第二十三話 『快楽殺人鬼と猟奇殺人鬼』
血の滴る錐を片手に私は殺したばかりの死体を見下ろす。
「──っ」
女二人を殺してから二日。
胸中を蝕む不安感から少しでも逃れるために、私はまた一人、殺した。
しかし、
「今日も、ですね……」
私が言おうとしたことを羅奈が先に口にした。
足元に、血溜まりに横たわる死体がある。
今しがた錐で喉元を突き刺して殺害した女の死体を見下ろしながら、その表情を見て激しい嫌悪感を抱いた。
死体が、涙を流して笑っているからだ。
高知から埼玉に戻ってきて、今日を含めて三人殺した。いずれの死体にも共通点が存在している。
三人とも女であり、全員が泣き笑いした状態で死んだことだ。
共通点はもう一つ、存在する。
殺した女は全員『赤色の鋏』を所持していた。
即ち、二十年前の一家連続殺人事件の時と同様の所持品。
再び赤い鋏を見た瞬間に理解した。
──私は高知で出会った猟奇殺人鬼に、狙われていると。
「面倒な」
口の中だけで私は呟いた。
本当に。本当に本当に本当に。
心底面倒臭い。
こんな、執拗に追いかけ回されて。
気色の悪い嫌がらせをされて。
その理由が私が欲しいからと。
「うっ……」
異常者の嗤う顔を思い出して吐き気を催した。
「刎ね子さ──」
「──久しぶりだね」
羅奈の声が途切れると同時、静寂が支配する空間に男声が響き渡る。
その声に、聞き覚えがあった。
それもそのはず。たった今、私が吐き気を催した原因なのだから。
「……リデル」
「来ちゃった」
柔和な笑みを浮かべて、異常者は手を振った。
肩の露出した黒の服。
一房だけ緑に染まる黒の長髪。
そして、右頬に刻まれた異様なマークのタトゥー。
見間違えるわけがない。
父の付き添いで行った高知県で遭遇した、二十年前日本中を震撼させた猟奇殺人鬼──リデルの姿が、そこにはあった。
私を追って、埼玉に現れたのだ。
「そんな嫌そうな顔しないでよ。ボクはキミに会いたくて会いたくて仕方なくて来たっていうのに」
「気持ち悪い」
「あはは。素直だね」
笑うリデルの背後には、ボロ布を纏った女が無言で立ち尽くしている。
確かサルビアと呼ばれた女だっただろうか。
「またその人を連れ回してるんですか?」
「え? ああ、サルビアのことね。彼女は特別だからね。いつも一緒なんだ」
奴隷扱いの中の特別にいったいなんの意味があるというのか。
やはり、この男と話していると気分が悪くなる。
「行きましょう、羅奈」
「あれ、行っちゃうの?」
「あなたと話すことは何もありませんので」
背を向けて私はこの場を去ろうとした。
しかし、何故か羅奈は動かなかった。
「羅奈?」
「────」
「羅奈!」
「は、はい! すみません!」
恐怖で足が動かなかったのか、羅奈は三度目の呼びかけでようやく私の声に返事をして、足早に私の方に駆け寄って来た。
それから私たちは、背後を警戒しつつその場を後にした。
「また会おうね」
最後にかけられた不気味な声が、私の心中を不快感で満たした。
◾️◾️◾️
「──まただ」
今しがたカッターで喉元を切り裂き、殺害した女の死体を見下ろしながら、苦い現実に奥歯を強く噛んだ。
「『刎ね子』様、これって……」
「ええ。間違いなく、あの男の仕業でしょうね」
あの後も、リデルは私のことを執拗に追い回して来た。
人の立ち入らない山奥や使われなくなった廃墟、自殺者が後を経たない心霊スポットなど、リデルは悉く私の居場所を特定し、不吉な笑みを浮かべながら私に声をかけてきた。
何故か、今日は私に接触してこないが、どうせ近くに女奴隷は潜伏させているに違いない。
最初以降は会話もせず、死体処理だけ済ませて羅奈を連れてすぐに逃げた。
何をされるかわかったものじゃない。
本当に、最悪の可能性を引いた。
想定すらしていなかった。
二十年前の殺人鬼に狙われるなどと、いったい誰が想定して対策できるというのか。
少なくとも私には無理だった。
「────」
対策を講じるにしても何をすればいい?
