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第二十七話 『部下を労うのは上司の務め』

 



「ああぁ……あぁぁぁ……あああああああああ‼︎‼︎」


 女は起きた一連の出来事に叫んだ。

 悲しみと憎悪が混じった声で、喉が潰れるほどに叫び続けた。


 精神に大きな欠陥を抱えた女にとって、その『存在』はパズルに於ける欠けた大部分のピースを埋めてくれた。

 一枚や二枚なんてモノじゃない。

 千ピースなら九百枚。一万ピースなら九千枚。

 女にとって『それ』は生きる意味そのものだった。


 だが、何もできずに失った。


「……はぁはぁ」


 叫び疲れて女はへたり込んだ。


 叫んだところで『それ』は戻ってこない。

 理解していても、理解できないように叫んで自分を騙そうとしたが、無理だった。

 

「そう、いえば」


 全身に力が入らなくなった女は、電撃的にあることを思い出した。

 それは自分にとっての生きる意味──リデルがくれた、最後のプレゼント。


『楓奈ちゃん、キミにひとつお願いしたいことがあるんだけど、いいかな?』


『もちろん!』


『ありがと。じゃあ、健気なキミにだけ、お願いさせてもらおうか』


 リデルが死した悲しみに、殺された憎悪に、忘れかけていた。

 自分が、自分だけが任された、愛しい人からの『お願い事』を。


「あたしがやるんだ。あたしがあたしがあたしがあたしが私が!! ふふ、ふふふ、あはははははっ!!」


 瞳を血走らせ、女は── 渡井楓奈は狂笑した。




 ◾️◾️◾️




「ご苦労。引き続き、調査を続けてくれ」


 部下にそう伝えてから、大沼は別の部下を連れて踵を返し会議室の外へ出た。


 伝えられた情報は『刎ね子事件』に関するモノだ。

 既に十人以上をその手にかけた殺人鬼『刎ね子』。そのうち、八人目の被害者が殺害された現場にて不審人物を目撃したとの新情報を得たそうだ。

 しかし、八人目はの被害者が殺害されたのは二ヶ月前の話。

 このタイミングでの新情報の真偽は不明であり、事件解決へ進展させられるかもわからない。


 だが、どれだけ些細な情報でも捜査が難航している事件には実にありがたい。

 嘘の可能性も十分に考えられるが、嘘をついたところであっさりと見抜かれることに加え、犯人がやるとしても直近で殺害した被害者になるはずだ。故に情報は本物だと信じ、情報提供者には感謝したいというのが大沼の本心だ。


「行こうか」


「はい!」


 五人の部下と共に部下を先にエレベーターへと乗せ、最後に大沼が乗り込んだ。一階を指定して扉を閉めると、ガタンと音を立ててエレベーターはゆっくりと動き出した。


 ──部下を労うのは上司の務め。


 かつて、大沼は師と呼んでいた上司からその言葉を教わった。

 上に上がれば上がるほど若い頃の苦労が薄れていき、次第に傲慢になってしまう。性質の悪い上司の元についた人間はその傾向が強く出やすい。

 大沼は両親が心優しく、誰からも愛される存在であったため、いずれ成長して上の立場になった時は分け隔てなく優しさと厳しさを正しく振る舞おうと決めていた。


 そこへ、まだ警察に入って間もない大沼に恩師が部下を労えと言葉をくれた。

 単純に上司だからという理由ではなく、上司であるからこそ今一度自身の立場を理解し、傲慢にならずに間違いのない在り方を続けていくのに必要だから。そんな意味が込められていた。

