第十ニ話 『口先だけの正義』
──成嶋秋哉が殺害される前日。
八人目を殺した後、私のミスで目撃者を作った。
目撃者が『刎ね子』を崇拝する人々の内の一人、新名羅奈であったお陰で私は救われた。結果的に殺人における手間の解消のための道具を手に入れ、犯したミスは大きくプラスへ転じることとなった。
今から三週間前に埼玉県日高市で九人目を殺すと決めて、羅奈を初めて使った。
手際の良さは八人目の痕跡処理の時点で把握していたが、想定以上に良い働きをしてくれる。
羅奈が裏切るような気配は微塵も感じられなかった。
何をするにも私を讃える。虚な瞳で口元だけは達者に動く不気味さは孕んだままなものの、怪しい素振りは一つとしてなかった。
新名羅奈を本格的に使う前に、彼女を縛る父親の排除を先にしておくべきだと判断した。
ただ懸念点もあった。
八月頭に私は母親の四国の実家に帰省する予定となっている。当然、羅奈を連れて行くのは不可能だ。
加えて、羅奈の父親を殺害するということは、羅奈に長期間警察の目が付くのを避けられない。
そこで私はあることを思いついた。
「自殺の偽装?」
北本市の人目のない場所に羅奈を呼び出し、私は彼女と向かい合っている。
昨日も父親に暴行されたのか左頬に痛々しい痣ができていた。
小首を傾げる羅奈に「はい」と言って話を続けた。
「これまでと同じようにあなたの父親の首を刎ねてもいいのですが、殺人だとあなたが疑われる可能性が高くなるので避けたいんです」
「う〜、血縁だしそこはどうしようないですよね……」
「だから、自殺を偽装するんですよ」
首を刎ねれば、九割は私による殺人だと警察は動く。
しかし、羅奈が長年DVを受けていた事実から『刎ね子』の殺人を模倣して疑いの目を向けられないようにしたと捉えられる可能性も高い。
全ての報道に目を通していはいないので、私の模倣犯が出ているか否か確認しきれていないが、私が見た限りでは今のところ首を刎ねる殺人はなかった。
それは今後出ないと警察が断定する根拠には絶対にならない。
この先に『刎ね子』を模倣する犯罪者が出る可能性も十分に想定しているのは間違いない。
故に完璧な自殺を偽装するのだ。
「殺人よりも自殺の方が捜査の切り上げは早いです。疑いの目が向くのも短期間で済みます」
「なるほどです! さっすがは『刎ね子』様!」
「静かに」
そのばジャンプしながら私を褒め称える羅奈に、口元に人差し指を当ててそう言った。
羅奈は慌てて口を両手で押さえ、小さく息を吐いた後「ところで」と前置きして話し始めた。
「以前『刎ね子』様が言ってたやりたいことってなんですかー?」
確かに、その話を伝えるのを忘れてた。
「警察官を一人殺します」
「え!? 警察を!?」
「あなたの父親の自殺への目を薄れさせるのが最大の目的です」
「他にも理由が?」
「気休め程度だとは思いますが、首を刎ねないただの刺殺をして少しでも警察を撹乱できればなと。上手くいけば儲け物くらいなつもりです」
『刎ね子』による連続殺人事件で混乱する最中に通常の殺人。
最近は『刎ね子』という凶悪な殺人事件の裏に隠れて殺人を犯す者が出ていると聞く。単に有象無象の一般人を殺害するのでは思った以上の効果は得られないだろう。
だから、警察官を殺すのだ。
交番勤務の警察官ではダメだ。
狙うのは『刎ね子』の捜査に関わっている警察官の殺人。
首を刎ねなければそれだけで『刎ね子』であるか否かを断定することはできない。
とはいえ、羅奈にも言ったけど成功したら儲け物くらいに考えている。
警察が私の思惑通りに簡単に操れるとは思えない。
頭のキレる優秀な警察官が、『刎ね子』の殺人だと見抜くに違いない。
自殺の偽装にも同じことが言える。
けれど、自殺の偽装については成功してくれないと後で困る。
最悪、羅奈が逮捕される可能性もあるのが彼女の父親の殺害だ。
何としてでも自殺の偽装は成功させたい。
自殺偽装を完遂して、警察官を殺して。
その先は──。
「ここから、もっと楽しくなりそうですね」
目前に迫るスリル満点な未来に、私は残酷に笑った。
◾️◾️◾️
