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第5話 下りもん

今回から第2章「お節介」に入ります。

 (むら)(さき)屋の妓楼主伊左衛門は朔日(ついたち)の寄り合いに顔を出した後、8日ほど滞在し、ふたたび回遊の旅へ出かけていった。若頭の勇次が(おおぎ)河岸(がし)まで見送りに行っている。

「伊左衛門さんは出掛けたのかい?」

 お隣の大見世(きん)舟楼(しゅうろう)の若旦那甚吾郎が邑咲屋の裏口から中を覗く。それに気づいた女中頭のお縫が顔を上げた。

「ええ、昼見世を開ける少し前くらいに若頭が送っていきましたよ。若頭、帰りにりんを迎えに行くって言ってましたから、お戻りは夕方になるんじゃありませんかねぇ」

「そっか。りんが戻ってくるんじゃ裏方もまた明るくなるな」

「そうなんですよ。不思議ですよねぇ。あの子がいるだけでその場がぱぁっと明るくなっちまうんだから」

 お縫の言葉に甚吾郎も大きく頷いた。耳が不自由なりんは(しゃべ)ることができないにもかかわらず、場の空気を明るくさせる不思議な力がある。彼女が来てから邑咲屋の雰囲気も心なしか良くなったようだ。

「ところで女将(おかみ)はいねぇのかい?」

 言わずもがな、甚吾郎のお目当てはお亮だ。きょろきょろと中を見回す。

女将(おか)さんは、さきほど半十郎さんがいらしたので今お相手しているところです」

 半十郎は邑咲屋と懇意にしている女衒(ぜげん)だ。

「半十郎さんか。また川越芋みてぇな女を売りつけにきたんじゃねぇだろな」

「いえいえ、今回は小さい女の子でしたよ」

「ああ、禿(かむろ)か」

 甚吾郎はぽんと手を打った。今年胡蝶が振袖新造に昇格したことで邑咲屋の禿がひとり減ってしまったのだ。お亮は禿の補充を半十郎に依頼していたのである。

「そういうことならしょうがねぇな。今日のところは退散するか」

 ひとり寂しく背を向け、甚吾郎は自分の妓楼へと戻っていった。




 その少女は無表情でうつむいていた。耳は聞こえているようだが何を訊いても首を傾げるばかりでうんともすんとも言わない。薄汚れた人形をぎゅうっと抱きしめるばかりだ。

故郷(くに)はどこなんです?」

 お亮は半十郎に訊ねた。うーん……と半十郎も首を傾げる。

「ちょいと半十郎さん、あなたまで答えられないでどうするんですか。こんなんじゃ使い物になりませんよ」

 面目ないといった表情で半十郎は眉間に皺を寄せた。

「元締めにどうしてもって頼まれちまってな、断れなかったんだよ。悪いが邑咲屋でなんとか買ってくれねぇかな。この通りだ、お亮。頼む」

 拝むように手を合わせ、お亮を上目遣いで見る。お亮はわざとらしく大きな溜め息をついてみせた。

「その元締めってのは何者なんです?」

「生まれは駿河らしくてな、自分じゃ庄司甚右衛門の子孫と名乗ってるが本当かどうか。それ以上のこたぁ俺ら女衒仲間もわからねぇんだよ」

 庄司甚右衛門とは吉原遊郭の創業者のことだ。出自は定かではなく、相模小田原藩北条氏の家臣、あるいは駿河か東海道吉原宿の遊女屋とも云われている。ちなみに彼の子孫が代々吉原(新吉原も含む)の惣名主を引き継いでいた。