仮に対峙して私にあの男を殺せるのだろうか?
あれこれ考えるも、結局答えは出せないままでいた。
ただ一つ。確実に言えることがあった。
「私が呼べば、リデルは必ず私に会いに来ます」
「どうしてそう思うんです?」
「私を、他の女性と同様に弄びたいからですよ」
連れ歩く女を『女の子』と呼んでいたが、その扱いは完全に奴隷だった。
己が欲求を満たすためなら何でもさせる。相手が望むか否かは関係ない。
ただひたすらに、従順に従い、逆らうことなく、自分の愛玩動物として扱えればそれでいいと考える。
そしてそれは、私とて例外じゃない。
世の中に存在する自分の好みに合った女は皆、自身のモノとしたいと考えているのがリデルという男だ。
これは予想に過ぎないが、普通の女よりも私の方が初めから精神的に欠陥を抱える存在をあの男は好んでいると思われる。
敢えて私を探し出し、接触してきたのも私を『女の子』という名の奴隷にするためと考えれば合点がいく。
異常な性癖を持つリデルだ。間違いないだろう。
「次に殺す時に、リデルを呼びます」
周囲に潜伏し、私が殺す様を見ていただろう『女の子』に聞こえるように、ハッキリと羅奈に向かって言った。
「で、でも、『刎ね子』様」
「はい?」
「失礼を承知で言いたいのですが……」
急に縮まりながら小声で話す羅奈。
怒られるとでも思っているのだろうが、羅奈を怒るとしたら重大なミスを犯したから、裏切ったかのどちらかだ。
それに薄々、何が言いたいかは想像がつく。
私が俯く羅奈の肩を叩くと、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「怒らないので言ってみてください」
「えっと、はい……」
羅奈はまたしても俯き、小声で話し始めた。
「リデルって男、二十年前に日本中を震撼させた連続殺人鬼じゃないですか……それも結構長い期間……」
「────」
「何人も殺して今も捕まってないということは、完全犯罪も手慣れてるわけで、殺し方もかなり種類ありましたし……てことは、『刎ね子』様よりも人殺しの期間は長いし、殺した人数も多くて、しかも奴隷まで連れてるのは……」
そこで羅奈は言葉を切り、見上げるような形で私を見てから、言った。
「同じ殺人鬼としてなら、そのリデルという男の方が全てにおいて『刎ね子』様を上回ってるんじゃないかって……」
最後に消えそうな声で「だから『刎ね子』様、危険じゃないかなって……」とこぼした。
羅奈の言う通りだ。
暗殺にせよ、正面からにせよ、私ではリデルを殺すことは不可能だ。
難しい話ではない。殺人鬼としての経験値があまりにも違いすぎるだけ。
シンプルに男女の力量差はあるが、どれだけ身体能力をあげようと、知恵を巡らそうと、二十年前の時点で三十人以上を殺してきたあの男を殺すなんて、無謀もいいところだ。
腕が鈍っている可能性も考えなくはないが、鈍っていても無理と言い切れる。
それに鈍っていない確信がある。
未だ警察に姿を掴ませず、何十人もの女を奴隷として扱うあの狂人の殺人の腕が鈍っているとは到底思えない。
「まぁ、私よりも遥かに格上なのは事実ですからね」
「ごめんなさいごめんなさい!!」
「怒っていませんよ。本当のことですし、私もそう思っていました」
「なんてお優しい人なんだ……」
目をキラキラさせる羅奈に苦笑して、私は思考に耽った。
逃げても『女の子』とリデルが呼ぶ奴隷に見つかり、どこまでも追われ続けるだけ。
ある程度回数を重ねれば私を無理やりにでも自分のモノにするべく行動するだろう。
暗殺は確実に対策されるためこれもダメ。
真正面からの殺人は男女の力量差以前に殺人鬼としての経験値が段違いの相手なためこれもダメ。
……殺せる算段が思いつかない。
