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第二十八話 『凍てつく心に熱を』

 



 九月二日、夜。


『刎ね子』による無差別連続殺人事件とは別件で出張に出ていた伊津野。

 一通り仕事を終えてホテルに戻ったタイミングで、電話がかかってきた。


 胸ポケットから端末を取り出して相手を確認。

 そこには『菜野警部』と表示されていた。

 彼から連絡があることは珍しくない。ただ、現時刻は夜十時を回っている。

 余程緊急の用事でもない限りこんな夜更けに連絡、まして電話などかけてくるような人ではない。

 故に、緊急の連絡なのだろうと察しがついてすぐに電話に出た。


「伊津野です」


『すまんなこんな時間に』


「いえ、仕事も終わった後なので問題ありません。それで、要件は?」


『あの、な……』


 そこで菜野は言葉に詰まった。

 端末越しからも伝わる明らかに沈んだ菜野の声。

 伊津野は怪訝な表情を浮かべた。


「何があったんですか?」


『帰ってきてから』


「前置きは結構です。さっさと本題を話してください」


 そう言って伊津野は先を促した。

 すると菜野の深呼吸の音が聞こえてきた。


 いったい、何があったというのか

 それほどまでに重要な要件なのか。

 嫌な予感が伊津野の全身を駆け巡った。


 そして、菜野は話し始めた。



「──大沼一課長が殺された」




 ──────。

 ──────────。


「は?」


 一瞬、思考が停止した。

 菜野からもたらされた話が、誰かに突き落とされたと錯覚するほどの衝撃に脳の理解が追いつかない。

 十年も上の上司相手に礼儀もなく聞き返してしまった。


 脳内でゆっくりと受けた衝撃を噛み砕き、浸透させていく。

 しかし、完全な理解をするよりも菜野の次の言葉の方が早かった。


『昼間、県警の駐車場で黒服の女に刺されたんだ。急いで、救急車を呼んだんだが……間に合わなかった』


 刺された。

 捜査一課長、警視の大沼蓮二が刺されて──殺された。

 全てを、理解した。


「犯人は?」


『現行犯で逮捕した。明日事情聴取をする予定だ』


「そう、ですか」


 何か言おうにも、なんと口にしていいかわからなかった。


「俺が事情聴取をします」


『でもお前──』


 菜野が何か話そうとしていたが、最後まで話す前にこちらから途中で電話を切った。


「ぎっ──!」


 強く奥歯を噛み締めて、スマホが軋む音を立てるくらいの握力で握り締めた。

 口にすれば、自制が効かなくなりそうだった。

 だから心を殺して、沸き立つ怒りの感情をそうして抑え込んだ。


 第三者が見れば、他者に決して見せることのない伊津野悠生の表情に驚きを浮かべるだろう。

 普段は冷静沈着で、絵に描いたような真面目さを貼り付けた男。それが伊津野悠生だ。


 そんな彼が、激情に掻き立てられた表情を浮かべているなど、誰も想像できない。


「────」


 数分間怒りを抑え込んで伊津野の精神はようやく落ち着いた。

 次いで今度は別の感情が押し寄せてきた。


「ぐっ……」


 右手で顔を覆った。

 一人。伊津野は尊敬していた上司を失ったことを、静かに悲しんだ。




 ◾️◾️◾️




 翌朝。

 伊津野は急いで署に戻り、取調室前へと赴いた。


「大丈夫なのか?」


