第三十四話 『己が首を絞める』
目の前で無様に死んでいった男を見下ろす。
想定外の存在だった。
端から殺すつもりはなかった。眼中にさえなかった。何もしなければ死なずに済んだものを。
愚かな男だった。
「首を刎ねたいところですが、時間的に無理そうですね」
今現在は文化祭の後夜祭の最中だ。
校庭に私の姿がないのはとうに気づかれているはずだ。戻るのにあまり時間をかけたくない。
しかし、事態をこのままにはできない。
ここは屋内だ。今までの様に天候を利用して証拠を洗い流すことができない。
近くの蛇口から水を撒く手もあるが、かえって怪しまれるだけなので辞めておこう。
「愚かしい」
自らの行為を振り返って吐き捨てる様に私は言った。
今にも殺さないと耐えられなかったことに変わりはない。そうは言っても、今の今まで耐えてきたのだ。
憎らしい現実を耐え抜いてきたのだ。
だから、耐えられたはずなのだ。
なのに、暴挙を犯した。
確認を怠り犯行の目撃者を作る失態を犯したのも記憶に新しい。
あれは羅奈が『刎ね子』の熱狂的な信者且つ地獄を生きる存在だったお陰で問題なく終わった。
今回はどうだ。
己がストレスを抱えきれず、我慢しきれなくなり、最終的に欲望のままに殺人を犯す結果になった。
字面だけ見れば幼子と同じだ。みっともない。
世の中にはこんな言葉がある。
『殺人は癖になる』。
これはアガサ・クリスティの小説『メソポタミアの殺人』に由来している。
人は数ある選択肢の中から一度でも『殺人』を選ぶと、先々に問題が発生した際にまた過去と同じ様に殺人を問題解決の選択肢として出し、それを選択して問題を解決しようとする傾向にあるというものだ。
実際にそうした研究が過去が行われているが、癖になるか否かは人によるそうだ。
私の場合、まさにこの言葉に当てはまる状態にある。
殺人を一つの選択肢として無意識に出してそれを選んでしまっている。
己が身を滅ぼす結果に繋がる可能性が高いとわかっていても、誤った選択肢をとってしまった。
屋内で身近な関係者を殺害するなど疑いの目が向かないはずもない。
まして瑛陵高校での『刎ね子』による殺人は一人目に次いで二回目。
まともに証拠隠滅もできない。
関係性と一連の流れから疑われる事も回避できない。
……後のことは後で考えましょうか。
「さて」
スマホを取り出してすぐに電話をかけた。
時間は一刻の猶予を争う。
悔やんでも起こしてしまった事実は覆らない。
それにこうなる予感は始めからしていた。
だから念の為、準備をしておいた。
電話の相手は新名羅奈だ。
彼女には瑛陵高校来るよう指示しておいた。
後始末を円滑に進めるために。
「もしもし、羅奈」
「お待ちしてました!」
「──っ!」
背後から突然声をかけられて私は大いに驚いた。
「驚かせないでください」
「ごめんなさいつい……」
私が今いるのは東棟一階のトイレのすぐ横だ。
そのトイレの中から電話をかけた相手、羅奈が現れた。
「いつからそこに?」
「三時間くらい前です! 人がキモいので!」
そんな前から一人でトイレに篭っていたとは。
なんというか……実に羅奈らしい。
とはいえ、現状においては非常に助かる。
「羅奈、今から手前の空き教室にこの死体を運んで掃除用具箱に隠します。その後の処理はあなたに一任します。いいですね?」
「お任せあれ!」
後始末は羅奈に任せる他にない。
後始末をしてから後夜祭に戻れば確実に怪しまれる。阿久津に連れられて東棟に来て彼を殺してからせいぜい十分。空き教室に死体を運んで追加で十分の刑に十分。
体調不良とでも言えば簡単に誤魔化せるラインだ。
「ふふふ」
「何かおかしなことでも?」