逃げる選択も封じられている以上、殺しに行く以外に選択肢はない。
何をしてでも、リデルを殺すしかないのだ。
「無理を承知でリデルを殺そうと思います。手伝ってくれますか?」
「もちろんです!」
差し伸べた私の手を掴むように羅奈は両手を重ねた。
初めから、今の道を選んだ時点で地獄を生きる覚悟はしていたつもりだ。
最悪の可能性に遭遇することも織り込み済み。
単に今までが都合良く進みすぎていただけのことだ。
あんな男に屈するわけにはいかない。
最悪に抗い先へ行く。
猟奇殺人機を殺す。
なに、難しく考える必要はない。
──いつもの様に、完璧を演じればいい。
◾️◾️◾️
──それは、突然やってきた。
八月末、埼玉県杉戸町にて。
「やぁ」
その声を聞いて、弾かれたように私は背後へ振り向いた。
一房だけ緑に染めた長い黒髪。
肩を露出した無地の服。
そして、異様なマークのタトゥー。
二十年前、日本中を震撼させた最悪の犯罪者──リデルが、立っていた。
「……っ」
嫌な予感が的中した現実に強く奥歯を噛んだ。
羅奈も突然の来訪者に気づくと即座に私の背に隠れた。
……動くのが早すぎる。
数十人以上、女奴隷を使役していることを示唆していたが、ハッタリでもなんでもなく紛れもない事実であったと思い知らされる。
そうでなければ、ここまで精度高く私を追うなんてマネはできないはずだ。
チラと左手首の腕時計へ視線を落とした。
時刻は十九時。
こんな時間に殺し合いを始めれば確実に人が──、
「誰かに見られるのを心配をしているのかな? 大丈夫、安心して。人払いは済ませてあるから」
私の内心を見透かしてリデルは言った。
伊達に二十年以上も姿さえ掴ませることなく、捕まらないで生活しているだけはある。立ち回りが完璧だ。
しかし、人払いとは。
「既に誰かを殺した後と?」
「あはは。『刎ね子』ちゃんじゃなきゃ殺してきただろうね」
その言い回しは過去に経験がある証拠。
今回は殺す相手が『刎ね子』だったから、事前に誰も殺していないという事実も気持ち悪い。
全くもって油断の許されない相手だ。
「キミ、ボクを殺したいんだって?」
やはり伝わっていた。
嘘をつく理由もなく私は素直に答えた。
「自衛のために」
「怖いねぇ。そこが気に入ったんだけどさ」
あっけからんと受け答えするリデル。
目にした瞬間から隙がないか伺っているが、恐ろしいほどに隙がない。
加えて、異常なレベルで余裕があるのがなんとも腹立たしい。
逃げる、選択肢もある。
でも逃げたところで追い回される現状は変わらない。むしろここで逃げれば、リデルは確実に私をモノにするべく動き始めるはずだ。
……なんとも、最悪な状況と言わざるをえませんね。
「さぁ、どうする? 逃げるなら黙って背中を見送るよ。その代わり……後日全力で追いかけることになるけど」
「──っ」
酷薄に口を歪め、舐め回すような視線を向けながらリデルは嗤った。
それを見て、思わず恐怖に足が竦んだ。
込み上げる恐怖と苛立ち。
その二つを奥歯を噛み、両の手の拳を握りしめて抑え込む。
「どんな選択でもボクはキミを尊重しよう」
選択を迫らず、リデルはただ不気味に口元を歪めたまま私の答えを待っている。
今は怯える場面でも腹を立てる場面でもない。
災厄が起こった以上は、対処するのが『刎ね子』として生きる道を進んだ私の宿命だ。
リデルを殺す。
やることは、たったそれだけ。
「決まったみたいだね」
「ええ。お待たせしました」
私が腰裏に隠していたナイフを取り出すと、リデルは笑みを深めてそう言った。
「サルビア。邪魔だからどっか行ってて」
リデルは背後に立つぼろ布を纏うサルビアの方を一切見ずに、雑に追い払った。
その行動に私は引っかかった。
「彼女を使った方が私を殺すのが楽ではありませんか?」
