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非公許遊郭かくし閭(ざと) 巻の弐《黒い遊神》  作者: 阿羅田しい
第7章 朱座にやってくる者たち
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第31話 何故、結界は閉じられなかったのか

 雪之丞を連れて客間に向かった勇次はその途中、足止めをされた。禿(かむろ)(はる)()が追いかけてきたからだ。七星が雪之丞の(かんざし)をもらったことが気に入らないらしい。だよな、と勇次は苦笑いし、今度は雪之丞の頭から櫛を抜き取った。

「勇さん、いい加減にしとくれ」

 雪之丞は不機嫌そうに勇次を睨みつけたが、櫛は気前よく春蚕にくれてやった。

「代わりの櫛は近江屋さんで買ってもらうからね」

「わかったわかった」

 勇次の笑顔に雪之丞は弱い。それ以上は何も言わず、ふたりでふたたび廊下を歩き出す。すると、客間から竜弥とサンカの男が出てきた。

「出掛けるのか?」

 勇次の声かけに竜弥が答える。

「ちょっと喬史郎さんとこ行ってくる。この人……ミサゴさんは喬史郎さんにとっても命の恩人だからな。あの人も会いてぇと思ってよ」

 サンカの名はミサゴと言うらしい。そうか、と勇次はふたりを送り出した。続いてお亮と半十郎が出てくる。

「ああ、勇次。わっちらちょいと甚さんのとこに行ってくるから、留守を頼んだよ」

「あいよ。俺も話があるから覚えといてくれ」

 わかった、と姉は半十郎とともに出掛けていった。

「やぁだ、お亮さんたら。気ぃ利かせてふたりきりにしてくれたのかね?」

 雪之丞が勇次の肩に手を置きしなだれかかる。勇次は苦笑交じりの溜め息を漏らし、雪之丞をある部屋へと連れていった。行燈部屋である。


「揚羽、入ぇるぜ」

 あい、という返事を聞いてから心張り棒を外し、戸板を引く。行燈部屋では梅毒患者の揚羽が布団に横たわり、りんに髪を梳いてもらっている最中だった。

「りんが世話してくれてありがたいよ。本当にいい子だね」

 揚羽は嬉しそうにりんに微笑みかけた。りんも林檎のほっぺを赤くしてはにかむ。勇次はその光景を目を細めて見つめた。

「ちょいと、勇さん。その子、もしかして昨日連れてくるはずだった妹かい?」

 雪之丞が勇次の袖をちょいちょいと引く。勇次はでれっと頬を緩めた。

「ん? まぁな」

「やぁだぁ、ちょいと可愛いじゃないかえ。こんな可愛い妹がいたなんて聞いてないよ」

 そりゃそうだ、妹ではなく想い人なのだから。とは言えず、勇次は相好を崩したまま雪之丞に告げた。

「いい簪と櫛買ってやるからよ、ちょいとひとつ踊りを見せてやってくんねぇか。ほら、揚羽もずっとここに閉じ込められっぱなしだろ? だからたまにゃ気を紛らわせてやりてぇんだ」

 昨日の盆休みも出掛けられず、情夫(いろ)の番頭松吉と行燈部屋で過ごしただけだった。それだけでも十分癒しになるのだが、外界の雰囲気をたまには味わわせてやりたい。

「もう、勇さんったらやさしいんだから。そんなあんたが、好・き・さ」

 口元に唇を寄せてくる雪之丞を寸でのところでかわし、勇次は三味線を取ってくると言って一旦行燈部屋を出た。危うくりんにとんでもない場面を見せるところであった。急いで三味線を取り、戻ってくる。


 奥井戸の毒がまだ抜けきらず苦しんでいる者がいることもあり、遊びとも紛う三味線の音を遊郭内に響かせるわけにはいかない。勇次は撥を使わず、指で弦を軽く爪弾いた。

 雪之丞が扇を広げ、優雅に踊り出す。三味線の音は聴こえずとも、りんは瞳をキラキラ輝かせながら、うっとりと雪之丞に心を奪われた。

 勇次が奏でる三味線の音色は微かに妓楼に漂っている。そのやさしい音色に惹き寄せられるように、2階から遊女たちが降りてきた。若い衆も使用人たちも、一旦仕事の手を休め、いつしか廊下に集まっている。我慢しきれなくなった者たちなどは、行燈部屋を覗き見る有り様だ。そこでまた驚き、歓びの眼で感嘆の吐息を漏らす。皆一様に、雪之丞の艶やかで流れるような極上の舞に胸躍らせていた。

 すると、りんが突如立ち上がり、雪之丞とともに踊り出した。雪之丞の所作を見様見真似で愛嬌たっぷりに小首を傾げる様がなんともいえず愛くるしい。

 ——かっかっ可愛いっ!