連絡を受けてから、愛宮に声をかけて僕はすぐに車で現場に駆けつけた。
「はぁはぁはぁ……!」
ドアを勢いよく開けて閉めることなく車を降りた。
立ち入り禁止の文字が書かれたロープの前に立つ警察官に警察手帳を見せながら、飛び込むように事件現場へと入る。
「成嶋‼︎」
違う。
きっと、僕が焦って聞き間違えただけだ。
そう。聞き間違いじゃなきゃおかしいんだ。おかしいに決まってる。
あの成嶋が──殺されるはずがない。
「はぁはぁ……!」
成嶋は僕なんかよりも賢いし、冷静だし、起点も聞くし。本当に優秀な警察官で、危険を感じたらちゃんと逃げる男だった。
そうだよ。成嶋が殺されるなんてありえない。
そんな悪夢、起こるはずない。
「来たか」
「……っ、はぁはぁ。お疲れ様です、大沼一課長」
呼吸を整えて、声をかけてくださった大沼一課長に敬礼しながら挨拶をした。
何故か大沼一課長の元気がなかった。
いや、最近事件が続いているし、一課長も心身が疲弊しているんだ。常にみんなを引っ張っらなきゃいけないわけだし、疲れくらい顔に出ることもある。
大沼一課長も一人の人間なんだから。
「瀬波」
「大沼一課長?」
何故か、大沼一課長は僕の前に立って道を塞いだ。
その不可解な行動に怪訝な表情をすると、一課長は苦々しい顔をした。
「先に言っておくぞ。気負いすぎるなよ……」
とん、と右肩に手を置いて大沼一課長は現場から離れて距離を取った位置に立ち、こちらを静かに見据えた。
まるで、何かを見届けるとでも言わんばかりに。
「────」
溜まった唾を呑み込み、襟を正して遺体のある場所へと近づいていく。
歩く時、多くの警察官が現場に滞在しているはずなのに、僕にはやけに静かに感じられた。
一歩、二歩と足を摺り足のように前へ動かしていく。
さっきは走れたのに、今は何故だか重たくて、震えていて、思うように足を動かせない。
それでも無理やり足を動かし続けた。
そして、鑑識の人々が集まっている場所に近づく。
遺体はすぐ目の前だ。
まだ、鑑識の人たちの背に隠れて見えない。
「……っ」
近づいていくと、視界にはうつ伏せで、左腕が伸ばされた状態のまま横たわる遺体の姿が入った。
茶色の髪。
埼玉県警の制服。
黒の靴。
最後に、見ないようにしていた遺体の顔の位置に移動した。
しゃがみ込んで、横たわるの遺体の顔を、確認した。
「なる、しま……?」
呼吸が、止まる。
待って、待ってほしい。
僕の見間違いだ。
多分、うん、そうそう。僕は見間違いをしたんだ。
何度も瞬きをした。
何度も、何度も、何度も。
目の前の光景が見間違いであると願って。
「違うよね……? そ、そんなはず、ない。ない、絶対に……」
痛いくらいに目蓋を擦って、擦って、擦り続けて。
気がつけば、目元が濡れて視界がぼやけ始めていた。
「違う違う違う違う。僕が間違ってる。僕が、僕が、僕が──!」
「……瀬波先輩」
突然呼ばれて、恐る恐る振り返った。
そこには、涙を流しながら立ち尽くす後輩、愛宮の姿があった。
「い、いいところに。愛宮、このご遺体を、えっと……見間違えているみたいなんだ」
「瀬波先輩……」
「その、さ、今日、目の調子が良くなくて」
「ゴミが全く取れないんだよ。それで」
「瀬波先輩っ……」
「と、とにかく、見えづらくて。愛宮は」
「瀬波先輩!」
強く呼ばれて僕は話すのをやめた。
彼女は僕を真っすぐに見つめている。
愛宮は何か話そうと口を開けて、でも言えず苦しそうに唇を噛む。
その後息を吸うと、彼女は決心したような面持ちで話し始めた。
「見間違いではありません。先輩と、わたしの目の前で倒れているご遺体は──成嶋一咲先輩です」
涙ながらに、そうはっきりと断言した愛宮。
今一度、遺体に目を向けた。
目を瞑るその姿からは、生気が感じられない。
話していたらすぐに会話に参加する彼には、決してありえないはずで──。
「成嶋ああああああぁぁぁぁぁぁあああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎」
「瀬波先輩!」
「取り押さえろ!」
どうして!!