「なんでそんな胡散臭い輩の言うこと聞かなきゃならないんですか。いくらこっちが制外者(にんがいもん)だからって舐めすぎでしょ」

「まぁまぁ、落ち着けって。子供の前だぞ」

 お亮の勢いに気圧(けお)され半十郎がうろたえる。お亮はきつい口調でぴしゃりと言い切った。

「ふん。こちとら傾城屋なんだ。禿になるからには子供だって容赦しませんよ。遊女見習いとしてしっかり働いてもらいますからね」

「え、それじゃあ……」

「ふた親とも戦で亡くしちまったんじゃ行き場がないでしょうよ。うちで引き取るしかないじゃありませんか」

 思いがけない展開に半十郎は半泣きで喜んだ。

「いやぁ、ありがてぇ。恩に切るぜ、お亮」

 お亮も口ではきついことを言ったが、自分と弟勇次を上州渡良瀬川の非人(だめ)から救い出してくれた恩人半十郎の頼みはできる限り聞いてやりたいと思っている。とりあえず少女は邑咲屋で買い取ることで合意した。

 少女の顔をまじまじと見つめる。よく見ればなかなかの美形だ。勇次の見立てを待つまでもなく、まともに仕込めば将来稼ぎ頭になるであろうことは想像がつく。

「おまえさん、名は?」

(しち)

「なんだ、しゃべれるんじゃないか。(とし)はいくつだい?」

(なな)つ」

 お七は無感情に答えた。7歳にしては可愛げのない……とお亮は(いぶか)りながらも、変にこまっしゃくれているよりはいいかと気を取り直す。

「源氏名は勇次が帰ってきてからつけてもらうとして。まずは風呂に入ってきてもらおうかね」

 何日も体を洗っていないのだろう。酸っぱい(にお)いが鼻をつく。お亮は遣り手婆のお亀を呼んだ。

「お亀さん、新しい禿だよ。お七っていうんだ。綺麗にしてやっとくれ」

「あい」

 お亀がお七を促し、立たせる。

「汚い人形だねぇ。荷物はそれだけかい?」

 お亀が人形を取りあげようとしたとき、お七は初めて感情を顕わにした。

「いけんっ!」

 薄汚れた人形をしっかと抱きしめ離さない。お亮がお七に語りかけた。

「おっかさんの形見かなにかかい? 風呂に入っている間、預かるだけだよ。捨てたりしないからお亀さんに渡しとくれ」

 お亀に目配せするお亮を見て、お七は渋々お亀に人形を手渡した。大人しくなった彼女はお亀に連れられ、風呂場へと向かう。

「半十郎さん、あの子のお故郷(くに)言葉、東のもんじゃありませんね。どこのもんなんでしょう?」

「うーん、西の方で聞いたことがあるようなないような……。どこだったっけかな?」

 半十郎は袖に手を入れ腕組みし、首を捻った。西国の出であることは確かなようである。

(くだ)りもんだから重宝がられるとかなんとかって元締めに巧いこと言いくるめられちまったんじゃないですかえ? 西の子だったら京の島原でも大坂の新町でもよかったじゃないですか。なんだってわざわざ遠くの武州まで、しかも吉原じゃなくて川越——(あか)()なんかに」

「子供をかくし(ざと)に託すってこたぁ、よっぽどの理由(わけ)有りなんだろうよ。この朱座で他人のことをいちいち勘繰るのは野暮ってもんだぜ」

「そうはおっしゃいますがね、抱え主としては最低限の素性くらい知っとかなきゃ困るんですよ」

 お亮は目を伏せ、両手をぎゅっと握りしめた。

「半十郎さん、何か隠してることがあるんじゃないかえ?」

 上目遣いで半十郎をじっと見据える。この明眸に睨まれてはさすがの半十郎も誤魔化すことはできなかった。

「隠してるわけじゃねぇんだけどよ、俺もなんかきな(くせ)ぇと思ってな、ちょっくら探りを入れてるとこなんだ」

「そうだったんですね」

「だからお七のことは一旦、邑咲屋に預けとくのが安心だと思ってよ。何かわかったらすぐに知らせるから、しばらく頼むわ」

 ふう……とお亮は溜め息を漏らし、小刻みに頷いた。

「わかりました。ま、何もなければそれに越したことはありませんものね。よござんす。うちでしばらく様子を見ましょう。そのかわり、何かあればすぐに教えてくだしゃんせ」




 そのころ勇次は妓楼主伊左衛門を見送りに、川越五河岸のひとつ扇河岸へと向かっていた。()(とう)(ざか)を下る前に東京街道沿いにある蕎麦屋へ寄って腹ごしらえをすることにする。

