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第32話 サンカとの死闘

今回から第8章「駆け引き」に入ります。

※注:暴力描写があります。ご了承の上ご覧ください。

 甚吾郎と話し終えた半十郎は、(あか)()遊郭内の女衒(ぜげん)長屋にある自宅へと帰っていった。同時にお亮も金舟楼を出る。それより少し前に雪之丞も蓮馨寺境内にある芝居小屋へと帰っていった。


 雪之丞を大門まで見送ってきた勇次は、暖簾を仕舞い忘れたことに気づいた。暖簾を外しているところへちょうどお亮が帰ってくる。

「ああ、勇次、さっきの話ってなんだい?」

 勇次は暖簾を片付けると姉の袖を引き、(ひと)()のない張見世の前へと連れていった。声を潜め、告げる。

「七星の故郷(くに)、わかったぜ」

「えっ、どこだい?」

「芸州」

「芸州だって?」

 お亮は目を丸くして弟の顔を見た。とても冗談を言っているようには思えない。

「あっちも芸州、こっちも芸州。こんな偶然ってあるんだね」

「偶然……な」

 深刻な顔つきで懐手する弟に、お亮も一抹の不安を覚えた。

「まさか偶然じゃないってのかい?」

「まだわからねぇ。俺の見込み違いならいいけどな」

 勇次の勘は悪いほどよく当たる。お亮は弟の顔を見上げた。

「おまえのその見込みとやら、聞かせとくれ」

 不意に勇次が姉の明眸をじっと見つめ返した。

「どした、姉ちゃん、目ぇ(あけ)ぇな。甚さんになんか言われたんか?」

 弟の鋭い指摘にお亮はさっと目を伏せた。

「……芸州のかくし閭、火が出る前にほとんどの住人が井戸の毒でやられてたんじゃないかって……」

「……!」

 言われてみれば……と勇次は目を閉じた。遊神が完全に結界を閉じなかったにもかかわらず脱出できた住人は皆無だったのだから、たしかにそうなのかもしれない。あらためて昨日の中毒騒動を思い出し、ぞっとする。

「詳しいことは竜弥が帰ってきたら話すよ。その前におまえの考えを聞いておきたいんだ」


 ふたたび姉を見つめ、勇次は下唇を軽く噛んでから切り出した。

「緑山さん……喬史郎さんな、」

 いつのことだったかは忘れたが、と続ける。

「喬史郎さんの言葉に引っ掛かるもんがあってさ。ほら、あの人いつも丁寧な言葉遣いだろ? だからわかんなかったんだよな。けどよ、〝ありがとう〟の言い方だけなんか引っ掛かってさ。聞いたことねぇ調子っつうか」

「調子?」

「うん。で、いつだか七星も同じ調子で〝ありがとう〟って言ってることに気づいてな、さっき雪之丞にそれとなく確かめてみたんだ」

「そしたら同じお国言葉だったってわけかい」

 お亮の答えに勇次は大きく頷いた。

「喬史郎さん、初めて登楼したときから七星をやたらかまっててさ。最初はただの子供好きにしか思ってなかったんだけど、七星もやたら懐いてて。まるで昔から知ってる風な……」

 なにか繋がりがあるのではないかと勘繰る。

「だって死んだ娘に生き写しなんだろ? 同じお国言葉を聞いて余計に懐かしくなっちまっただけじゃないのかえ?」

「……かもな。けど、なんで喬史郎さんはお国言葉を使わねぇんだ?」

 あえて姉に疑問を投げてみた。吉原の遊女は地方出身者が多いため、遊女に夢を求める客の幻想を壊さぬようにと独自の廓詞(くるわことば)が生み出された。だが(あか)()理由(わけ)有り者の集団だ。遊女・男衆にかかわらず使う言葉は本人の自由に任せている。ただ、自然と廓詞や川越発祥のべらんめぇ口調にはなっているようだが。

 案の定、彼女も勇次と同じ答えに行き着いたようだ。

「故郷を隠したかった……?」

「だよな。じゃあ、なんでバラす気になったんだ?」

 頷きながらも勇次は訊き返した。そこでふたりの議論が止まる。喬史郎が故郷を隠さなければならない理由は知る由もないが、隠す必要があるのなら最後まで隠し通すはずだ。朱座は制外者(にんがいもの)の吹き溜まり。故郷を隠す者など珍しくはない。ましてや誰もそれを詮索しはしない。なのに彼は素性を自ら明かしに来た。いったい何故。

「隠す必要がなくなったってことかい?」

「それか、もしくは明かす必要に迫られた……」

 隠す理由と明かす理由。勇次は悩まし気に(まがき)にもたれ、広小路を見た。と、折しもその目線の先で竜弥がひょいと姿を現した。はっと身を立て直し、袖から腕を出す。

「そうか、竜弥か。竜弥は喬史郎さんのことを知ってたから、バラされる前に自分から素性を明かしに来たんだ。喬史郎さんも竜弥のことを見知ってて知らんふりするのはどう考えても不自然だもんな」