誰かに恨まれたりするような人間じゃない!
狙われる理由だってない!
成嶋は優しくて、一生懸命で、弱い僕をいつも支えてくれた、大切な親友だ!
どこにも殺される理由なんてないじゃないか!!
「成嶋!! 成嶋ぁあ!! 返事をしてよ!!」
「先輩!」
「落ち着け瀬波巡査!」
「落ち着くんだ!」
「またいつものように笑って話しかけてよ! それで事件も前みたいに一緒に解決して、三人で他愛もない会話をしてほしい! いつもみたいにさ! ねぇ!! どうして何も言ってくれないんだ!! 成嶋!! 成嶋ぁぁぁあ!!
最後までお供するって、約束してくれたのに──。
「僕は、君が、いなければ、なにも……」
力なく、地面に膝をついた。
気がつけば、愛宮をはじめ何人もの警察官に全身を押さえつけられていた。
「僕は……」
滂沱と涙を流して、最悪の現実に慟哭する。
大切な親友を、守れなかった。
守るどころか、何も、できなかった。
今回に限った話じゃない。
僕が成嶋から多くを貰っていたのに対して、僕からは何も渡せなかった。
返すことさえ、叶わなかった。
正義に誓うと、あれほど言っていたくせに、結局何もできなかった。
僕の掲げる正義は、矮小で無価値で無意味だ。
……所詮、口先だけの正義にすぎなかった。
◾️◾️◾️
同日、埼玉県警警察署の廊下にて。
「あの調子じゃ、現場復帰は厳しそうだ」
そう口にしたのは立派な髭を蓄えた膨よかな男性だ。
捜査一課に配属になって二十年。
文字通りのベテラン刑事、菜野剛伸だ。
「いつも一緒にいた同期であり友人を失ったとなれば、心が折れても致し方なし。大丈夫かねぇ」
「────」
頭を掻きながら淡々と口にした菜野。
彼の話を聞いて、無言で視線を屋上に通ずる階段に向けたのは警視の伊津野だ。
菜野と伊津野、両者は現場で心折れる瀬波の姿を目撃している。
理不尽な現実を前に、嘆き苦しむ姿を。
菜野は現場復帰は厳しいと考えている。
それは他の警察官も同じ認識で、若さ故に経験が浅い瀬波に突然の仲間の死はあまりにも重い。
ましてや、瀬波は他者と比べると心が弱い。
友人の死を乗り越えるのが難しいと考えるのも頷ける。
だが、伊津野は違う考えを有していた。
「逃げるような男じゃないですよ、瀬波碧斗は」
頭を悩ませる菜野を横目に伊津野はそう口にした。
すると菜野は「へぇ」と前置きをしてから、伊津野の横顔に問いかける。
「断言するんだなぁ。自分と似た境遇だからとか言わんだろ?」
「それもあります」
「も、ってことは、本命の理由があるわけだ。教えてはぁ、くれなそうだ」
捜査に関わること以外、自身のことを口にすることを嫌う伊津野の性格を菜野は理解している。
実際、本命の理由を尋ねようとしたが尋ねることなく諦めた。
そうして、再び口を閉ざした伊津野を見て菜野はため息をついた。
「おじさんには、若者の考えが読めんな……」
そう言って菜野が伊津野に背を向けた直後。
「ん? 愛宮巡査か」
「……あ」
菜野が呼び掛けると黒髪の少女は気まずそうに俯いた。
瀬波の後輩であり、殺害された成嶋の後輩でもある愛宮彩瀬だ。
愛宮の態度に伊津野は目を細めた。
目元の涙の跡はまだ新しく、直前まで泣いていたことがうかがえる。
慕っていた二人の先輩の内片方は殺され、もう片方は失意の只中。
