表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/46

第41話 恋敵

最終章「忘れ物」に入ります。

 提灯の消えた遊郭街に静謐な夜風が吹き抜ける。明るい月は雲に隠れたり顔を出したり。そのたびに勇次は切れ長の目を細め、ときに(ひとみ)を開いて耕作を見据えた。

「答えろ、耕作。お七を……、喬史郎さんの娘を黒い遊神に選んだのはあんたなんだろ?」

 問い詰められても、耕作は口をきつく結んだまま開こうとはしない。

「なんでお七を黒い遊神にしたんだ?」

 なおも無言を貫く耕作を前に、竜弥が口を挟む。

「なぁ、勇次、ひとつ疑問なんだが。芸州のかくし閭が燃えたとき、住人はひとり残らず焼け死んじまったじゃん。そんなんじゃどれがお七の骨なんだかわかんなくね?」

 それどころかかくし閭ごと跡形もなく消失してしまい、どこに存在したのかすらわからないのだ。そのような状況でお七の骨を回収するのは不可能ではないか——。竜弥はそう言いたいらしい。だが勇次の視点はそれとは異なる角度に置かれていた。

「なら仮に、お七が戦の前に死んでたとしたらどうだ?」

 あ……!と竜弥の瞳孔が開いた。喬史郎を振り返る。彼は顔を上げ、耕作を睨みつけていた。

「竜弥さんとミサゴさんに助けられて生き延びた後、お七の墓参りに行ったら掘り返されとった。骨はいっこも残っとらんじゃった」

 一瞬、耕作の目が泳いだか。だが喬史郎の目は耕作を捉えて離さない。

「生き残った者でお七の墓を知っとるなぁ耕作、あんたばっかしじゃ」

 目を大きく見開く耕作からは激しい動揺が見て取れる。喬史郎は問いかけた。

「なんでか? あんたぁ、お七になんの恨みがあって……」

「うるさいっ‼」

 ようやく発した耕作の言葉は怒気を含み、闇空にこだました。雲が月を翳めてゆく。やがて雲が切れ、こだまがおさまった。静寂に包まれた遊郭街に耕作の声が続く。

「恨みしかありゃぁせん。おどれの頭がめでたいだけじゃ」

 芸州弁で静かに吐き捨てる耕作の豹変ぶりに勇次らはたじろいだ。耕作は遂に本性を現したのだ。だがかまわず耕作は続ける。

「おどれの嫁は……、すえはわしの幼馴染じゃったんじゃ。一緒の村で生まれて、一緒の畑を耕しょぉった百姓じゃ。それをおどれが惚れて嫁にしたばっかりにすえは制外者(にんがいもん)になってしもぉた。可愛そうに、おどれのせいで平人(ひらびと)に戻れのぉなってしもぉたんじゃ」

 勇次は胸が締めつけられる思いで耕作の発露を聞いていた。唇を噛み、りんを見る。心が不安定に揺れた。自分は間違っていたのだろうかと自問を繰り返している。

 見かねたお亮が弟の背にそっと手を添えた。彼女も思うところはあるのだろうが、何も言わず、ただ掌の温もりを伝えてくれている。姉の強さに支えられ、勇次はふたたび顔を上げた。


 喬史郎は、友と信じて疑わなかった男の本心を聞き狼狽(うろた)えた。

「耕作、あんたぁ、そがぁなふうに思うとったんか……」

「気安く呼ぶな、こん制外者が。わしとおどれらは身分が違うんじゃ」

 竜弥と甚吾郎のこめかみに青い筋がぴきっと浮き上がった。ふたりともなんとか堪える。

 喬史郎は身を乗り出した。

「身分が違うてもわしら、あがぁな仲良うしょぉったんじゃぁないか」

「じゃけぇ、おどれはおめでたいゆうとるんじゃ」

 耕作が言い放つ。だが不思議なことに、侮蔑に染まっているはずの瞳は悲哀の色を湛えていた。それを直視するに堪えず喬史郎は目を伏せた。

「……そうじゃのぉ。耕作の気持ちに気づかんかったわしが馬鹿じゃったんじゃ。わしのこたぁなんぼでも恨んでくれてかまわん。ほぃじゃが、お七まで巻き込むなぁ筋違いゆぅもんじゃろぉ」

