第二十話 『初の例外』
八月も二週目に入り、気温は益々上昇していた。
「……ふぅ」
額の汗を拭い、僕は車から降りた。
僕は今、ある通報を受けて埼玉県を離れ、愛宮と共に四国にある高知県に来ている。
飛行機で二時間ほど移動し、空港でタクシーを拾って現場まで来た。
「────」
既に現場には多くの人々が集まっていた。
人だかりの先に視線を向けると、黄色のテープが貼られており、その前に二人の警察官が立っていた。
早速僕と愛宮は人混みを抜けて、現場に入ることにした。
「埼玉県警の瀬波です」
「同じく愛宮です」
「遠路はるばるご苦労様です」
「お二人も暑い中ご苦労様です」
労いの言葉をかけると、二人の警察官は微笑んだ。
そして、僕らはテープの先の現場の中へ足を踏み入れた。
「来たか」
中へ入ると、髪の横側を刈り上げた刑事が僕らの方へ歩いてきた。
僕と愛宮は姿勢を正して挨拶をした。
「埼玉県警巡査の瀬波です。隣が後輩の愛宮です」
「よろしくお願いします!」
「丁寧にどうも。高知県警警部補の山科だ。以後、お見知りおきを」
山科と名乗った刑事は、先に僕の方へ手を差し出した。
僕がその手を取り握手を交わした後、愛宮も山科警部補と握手を交わした。
「遠いのに悪いな」
「いえ。こちらこそお呼びいただき感謝してます。──『刎ね子』の殺人事件となれば、我々埼玉県警の人間は関わる義務がありますので」
そう。僕たちが埼玉県から高知県まで来た理由は、高知県で首を切り落とされた死体が発見されたと連絡を受けたからだ。
高知県を取り締まるのは高知県警の管轄のため、埼玉県警の刑事がするのは情報共有だ。
現時点では全国、いや、全世界を見渡しても『刎ね子』によるものと見られる殺人事件は埼玉県内だけだ。
そして今回、埼玉県以外に初めて『刎ね子』によるものと見られる殺人が起こった。
僕と愛宮は大沼一課長に指示を受け、高知県警との情報共有役として今ここにいる。
「ついてこい」
「はい」
山科警部補に言われ、僕らは彼の背について行った。
すれ違う警察官全員に会釈しながら進んでいく。
「……っ」
正面に鑑識の人々の姿を捉えた瞬間、強烈な刺激臭に顔を顰めていた。
殺人事件の現場には常に漂う悪臭──腐敗臭だ。
今一度気を引き締めて僕は歩を進めた。
そして。
「間違い、ないようですね……」
隣に並んだ愛宮が現場を見てそう溢した。
僕も愛宮と全く同じ感想を抱いた。
これは疑うまでもなく、埼玉県で連続している『刎ね子』の殺人事件であると。
「死亡推定時刻は一週間前だ。公衆電話から通報を受けて、駆けつけてみればこの有様だったわけだ」
「通報した方は?」
「女の声だったらしいけど、通報以降何もない」
「何もない?」
「あぁ。面倒だからにしても、第一発見者だ。情報くれなきゃ困る」
「迷惑なヤツだよ」と吐き捨てるように山科警部補は言った。
その表情は、心底迷惑そうな顔をしていた。
気持ちは理解できる。第一発見者は、文字通り事件現場を見つけた最初の人間だ。
単に見ただけでも情報提供の有無は重要だ。
通報した以上、警察と話をする義務がある。
迷惑に感じるの無理ない話だ。
「待てよ」
「どうしました?」
「『刎ね子』による通報ってパターンはないか?」
山科警部補が言った可能性に愛宮はハッとしていた。
僕もその可能性は考えた。
通報するだけして現場に現れない第一発見者の存在は不信極まりない。
でも、
「いえ、その可能性はないかと」
「なんで?」
「過去九人の殺人の中で、一度として『刎ね子』は現場に証拠を残していません。同じく、警察を挑発するとも思えません」
「正体すら掴めない完璧主義者が、警察を煽るわけない、か。言われてみればそうだな」
顎に手をやり頷く山科警部補。
ここまで、『刎ね子』は一度として証拠を現場に残していない。
未だ正体のカケラすら掴ませない徹底具合の『刎ね子』が、警察を挑発するために自分から通報するとは考えられない。
過去、連続殺人犯が警察を挑発するために手紙を署に送ったり、現場になんらかのマークを残したりする事件はいくつか存在している。
だが、恐らく『刎ね子』はそれをしない。
現時点での『刎ね子』に殺害された被害者を見ての推察に過ぎないけれど。
「なぁ」
思考に耽る僕は山科警部補に呼バレて彼の方へ顔を向けた。
「模倣犯の可能性はないのか?」
「模倣犯、ですか」
模倣犯。あまり考えたことはなかったな。
模倣犯は世間に注目される様な大犯罪を犯した者の犯行を、一連の犯行の全てを模倣する犯罪者のことだ。
『刎ね子』は今や世間の注目の的だ。犯人の特異な殺人方法も相まって模倣犯が出てきてもおかしくはない。
根拠はそれだけに留まらない。
『刎ね子』は殺人を犯してから、次の殺人に手をつけるまでのスパンが短い。
今回は半月程度空いているものの、四ヶ月の内に九人殺害している。
証拠一つ残さない、姿の片鱗さえ掴ませない完全犯罪を短期間で実行し続けるのは難しいはずだ。
