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第十一話 『行く末を案じて』

 



 新名羅奈との奇妙な関係性が成立した。

 早速、彼女に動いてもらおう。

 と、その前に。


「あなたを何とお呼びすればよろしいでしょうか?」


「『刎ね子』様のお好きなように!」


「では羅奈と」


「がふっ……!」


「うわ……」


 胸を押さえて突然倒れた羅奈を見て思わず引いてしまった。

 ……名前を呼ばれたくらいで変に喜んで倒れられて、引くなと言う方が無理がある。


「時間もないのでさっさと起きてください」


「はっ! ごめんなさい!! で、その、羅奈は何をすれば良いのでしょうか!?」


「いちいち声が大きいのもどうにかしてほしいのですが……先ほど殺した女性の遺体の処理を手伝っていただきたいのです」


 未だ泥沼にうつ伏せで倒れている女性の遺体。


 後一時間もすれば大雨が降る予報で、証拠もある程度は流れてくれるはずだ。

 だが、女性が逃げ込んだのが高さのある雑草の生えた茂みの中だったのが痛い。

 私も茂みの中に入らざるを得ず、幾度も草に手や脚を触れてしまった。ぬかるんだ地面も雨で流されてくれなければゲソ痕が残すことになる。


 つまり、今回は如何に長い間遺体が発見されないかが勝負になる。

 明日発見されれば確実に詰みだ。

 時刻は深夜三時を過ぎている。理想は十分足らずで遺体の隠し場所を決めること。そうすれば遺体を運ぶのに時間を要しても四時までには事を終えられる。


 これも一人であったなら厳しかった。

 偶然にも目撃者が精神の歪んだ少女で救われた。

 やはり、運命は私の味方をしてくれている。


「隠し場所を決めます。足早にお願いしますね」


「はい!!」



 羅奈は想定以上に良い働きをしてくれた。


 茂みの中へ深く潜らないと発見できない遺体の隠し場所を五分で見つけ、私が残した痕跡の処理も手際よくやってくれた。


「私の証拠隠滅は問題ありませんね。羅奈の方は大丈夫ですか?」


「大丈夫です!」


「羅奈がいて助かりました。さて、あなたの父親をいつ殺すかについて、話しましょうか」


 私がそう言うと羅奈の顔から笑みが消え、真面目な面持ちへと変化した。

 羅奈にとって最重要事項だから当然か。


 私よりも一回り小さい彼女を見下ろしながら話し始めた。


「羅奈の父親を殺すと言っても、私にとってはデメリットしかありません」


 最初にそう伝えると、羅奈は「わかっています」と何度も頷いた。

 その反応を見てから私は話を続けた。


「羅奈の父親を殺せば二つの問題が生じます。一つはDVを受けた娘が、怨恨によって殺害したと警察に疑いの目を向けられることです」


 殺す場所にもよるが、何処で殺したとしても羅奈に警察からの疑い目が向くことは避けられない。

 母親、あるいは兄妹など他に家族がいたなら、疑われるのは家族という集団になり疑いの目は分散する。


 しかし、羅奈には母親も兄妹もいない。

 必然的に娘である羅奈個人が疑われてしまう。

 羅奈の父親を殺すことは、私が羅奈を道具として使うのに巨大な制約をかけることに繋がる。


「うぅ……どうしたら」


「それは話し終えてから伝えます」


「え!? もう何か思いついて」


「話し終えてから、伝えます」


 食い気味に聞いた羅奈に呆れながら話を戻した。


「二つ目は羅奈が施設に入ることです」


「あれ? 施設に入るのはメリットではないのですか?」


「羅奈にとってはメリットでも、私にとってはデメリットです。施設側がある程度の制限を設けているでしょうから、施設に入った時点で羅奈にも当然施設のルールが適用されます」