急に羅奈は不細工な笑みを貼り付けて笑った。
そのおかしな様子に私は眉を顰めた。
「なんとですね、助っ人を呼んでるんです!」
そう声高に宣言すると彼女は階段の方へ目を向けた。
私も羅奈に釣られて階段の方へ目線を移した。
するとそこには、見知った顔が立っていた。
覇気のない長髪の女。
最初に見た時はボロ布を身に纏い、全身は痩せ細り傷だらけで見るも無惨な姿だった。
だが今は清潔感のある衣服を着用し、体型も以前に比べればだいぶ改善している。
極め付けは付いていた傷跡だ。
見える位置に切り傷や打撲があったのが今はない。消えない傷跡は見えない位置にあるだろうが、ぱっと見目立つ様な傷は無くなっている。
以前は『サルビア』と呼ばれていた少女──由ヶ崎麗花が階段に立っていた。
「久しいですね、麗花」
「えっと、う、ぅん……」
「助っ人は麗花のことですか?」
「その通り! 私一人じゃ厳しいので、麗花さんに来てもらいました!」
いつのまに仲良くなったのか。
リデルの一件以降、特別麗花を使う様な場面は訪れなかった。なにせ殺人を控えていたから。
扱いに困った彼女はリデルの女奴隷のうちの一人に引き取られ殺されるのではないかと考えていたが、思っていた以上に平和な暮らしを送っているのが外見と顔色から伝わってくる。
なんにせよ上出来だ。
二人いれば十分に後始末を行える。
「運ぶのだけは手伝いましょう」
そして丁度十分。
三人がかりで阿久津大河の死体を空き教室に運び込み、掃除用具入れに押し込んだ。
見つかるのも時間の問題だろうが致し方ない。
「では、私は戻ります。証拠隠滅と、人の立ち入りにはくれぐれも気をつけてください」
「りょうかいです!」
「うん」
それだけ言い残して私は東棟一階を後にした。
時間にして二十分。
体調不良なのは何人かに伝えてあるため、不審がられることはないはずだ。
阿久津大河と何処かへ行くのを目撃されていたとしても、ちょっとした小話をして別れたという嘘で流せる。
心配なのは警察に通報されてからだ。
今回の件で私は確実に疑われる。
阿久津が友人にペラペラと自身の好きな人を話す人間には見えなかったが、言っていなくても勘づいた人間はいる。
そこから関係性的に私に結びついてしまう。
一人目の霜月侑の時とは訳が違う。
彼女は親友として周囲に知られていた。三芳芽亜と最も親しい存在だと認識されていた。
その結果疑われずに済んだ。
だが、阿久津は違う。
今まで接点はなく体育祭から急に関わり始めた関係性だ。疑念を晴らすのは中々時間がかかるに違いない。
ひとまずそのことを家に帰ってから、
「──どこに行ってたの?」
中庭を抜けて校庭に戻ってきたところで、私は鋭い声音に引き止められた。
その声は高校内でよくある私を囃し立てるモノとは明確に違うと即座に理解した。
声に確かな疑念を乗せて怪しんでいる。
何より、声の主が私に対して悪印象を抱いている人物であることが答えだ。
「少しお手洗いに。菜野さんは何故ここに?」
菜野琴葉。
埼玉県警警察官の娘。
当たり障りのないごく普通の返答をしてから、質問者に対して質問で返す。
怪しまれている時に使う常套手段の一つだ。話を上手く逸らすのに適している。
「────」
眉を寄せて私を見る菜野。
それにいつもの微笑で応じてじっと先の言葉を待つ。
数秒経過して彼女は口を開いた。
「騒がしいのが苦手なの」
「そうでしたか。気持ちはわからなくもないですが」
「あんたが? 冗談にしては出来が悪いわよ」
瞳孔を細めて目を合わせず吐き捨てる様に菜野は言った。
そう、こういう女だ。菜野琴葉は。