「でも、竜弥は喬史郎さんを見たとき、はじめ誰だかわかってなかったみたいじゃないか」

「うーん、まぁ、喬史郎さんは竜弥がそこまで寝ぼけた野郎だと思ってなかったのかもな」

 ああ、そうか、とお亮も妙に納得した。姉弟そろって苦笑い。だが、まだ隠していた理由はわからないままだ。


 ふたたび頭を捻りながら竜弥に視線を戻す。と、どうも竜弥の様子がおかしい。

「あれ、喬史郎さんか?」

 勇次の呟きにお亮も訝る。たしか竜弥はミサゴと出掛けたはず。途中で別れたのだろうか。しかし竜弥の隣にいるのは喬史郎だ。竜弥は喬史郎を抱きかかえ、ふらふらとこちらへ向かってくる。まさかこの騒動の最中、真っ昼間から酒を飲んでいたのではあるまいな。あるいは、また騒動でも起きたか。

 だが、次第に近づくふたりの姿を凝視した直後、勇次とお亮の眼は驚きに震えた。姉弟の眼に飛び込んできたのは、肩から真っ赤な血を流して竜弥に支えられる喬史郎の姿だったのだ。

「喬史郎さん!」

 勇次とお亮は慌てて駆け寄った。

「竜弥、どうした? なにがあった?」

「話はあとだ。とにかく喬史郎さんの手当てが先だ」

「ああ、そうだな。早く邑咲屋(うち)ん中に入ってもらおう」

 とるものもとりあえず、怪我を負った喬史郎を邑咲屋で手当てするべく玄関をくぐろうとした、そのときだ。

 どすっ……。1本の矢が張見世の籬に突き刺さった。はっとした一同が矢の飛んできた方向を振り返る。見ると、広小路で弓を構えたミサゴが鋭い目つきでこちらを睨み立っていた。勇次は姉を庇うようにして後ずさりした。

「まさかミサゴさんにやられたのか?」

「そのまさかだよ。あいつ、いきなり喬史郎さんを襲いやがった」

 ミサゴから目を離さず竜弥が早口で答える。喬史郎の傷は矢で射られたものではなく刃物で斬られたものらしい。

「ちょっとちょっと、どうなってんだい?」

 突然のことにお亮は気が動転している。勇次は急いで姉を玄関の中に押し込んだ。続けて3人も三和土(たたき)に転がり込む。

「気をつけてください。あの者の(やじり)には毒が塗ってあります」

 息も絶え絶えに喬史郎が告げる。

「毒?」

 勇次と竜弥は籬に刺さった矢を見てぞっとした。これに当たればひとたまりもないということか。

「サンカの毒は危険です。熊ですら一撃で倒すこともできるのです」

 それを聞いてさらに戦慄する。次の矢を構えたままミサゴはこちらへ歩いてきた。お亮は若い衆らに皆を外へ出すなと伝えに走った。


「どうする、勇次? やべぇぞ。あいつガチだぜ」

 どうすると聞かれて考えている暇はない。勇次は竜弥の瞳をじっと見つめながら、胴に巻いた(さらし)の中から匕首(あいくち)を引き抜いた。

「喬史郎さん、ごめん」

 言うやいなや、喬史郎の鮮血の付いた袖をザクっと切り取り、玄関の外へ向かって放り投げる。真っ赤に染まった袖が宙に舞った次の瞬間、どすっ……とミサゴの矢がその袖を貫いた。

 ミサゴが次の矢を構えるわずかな隙を狙い、すかさず勇次が飛び出す。だが、ミサゴがそれを見逃すはずがない。ミサゴは迷うことなく勇次に向かって矢を放った。

「勇次っ!」

 張見世の中から垣間見ていたお亮が金切り声を上げる。だが、地面に落ちたのは矢が刺さった法被だけだった。当の勇次は早業で法被を脱ぎ捨て、ミサゴの眼前に立ちはだかっていたのだ。