「『刎ね子』様がお声がけすれば出れませんか?」


「……はぁ。そんなことを何度もしていたら、私が『刎ね子』だと即座にバレますよ」


 額に手を当てて大きくため息をついた。

 あまりにも考えがなさすぎる。

 この先うまくやっていけるか心配だ。


「とにかく、私が羅奈の父親を殺してもマイナス要素しかないことは、理解してもらえましたか?」


「はい、迷惑かけてごめんなさい……」


 しょんぼりと項垂れる羅奈。


 申し訳なさで押し潰されそうな時に悪い気がするけど、話はまだ終わりじゃない。


「もう一つ。あなたの父親をいつ殺すかについてですが、少しだけ待ってもらえますか?」


「殺してくださるならいつでも! 差し支えなければ、理由をお聞きしても?」


「ええ。私、早ければ八月の頭に親戚の実家に帰省する予定でして」


 私はそこで言葉を区切って、羅奈との距離を一歩詰める。

 相変わらず虚ろな瞳だが何処か楽しげな雰囲気を醸し出しながら、羅奈は私を見ている。

 彼女と目合わせて、口元を歪めながら言った。


「先に、やっておきたいことがあるんです」




 ◾️◾️◾️




 吹き付ける熱を伴った風に当たりながら、僕は静かに眼下の景色を眺めていた。


 埼玉県警察本部の屋上。

 ここからさいたま市の街並みがよく見える。忙しなく行き交う人々や車、遠目に見える高層ビルやデパート。東京都ほど見応えはないかもしれない。だけど、僕はこの街が好きだ。