 お七を抱きしめ、耕作を睨みつける。耕作も負けじと睨み返した。

「かばちゅぅたれんな。おどれの子を産んだせいですえは死んだんじゃ。おどれとお七がすえを殺したんじゃろうが」

 耕作はわなわなと全身を震わせ目を閉じた。

「借金返し終わったら百姓に戻って、夫婦(めおと)になろうて約束しょぉった……。それをおどれがみなぶちめいだんじゃ」

 かっと目を開け、鋭い視線で容赦なく怨嗟を浴びせる。

「すえが死んだゆうんに娘と呑気に暮らしとるおどれがぶち憎かった。じゃけぇ、わしゃぁおどれのみなをぶちめぐことにしたんじゃ」

「じゃが、お七は戦の前に流行り病で亡うなってしもぉたじゃなぁか。なんで死んでまで……」

「死んだら終わりじゃぁなぁけぇね。お七を亡くして落ち込んどるおどれを見てざまぁみろゆぅて思うたんじゃ。じゃが、お七が死んでもわしの恨みゃぁちぃとも晴れんかった」

「じゃけぇ、お七を黒い遊神に利用したんか」

 喬史郎が怒りの眼差しを向ける。冷笑を浮かべる耕作に、今度は勇次が問いかけた。

「それで、あんたは恨みが晴れるのかい? 喬史郎さんの娘の墓を暴いて骨を盗み、反魂の術で黒い遊神として蘇らせ、ほかのかくし閭を葬れば、それであんたは本当にすっきりするのかい?」

「なんっ……」

 耕作は激しい衝撃に襲われ、言葉に詰まった。

  

 絶望なのか憂いなのか、耕作は白目を剥き出し、ぶるぶると拳を震わせている。やがてふっと軽く息を吐き、憮然とした(かお)で勇次に焦点を合わせた。

「勇次さん、あなたならわかってくれると思っていたのに……。私と同じ匂いがすると言った元平人のあなたなら、私の思いを……」

 だが、遮るように勇次が自らの思いを重ねた。

「確かに俺も平人に戻りてぇってずっと思ってたよ。いや、今でも思ってる。けど、だからといってかくし閭がなくなっちまえばいいなんて思ったこたぁ、川越に来てからただの一度だってねぇぜ。ましてや制外者と自分が違う人間だなんて微塵も思ったこたぁねぇ」

 穢多でもなく非人でもない、宗門人別帳から外れざるを得なかった理由(わけ)有り者の受け皿——かくし閭。素性を隠さなければならない者、忘れ去りたい過去がある者、生まれ変わってすべてをやり直したい者……。必要とする者がいるからこそかくし閭は何百年も人知れず存続してきたのだ。取りも直さずそれは耕作とて同じこと、少なからず彼も恩恵を享受していたはずではないのか。


 勇次は右足を一歩、前へ踏み出した。

「なぁ、耕作。俺にゃどうしてもわからねぇことがある」

「わからないこと?」

 耕作が眉間に畝を作る。勇次は軽く顎を引いた。

「今さんざん恨み辛みを並べ立ててたけどよ、あんた、なんでここにいるんだ?」

「なんでここに……て……」

 突拍子もない問いかけに耕作は目を(しばた)いた。意味がわかりかねる、といった表情で動揺している。真意を必死で探ろうとしているのか、勇次の眸の奥を注視する。勇次は耕作の視線を受け止めたまま、辨財天に顎を向けた。

