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第40話 悪あがき

 甚吾郎はリボルバーを下ろし、溜め息をついた。

「なるほどな。たしかに七星じゃ届かねぇやな」

 朱座遊郭の掘り抜き井戸は幼い子供が誤って落ちないよう井戸側に高さをつけてある。よって七星の背丈では縁まで手が届かない。石黄を落とし入れるには大人の手助けが必要だ。そこで蜩を使おうとしたが、彼女は仕置き部屋に閉じ込められていて使えなかった。ゆえに仕方なく耕作が人形を井戸に落として犯行に及んだのだろう、と推測する。

「石黄は水に溶けるから、石黄を仕込んだ人形を井戸に落とせば井戸水に溶け出し、それを知らずに飲んだ住人はもれなく腹を壊す、ってな寸法か。上手く考えたもんだぜ。誰も人形なんか疑わねぇもんな」

 甚吾郎はあきれるやら感心するやら、複雑な表情で腰に手を当てている。彼の推理を黙って聞いていた耕作は、不敵な笑みを浮かべた。

「私が七星の手助けをしたというのですか? でも禿(かむろ)はひとりで妓楼の外へ出ることは許されないでしょう?」

 今度は勇次が詰める。

「妓楼の中でなら人形を受け取れるぜ。あんたが高林先生んとこでりんと仲良くなったのもそのためだ。りんがいりゃ何かと理由つけて邑咲屋(うち)に出入りできるもんな。しかも朱座の男衆が登楼を許されたのも渡りに舟だった。空蝉の馴染みになることでますます七星との接触が容易(たやす)くなったってわけだ」

 匕首を握り直し、問う。

「奥井戸に人形を落とした後、そのことをりんに教えたのもあんたじゃねぇのか?」

「……」

 耕作の顔色がわずかに変じただろうか。勇次は構わず続けた。

「りんは世話焼きだからな。七星の人形が井戸に落ちたとあっちゃ放ってはおけねぇ。そんなりんのやさしさを利用して、あんたはりんを危険にさらしたんだ」

 匕首を震わせ、顔の前に突き出す。

「もしそうだとしたら俺は……、俺はあんたをぜってぇ許さねぇ」

 憤激の様相で切っ先を耕作に向ける勇次を、姉お亮が一旦制した。

「お待ち、勇次。それはちょいと見当違いじゃないかえ?」

「あ? なんだよ、姉ちゃん。何が見当違いだってんだよ。こいつぁなぁ……」

「いいからちょいと落ち着きな。おまえはりんのこととなるとすぐにカーッとなっちまうんだから」

 ひと先ず弟の手を押え、お亮は前に出た。甚吾郎がふたたびリボルバーを構える。


「耕作さん、勇次と甚さんはあんたが奥井戸に人形を落とした張本人だって睨んでるみたいだけど、あんたが黒い遊神の仲間かどうか、正直わっちにはまだわからない。でもね、仮に七星の人形が奥井戸に落ちたことをりんに教えたのがあんただったとしたら、あんた、りんならすぐに人形を引き上げてくれるって思ったんじゃないかえ? そうすれば被害は最小限に食い止められる。つまり、あんたは住人を死なせたくなかったってことさ」

 最終的に炎上させるのならば、消火活動の人員はなるべく少ないほうが好都合だ。住人の人数を減らせば減らすほど確実にかくし閭を焼失させることができる。現に芸州のかくし閭はそうしたのだろう。もしかしたら壊滅状態に近かったかもしれない。だが彼は、朱座ではそうしなかった。


 お亮の背後から、竜弥も孔雀とともに近づいてきた。孔雀はもう歩けるようだ。彼女を支えながら竜弥が口を開く。

「俺もお義姉さんの言うことにゃ一理あると思うぜ。耕作さん、あんた、みんなが毒の入った水を飲んで苦しんでたとき、一生懸命みんなを助けようとしてくれたもんな。あんときのあんたの目、嘘じゃなかったぜ」