 思い入れのある自分が生まれた場所。

 いつだって、帰るための場所だ。


 今は、守るべき場所でもある。


「これ以上、犠牲者は出せない」


 右手を見つめて呟いて、その手を強く握りしめた。


 七月十五日。

 埼玉県北本市で頭部を見つけたと通報が入り、僕らはすぐに駆けつけた。第一発見者の男児は怯えた様子で遺体の頭部を発見した経緯を教えてくれた。

 友達とかくれんぼ中に隠れ場所を探していたら、足裏に硬い感触を感じた。見れば人間の頭部を踏んでいたと。


『刎ね子』に関する事件は、八人目を境に約一ヶ月何も起こらなかった。

 警戒を緩めることなく捜査を続けたものの、今日まで何一つ『刎ね子』に動きはなかった。同時に僕たち警察が得るものも、何もなかった。


 ただ一つ、変化があった。

 犯罪件数の減少だ。

 前年同期比と比べて、二ヶ月連続で減少していた。『刎ね子』に関する取り締まりを強化したのが功を奏したのは間違いない。

 しかしネットでは違う見方がされていた。


『刎ね子』のお陰だ、と。

 得体が知れず、何一つ掴めないシリアルキラーの出現が、犯罪を犯そうとする者の死にたくない意思に影響を及ぼしているのではないかと見解を述べる者が複数見受けられた。

『刎ね子』に注目する者が集まる掲示板のユーザーの増加もあり、『刎ね子』の存在をプラスに捉える人々が一定数出てしまっている。


 仮に犯罪件数減少に寄与していたとしても良いことにはならない。

 この先如何なる善を成そうと、人を殺した事実は消えることはない。

『刎ね子』の存在は、何があっても許容してはならないのだ。


「──あんましコン詰めるなよ?」


 考え込んでいると、気安い調子の声がかけられた。

 前を向けば同期の成嶋が両手に缶コーヒーを持ってこちらに歩いて来ていた。

「ブラックでいいよな?」と缶コーヒーを手渡された。

 缶を開けてから、コツンとぶつけてお互いにコーヒーを口にする。


 じんわりと広がる冷たいブラックコーヒーは、睡眠時間を削っている現状の自分には効果覿面で目が冴える。


「辛いのもわかるし焦るのも理解できる。でもさ、そういう感情ばっか膨らませてちゃ前が見えなくなるぞ」


「大丈夫。そこまでじゃないから。みんな頑張ってるのに弱きになるつもりはないよ。心配してくれてありがとう」


 入所してから常に友人として僕を支えてくれた成嶋。

 今この瞬間も、彼の言葉に心が軽くなるのを感じる。


「にしても、これからどうなるのかねぇ」


「同じことの繰り返しじゃ犯人には辿り着けない」


「相手がシリアルキラーってんなら、警察側も常道から外れたやり方で戦わないとだな」


 成嶋の話に僕は深く頷いた。


 現場に証拠がなく、被害者の繋がりも皆無である現状、これまで警察が行ってきた捜査だけでは『刎ね子』に至る道すら開けない。

 殺人犯は事故的な殺しを除いて、症状に差はあれど精神状態に問題を抱え、常人が持たない異常な思考を有しているものだ。特に快楽殺人犯と愉快犯はその典型的な例であり、歪んだ殺人鬼の思考は到底理解できない。


 過去のシリアルキラーによる連続殺人事件にも、『刎ね子』のように証拠を一つも残さない殺人鬼は存在している。

 警察を挑発するために手紙を署に送りつけた者や現場に敢えて証拠を残した者などは、それが足がかりとなって逮捕されている。

 けれど『刎ね子』には挑発行為も見受けられない。


 今後そうした行動を取らないとも限らないが、それじゃ僕らが『刎ね子』の行動変化を待つ形になる。

 その間に何人殺されることになるか……。


「よく相手の立場になって考えろって言うけど、犯人の行動の完璧さで考えたところで何もわからないのがまた辛いよね」


「普通がとことん通じない相手だからな」


 犯人にとって、僕らの存在は敵として認識すらされていないのかもしれない。

 だとしても──、


「必ず、捕まえるんだ」


「──。にっ! 流石は若き天才警察官だ!」


 缶を強く握り締めて言った僕に、成嶋は歯を見せて笑い称賛してくれた。


『刎ね子』が僕たちの上を行くなら、更にその上を行くだけだ。

 次の犠牲者を出さないためにも最善を掴み続ける。

 一刻も早く、国民の安寧を取り戻すんだ。


「……ん。ふぅ。んじゃ、戻りますか」


「そうだね」


 互いに缶コーヒーを飲み干して、僕たちは屋上を後にした。




 ◾️◾️◾️




「それじゃ、先上がるわ」


 片手を上げて振りながら、成嶋は瀬波と愛宮に挨拶をした。

 それから背を向けて部屋を出ようとして、


「おっと」


「どうかしましたか?」


「あんまり遅くなるなよって、言おうと思ってさ」


 時刻は十八時を回り就業時間を過ぎている。

 だが、瀬波が「九人の被害者について整理したい」と言い出し、それに愛宮も残って協力したいと言ったことで二人は署に残ることとなった。

 いつもなら残るところだが、成嶋は翌朝『刎ね子』とは別件で予定がある。残念ながら協力はできない。


「ありがとう成嶋。僕らもなるべく早くに帰るようにするから心配しないで」


「ふふ、心配性ですね成嶋先輩は」


「まぁな。じゃ、また」


 微笑を浮かべながら手を振る瀬波と愛宮に、心が温かくなるのを感じながら成嶋も手を振り返して、背を向けて歩き出した。


(ホントに、良い仲間を持ったよ)