加えて、今のところ同じ市での犯行が行われていないのもある。
同じ埼玉県内といっても、端から端までは十分に距離がある。全てをたった一人で完遂するのは限度があるように思う。
首を切り落とす惨殺、毎回変化させる凶器、翌日は必ず雨など。
連続殺人であり、犯行自体も一貫した殺害方法から一人による犯行だと決めつけつつあった。
初めの方は模倣犯の線も考えてはいたものの、すぐにその考えは頭の中からなくなった。
でも。
言われて改めて考え直しても、やはり一人の犯行だと思わせる要素があった。
「十分に考えられる可能性ですね。ただ」
「ただ?」
「『刎ね子』の完全犯罪を、他者がそう簡単に真似できるとは思えません」
『刎ね子』の完全犯罪は、世界で名を馳せた凶悪な犯罪者と同様に、殺人における天才とでも称すべき技量だと認めざるを得ない。
天才の所業を凡人に安易と真似できるはずもない。
等しく同じ天才だとしても、ここまで完璧に犯行を成功させ続けられるとは思えない。
正直、願望混じりな部分もある。
もし仮に、天才的な犯罪者が複数いたらなどと考えたくない。
だけど、あの殺人鬼の犯行は僕には一人によるものに見えるのだ。
「まぁ、そうだな」
山科警部補は頷いた。
それから僕らと向かい合った。
「ひとまずだ。お前たち埼玉県警が持ってる情報をくれ。こっちも知ってる限りの情報を渡す」
「感謝します」
埼玉県警と高知県警で『刎ね子』による殺人事件の情報共有をすること三十分。
「お前たちはこれからどうするんだ?」
「一度署に持ち帰って、一課の皆さんと情報を共有します」
「そうか」
僕らのここでの仕事は終わった。
後は、高知県警の人に任せよう。僕らには僕らが取り締まるべき場所がある。
「悪かったな、瀬波巡査」
「ぁ、え? 急にどうしたんですか?」
突然、山科警部補は僕に頭を下げた。
「埼玉県警から情報共有役として、若くして捜査一課に配属になって、既に数々の事件を解決した優秀な刑事が来るって聞いてたからな。調子に乗った奴だろって思い込んでた」
そのくらいよくある話だ。
身の丈に余りすぎる評価、『若き天才』。
今の僕を多くの警察官がそう評してくれる。
若くして捜査一課に配属になって、既に幾つもの難事件を解決に導いたことから天才だと呼ばれるようになった。
高く評価してもらえるのは嬉しい。
周囲からの信頼と評価の分、期待に応えなくちゃって奮起する理由にもなる。
だけど、僕よりも優れた警察官はたくさんいる。
何より、僕自身が自分を天才だなんて思えない。
努力の時間が見合わないし、事件を解決できたのも僕一人の実力じゃない。複数の警察官が知恵を出し合って手にした解決だ。
にも拘らず、僕ばかりが評価される現状をよく思わない人たちが、調子に乗っていると、上司に良い格好をして贔屓してもらってる言うのだ。
誰に言われずとも、僕が一番そのことを理解している。
言われているのは知っているし、実際に聞いたところでなんとも思わない。
むしろ、調子に乗るなと思われている方が、僕が成果に甘えて失態を犯さずに済む。
だから、山科警部補の持った考えは普通だ。
「いえ、お気になさらず。僕としては厳しい目で見てもらえる方が助かりますから」
「──。ほんと、とんだ勘違いをしてた自分を殴りたい」
言って右手で顔を覆った山科警部補は大きなため息を吐いた。
「で、お前たちはこれからどうするんだ?」
「埼玉に戻ります。情報共有が僕らの役目なので。以降は高知県警の皆様にお任せします」
「わかった。気をつけて帰れよ」
僕と愛宮は山科警部補に一礼してその場を離れようとした。
すると、
「瀬波巡査」
「?」
背を向けて数歩進んだところで、山科警部補に呼び止められた。
振り返ると、彼は真っ直ぐに僕の顔を見ていた。
「休息は、しっかりとれよ」
冗談めかした風でもなく、山科警部補は真剣な表情で休息をとるよう僕に言った。
隣に愛宮がいるにも拘らず、僕にだけ。
休息か。言われてみれば、全然取れていない気がする。
署にいる時も家にいる時も『刎ね子』の事件のことばかり考えていて、他にやるべきことがあればそれに手をつけて。そういう日々の繰り返しだ。
……僕にだけ言ったってことは、そのぐらい疲れが顔に出てたってことなのかな。
だとしたら失礼なことをしたな。
「ありがとうございます。気をつけます」
気遣いに感謝して再度一礼。
僕たちは現場を後にした。
◾️◾️◾️
去っていく二つの背を見送りながら、山科は目を細めた。
「瀬波碧斗」
事前情報から既に嫌な印象しかなかった。
実際、評判がいい若い警官は皆やたらと態度が大きい人間が多かった。
だからその類だと、勝手に決めつけてしまっていた。
だが、直接会って、言葉を交わしてわかった。
どこまでも純粋で、全うな警察官であると。
そして、もう一つ。
「あれは、壊れた時手がつけらんなくなるな」
瞳を細め、山科は静かに呟いたのだった。