 耕作の瞳の奥がきらりと光った。

「ええ、その通りです。あのとき私はもっとたくさんの薬を作らねばと急ぎ家に戻りました。賢いりんちゃんは私の部屋を見てすぐに何をすべきか理解してくれました。そして丸薬を練るために水を汲みにいってくれたのです。私もまさかそれが石黄の溶けた水だとは知らずに頼んでしまって……」

 一気にまくしたてた後、悔し気に目を伏せる。すると竜弥は突然驚いたように声を張り上げた。

「えーっ? あんた、家になんていなかったじゃん。あんとき近くにいたじゃねぇか。木戸に隠れてずっとこっち見てたじゃーん!」

 静まり返った月夜の遊郭街に竜弥のわざとらしい棒読みが響き渡った。

「……!」

 耕作ははっと口をつぐんだ。竜弥の表情が鋭く変じる。あのとき勇次はりんの動きにばかり気を取られていて、耕作がいたことに気づかなかった。あの場で耕作の不審な動きに気づいたのは竜弥ただひとりだったのである。


「語るに落ちたな」

 冷静さを取り戻した勇次が低い声を響かせる。

「あんときゃまだ奥井戸の毒が石黄だなんてあんたも知らなかったはずだ。けど今の竜弥の話だと、知っててりんに水を汲みに行かせたことになる」

 勇次の目が鋭く光る。彼の舌鋒が炸裂する前に、竜弥はすぐさま畳みかけた。

「ほんとはりんを行かせようか迷ってたんじゃねぇの? すぐに止められるように声の届く場所にいたけど、先に勇次が気づいてりんを止めちまったもんだから出るに出らんなくなっちまったんだろ?」

 ふたりに詰められ、ついに耕作は焦りの色を隠せなくなった。

「違う、私は……!」

 そう言いかけたときだ。七星がするりとりんの腕から抜け出し、ふらりと人形の元へ歩み寄った。七星は人形の傍で立ち止まると、耕作を振り返った。

「ねぇ、お薬のおにいちゃん。このお人形、弁天様の井戸に落とさないの?」

 無邪気に笑う七星に、耕作の顔がみるみるうちに蒼褪めていった。

「子供は正直だな」

 竜弥がけらけら笑う。

「だが、ときに残酷だ」

 勇次は匕首を懐に仕舞いながら静かに漏らした。袖に手を入れ腕組みし、耕作を見据える。


「あんた、なんで七星を黒い遊神にしたんだ?」

 耕作は表情を戻し、固く口を閉ざしたまま勇次を見つめ返した。その目を見て勇次は確信する。

「いや、七星じゃねぇか。この娘はお七、喬史郎さんの死んだ娘——お七だ」

 その場に戦慄が走る中、しかし、まだ耕作は微動だにしなかった。唐突な弟の物言いにお亮が戸惑う。

「ちょいと勇次、七星が喬史郎さんの死んだ娘だって? いったいどういうことだい? 七星は半十郎さんが元締めに頼まれて連れてきた子だよ。たしかに名は同じお七だけど、それがどうして喬史郎さんの娘ってことになるんだい?」

 勇次は耕作から目を離さずに姉へ顔を傾けた。

「なぁ、姉ちゃん。半十郎さんに七星を託した元締めって、誰なんだ?」

「誰……って……?」

 お亮は甚吾郎を振り返った。

「そういえば半十郎さんの話じゃ、三方山にいた元締めは偽物だって……」

「言ってたな。青梅の御嶽山にいるときゃすでに殺されてたとも」

 銃を構えたままの甚吾郎は耕作から目が離せないため、お亮がミサゴに確かめるべく目を遣った。ミサゴが黙って頷く。半十郎にそのことを教えたのは彼なのだから間違いはない。

「偽物の元締めが御嶽山にいたのは春の終わりから夏の初め。ちょうど七星が邑咲屋(うち)に来る少し前だよ」

 お亮は弟の横顔を見た。勇次が大きく頷く。

「どはまりだな。おそらく偽の元締めは黒い遊神を造ったやつだ」

 甚吾郎も思い出したように顎を上げた。

「平助さんと半十郎さんを襲った男はサンカの石黄を盗んでミサゴに追われ、三方山に逃げ込んだんだ。三方山は黒い遊神を造った反魂の術の使い手が根城にしてたんだろう。だが、そいつんとこへ石黄を届ける前にミサゴに捕まって殺されたって話だ」