「おまえ……、いつの間に……」

 勇次の俊敏な動きにはさすがのサンカも驚きを隠せなかった。勇次が問う。

「あんた、なんでこんなことすんだ? 喬史郎さんはあんたが助けた人だろ? 喬史郎さんが何したって言うんだよ」

 顔の前で匕首を構える。ミサゴは矢に手をかけたまま、わずかに聞き取れる小さな声で答えた。

「……」

「あ? なんだって?」

 今一度確かめようと訊き返したときだ。ミサゴが素早く矢を(つが)え、勇次に向けた。

「邪魔者は消す。それがわしらの掟だ。覚悟するがいい」

「ばーか、覚悟すんのはおめぇだよ」

 その言葉にミサゴがはっとする。彼が気づいたときには、すでに竜弥の手が矢を掴み、へし折っていたのだ。と同時に竜弥はミサゴの首を後ろからぐっと締め上げていた。

「ぐ……、おまえ、いつの間に……」

「俺たちをナメんなよ。自慢だが、俺と勇次が組んで負けたこたぁ一度もねぇんだぜ」

 竜弥がにやにやとミサゴの首を締め上げる。

「……ひ…卑怯者……」

「だーって俺ら忘八だも~ん」

 くくくという竜弥の笑い声を聞きながら勇次はミサゴに近づき、匕首の切っ先を目の前に突きつけた。

「ミサゴ、もう一度訊く。なんで喬史郎さんを襲った?」

 ふたたび問いかける。するとミサゴは問いに答えず、なにやら袖をもぞもぞと動かした。刹那、勇次の直感が危険を察知する。

「竜弥、離れろ!」

 勇次が叫ぶが早いかミサゴは袖から隠し武器を取り出し、後ろに向かって振り下ろした。

「うおっっっっっっとぉ!」

 間一髪、竜弥は腕を離し、ミサゴの横っ腹を蹴って斜め後ろへ飛んだ。

「竜弥っ!」

 ごろごろと転がる竜弥を案じる間もなく、今度は勇次が矢を突きつけられた。勇次が竜弥に気を取られている隙にミサゴは矢を番え、弓を構えていたのだ。


 ——さすがサンカ、速ぇな。

 ぎりぎりとミサゴが弓を引く。この至近距離ではかわすことはできない。竜弥が飛びつこうにも間に合わないだろう。万事休すかと思われた。しかし——。

「このトンチキ野郎っ‼」

 聞き覚えのある罵声に身体が勝手に反応し、勇次と竜弥は咄嗟に頭を両手で覆って突っ伏した。ミサゴが何事かとわずかに怯んだ、その瞬間だ。

 パンッ! 乾いた銃声が朱座遊郭に鳴り響いた。と同時にミサゴの弓が(はじ)け飛ぶ。勇次と竜弥が銃声の方角へ目を遣ると、お亮がへなへなと腰を抜かして地面にへたり込んでいるのが見えた。

「あ……当たった……」

 彼女の手には甚吾郎から渡されたというリボルバーが握られている。

「姉ちゃん……」

「お義姉(ねぇ)さん……」

 弟ふたりが同時に吐息を漏らす。だがそれも束の間。

「女ぁ! 邪魔立てするな!」

 ミサゴはすぐさま弓を投げ捨て、隠し武器に手をかけながらお亮に向かって駆け出した。

「姉ちゃん!」

「お義姉さん!」

 またもやふたり同時に立ち上がるも、サンカの足の速さには追いつけない。ミサゴは今にも姉に襲いかかろうと腕を振り上げている。

 しかし2発目の弾丸がそれを許さなかった。弾丸がその腕を撃ち抜いていたからだ。

 血飛沫が飛び散った腕を押え、ミサゴがよろける。勇次はこの機を逃さなかった。得意の後ろ回し蹴りでミサゴの横っ面を思い切り蹴り飛ばし、続けざまに前蹴りをお見舞いしたのだ。

 これにはさすがにミサゴも()けきれず、もんどりうって全身を思い切り地面に叩きつけられた。間髪入れず竜弥がミサゴの腕を取り、後ろ手に回して伏せ倒す。最後の仕上げで、3発目の弾丸がミサゴの足裏に撃ち込まれた。ここでようやくミサゴは大人しくなった。

「甚さん、さすがにやりすぎ」

 近づいてきた影を見て竜弥が苦笑する。その影・甚吾郎はリボルバー片手に太い眉を逆立てた。

「るせっ。減らず口叩いてねぇでとっとと縛り上げろ」

 命じながらミサゴのこめかみに銃口を突きつける。勇次は髪の結紐を解いてミサゴの両手首を後ろ手できつく縛った。両足も同様に竜弥が自分の結紐を解き、縛り上げる。最後に勇次が自分の手拭いを()じり上げ、舌を噛み切らないよう猿轡を噛ませた。

 こうして死闘は幕を閉じ、勇次と竜弥は緊迫感から解き放たれたようにふーっと大きく息を吐き出したのである。

次回は第33話「傀儡」です。


【用語解説】

◎ガチ:相撲界の隠語で「ガチンコ」の略。「ガチンコ」は江戸時代にはすでに本気・真剣の意で使われていた。同様に「マジ」「ヤバい」「ムカつく」なども江戸時代から普通に使用されていた。

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