複数人いるはずの狂人の女奴隷。
一人の女子高生を殺すのに何人も必要ないが、数で潰した方が時間の短縮になり、使うに越したことはない。
しかし、リデルはそれをしない。
そこに違和感を覚えた。
私の質問にリデルは「ああ」と首肯して理由を話し始めた。
「楽なのは間違いないけど、ボクは楽がしたいわけじゃない」
「……?」
「よく考えてごらん。──愛する子を自分のモノにするときに部外者と一緒なんておかしくない?」
これが普通の恋愛の告白なら、単に気持ち悪いと感じるだけで済んだに違いない。
普通の恋愛でもなければ普通の人間でもない相手の口が言うと、底知れない嫌悪感と自身への執着の度合いの高さに恐怖を抱かずにはいられない。
なんにしても、リデルが女奴隷と共に私を殺す気がないことはわかった。
不幸中の幸い、と言っていいかはわからないけれど、ひとまずは救われた。
「羅奈。どこかに隠れていてください。終わったら呼びます」
「は、はい! 『刎ね子』様も気をつけて!」
運動神経の悪い羅奈がいても足手纏いだ。羅奈をこの場から離れさせた。
去り際、羅奈が心配の声を私の背にかけた。
終わったらとはいったものの、私の人生が終わりそうだ。
「はぁ………ふぅ………」
大きく息を吸い込み、吐き出す。
そして、まだ微かに明るい空を見上げた。
白い曇り空にうっすら混じる陽光。
まるで、今の私の複雑な心中を表しているかのようで。
「────」
当たって砕けろ、という言葉がある。
成功するか否かを考えて何もしないより、まずは行動に移す。失敗なら失敗、成功なら成功。
後のことは考えず、とにかく挑戦してみるという意味。
私はこの言葉が心底嫌いだ。
だって、私には、三芳芽亜の人生には砕けていい瞬間なんてなかったから。
理想を求められて、それを維持するためにひたすら考えて、理想の『三芳芽亜』を形成しなければいけなかった。
とりあえずなんて選択肢は、最初から私にはない。
だから、当たって砕けろという言葉が嫌いだった。
それは今、この瞬間も同じだ。
「ん?」
正面に、嗤う猟奇殺人鬼がいる。
砕けた先にあるのは、精神が死ぬまで体を弄ばれるか、肉体が死ぬかのいずれかだ。
……自由に挑戦できる環境なら、私はこうはなってなかったのでしょうか。
「来なよ」
歓迎するように両手を広げて、リデルは言った。
そして──、
「──ッ!!」
ナイフを構えて、殺意を剥き出しに私は走り出した。
◾️◾️◾️
「どこかに隠れていてください。終わったら呼びます」
『刎ね子』にそう指示された時、羅奈の胸中には心配された喜びと同時にもう一つ。
チャンスが巡ってきたことへの喜びがあった。
実際に見たのは今日で三回目。
脳裏に、あの異常者の男の背後に立つ、薄緑の髪の少女を思い描きながら、その姿を探す。
「た、し、かー……みぃつけた」
『刎ね子』たちがいる廃病院から少し離れた位置に、使われなくなったトンネルがある。
僅かな照明に照らされたトンネルの中、ふらつきながら歩く薄緑の髪の少女が歩いていた。
小走りに少女の元へ走り、入り口に着いたところで立ち止まる。
それから深呼吸をして、口を開いた。
「──初めまして」
羅奈は女の背に声をかけた。
羅奈の呼びかけに女はピクりと体を震わせた後足を止めた。
が、振り向いてはくれなかった。
「あなたに声かけたんですよぉ〜? こっち向かないの失礼じゃないですかぁ〜」
いつもの調子で羅奈は女に再度声をかけた。
すると今度は、羅奈の方へ女は振り向いてくれた。
「……あぁ、やっぱり」
女を見て羅奈は変わらず虚な瞳のまま口元を緩めて、微笑んだ。
自分が敬愛する『刎ね子』のように。
そして──、
「少しお話ししませんか? サルビアさん。いえ── 由ヶ崎麗花さん」