 内心でそう思いながら成嶋は警察署を出た。


『若き天才』と評される瀬波を成嶋は尊敬していた。

 瀬波碧斗の実直な在り方、他者を救うために惜しまない努力、的確な判断能力。

 そして何よりも、如何なる状況においても彼の人間性に根付いた正義を曲げない芯の強さ。

 まさしく、正義を体現した存在と言えよう。

 だが、決して完璧ではない。それを瀬波本人も深く自覚している。


 五月から現在まで未だ進展のない『刎ね子』による連続殺人事件。警察の大半が道の開けないやるせなさに気を落とした。

 瀬波も例外ではなかった。


 実直さは成嶋にとっても見習いたい部分であり、警察という職業において極めて重要な素養だ。

 ただ瀬波の場合、あまりにも実直すぎるのが難点だった。

 何事にも気を張り、状況をあらゆる視点で観察して、限りなく完璧に近い形で課せられた仕事を遂行しようとする。


 それが悪いとは言わない。むしろ良いことだ。

 しかし、瀬波は事件の早期解決への意識が高まりすぎる傾向にある。

 警察官の国民を守る義務が、守れなかった時に瀬波の心に一層の後悔と悲しみを与える。


 故に失意に陥りやすい親友を支える立場に、自分こそがなるべきだと考えたのだ。

 他の誰でもない、親友として瀬波を知っている成嶋自身が。


「……っ?」


 自宅への道中、背後から気配を感じた直後、草が揺れる音が聞こえて振り返った。


 目を凝らして周囲を見渡すが何もなかった。

 今日は風の無い一日で現在も無風だ。車や二輪車も通っていない。

 音的に強めの風が吹かなければ鳴らない音が草むら聞こえた。

 どうやら風により発せられた音ではなさそうだ。


 風の音でなければ小動物が横ぎったか。

 だとすれば、気配を感じたことにも説明がつく。


(気のせいか)


 自宅までの道は人通りが少ない。

 会社や学校帰りの時間である現在でも多くの人々が行き交うようなことはない。


『刎ね子』の事件もあり、よく聞く物音にまで過剰に反応してしまう。

 また以前に他県の県警の知り合いから、『刎ね子』の事件に隠れて殺人を行う者が出たと耳にしている。

 殺人犯は『刎ね子』だけに限った話ではないのだ。


「──っ」


 再び、気配を感じた。

 草が揺れる音。そして二度目は、僅かに聞こえた足音も逃さない。


 背後に、誰かいる。


(やっぱりな……つけられてる)


 署を出てからまだ十分にも満たない。

 警察署を出た時点でつけられていたのだろう。

 つまり、相手は成嶋が警察であることを知った上でつけているのだ。


 何故そんなリスクの高い行動を取るのか、何故成嶋がターゲットにされたのかはわからない。

 今そのことを考えるのは後回しにして、成嶋は道を変えた。

 自宅から遠ざかる方向へ。目的地も決まった。


 タチの悪い相手であれば、一度家に帰宅したところで次に成嶋が出てくるまで幾らでも待ち伏せするはずだ。

 つけられたことに気づいたにも拘らず無視もできない。


 今相手を捕らえて、警察署に連れて行く。


「────」


 相手に気づかれたと悟られないように、自然を装ってゆっくりと暗くなる道を抜けていく。


 足音の数は一つ。小さいがまだついてきている。

 成嶋との距離を遠めに保ちながら、いつでも身を隠せる立ち回りだ。


 道中こちらの方向に来る人とすれ違うが、すれ違った人が立ち止まることも不自然な素振りを見せることもない。


(一人か? いや、断定するのは早いな)


 周辺に潜んでいる可能性もあれば、遠隔で成嶋の位置を見失わないように監視されている可能性もある。

 最大限、全方位を警戒しながら歩き続けた。


 そして、


「さて……」


 目的の場所に辿り着いて成嶋は足を止めた。


 鉄柵に囲われた橋の下。橋の上を車が通る度に振動が響き渡る。

 鉄柵の先には草が生い茂り、立派に育った木々が幾つも生えている。

 日没したことで月明かりが唯一の照明であるこの場は、薄暗く視界が悪い。


 警察が犯人を追い詰める時、行き止まりの場所に時間をかけて誘導する。

 最終的に逃げ場を失った犯人を追い込んで捕らえる。逃走者を捕らえる際に使われる手法の一つだ。


 逆に警察が何者かに追われた場合は、つけられたことに気づかないように歩いて、行き止まりの場所に誘導。

 追っていた相手に逃げ場を失ったと認識させ、危害を加えようと姿を見せたところを捕らえるのだ。


「ふぅ……」


 深呼吸をして、成嶋は振り返った。

 視界には誰もいない。だが、確実に誰かいる。


(一人なら楽なんだが)