「おう、勇次。3月に公議所ってのができたの知ってるか?」

 蕎麦をずるずるとすすりながら伊左衛門が問いかけた。

「公議所? なんすか、それ?」

「新政府が各藩からひとりずつ集めて意見を聞くところだってよ。政府も暇だよな。下々の言うことなんざこれっぽちも聞く気がねぇくせによ、上っ面ばっかりいい顔しやがって」

 勇次も蕎麦をすすりながら耳を傾ける。

「まぁ、聞こうとするだけまだましなんじゃないですか? で、その公議所ってとこではどんな意見が出てるんですかい?」

「それがよ、()()と非人の身分を引き上げろってぬかす奴がいたんだとよ。誰が言い出したんだか笑っちゃうよな。余計なことすんなっての」

「余計なこと?」

「そうだろがよ。考えてもみろ。俺らは別に今のまんまでも十分食ってけるんだぜ」

 それは遊女たちから搾取してるからだろうが、と言ってやりたいところだが反論するとあとが面倒くさいのでぐっと呑み込む。そもそもこの男は以前、穢多頭弾左衛門が平人に引き上げられたことに対して抜け駆けだなんだと憤っていたのではなかったか。そんな勇次の侮蔑に気づかず、伊左衛門は調子に乗って続けた。

「それよりも、かくし閭がなくなっちまったら生きてけねぇ奴らがわんさか溢れちまうほうが困るだろ」

「まぁ、確かに」

 珍しくまともなことを言うものだと、勇次は少々驚いた。確かに、穢多や非人が平人に引き上げられたら、仕事や住居などの棲み分けはどうするのだろう。過去を知られずにひっそりと生きていきたい人間は、どこでどうやって暮らせばよいのか。

 ——かくし閭はまだまだ必要だ。

 蕎麦を食べ終えたふたりは店を出てふたたび歩き出した。東京街道を抜けたところで、勇次はふとあることに気づく。

 鼻をつく匂いに顔を歪め、異臭のするほうへ目を遣る。すると、みすぼらしい身形の女が幼い子供をおんぶ紐で背負い、覚束ない足取りで不老川(としとらずがわ)のほうへと向かっているのが見えた。脇に抱える御座(ござ)(むしろ)から女が夜鷹であることはすぐにわかった。だがそれよりも、女の背からだらりとぶら下がっている手足に違和感を覚える。その膝小僧は酷くただれていた。

 ——あの子供……

 女の背中を見つめる勇次を伊左衛門がどついた。

「おい、勇次。秋になったら井筒屋さんのとこへご挨拶に行くからな。そのつもりでいるんだぞ」

 井筒屋は下新河岸の船問屋だ。勇次はそこの娘お染を許嫁とさせられていた——のだが。

「お染お嬢さんとの縁談は断ったはずですぜ」

「勝手なことぬかすんじゃねぇ。破談なんか許さねぇからな。覚えときやがれ」

 そう言い残して伊左衛門はさっさと烏頭坂を下って行ってしまった。一度言いだしたら聞かない男である。勇次はここで言い合いしても無駄だと判断し、そのまま放っておくことにした。それよりも彼には少々気にかかることがあったのだ。

 伊左衛門を扇河岸まで送り、川越夜船が出発したのを見届ける。その足で急ぎ不老川を遡っていった。

次回は第6話「少女いろいろ」です。


【用語解説】

◎東京街道:現在の川越街道。

◎吉原:この時代は「新吉原」ですが、作中ではわかりやすく「吉原」で統一しています。

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