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第36話 喬史郎

今回から第9章「黒い遊神、現る」に入ります。

 駆け戻ってきた弟の気配を察し、女将のお亮が顔を出す。

「どうしたんだい、血相変えて。緑山となんかあったのかえ?」

「それより竜弥は?」

「仕置き部屋だよ。おまえがミサゴを見張ってろって言ったんじゃないか」

 勇次は返事もせずに仕置き部屋へ急いだ。勢いよく板戸を開ける。と、りんがミサゴに粥を食べさせている光景が真っ先に飛び込んできた。

「あーーーーっ! おま、何してんだっ!」

 柳眉を逆立て駆け寄り、りんから(さじ)を奪い取る。

「俺以外の男にあーんとかしてんじゃねぇっ!」

 勇次の突然の所業にりんとミサゴは呆気に取られたままだ。竜弥はにやにやしている。

「勇次、どした? 見境のねぇヤキモチはみっともねぇぞ」

 はっ……と我に返り、けらけら笑う竜弥を睨んだ。

「って笑ってる場合じゃねぇ。竜弥、来いっ!」

 と言いつつ勇次はりんの腕を取り、立ち上がった。りんはわけがわからずおろおろするばかりだ。だが、今はそれどころではない。食事の介助は富蔵に、見張りは権八に命じ、いや逆か、ってそんなこたぁどうでもいい、と竜弥とりんを連れて仕置き部屋を出た。りんをふたたび揚羽のいる行燈部屋に隔離する。

「りん、待ってろよ。近いうちに必ず迎えに来る」

 りんの華奢な両肩を掴み、目を合わせて言い聞かせる。戸惑い気味の瞳は納得こそしていないものの、状況を受け入れてくれたようだ。りんはこくりと頷き、揚羽を振り返った。彼女に向かってにこりと微笑む。勇次も揚羽を向いた。