 そんなことを思いながら成嶋は口を開いた。


「俺になんか用かー?」


 追手に対して成嶋はいつもの調子で呼びかけた。

 不意打ちで攻撃してくると予想していたが、相手は呼びかけるまで姿を現さなかった。

 まるで、成嶋と対峙してから仕掛けようとでも言わんばかりに。


 呼びかけから二分。

 変化は訪れた。


(来たな)


 カツン、とコンクリートを踏む足音が橋の下の空間に響き渡る。

 同じだ。先ほどまで耳にしていた足音と。


 警戒心を高めつつ、いつでも動けるように身構えて薄暗い空間に目を凝らした。

 足音はだんだんと近づき、遂に追手はその姿を現した。


「高校生?」


 正面、制服を着用した長い紫髪の高校生が立っていた。


 両手には何も持たず、静かに成嶋を見ている。

 立ち姿から相手の育ちの良さが伺えるほどに、真っすぐ姿勢よく立っている。


 顔からして変装ではない。間違いなく女子高生だろう。

 何故女子高生が自分をつけていたのか、違和感を抱かずにはいられない。


 まずは目的を聞き出してから次の行動を考えることにした。


「わけわかんない状況なんだが。もっかい聞くけど、嬢ちゃん、俺になんか用? 警察署出た時からつけてたろ?」


「はい」


 柔和な笑みを浮かべて少女は成嶋の質問に答えた。


 別段、おかしな点は見受けられない。

 制服の着方や顔にされているだろう化粧からも素行が悪いようにも見えず、第一印象は真面目そうな女子高生だ。


(でもなんだ、この違和感)


 だが、成嶋の警戒が解けることはなかった。

 成嶋をつけていたことだけが理由ではない。言葉では言い表せない、別の何か。


 とにかく、今は話だけ聞くことにしよう。


「最近話題になっている『あの事件』について教えてほしくて」


「あの事件って、『刎ね子』のか?」


「ええ」


「なんで?」


 少女の求めている情報に答えず、訝しげに成嶋は聞き返した。


「私、配信者をしておりまして。そのネタを探しているんですよ」


「あー、そういう……」


 少女にそう言われて成嶋は大きくため息をついた。


 SNSに投稿するごく一部の者に迷惑系と呼ばれる存在がいる。

 他人の迷惑になる行為を平然と行い、自身の知名度向上を狙った悪質な人間だ。

 少女が配信者だと知って、ここまで成嶋を追いかけてきたことにも納得がいった。


『刎ね子』の話題は他に類を見ない最高のトピックだ。

 取り上げれば簡単に話題に乗れる。

 テレビやネットで専門家や考察班たちが、複数の視点から『刎ね子』の動機や被害者の選別などの理由を考察するも、結局同じような内容に行き着いている。

 警察の視点では得られない見方をする者も多く、成嶋も参考程度に覗いたことも何度かある。


 だが警察側からは捜査の進展が掲示されず、考察にも限界が出始め飽きられ始めている状態だ。

 故に飽和状態となった現状を脱するため、批判を受けるのを承知の上で悪質なやり方を用い、目の前の少女の様に情報を得ようとする輩が増えつつあると警察内でも問題視されていた。


 彼らの最大の狙いは自身の知名度を上げること。

 そして、あわよくば警察が持たない情報を得て事件を進展させて賞賛を得ることだ。

 少女もまた、ごく一部の迷惑系の一人。


(変に警戒させやがって……。ま、とりあえず注意して今日は帰るとするか)


