだとトップクラスに多かった。
琴葉の言う『刎ね子』の話に関連があるとは思えないが。
「簡単な話──三芳芽亜が『刎ね子』の可能性が高いとあたしは睨んでる」
「は?」
その一言に菜野は目を見開いた。
「お、まえ……」
「あの女は今年の初めまで」
「待て待て待て待て! 本気で言ってるのか!?」
「冗談で言うわけないでしょ」
「だからって、友達を『刎ね子』とか言うもんじゃ……」
「三芳芽亜は友達なんかじゃない。ただのクラスメイト。あたしが誰かを貶めるような性格じゃないことくらい知ってるでしょ?」
「いや、まぁ、わかってはいるけども……」
冗談混じりでもなく、嘘でもなく、菜野琴葉は本気でクラスメイトである三芳芽亜を『刎ね子』だと疑っている。
一人娘の琴葉を長く見ていた菜野は理解している。
娘は絶対に嘘はつかないし、他者を貶めるようなこともない。性格的に合わない相手がいたことはあれど、それで傷つけることは一度たりともなかった。
菜野琴葉は真っすぐで、心根は優しくて──本気になったら曲げない芯の強さがある。
「────」
娘にここまで言わせる三芳芽亜。
何があったというのか。
「聞かせてくれ」
背筋を正して菜野は娘に話を促した。
琴葉頷いて一つ一つ話し始めた。
「三芳芽亜は誰から見ても完成された存在に見える。でもどこか疲れた雰囲気をいつも感じてたの」
「疲れた雰囲気?」
「何かに疲弊しきってて、笑っても心から笑ってるように見えないみたいな、そんな感じ」
瀬波からはそんな話は出ていなかった。
目にする機会が多いから琴葉は気がついたのだろうか。
「じゃあ作り笑いしてるってのか?」
「作り笑いならまだ可愛い方よ」
「────」
「三芳芽亜は自分を偽ってる。そして、学校の人間を騙してるとあたしは疑ってる」
断言した琴葉の表情には微かに怒りが見えた。
「三芳って子についてはなんとなくわかったよ。そんで琴葉が『刎ね子』かもって思う理由はなんなんだ?」
三芳芽亜の人物像についてはある程度把握した。
とはいえ、これだけでは『刎ね子』に繋がる要素は見えてこない。
「ある日を境に雰囲気が変わったの」
「いつ?」
「──霜月優さんが殺された日」
言葉を失った。
霜月優は『刎ね子』による最初の被害者であり、阿久津大河と同じ瑛陵高校の生徒だ。
資料によれば霜月優と三芳芽亜は親友の関係性にあったと多くの関係者が証言している。
「どう変わったんだ?」
「若干明るくなったように見えたんだけど」
「それは二人目以降もなのか?」
「うん。時折三芳芽亜から疲れきった雰囲気が薄れる瞬間があって。そう感じた日が必ず『刎ね子』が事件を起こした翌日以降だったの」
「琴葉はいつ気がついた? その三芳芽亜の変化が『刎ね子』の事件以降ってのに」
「四人目の被害者が出たタイミングだったと思う」
元から思うところがあったのかよく三芳芽亜を観察し分析している。我が娘ながら観察眼の鋭さに驚かされる。
「琴葉以外にも知ってる子はいるのか?」
「さぁ。気づいたのあたしだけじゃないとは思うけど」
「そっか」
「ひとまずあたしの話は……そう言えば」
「ん?」
話を終わろうとして、琴葉は何かを思い出したのか別の話を始めた。
「あたし、阿久津が殺された日の後夜祭で三芳芽亜と話してさ」
「おうって、おい!」
「なんて証言してたあの女」
「流すなよ……確か、後夜祭の時は阿久津大河と話した後別れてお手洗いに行ったって話してたな」
「同じこと言ってたならいいけど。あの女と話した時、なんとなくだけど焦ってるような気がして。これは気のせいの範疇だからなんとも言えないんだけどね」
『刎ね子』が複数犯なのは確定している。それを踏まえて、後夜祭の時に別の人間に阿久津大河を殺害させて自身は疑われないように戻ってきたと考えられる。
不自然な三芳芽亜の変化と後夜祭での焦り。
見間違いではなく全てが事実であるならば、これは大きな進展への一手となりうる。
「ありがとなぁ琴葉」
自慢の娘をまずは素直に褒めた。
加えてもう一つ、親として言っておかなければならない。
「それとな、もし本当に三芳芽亜って子が『刎ね子』だったら殺されるかもしれないんだぞ。これ以上は危険なマネは辞めてくれ。父さん心配で心配で……」
仮に三芳芽亜が『刎ね子』であれば、気づかれたくない事実に辿り着いた琴葉を排除しようするに違いない。
犯人かもしれない相手との関わりはこれ以上は避けてもらいたい。
「わかった。もうしない。でも、殺されないと思う」
「なんで言いきれんだよ」
「あたしの父親が警察官なのは学校でも有名だし、後夜祭の後三芳さんと話したのを友達とお父さんにも話してる。ここで私を殺せば三芳芽亜は自分が犯人だって言うようなものでしょ?」
「言われてみれば確かにそうだな……」
「霜月さんとは親友で、阿久津は仲良くなってから殺された。私を殺せば瑛陵校の関係者で三人目の被害者になって、自分から警察を近づけることになる。今のあたしは『刎ね子』にとって一番厄介な存在なったとは思わない?」
冗談ではなく変わらず本気で琴葉はそう口にした。
確かに今『刎ね子』が琴葉を殺害する事はリスクしかない。
瑛陵高校の関係者である線が確定すると同時に三芳芽亜が『刎ね子』である線が色濃くなる。
鋭い観察眼を持つ菜野琴葉は間違いなく、現状最も『刎ね子』にとって厄介な存在となった。
だからといって、殺されない保証はない。
殺人鬼とはそういう輩だ。
「そうだとしても気をつけろよ?」
予想もしなかった大きな情報提供。
娘に心から感謝をして、今回の情報をきっかけに事件解決を早急に実現すると菜野は気を引き締めたのだった。