 シンプルに部下に慕われた方が気分がいいと、話の最後に付け加えて笑っていた恩師は心底幸せそうだったのが印象に残っている。


 数年前に老衰で亡くなった恩師を想い、今も理想の上司であろうと懸命に努力している。


「────」


 多くの人々の上に立つことで背負うものも多く責任感も高まる。

 そうした大変さを上書きするくらいに部下たちが熱心に働いて成長していく姿を見ることで、大沼自身も負けてはいられないと進み続けられる。間違わずにいられる。


「一課長、どうぞ」


「私に対してそこまで気遣う必要はないと言っているだろ?」


「しかし……」


「ではお言葉に甘えて〜」


「おい坂角!」


「好意でしてくれるのを断るのもあんまりよくないんじゃないかい根城巡査部長?」


 やいやいと騒ぎ立てるのが根城巡査部長。それを適当に流しているのが同じく巡査部長の坂角。

 二人とも大沼との付き合いが長く大切な部下だ。


「根城、気にしすぎだ」


「申し訳ありません……」


 最後に大沼と根城だけになったエレベーター。大沼の最後の一言で根城は泣く泣くエレベーターを大沼より先に出た。

 些細な出来事だが、これが上下関係が強く根付いた環境の悪い部分だ。

 少なくとも、自分の周囲だけは改善していきたい所存だ。


「車は私が運転する」


「冗談はそこまでにしてくださいよ……」


「すまない」


 根城に軽口を叩くと本気で勘弁してほしそうな目で睨まれたのに対し、大沼は微笑を浮かべながら謝罪。

 助手席の扉を別の部下が開き、大沼は中へ──。


「──大沼一課長っ!」


 突然かけられた横からの叫び声。

 それに脳が何かしらの危機が発生したと理解するも、行動するには既に遅かった。


「──ッ」


 気づいた時には、既に自身の身で答えを得てしまっていた。


 異常事態への衝撃。

 腰の辺りに感じる灼熱の感覚。

 即座に広がり始める痛苦。



 ──大沼蓮二は、何者かの手で刺された。




 ◾️◾️◾️




 埼玉県警警察署、駐車場にて。



 丁度現場の聞き込みを終えて県警の駐車場に着くと、そこには阿鼻叫喚が広がっていた。


「いったいなにが……」


 愛宮と共に僕は急いで車を駐車して外へ出た。


 視線を巡らせると、右手側で黒のパーカーにフードを目深に被った女が組み伏せられていた。

 その近くに、血のついた包丁が落ちている。


「──っ!?」


 誰かが刺された?

 誰が刺されたんだ!?


「大沼一課長!」


 愛宮の発したその名前に動機が早くなる。


 そんな、大沼一課長が?

 大沼一課長が刺されたのか……?


「────」


 愛宮が見ている方向へ、僕も視線を向けた。

 見慣れたパトカーの前に二人の警察官の姿があった。

 片方は根城巡査部長。

 そして、もう片方は──。


「大沼、一課長……?」


 根城巡査部長に抱えられた警察官。

 ──大沼一課長だ。


「そんな……」


 動揺に視界が歪む。

 あまりの出来事に頭が真っ白になった。


「なにが、え? どうして……」


「瀬波先輩!」


「──っ!」


 愛宮の呼びかけで朧げな僕の意識は現実に引き戻された。

 それから、大沼一課長の元へ駆け寄った。


「大沼一課長!!」


「瀬波、か……」


「何があったんですか根城巡査部長!」


「そこで取り押さえてる黒服の女が大沼一課長を待ち伏せしてて刺したんだ!」


 今一度、僕は組み伏せられている女の方を見た。

 胸に爪を立てて無理やりに心を落ち着かせて思考する。


 女は誰だ? 大沼一課長に恨みを持つ人間?