 張り詰めていた緊張感が解けたせいか、急激に疲労が全身を満たしていく。

 頭を振って正面の少女と目を合わせた。


「悪いけど、捜査情報は教えらんないんだ。てか、嬢ちゃんもそんくらいわかるだろ?」


「そうですか」


「無駄なことしてないでもっと人の役に、っ?」


 立つことをしろと言おうとしたが、成嶋の言葉は途切れた。

 突然、背中に何かを当てられた感触が生まれたからだ。


 この場には今、成嶋と女子高生の二人しかいないはず。

 確実に最初に確認している。

 つまり、背中に物が当たる感触が発生するのはおかしいのだ。


 恐る恐る、成嶋は背後へ振り返った。


「ん?」


 視界に、成嶋よりも二回り小さい少女の姿が映った。


 数センチ前に出れば成嶋と密着できる至近距離で、少女は俯きながら成嶋の背中に何かを当てている。

 ゆっくりと少女の手元に視線を動かして、驚愕した。


「おいおい……」



 ──少女が、成嶋の背中に刃物を突き刺していた。



 理解した瞬間、刺された位置から灼熱の感覚が広がっていくのを感じる。


「クソっ……!」


 驚愕から瞬時に立ち直り、成嶋は身を捻って少女を捕らえようとした。

 しかし少女は成嶋の動きに合わせて、右から迫る両手を左に軽く飛んで回避。しゃがんで成嶋の背後に回り込み、成嶋の背中に二回刃物を突き刺した。


「ぐっ!」


 成嶋は激痛に顔を顰めるも、奥歯を噛んで痛苦から意識を逸らした。

 再び少女を捕らえようと振り返って、


「──っ」


 すれ違う様に動いた少女に腹部を刺された。


「崇高なお方の要求を拒否するなんて、愚かな人です」


 そう言った少女の声音から高揚していることが伝わってきた。

 それが何故かを考える以前に、自分よりも年下だろう少女に刺された現実が、成嶋の心を痛めつけた。


「…………」


 計四度刺され、意識が薄れていく。


 成嶋の胸中を後悔の念が支配した。

 何故、あれだけ警戒していたのに警戒を解いたのか。

 何故、少女との会話の最中に周囲への警戒を怠ったのか。

 何故、相手が女子高生だから危険度は低いと無意識に判断したのか。


 募る後悔の中、脳裏に一つの可能性が浮かび上がった。

 それは捜査開始の初期に捨てた可能性であり、犯人が犠牲者を出す度に一層ありえないと考えすら浮かばなくなった内容。


 だが、自らに起こった現実が、その可能性の正否を自問させる。


「お前、まさか……」


 腹部に右手を添えながら、成嶋は顔を上げて前を向いた。


 暗闇にうっすら見える人影。

 刺される直前まで会話していた少女が、今なお静かに立って成嶋の方を向いている。


 顔は見えない。

 暗闇に必死に目を凝らして、少女の顔を見ようとする。

 見たところで、何もできないかもしれない。

 それでも、成嶋は少女の方を見つめた。


「あなたの推測通りですよ」


 少女はそう言ってから静かに歩き始めた。


 正常な状態であれば、危険だと判断して相手との距離を取っていた。

 けれどもう、長くないと本能が理解してしまっている。

 その場から動かず、成嶋は近づいてくる少女を見続けた。


 そして──、



「私が、あなた方警察が追っている快楽殺人鬼──『刎ね子』です」



 堂々と名乗った少女の顔を月光が照らす。


 見覚えのある顔だった。

 朦朧とする意識の中、誰であるか記憶を探る。


 数秒とかからず、成嶋は目の前の人物が誰であるかを思い出した。


(……確か瑛陵高校の、三芳芽亜)


『刎ね子』による一人目の犠牲者、霜月侑。

 彼女に関する情報を得るために瑛陵高校に聞き込みに行った。その時何度も名前があがったのが、霜月侑と親しかったとされる三芳芽亜の名前だった。


 成嶋は直接会っておらず写真で顔を確認しただけ。

 瀬波は三芳芽亜本人に話を聞くために一度会っている。


 初めから、目立つ存在で被害者と親しい間柄だった三芳に首を刎ねるような残酷な殺人はできないと考えていた。

 加えて、瀬波から三芳が本気で悲しんでいたと聞いている。

 瀬波の話を聞いてから、成嶋は三芳芽亜が犯人だと疑うことが馬鹿らしいと思った。


 だから、ありえない可能性として捨てたのだ。

 ──三芳芽亜が犯人である可能性を。


(……これは、とんでもない難事件になるぞ)


