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第37話 石が呼んでいる

注:史実が入りますが、実際の出来事と物語上の人物は一切関係はありません。ご了承の上、ご覧ください。

 喬史郎によると、慶応2年6月7日に口火が切られた徳川幕府の第二次長州征討で彼らが戦に駆り出されたという話は本当だった。彼は当時の状況をより(つまび)らかに語ってくれた。

 まず、喬史郎が耕作とともに芸州口で戦ったことは事実だ。芸州藩は幕府からの出兵要請を拒んだものの、このままでは幕府と長州の両軍から攻撃されかねない。そこで、彼ら制外者を幕府軍として送り込み、紀伊藩らとともに戦わせて面目を保った。他方、長州軍の指揮下に加わった被差別民もあった。そうとは知らず芸州西口の最前線へ送られた喬史郎らは混乱を極める戦場の中、ただ身分解放という褒美を希望に力戦奮闘したのである。制外者や被差別民らの勇猛果敢な闘いぶりに両軍は驚嘆したという。

 結果、芸州口の戦いは引き分けに終わったが、ほか三境では幕府軍の完敗だった。長州征討に失敗した幕府の末路は周知のとおりだ。終戦後の制外者や被差別民の扱いについては、耕作の話に嘘はない。帰還後に襲撃され、仲間全員を失ったという話も当事者である喬史郎によって証明された。


「てこたぁ、あんたが撃たれたとき、耕作は()られてなかったってことか」

「殺られとらんどころじゃぁない。耕作はあっち側の仲間じゃったんじゃ」

「……!」

 つまり喬史郎たち制外者を襲撃したのは耕作の仲間——。彼らは兵隊に扮していた、要するに耕作が凶弾に倒れたのは芝居だったのだ。

 勇次がはっと顔を上げる。

「あっち側の仲間って……まさか、かくし閭を滅ぼしたのも……」

 喬史郎は真っ直ぐ勇次の目を見て頷いた。

「耕作ら百姓じゃ」

「百姓……ってあんた、気がつかなかったのか?」

「わしもすっかり騙されとったわ。耕作はわしの知らんとこで昔の百姓仲間とつながっとったんじゃ」

 喬史郎は声を震わせ臍を噛んだ。信じていた友に裏切られた悔しさは想像を遥かに超えるものだろう。

 勇次はその悔恨を思う一方で、唇に拳を当て考え込んだ。

 ——百姓仲間? 黒幕は新政府じゃなかったのか……

 黒幕が新政府だと言い出したのは耕作だ。自分から疑いの目を逸らすための方便だったことに今ようやく気づく。

 ——まんまと一杯食わされたぜ。

 拳を震わせる勇次の横で、今度は竜弥が何か思いついたように声を上げた。

「百姓仲間?」

 竜弥の不審な様子に勇次がすぐさま反応する。竜弥は黒幕が新政府であることを即座に否定していた。それを咄嗟に思い出したのだ。

「竜弥、どした?」

「ん? いや、なんでもない。で、喬史郎さん、」

 竜弥は何食わぬ顔で喬史郎に水を向けた。

「てこたぁ、まさか黒い遊神を造ったなぁ耕作たちってことになるのかい?」

「そのまさかじゃ」

 ぞわぞわと這い上がる悪寒に、竜弥とお亮は思わず腕をさすり上げた。ふたりが恐怖で言葉を失っているその横で、勇次は合点がいったように瞼を閉じ、無言で腕組みしていた。


 しばしの沈黙ののち、やおら目を開ける。

「喬史郎さん、あんた、さっき〝やっぱり耕作は川越にいたのか〟って言ってたけど、〝やっぱり〟ってどういう意味だ? なんで耕作が川越にいるとわかったんだ?」

「黒い遊神を造ったのが耕作の仲間だと知ったなぁついきょうび(最近)のことで、じゃけぇ、次は(ほか)んかくし閭を狙うつもりじゃぁないかゆぅて思うたんじゃ」

「それで、竜弥のことを思い出したってわけか」

 勇次が確認すると、喬史郎はこくりと頷いた。奴等は人知れずかくし閭を滅却するべく客のいない盆休みを狙うのだという。実際に芸州口・石州口・大島口の停戦合意が成立したのは9月2日のこと。戦闘終息に伴い喬史郎らは帰還を許されたが、彼らの留守の間にすべては消え去っていたのだ。そのことから盆までに川越に到着しようと急いだのだが間に合わなかった、と悔しさを滲ませる。


「黒い遊神はかくし閭が焼けてのうなったときに白い遊神様が道連れにしてくれたけぇ、耕作らぁ新しゅう黒い遊神を造らんにゃぁならなくなったんじゃ。じゃが、おそらく手間取っとったんじゃろぉ。2年以上もかかってしもぉた。じゃけぇ、今頃んなって川越にやってきたんじゃ」