 最初に伊津野に声をかけたのは、昨夜大沼の訃報を伝えた菜野だ。

 沈んだ面持ちの彼は伊津野を案じている。

 それに表情を変えず無言で首肯。


「中に?」


「ああ。渡井楓奈、二十九歳。無職。大沼一課長を見るのは昨日が初めてだったらしくてな」


「計画的な犯行ではないわけですか」


「目立つ人を殺すのが目的だった、って本人は言ってて……」


「──?」


 言葉を区切った菜野の表情が急激に曇り始めた。

 それを伊津野は構わず「早く続きを」と話の先を促した。

 すると彼は言いにくそうに口を開いた。


「犯人な……『刎ね子』に指示されたって言ってんだよ」


「なに?」


 思いがけない単語に伊津野は顔を顰めた。


 首を刎ねる狂気的犯行を繰り返す殺人鬼。

 それが何故今名前が出るのか伊津野には理解できなかった。

『刎ね子』が大沼を殺害した犯人に対して「目立つ人物を殺せ」と命じて、いったい何の徳があるというのか。


 シンプルに自身の名を拡めるのが目的、と捉えるのが自然。

 だが、曖昧な指示であるため大きな話題性を持たない人間を殺害する可能性もある。

 警察で位の高い人間を殺せと命じるのなら、警察に対する宣戦布告となり、同時に現状よりもさらに『刎ね子』の名前を拡げることに繋げられるがそうではない。


「なんであれ、聞き出せばわかることだ」


「無理な取調べはするなよ」


「────」


 菜野の指摘を聞き入れず伊津野は取調べ室内へと入った。


「あ、どうも」


 正面、明るい茶髪の女が椅子に座り伊津野に対して笑みを浮かべて挨拶をした。

 二十九歳とは聞いていたものの、実年齢よりも下な印象を受けた。幼い顔立ちなのもあるが、それ以外の要因が絡んでいるように見える。


「あは、なんです?」


 気味の悪い笑みを浮かべながら、女は左右に小さくゆらゆらと揺れている。

 この状況を楽しんでいるかのようだ。──否、女は現状を楽しんでいる。


 腹立たしい。


「取調べを担当する伊津野だ」


「こんにちは〜」


 伊津野は女、渡井の対面の席に腰掛けた。


 渡井には全てを吐き出させる。

 そして、本当に『刎ね子』の共犯者であるなら、今回の件を失策に事件を終わらせる。

 亡くした大沼の仇を討つために。


「『刎ね子』との繋がりは?」


「ん〜?」


「とぼけるな。『刎ね子』の指示なのは既に聞いている。さっさと答えろ」


「んん〜?」


 いまだに横に揺れながら不気味さを感じさせる笑みを浮かべる渡井。

 警察署で堂々とした殺人を行い、自ら『刎ね子』の指示だと証言したにも拘らず質問に答えない。

 相手の思惑が全く読めない。


 相手が吐くまで伊津野は対峙するつもりでここに来たのだ。

 続けて、伊津野は質問をした。


「大沼一課長との繋がりは?」


「な〜い」


「──っ」


 女は今の伊津野の質問にはあっさりと答えた。

 隠す気も、嘘をつくこともなく、認めた。


 今起こった事実に、伊津野は下を向いて歯噛みした。

 多くに慕われ、尊敬され、決して高い地位に甘んじて傲慢にはならなかった大沼。

 世界中どこを探しても、大沼ほど完成された上司はそういない。


 一度挫折した伊津野を引き上げてくれたのも大沼だった。

 単純に叱咤激励するだけでなく、今の自分はまだまだ至らない点も多いと頭を下げられた。本当に裏表なく、自分の成長と他者の意を慮ることの二つを大事にしているのだと伊津野は衝撃を受けた。