 受け入れ難い現実を前に警察の行く末を憂いた。


「……っ」


 肉体が限界を迎えて成嶋は地面に倒れ込んだ。


 今も腹と背中から血が流れ続けている。

 一秒過ぎる毎に、命の火は火勢を失っていく。


(まだ、死ねない……あいつらに、残すんだ)


 今ここで、自分が何かを残さなければ最悪逃げられて未解決となってもおかしくない。

 それだけは、それだけは、なんとしてでも回避しなければいけない。

 自分の命一つで、少しでも犠牲者を減らすのだ。


「いいんですか? 首を刎ねなくて」


「ええ。今回の殺人は、警察を煽るのが目的ですから」


 二人の少女が何かを話していたが、死ぬ間際の成嶋の耳には届かない。


「ぅぐっ……」


 成嶋は警察に──瀬波碧斗に事件の解決を託すため、ダイイングメッセージを残すことに命の限り尽くした。


 限界を超えて思考を加速させ、何を残すべきかを考える。

 身体はもうほとんど動かせない。動かせても片腕だけ。

『刎ね子』が三芳芽亜であると伝えるにはどうすればいいのかを考えて考えて考えて。


「ぎっ……!」


 強く唇を噛んで、空いていた重たい左腕を前に動かした。

 腹を押さえたまま倒れたことで上半身の下敷きになっていた右腕は僅かに横へ。

 それ以上は両腕共に動かせなかった。


 先に左手の人差し指を立てて、辿々しく血で文字を書いていく。

 左手で書き終えてから、右手でも字を書こうとした。だが、字を書くほどの余力は使い切ってしまいいうことを聞かない。ならばと、考えていた文字とは別の文字を書いた。

 左手は聞き手ではなく、力も抜けていてあまりにも汚い。

 右手はそもそも文字として読み取ってくれるかどうかさえ怪しい。


 左と右、両方のダイイングメッセージを書き終えた直後、成嶋の全身から全ての力が抜けた。

 先ほどまで動かしていた手も動かせない。


 もう、仲間たちがダイイングメッセージの意味を読み取ってくれると、ただただ、祈ることしかできなかった。


(ここまでか……)


 脳内に今日までの人生が走馬灯となって蘇る。


 決して裕福ではない家庭で育った成嶋一咲。

 温厚を絵に描いたような母と、厳しくも心根は家族愛に溢れた父。

 几帳面な姉と成嶋に似て飄々とした性格の弟。

 笑顔の絶えない家庭だった。


 嬉しいことも楽しいことも、悲しいことも辛いことも、何でも共有できる成嶋の帰る場所。

 大好きだった。大切にしなければいけないと思った。

 だから、成嶋は警察を目指した。


 元々勉強も運動も平均を僅かに下回る成嶋にとって、警察官への道は険しかった。

 家族の応援に支えられていたものの、実際の過酷さを共有することはできない。気がつけば成嶋の心は折れそうになっていた。


 そんな時に出会ったのだ。

 顔に辛さを滲ませながらも、自分なりに最適解を探して懸命にもがく瀬波碧斗に。

 成嶋の方から声をかけてすぐに親しくなった。

 以降は、警察学校の苦痛も流せるようになっていった。


 一年後には後輩の愛宮夢葉と出会い、三人で拙作琢磨して無事に警察学校を卒業した。

 埼玉県警に入所してからは、それぞれ捜査一課を今度は目指して、成嶋と瀬波が先に。遅れて愛宮が配属となり今日まで警察官の使命を全うしてきた。


 だというのに──。


(終わりたくないなぁ……)


 まだまだ家族や仲間とやりたいことが沢山あった。

 しかし、その想いは叶わない。


 目蓋がゆっくりと閉じられていく。

  その僅かな数秒間に、成嶋は願いを託して、祈った。


(勝てよ、瀬波。お前が、おれたちの希望だ)


 全身から力が抜け落ちる。

 目蓋は完全に閉じられ、体は動かなくなった。






 ──成嶋秋哉は、死亡した。




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