「なにをそんなに手間取ったんだろな?」

 勇次が首を傾げる。

「ちなみに素朴な疑問なんだが、黒い遊神がどうやって造られるのか、喬史郎さんは知ってるのかい?」

 喬史郎がミサゴを見る。勇次はすぐにピンときた。

「石黄か」

 それまでずっと口を真一文字に結んでいたミサゴが、ここでようやく口を開いた。

「わしも詳しくは知らんが、反魂の術で使うらしい。だからやつらはわしらの石黄(いし)を欲しがったのだ」

「なるほどな。サンカの持ち物を盗むのは一筋縄じゃいかなそうだもんな。それで2年以上かかっちまったってわけだ」

 勇次はほーっと肩で大きく息をついた。神出鬼没のサンカからモノを奪うのはさぞかし至難の業であったに違いない。

「ミサゴ、あんたの石黄、ちょいと見せてもらってもいいかい?」

 ミサゴは躊躇いがちに頷いた。石黄は猛毒だ。それゆえ素人にはなるべく触らせたくないのだろう。

 素手で触らないよう注意を受けた勇次は、客間に置いておいたミサゴの荷物を取りに向かった。




 ミサゴの荷物片手に廊下を急いでいると、階段上からの視線にふと気づいた。

「七星、どした? (かわや)か?」

 階段下で立ち止まり、薄暗い2階を見上げる。いつもなら登楼客で賑わっている時間だが、この晩はひっそりと静まり返っていた。遊女たちは珍しく臨時休業になったものだから、ゆっくり体を休めているようである。

 七星は人形を抱えたまま、たどたどしい足取りで一段づつ降りてきた。

「りんちゃんは?」

 せっかくの臨時休業だというのに、いつも遊んでもらっているりんの姿が見あたらないので寂しいのか。

「りんはしばらくお仕事で忙しいんだ。また今度遊んでもらえ」

「今度っていつ?」

「今度は今度だ。七星が遊びたがってたって伝えといてやるから、いい子にして今夜はもう寝ろ。な?」

「寝たらりんちゃん、遊んでくれる?」

 勇次は困ったように優しい笑顔を浮かべ、右手で七星の頭を撫でた。そのときだ。

 ——……()っ……

 突如、左手に痺れのような鈍痛が走った。思わずミサゴの荷物を落としそうになる。

 ——危ねぇ危ねぇ。

 石黄が袋から落ちたら大変なことになる。猛毒の石黄に直接触れたら肌が溶けてしまうのだ。

 痺れは一瞬で治まった。何だったのだろうと首を傾げつつ、七星に座敷へ戻るよう伝えようと顔を上げる。だが、その前に七星はくるりと背を向け、2階へと駆け上がっていってしまった。嫌われてしまったようだ。

 苦笑いしながら気を取り直し、勇次は仕置き部屋へと急いだ。




 左腕をぐるぐる回し、勇次が仕置き部屋に戻ってきた。その仕草を不審に思った姉お亮が訊く。

「どうしたんだい?」

「いや、なんでもねぇ」

 そう言って腰を下ろし、ミサゴの荷物を解いた。

「ちょいとその前に」

 お亮が切り出す。勇次は手を止めた。

「今、ミサゴさんと話してたんだけどね、昨日の奥井戸の毒、石黄が原因じゃないかって。症状が似てるそうだよ」

「マジか……」

 ひとつずつ謎が解明されてゆくにもかかわらず、いまだ不安がぬぐえない。それどころか益々気が重くなってゆく。

「やっぱり間に合わんかったんじゃのぅ……」

 喬史郎が申し訳なさげにうなだれる。

「けど、死人はまだ出てねぇから」

 言いながら勇次が彼の背に手を当てると、少しホッとしたようだった。



「その革袋に入っているのがそうだ。袋から落とさないように気をつけろ」

 口は覆え、目を近づけるな等々、ミサゴが取り扱いには細心の注意を払うよう忠告する。勇次は言われた通り革袋を取り出し、袖口で口を押えながら慎重に巾着の紐を解いた。

「これが……石黄……。噂にゃ聞いてたが、本物見たなぁ初めてだぜ」

 黄金とも見紛う断面を遠目に、竜弥がごくりと息を呑む。お亮も袖で口を覆い、山吹色に輝く塊に目を奪われている。

 そのときミサゴがおもむろに呟いた。

「石が……呼んでいる」

「石が呼んでいる?」

 皆がミサゴを一斉に見た。

「どういうことだ?」

「石が共鳴しているのだ。盗まれた石とこの石は元々ひとつだった。耕作たちはそれを割ってふたつにし、二手に分かれて持ち去った。だから片割れが近くにいると石が共鳴して教えようとするのだ」

 持ち去られた石黄の片割れは三方山で仕留めた男から取り返した。だがもうひとつの片割れは……。

「え……、じゃあ、朱座のどこかにまだ石黄があるってことか?」

 サンカから石黄を奪い、黒い遊神を造るために使った耕作らだが全部は使用せず、残った分を奥井戸を穢すために使用したとして、それでもまだ使い切らずに残してあるというのか。