 立場が立場だけど、この人に限ってそんな事は考えにくい。まして女性ともなると、大沼一課長と関わりのある人なんて限られてくる。

 でも、黒服の女に見覚えはない。

 フードから少しだけ見える赤い前髪。

 視点の定まらない黒瞳。

 年齢は二十代前半くらいに見える。


「大沼一課長!! しっかりしてください!!」


 考える僕の隣で懸命に声をかける根城巡査部長。

 見れば大沼一課長はかなり衰弱していた。


「急所は避けてるのに衰弱が早い……まさか毒!?」


 刺された位置は腰の中心。

 刺さった包丁も深くはない。出血量も見る限りそこまでだ。

 まだ急いで病院に連れて行けば助けられる時間だ。

 なのに大沼一課長の顔からはどんどん生気が失われていく。


「根城……」


「はい……!」


「すま、ない……」


「なに言ってんすか! 諦めないでください! オレたちには! オレたちには! あなたが必要だ! ここで、こんなところで死なないでください!!」


 根城巡査部長の瞳からは涙が溢れ出していた。

 肩を支える手も激しく震えている。

 でも、決して諦めていない。

 必死に、声をかけ続けている。


 僕も大沼一課長に声を──、


「私がいなくても……捜査一課の皆、十分以上に立派でっ……優秀な警察官だ」


 大沼一課長がゆっくりと腕を上げて、根城巡査部長の肩を叩いて、微笑んだ。

 こんな状況だと言うのに、大沼一課長は部下を想い行動している。

 その光景に心臓を針で刺されたような痛みを感じた。


「いずれにしろ、近いうちに捜査一課を離れる予定だった。それが、早まっただけの、話だ」


「なんで諦めた言い方するんですか! まだ大沼一課長は生きてる! こうして言葉を交わしてる! まだ何も、終わってないんですよ!」


 堪えきれず僕は大沼一課長に声を張り上げた。


 本人の身体が厳しい状態にあるのは第三者から見ても明らかだ。

 生気の薄れた顔にぐったりした身体。

 僕らは医者じゃない。布で傷口を抑えるか声をかけるかしかできない。

 だからって、諦める理由にはならないんだ。


「先輩の言うとおりです! もう少しで救急車が来ます! 諦めないでください大沼一課長!」


 僕に続いて愛宮も大沼一課長に声をかけた。

 僕らの必死な呼びかけに大沼一課長は静かに頷いた。


 それから彼は根城巡査部長の肩に手を置いたまま、視線を僕らと一課長を刺した犯人を取り押さえている二人の刑事、救急車の手配や各所に連絡をとっている他三人の刑事の順に視線を巡らせた。

 微笑を崩さないまま、大沼一課長はゆっくりと唇を動かした。


「ああ……生意気な青年だった私が、こんなにも慕われるようになるとは……」


「一課長……?」


 死の淵にいるはずの大沼一課長は、決して恐怖心や犯

 人への憎悪、苦しむような表情は見せなかった。


 近くには根城巡査部長を始め、僕と愛宮の三人が大沼一課長を囲むように立っている。

 今の状態を本当に喜ばしいと感じているかのように、常の厳格な表情から時折見せる柔らかい表情。

 とても穏やかな表情で、僕らに対して大沼一課長は天井を眺めながら辿々しく声を発した。


「夢、だったんだ……大勢に、信頼されて、尊敬されることが……だから、恩師の言葉を信じ続けてっ…………夢を叶えるために、奔走したものだよ」


「これ以上は体に障ります! お話であれば、今回の件が片付いた後でいくらでも話せるでしょう!?」


 涙声混じりに根城巡査部長が言った。

 だが、尚も大沼一課長は言葉を紡いだ。


「根城……」


「はいっ……!」


「生真面目なのが、お前の良いところでもあり、悪いところだ……もっと、肩の荷を下ろしなさい」


 そう言った直後、根城巡査部長は決壊し涙を流し始めた。


「今言うことじゃっ、ないっすよ……!」


 根城巡査部長は自身の肩に触れた大沼一課長の手を強く握りながら、額に当てて泣いている。

 その様子を見て大沼一課長は優しく笑った。


 そして彼は、僕らと目を合わせた。


「瀬波、愛宮……」


「──。はいっ!」


「ぅっ……は、はぃ……」


 先ほどまでよりも生気が薄れているのが伺える。

 それを見て辛さに一瞬言葉を失った。

 でもすぐに意識を戻して、威勢よく返事をした。

 反対に愛宮は力無く返事をした。


「まだまだ、お前たちの成長を……みて、いたかった」


「────」


「だが、どうやら…………叶いそうにない」


「それはまだ……! ──っ」


 わからない、と続けようとしたところで、大沼一課長の表情が変化した。

 優しく穏やかな表情から、いつもの人々を導く厳格な雰囲気をまとった真剣な表情に。


「駆け出しのお前たちに、伝えておく」


「────」


「悪を罰する時、その一つにのめり込みすぎるな。そして、全てを救いきろうと考えるな。いずれ、自らを破滅に追い込むことになる」


 その言葉に、僕は強く心臓が脈打つ感覚を覚えた。


「正義も、ほどほどにだ」


 最後にそう言って、大沼一課長は再び微笑を浮かべた。

 そのまま彼は天井を見ながら、呟いた。


「感謝を忘れずにいれて、良かった……」


 掠れた声で呟いた直後、根城巡査部長の肩に置かれていたから腕から力が抜けて、大沼一課長の目蓋はゆっくりと閉じられていく。

 その様子に絶望感と焦燥感が入り混じり心掻きむしる。


「大沼一課長! 大沼一課長!! しっかりしてください!! 大沼一課長!!」


 根城巡査部長の必死な叫び声に、各所に連絡をし終えた二人の刑事が駆け寄り、彼と同様に大沼一課長の名を呼び続けた。

 女を取り押さえていた刑事たちも、激しい動揺を顔に出しながらこちらを呆然と見つめている。

 愛宮は悲しみに前を向けないのか、顔を両手で覆っている。


 そして僕は──。


「また……」


 何もできなかった事実に嘆き、立ち尽くした。




 救急車が到着したのはそれから十分後のことだった。

 大沼一課長は病院に搬送されるも、刺された時の毒の巡りが早く病院に到着する前に心肺停止していた。


 九月二日。

 享年五十五歳。



 ── 大沼蓮二捜査一課長は、亡くなった。



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