後輩の愛宮が瀬波以上に沈んでいても無理のない話。
──本来ならば。
愛宮からは、瀬波のように溢れ出る諦観の念を感じない。
悲壮感に満ちていながらも、明確な強い意志があるように見える。
その答えは本人から齎された。
「愛宮巡査も辛いだろうに。平気かい?」
「いえ。まだ、気持ちの整理がついてなくて……でも」
「でも?」
「どんなに辛くても、今は前を向く時だってわかっているので。下ばかり向いてなんていられません」
ハッキリと瞳に光を宿して愛宮は言い放った。
「それにわたしと瀬波先輩、二人とも落ち込み続けることを、成嶋先輩は望まないはずですから」
視線を上に向けて、愛宮はもうこの世にはいない大切な存在に聞かせるように言葉を口にした。
愛宮の言葉を聞いて菜野は軽く目を見張る。
まさか、瀬波と成嶋よりも若い愛宮がここまで強い人間であるとは思いもしなかったのだろう。
対して伊津野は、瀬波碧斗が『若き天才』と称されるに至った要因が何であるかをようやく理解して納得する。
一つの事件にのめり込みすぎる傾向が強く、心は弱く、正義を絶対視する在り方。
若くして警察に必要な要素は何かを徹底し努力した瀬波だが、警察とは何かを追求しすぎるあまり欠陥が多かった。
故に疑問を抱いていた。
何故、瀬波碧斗が警察官としての役目を全うできているのかと。
その理由が、瀬波の心の折れ方と愛宮の芯の強さを見て、成嶋秋哉と愛宮彩瀬の存在だと知ってようやく理解できた。
「欠陥だらけだな」
「え?」
「さっさと瀬波を現場に復帰させろ。今使える人員が減ると捜査に支障が出る」
冷えた声音で言って伊津野はその場を離れた。
歩きながら伊津野は思う。
どこまでも、瀬波碧斗とは分かりあえないだろうと。
◾️◾️◾️
──成嶋の死から、三日が経過した。
愛宮は成嶋の事件の調査から戻ってすぐに警察署の屋上に向かった。
あの日から、三日。
瀬波は警察署に戻った後に屋上に行ったきり、姿を見せることはなかった。
いつもなら、明るい気持ちで会いに行っていた。
憧れていて、尊敬してやまない存在の近くにいれることは、愛宮にとって人生最大の幸運の一つだった。
だから、先輩の瀬波の下に行きたくないと感じる自分に不快感を覚えた。
現場で泣き叫ぶ瀬波の姿を間近で見た。
でも、愛宮は成嶋に近づこうと暴れる瀬波を抑え、ひたすらに「先輩」と呼び止めることしかできなかった。警察署に戻るまでの車中も、戻ってからも同様に、心配の言葉をかけられなかった。
──言い訳だ。本当は、なんて言葉をかけていいのかわからなかった。
「でも、わたし以外に……」
愛宮以外に、傷心した瀬波の心に寄り添える存在はいない。
同じ境遇にある愛宮でなければ、瀬波は折れたままになってしまう。
まだなんて言葉をかければいいのか答えは出ていない。
自分の心の傷も癒えていない。
それでも──、
「……ぐ」
階段を上がりきり目の前に屋上の扉がある。
深呼吸をしてから、重たい屋上の扉を開いた。
「────」
日は落ち、月光が屋上をほのかに明るく照らしている。
そして、たった一人、ベンチに俯いて座り込む瀬波の姿が視界に入った。
「瀬波先輩……!」
「……愛宮」
頭を上げ自分の名前を呼んだ瀬波の顔は、絶望に染まっていた。