彼女は他者とは進んで接しようとはしない。親しい間柄以外には冷たく、誰に何と言われようと自分を曲げない芯の強い存在だ。悪く言えば我が強く協調性の無い存在と言えよう。
警察官の娘で菜野琴葉自身も警察を目指している。
それ故に親から培ったものなのか、あるいは自ら鍛え上げたものかはわからないが観察眼に優れている。
些細な変化を見つければ彼女は相手の意思を気にすることなく聞く。
正直な話、私とはかなり相性が悪い。
可能なら拘らず済ませたいほどには。
いつから私を怪しみ、私を観察していたかわかったものではない。
故にこの場は適当に流してさっさと離れるのが最善。
「では私はこれ」
「──阿久津はどうしたの?」
立ち去ろうと足の向きを変えた瞬間、菜野は話を元に戻した。
「────」
鋭い目つきは変わらず、菜野琴葉は真っすぐに私を見ていた。
まるで答えを話すまでここからは逃さないとばかりに。
……面倒だ。
「少しお話をしてから途中で別れましたよ。どこに行ったかまではわかりませんが」
「何話してたの?」
「今日の振り返りですよ。無理をしていた私に対する叱責もありましたね」
嘘を交えてリアリティのある会話を作り上げる。
けれどなんだろう。
菜野琴葉の疑惑の目は異常だ。
確実に私に何かあると疑っている様子。
「ずっと取り繕ってる時点で無理とか今更じゃないの?」
「──っ」
しまった。
反射で間を作ってしまった。
案の定菜野は私を先程までよりも訝しげに私を見た。
流石に私の本性までは知らないはず。
でなければ、今頃私は罵声の嵐を浴びている。
あくまで菜野のハッタリ、だと思いたい。
ひとまず、間を作った分誤魔化さなければ。
「私は」
「完璧を演じるのは大変でしょ?」
言葉を返そうとした時、二の句を告げない様に菜野は言葉を重ねた。
しかしそれに動じることなく今度は私が強く返した。
「言っている意味がわかりませんね」
「あんたがみんなを」
「いくら私が嫌いでも流石に言い過ぎではありませんか?」
「…………」
相手の発言がハッタリなら、発した言葉が事実でない場合によくないことをしたと思わせる必要がある。
今のはまさにそうだ。
「文化祭ですからね。多くの人と触れ合う機会があってかよくない噂でも耳にしたのでしょう。 と言っても、以前から菜野さんは私に何故か当たりが強かったわけですが」
「そんなつもりは」
「みんなを騙してると言おうとしたあなたが、そんなつもりがないとおっしゃいますか?」
菜野は黙り込んだ。
だが、彼女もまた私と同じく態度を変えない。
いい加減この場は切り上げたい。余計なボロを出してしまいそうだ。
「阿久津との会話の内容はそれだけ?」
「それ以上を聞くのは無粋では?」
「────」
菜野に背を向けた直後に再び疑問を向けられた。
それを怒り交じりに遮る様に言い返すと彼女は今度こそ何も言わなくなった。
後夜祭にも拘らず男女が二人きりで何処かへ。告白があったことを匂わせた言い回しだ。
何か確証めいたモノを有しているのかもしれない。
ろくに関わりがないのに決めつけで話を進めようとしてくる。
どこから根拠を得たのかは知らないが、絶対とはいえないのが今私が変わらず生活できている証拠だ。
「────」
後夜祭の炎の方へと歩みを進める。
すると、多くの生徒が私の周りに集まってきた。
それらを煩わしいと感じながら、私は今も冷えた視線を送っているだろう人物の姿を脳裏に思い描く。
菜野琴葉は、私にとって確かな障害となる。
殺せればいいものを彼女の境遇がそれをさせない。
あまりにも厄介な存在だ。
そして、自身の過ちがどう転ぶか。
今は静かに、運命に身を任せることしか、できなかった。