「揚羽、すまねぇがもうしばらくりんのこと頼む」

「わっちは大歓迎だよ。いつまででも居てほしいくらいだ」

 それも可哀想だけどね、と揚羽もまた微笑んだ。行燈部屋の戸を閉めながら、竜弥が顔だけ残す。

「揚羽、顔色良くなったな」

 竜弥は励ますように微笑んだ。りんのお陰かな、などと笑い合い、行燈部屋を後にした。




「どした勇次、近いうちにりんを迎えに来るって言ってたけど、下手人の目星でもついたのか?」

「いや、そうじゃねぇ。けど、おめぇ次第で謎が解けるかもしんねぇ」

「俺次第で?」

 四郎兵衛番所へ向かう途中、勇次は喬史郎の名を伏せておいた。竜弥は怪訝な表情を見せつつも、黙って勇次の後をついてゆく。それだけ友のことを信頼しているのだ。

「くぐり戸、開けてくれ」

 勇次は四郎兵衛番所の番人に大門横の脇戸を開けるよう伝えた。竜弥には呼ぶまで隠れているよう指示し、まずひとりで静かに脇戸を出る。竜弥は脇戸の隙間から見守った。


「喬史郎さん、久しぶり。川越までよく来てくれたね」

 さきほどの男に勇次が声をかける。ゆっくりと振り返った男は眉間に畝を作り、警戒心をあらわにした。

「誰か?」

「やだなぁ、忘れちまったのかい? 竜弥だよ。邑咲屋のた・つ・や。芸州で襲われてたあんたをサンカのとこまで運んでやっただろ?」

 喬史郎を名乗る男はぴくりと眉を動かすも、目を細めて勇次を怪しんだ。

「あんたぁ竜弥さんじゃぁない。あんたも男前じゃが、竜弥さんはもうちぃと目がぱちっとした色男じゃった。顔も丸っこくて、左の目の下に泣きボクロがあって……」

 左の泣きボクロは竜弥の特徴でもあるが、そんな男は世の中にいくらでもいる。あともうひとつ決め手となる何かが欲しい。

「声は?」

「声は……かすれとった」

 それを聞いた瞬間、竜弥が脇戸から飛び出した。

「喬史郎さん!」

 男がはっとした顔で竜弥を見る。

「その声は……竜弥さん!」

 男は片足を引きずり竜弥に駆け寄った。再会に咽び泣き、ふたりがっちりと抱き合う姿は本物だ。

「勇次、間違いねぇ。この人が本物の喬史郎さんだ」

 竜弥の言葉に続き、喬史郎は衿をはだけて肩に残る銃痕を見せた。

「竜弥さんのお陰でわしゃぁ命拾いしたんじゃけぇ、感謝してもしきれん」

 勇次は何度も頷き、番人に喬史郎を通すよう頼んだ。ともあれ、喬史郎を朱座遊郭の中に入れ、邑咲屋へ急ぐ。

「喬史郎さん、あんたに会わせたい人がいるんだ」

 途中、勇次は喬史郎に告げた。首を傾げる喬史郎に、竜弥がポンと背中を叩いてにかっと白い歯を見せる。

「心配すんなって。勇次を信じろ。なんたってこいつぁ俺の心の友だからな」

 けっ……と竜弥を一瞥した勇次はすぐに前を向き、くすりと笑った。羨まし気にふたりを見つめる喬史郎の眼差しには、このときまだ気づいていなかった。




 妓楼街に戻ると、邑咲屋の前でお亮が心配そうに弟ふたりを待っていた。

「どうしたんだい、ふたりとも。いきなり飛び出して」

 お亮がこちらに向かってくる。すると、彼女は弟たちのそばにいる片足を引きずった男に気づいた。

「また怪我人かい?」

「いや、喬史郎さんだ」

「は?」

 お亮はあんぐりと口を開けた。が、すぐにミサゴの話を思い出し、竜弥を向く。

「竜弥、今度こそ間違いないんだね?」

「ああ、間違いねぇ。この人は正真正銘、俺が芸州で知り合った喬史郎さんだ」

 竜弥を子供のころから見ているお亮にとって、彼が嘘を言っているのかそうでないかは一目瞭然だ。彼女は納得したように頷きながら、「お入り」と3人を妓楼の中に導いた。


 4人が仕置き部屋の前にたどり着くと、まず勇次が先頭に立ち、戸口に手をかけた。権八が不思議そうに皆の顔を見上げている。

「パチ、ちょいと外しといてくれ」

 勇次に命じられ、権八はそそくさとその場を離れた。勇次は次にそっと戸を開け、富蔵にも(ひぐらし)を連れて部屋から離れるよう告げた。富蔵が出ていったのを見届け、4人で中に入る。その瞬間、ミサゴが声を上げた。