「ミサゴに殺された野郎は耕作の百姓仲間だな。ミサゴの石黄の片割れを持ってたんだから間違いねぇ」

 勇次は顔を耕作に戻した。

「もうひとつの片割れはお七の骨と一緒にあんたが偽の元締め、つまり反魂の術の使い手に渡した。使い手は御嶽山に籠って黒い遊神を造りはじめた。黒い遊神を造る目途が立ったもんだから、その間にあんたは朱座に一足先に潜り込み、溶け込もうとした。それが春のことだ」

 ちなみに、そのことを知らずに御嶽山に入った女衒の元締めが黒い遊神の造り手とかち合い、消された——。さしずめそんなとこだろうと推察しているうちに、勇次はあることに気づいた。

「そうか、りんが先だったのか。りんと仲良くなったからお七……黒い遊神を邑咲屋(うち)に潜り込ませたんだな」

 ふたたび憎悪を募らせてゆく。だが、それを見ても耕作はまだ顔色を変えようとはしなかった。



「なるほど、面白い謎解きですね。しかし、百歩譲って私が黒い遊神を造る手助けをしたとして、なぜそれがお七と結びつくのです? お七なんて名はどこにでも転がっていますよ」

 耕作が笑みを浮かべ鼻を鳴らす。勇次はふっと小さく吐息を漏らした。

「あんたもしぶてぇ野郎だな。これでもまだ白を切るか」

 言いながら斜め後ろに顔を傾けたときである。ずっ……ずっ……と地面を引きずる足音がかすかに聴こえてきた。それは次第に大きくなり、勇次の真横で止まった。

「耕作、もうえかろう」

 突如、提灯の消えた暗闇の遊郭街から現れた影に、耕作の表情が一変する。

「……喬史郎! われ、サンカのとこにおったんじゃぁなかったんか……⁉」

 息が止まりそうなほどの吃驚に身を凍らせ、耕作は声を失った。

「なんでわしがサンカの世話になりょぉったことを知っとるんじゃ? あんたぁわしが撃たれる前に背中撃たれて倒れとったんじゃぁないか。わしが撃たれるとこ見とらんじゃろう。そのあと竜弥さんに助けられたことも知らんはずじゃ」

 すべては巧妙に仕組まれた罠だったということ。絶句する耕作の姿がそれを饒舌に物語っている。彼は竜弥に救われた喬史郎のその後の動向を逐一探っていたのだ。

「もう、悪あがきゃぁやめんさい」

 喬史郎はお七に目を遣った。

「その娘はお七じゃ。わしが7年も育てた我が子を見間違えるはずなかろう」

 お七を見るその眼差しは我が子への情愛に満ちあふれている。耕作は虚ろな瞳でただ茫然と佇んでいた。そのときだ。

「おとうちゃん!」

 喬史郎に気づいた七星が、小さな身体いっぱいの力を込めて腕を振り、駆け寄った。

「お七!」

 喬史郎も目一杯腕を伸ばし、愛娘を抱き止めた。3年前に(うしな)った(おさな)()の温もりを噛みしめ、とめどなく流れ落ちる涙もそのまま、壊れるほどに抱きしめた。

 苦しく切ない父娘の再会に、お亮と孔雀は静かに嗚咽を漏らしている。りんの円らな瞳は見る間に涙でいっぱいになり、次から次へと溢れだしていった。

 だが、勇次は拳を握りしめ、心淵に感傷を閉じ込めた。今一度、問う。

「耕作、もう一度訊く。なんでお七を黒い遊神に選んだんだ?」

 対峙の時を迎えるべく、締めつけられるような息苦しさを耐え忍んだ。

次回から最終章「忘れ物」に入ります。

次回は第41話「恋敵」です。

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