「黒い遊神に操られた(ひぐらし)はクソ力で祠を動かせることができる。蜩ひとりに全部やらせりゃ蜩を下手人に仕立て上げられるんだ。にもかかわらずあんたはここに来た。誰かに見られたら自分も疑われるかもしれねぇのに、なんでだ? そんな危険を冒してまであんたがここに来た理由は……」

 勇次は一息ついてから続きを口にした。

「ほんとは弁天様に止めてほしかったんじゃねぇのか?」

 奥井戸には、石黄の濃度が致死量に達する前に人形をりんに取りに入らせた。毒消しの丸薬を作る際もりんに水を汲みに行かせたがすぐに制止できる場所にいた。そして今回、辨財天に撥ね返されるのをわかっていて蜩とともに神域に入ろうとした——。すべての彼の行動には迷いがあり、その謀略とは明らかに乖離している。

「わからねぇ……、なんで……?」

 何故と問いながら、勇次は一縷の希みを捨てきれずにいた。

「あんた、本当に喬史郎さんを恨んでたのかい?」

 ずっと抱いていた違和感。脳裏の片隅に浮かぶ残像。お七と触れ合うときの耕作はまるで——。

「もしかして、あんた、本当はお七の……」

 だがそこで言葉を止めた。こんなのはただの推測に過ぎない。無責任な憶測が彼らをさらに傷つける結果になりはしないかとの危惧が脳裏を突き抜ける。そのとき——。


 躊躇う勇次の代わりに、喬史郎が容赦なく真実を叩きつけた。

「耕作、お七はあんたの子じゃ」

「……!」

 耕作の心に激震が走る。頭は鈍器で殴られたかのごとくの衝撃に見舞われた。明かされた真実は薄々感じてはいた。だが確信が持てなかったのだ。

「嘘じゃ……」

「嘘じゃぁない。ほんまのことじゃ」

 それでも耕作は頭を振った。信じたくない。いや、そのような事実があってはいけないのである。だが喬史郎の言葉が追い打ちをかける。

「わしゃぁすえたぁいっぺんも契りを結んでいないんじゃ」

 耕作は言葉を失い、呆然と立ちすくんだ。自分に対する贖罪か、それとも憐憫か。真っ白になった頭の中に、勇次の低い声が滑り込んでくる。

「耕作、あんたもそんな気がしてたんじゃねぇのかい? だからお七を黒い遊神にするのも、お七を使って朱座を滅ぼすのも迷いがあった。それならすべて合点がいく」

 勇次がまた一歩、近づく。

「喬史郎さんは全部わかった上であんたの子を育ててくれたんだ。慈しみ、大切に可愛がってくれた。それに対する恩義と元平人の矜持との間で迷い続けて、あんたはずっと苦しんでたんだよな?」

 耕作がぎりぎりと唇を噛みしめる。噛み千切ってしまうかと思われるほどに、強く、激しく。赤く染まりゆくそれを見た勇次は咄嗟に、彼の憎悪が再燃するのを防がなければならないことに気づいた。

「あんただけじゃない。喬史郎さんだってずっと苦しんでたと思う。自分以外の男を愛してる女を女房にして、その女が産んだ赤ん坊を我が子として人知れず育てなきゃならねぇんだからな。それでもお七を可愛がることができたのはおそらく……あんたの子だからだ」

 耕作ははっと口を開き、お七を抱きしめる喬史郎を見た。芸州のかくし閭で暮らした日々が、頭の中をぐるぐると走馬灯のように駆け巡ってゆく。無意識に込み上げてくる郷愁、懐古、慕情。次々と溢れ出す追憶が教えてくれた。あのときふたりは間違いなく無二の親友だったのではないか——と。

 お七を抱きかかえたまま喬史郎がゆっくりと立ち上がる。

「耕作、安芸にいのう。お七と3人で」

 つぅ……と耕作の頬を一筋の涙が伝った。だが——。

「逃がしゃしねぇよ」

 皆が声の主を振り返る。そこには銃を構えたままの甚吾郎がいた。

次回は第42話「一緒に帰ろう」です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