「あっ、あんたは……!」

「ミサゴさん!」

 驚きに満ちた顔で喬史郎もミサゴのもとに膝をつく。

「喬史郎、生きていたのだな……」

 ミサゴは安堵と喜びの入り混じった笑顔を見せた。彼が笑ったのは朱座に来てから初めてのことだ。

「へぇ、ほんとにこっちが本物だったんだね」

 お亮が勇次に耳打ちする。勇次はこくりと頷き、喬史郎とミサゴの様子を見守った。

「ミサゴさん、なんでこがぁな格好に……?」

 喬史郎はすぐに鎖を外すよう勇次を振り返った。勇次は即答する。

「悪りぃがそれはできねぇ」

「なんでか?」

「そいつぁ石黄を取り返すためなら人を殺めることなんざなんとも思っちゃいねぇ。そんな物騒な野郎を野放しにするわけにゃいかねぇんだよ」

 鋭い目つきで答える勇次に喬史郎は何も言い返せず、ぐっと言葉を呑み込んだ。




「さてと、役者が揃ったところで本題といくか」

 勇次が腰を下ろした。続いてお亮と竜弥もその場に腰を下ろす。勇次は喬史郎ではなく先にミサゴを見据え、切り出した。

「まずはじめに訊いときてぇ。喬史郎さんの名を(かた)ったあの男、本当の名はなんてぇのか知ってるか?」

 ミサゴが一呼吸おいて、その名を明かす。

「あの男の名は耕作だ。仲間にそう呼ばれていたのを聞いたことがある。わしらの石黄を盗んだ一味のひとりということ以外わしは知らん」

 「耕作」という名を聞いた途端、喬史郎は床板に視線を落としぶるぶると震え出した。

「やっぱり耕作は川越におったんじゃのぉ……」

 喬史郎の瞳がみるみる怒りの色に染まってゆく。全身からは激しい憤りが発せられていた。

「喬史郎さん、あんた、その耕作ってやつ知ってんのかい?」

「知っとるも何も、耕作はうちの遊女屋の若い衆じゃ」

「……!」

 一同は驚愕するとともに、彼のただならぬ様子からふたりの間に人知れぬ確執があったであろうことをすぐに察した。皆の動揺がやや治まったところで勇次が口を開く。

「あんたたちとその耕作とやらの間にいってぇ何があったんだ? 聞かせちゃくれねぇか」

 震えがおさまった頃、ややあってから喬史郎は重い口を開いた。

「耕作は、元は百姓の小倅じゃったが親が年貢を納めきれのぉて、借金こさえて一家はバラバラになってしもぉたけぇ、ひとりでかくし閭に逃げてきたんじゃ」

 勇次は片方の眉をわずかに動かした。やはりあのとき感じた土の匂いは気のせいなどではなかったのだ。

 竜弥は横目で勇次とお亮をちらりと見た。勇次は努めて表情を変えず、全神経を喬史郎に傾けている。一方お亮は目を閉じ、悲痛な表情を浮かべていた。あまりに似ている自分たち姉弟の境遇と重ね合わせているのだろう。


 姉の心情はさておき、勇次は冷静に続きを促した。喬史郎が話を進める。

「わしと耕作は年が近かったけぇ、すぐに仲良うなったんじゃ。あんたらぁまるで、あの頃のわしらを見てるみたいじゃ」

 力なく笑い、勇次と竜弥に目を遣る。その瞳が突として影を落とした。

「ほぃじゃが、それも(なご)ぉは続かんかった。わしにゃぁ許嫁がおったんじゃが、その娘、実は耕作と恋仲じゃったんじゃ」

 揺れる身体は笑いとも怒りともつかない。喬史郎は声を震わせた。

「あがぁなぁら、よりによって祝言の日に駆け落ちしてしもぉた。じゃけぇ若い衆総出でとっ捕まえて、なんとか祝言を挙げたんじゃ」

「そんとき耕作はどうなった? 駆け落ちは重罪だろ」

「いや、お咎めなしじゃぁ。遊女屋の息子が女を横取りされたとあっちゃぁ恥じゃけぇねぇ。穏便に済ませたゆぅことじゃ」

 あの日のことを思い出せば怒りは再燃するが、それを押えて話を進める。

「耕作はお咎めなしじゃったのを恩義に感じたんじゃろぉ。わしとのわだかまりも消えて、前みたいに仲良うできるようになったんじゃ。それから1年はなにごとものう過ぎて、翌年嫁は可愛い赤子を産んでくれた。じゃが……」

 喬史郎は目を閉じ、告げた。

「嫁は産後の肥立ちが悪うてな、ひと月後に()うなってしもぉた」

 勇次はうつむき、竜弥は額に手を当てた。お亮は袖口で口を押え、涙を堪えているようだ。

「わしゃぁ嫁の残してくれた忘れ形見を懸命に育とったんじゃ。名をお七ゆぅてな、そりゃぁもう可愛い娘じゃった」

「お七?」

 勇次は眉間をわずかに上げた。では耕作が言っていた「お七」とは喬史郎の娘のことだったのか、と歯ぎしりする。ここでもまんまと騙されたのだ。

「ちなみに耕作はそのあと嫁を取ったのか?」

「いや、戦で別れるまでずっと独り者じゃった。その後のこたぁ知らんが」

 喬史郎の嫁に操を立てていたのか、耕作は独身を貫き、以前と変わらぬ態度で喬史郎と接していたという。

「耕作の野郎、女房と娘を亡くしたなんて嘘っぱちじゃねぇか。俺の純な涙を返せ」

 竜弥が憤る。泣いてなんかいねぇだろと勇次は竜弥の頬を軽くつねった。

「それくれぇの作り話はするだろ。(はな)っから俺たちを騙すつもりだったんだからな」

 いずれにせよお涙頂戴で耕作は勇次たちを信じ込ませることに成功したのだ。

「騙された俺らがマヌケだった。それだけだ」

 だが、虚仮(こけ)にされたまま引き下がるつもりはない。勇次は煮えくり返るはらわたを秘め、きっ…と前を見据えた。

次回は第37話「石が呼んでいる」です。

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