 傲慢な上司には幾度も出会ってきた。

 だからこそ、こんな素晴らしい人間がいるとは思いもしなかった。


 あの日の瞬間が伊津野自身の記憶に今も強烈に焼き付いている。

 ──それが、目の前の女に理由もなく奪われた。


「────」


 すぐに頭に血が上る今の自分を内心でらしくないと思う。

 あっさりと適当に殺害したと認めた女の発言によく堪えられたと思うほどに、今の伊津野は冷静ではなかった。


「『刎ね子』は今どこにいる?」


「うーん」


「他に共犯者は?」


「え?」


「動機は?」


「さぁ〜?」


 その後も幾つか質問を投げかけたが、女は大沼との繋がりについて答えた以降、質問には答えようとしなかった。

 だが。


「なんで、大沼一課長を殺した?」


「テキトー。なんとなく〜? 目立ちそうだなぁ、みたいな」


 大沼の殺害動機については素直に答えた。


 大沼を殺害したことには答え、それ以外には一切答えない。

 肝心の大沼殺害を認めて動機についても話していることもあり、単に本人の意思で黙秘していると考えにくい。

『刎ね子』による口止めと捉えるのが自然だと一旦仮定した。


「あ、そうだそうだ」


 すると、それまで自ら話そうとしなかった渡井が突然何かを思い出したかのように口を開いた。


「これは勝手だけど、りっくんなら許してくれるよね? 必要なことだし」


 天井を仰ぎながら独り言を口にした渡井。その途中で出た単語を伊津野は聞き逃さなかった。


「りっくんとは、『刎ね子』の名前か?」


「え、違うけど」


『りっくん』と渡井が言ったことを『刎ね子』か否かを問うたが、先ほどとは異なり、渡井は表情に怒りを含んで遮るように即答した。

 ではいったい、誰だというのか。


「お兄さん、二十年前の一家連続殺人って知ってる?」


 何の脈絡もなく突然出てきた事件。

 二十年前の一家連続殺人は、合計三件の一家が何者かに連続で惨殺された事件だ。

 今なお、一件目の長男と一件目と三件目の男女の不倫関係で生まれた娘を除き、全員が殺害された証拠一つなく、未だに男女か否かの判別すらついていない未解決事件。


 何故今その事件について聞いてくるのか。

 伊津野は身を固くした。


「犯人殺されたよ。『刎ね子』に」


「なんだと……?」


 渡井の爆弾発言に伊津野は頬を硬くした。


「冗談にしては出来が悪い」


「ホントだってば」


 渡井は淡々と答えた。


 全国の警察が総出で捜査した難事件。

 その犯人が二十年越しに、よりにもよって同等以上の何時県の犯人である『刎ね子』に殺害された。

 信じろと言われて信じる方が無理がある。


 何故、一家連続殺人の犯人が『刎ね子』の前に姿を見せたのか。

 そして何故、『刎ね子』に殺されたのか。

 渡井がこちらにもたらす発言は、ただただ疑問を増やすばかりだった。


(この女の目的はなんだ?)


 曖昧な大沼一課長殺害動機を答えるのは、初めから隠す気など毛頭なく、本当に指示通り殺害できればそれでよかったということなのは察せる。

 だが、『刎ね子』の共犯としあっさり吐き、二十年前の一家連続殺人の犯人も殺されたと情報を伝える意図が読めない。


 何か大きな問題を見落としている。

 そんな不安感が伊津野の冷静さを失わせた。


「それと」


 渡井は伊津野のことなど構わず、続けた。



「──数字には意味がある」



 突然放たれた、意味のわからない発言。

 二十年前の事件を話すのとはまた別の、本当の意味で理解できない内容だった。

 伊津野の心中が疑問に支配された。


 直後。


「はぁーっむ!」


 渡井は大きく口を開けて、伊津野に見せつけるように何かを噛む動作をした。

 口をゆっくりと動かして、飲み込んだ。

 謎の行動に伊津野の胸中は更なる疑問に満たされる。


 そして──、


「──。うぶぶ、ぶぶぶぶぶぶ、うゔぇ」


「渡井!?」


 バタンと音を立てて渡井は地面に倒れた。

 その状態のまま、苦しそうに呻き声を上げて口から泡を吹き、全身を痙攣させた。


 衝撃に椅子を蹴って伊津野は立ち上がり、倒れる渡井に駆け寄った。


「お前、なにを……!」


「ぶぶぶぶぶぶぶぶ──」


「まさか、毒?」


 突然の何かを噛む動作。

 飲み込んだ後倒れ、泡を吹いて痙攣。


 口の中に毒を忍ばせていたと伊津野は推測する。

 推測が正しいのなら、敢えて警察署の駐車場で大沼を殺害したのは初めから自殺するつもりだったということになる。

『刎ね子』に関する、ヒントを残して。


「救急車を呼べ!!」


「は、はい!」


 書紀の刑事に必死の剣幕で叫んだ。


 この女を死なせてはならない。

 死なせれば『刎ね子』に至る可能性を失う。

 なにより、渡井の目的を完遂させれば大沼の仇を打てなくなる。


「絶対に死なせるか……!」


 鬼の形相で怒りを顔に滲ませて、伊津野は瀕死の渡井を見下ろしながら告げた。




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