「いってぇ、どこに?」

「もっと近く。……たとえばこの妓楼の中……」

 その場にいたミサゴ以外の全員が震撼した。

「おおお俺じゃねぇっ!」

 竜弥が両手を振って激しく否定する。お亮も顔をぶんぶん横に振った。

「わわわっちだってそんな危ないもん持ってるわけないじゃないか」

 勇次は呆れ顔でふたりを見た。

「わかってるよ。ふたりとも落ち着けって」

「そういう勇次、おまえは……なわけないか」

 お亮は弟から喬史郎に視線を移した。

「姉ちゃん、状況からいって喬史郎さんが一番ありえねぇと思うぜ」

 奥井戸に毒が盛られたのは喬史郎が朱座に入る前である。

「だ、だよね」

 疑心暗鬼に駆られてはいけない。それこそが黒い遊神の望むところなのだ。

「じゃあ、いったい誰が……」

 言いかけてお亮ははっと目を見開いた。

(ひぐらし)……?」

「だーかーらー、姉ちゃん、ちっと黙っててくんねぇかな」

 勇次は苛立ちながら革袋の口を結んだ。竜弥が代わりにお亮を落ち着かせる。

「お義姉さん。女郎はほとんど裸みてぇなもんだし、梅茶の蜩は普段大部屋にいるんだから隠しようがねぇだろ」

 それと同じ理由で、若い衆も女中も中郎も皆相部屋で寝食を共にしているから石黄を隠しているとは考えにくい。あーでもないこーでもないと言い合いながらお亮と竜弥は頭を捻っている。



 勇次はふたりの会話を聞きつつ目を閉じ、頭の中で一連の出来事を片っ端から洗い直していた。

 薬売りの緑山として耕作が朱座遊郭に潜り込んだのは今年初め。その頃はまだ版籍奉還勅許以前で、朱座は制外者の転入出にうるさくなかった。だから彼は易々と朱座の住人に収まることができたのだろう。

 一方勇次はりんのことで頭がいっぱいだったこともあり、当時彼の存在をさほど気に留めていなかった。気づいたときには彼は高林謙三医師の診療所に出入りしており、りんとも仲良くなっていた。それが縁で勇次とも懇意となる……。

 ——その間に黒い遊神は完成……、いや違う。完成の目途が立ったからやつは朱座に潜り込んだんだ。

 つまり、サンカから石黄を奪うことに成功した——。ふたたび耕作の動向を記憶の引き出しから辿る。やがて彼は空蝉の馴染み客となり、何の警戒も持たれずに邑咲屋に出入りすることができるようになった……。

 ——あれ? そういやなんで邑咲屋(うち)を選んだんだ?

 勇次から誘ったにしても、好みの遊女がいなければ断ればいい。それが遊郭の流儀だ。元妓夫の彼ならばそれは承知のはず。それとも、空蝉が恋仲だった喬史郎の許嫁に似ていたのだろうか。それとも七星が喬史郎の娘に似ていたからだろうか——。

 七星と戯れているときの耕作を思い出す。普段穏やかな彼が、さらに目尻を下げて七星と接していた。彼らの姿はまるで本物の父娘(おやこ)のようだった。



 勇次が思考を巡らせている間、横ではお亮と竜弥がまだ話し込んでいる。

「……あと、一人部屋で寝泊まりしてるのは番頭さんかね?」

「番頭さんは盆休みの前の晩から次の日の朝までずっと揚羽につきっきりで、一歩も邑咲屋(うち)から出てなかったんだろ? なら、奥井戸に毒を仕込むのは無理があるぜ」

「そうだったね。じゃあ、あとは部屋持ちか座敷持ち……」

 部屋持ちか座敷持ち——。不意に耳に入ってきた姉の言葉を何気なく反復する。

 ——……座敷?

 そこで勇次ははっと瞼を上げた。

 ——そういや耕作、七星を死んだ娘と生き写しだって言ってたっけ……

 思い出したところでその目を喬史郎に向ける。

「喬史郎さん、つかぬことを訊いていいかい? あんたの娘、死んだときいくつだった?」

「……七つじゃったが、それがなにか?」

 喬史郎は怪訝な顔つきで答えた。お亮も不審な表情で弟を見る。

「勇次、おまえ、何考えてるんだい?」

 だが勇次は姉を向かず、喬史郎を見つめたまま告げた。

「喬史郎さん、あんたに見てもらいてぇ娘がいるんだが」

次回は第38話「消えた遊女」です。


【備考】

慶応2年は西暦1866年。ちなみに物語は現在明治2年(1869年)。


【一口メモ】

明治時代初期まで日本中お盆は旧暦の7月15日前後でした。新暦採用に伴い、農家などは繁忙期を避けるためひと月ずらしたとのことです。

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