 勇次はりんが愛しくて愛しくてたまらない。周りのことも忘れて恋情溢れる眼差しで見つめている。

 やがて2階の座敷から、勇次の三味線に合わせるように倶尸(くし)()の歌声が流れてきた。邑咲屋の者だけが堪能できる特権に、妓楼の誰もが感謝したことは間違いない。




「こんなときになに遊んでんだい、あの馬鹿は」

 隣から微かに漏れてくる三味線の音色を耳にし、お亮が眉間に皺を寄せる。

「いいじゃねぇか。こんなときだからこそ心の癒しが必要なんだよ」

 甚吾郎はお亮に微笑んでから半十郎を向いた。

「にしてもえれぇ目に遭ったな、半十郎さん。あんただけでも生きて帰ってくれて良かったぜ」

 九死に一生を得た半十郎は、しかしどこか浮かない顔だ。それもそのはず、女衒仲間の平助を見殺しにしてしまったのだから。

 半十郎は懐から懐紙を取り出し、甚吾郎の前に置いた。甚吾郎が懐紙を開くと、そこには平助の(もとどり)が収められていた。突如、お亮が嗚咽を漏らす。甚吾郎は彼女の背中をそっと撫で、懐紙をふたたび閉じた。

「面目ねぇ。平助は金舟楼御用達の女衒だったのにこんなことになっちまって……」

 半十郎も声を詰まらせる。だが、甚吾郎は気丈にも顔を上げた。

「実はな、芸州にかくし閭があったって話を教えてくれたのは平助さんなんだ」

 その末路に至る顛末も、平助から聞かされたという。

「ひょっとしたら平助さん、そのことを知っちまったせいで消されたのかもしれねぇな」

 甚吾郎は半十郎に、三方山で平助と話した内容を訊いた。半十郎も包み隠さず、打ち明ける。鼻をすすらせ黙ったままのお亮の横で、甚吾郎はじっと彼の話に耳を傾けていた。


「なるほど、平助さんの話をまとめるとこうかい? 白い遊神さまを作ることができる元締めは三峰山でひと仕事終えたあと青梅(おうめ)()(たけ)(さん)に移った。だが何者かに襲われて、()(つき)も経たねぇうちに三方山に移ったと。で、その何者かってぇのは黒い遊神を造ったやつかもしれねぇ、ってことだな」

「ああ。けど元締めは、実は青梅の御嶽山にいたときにはすでに()られてたってミサゴさんが言ってた。つまり三方山にいたのは……」

「黒い遊神を造った何者か、つまり芸州のかくし閭を滅ぼした黒幕ってことか」

 重い沈黙が流れる。まず口を開いたのはお亮だ。

「そういや、甚さん。昨日、(しゅう)に確かめたいことがあるって言ってたね。あれ、なんだったんだい?」

 ああ、そうだった、と思い出したように甚吾郎は姿勢を直した。

「遊神様は元居たかくし閭の場所の記憶がねぇから、もちろん芸州のかくし閭のことも知らねぇ。だから試しに、芸州のかくし閭を滅ぼした黒い遊神はそのあとどうなったと思うか?って訊いてみたんだ」

「そしたら?」

「おそらくかくし閭とともに滅んだだろうって。白い遊神が黒い遊神もろとも道連れにしてくれたんじゃねぇかと。それが白い遊神の使命でもあるんだそうだ」

 芸州の白い遊神は己の身を犠牲にしてまでも他所のかくし閭を守ったのだ。言葉に詰まったお亮は袖口を口に当て、甚吾郎を見つめたまま頷いた。


「けどよ、どうにも解せねぇことがひとつあってな」

 甚吾郎が顎に手を置く。お亮は口元から袖口を外した。

「解せないこと?」

「隣の革田村に飛び火した件だ。完全に結界を閉じてれば隣の革田村は燃えずに済んだんだ。けど俺ぁ、どうしてもわざと閉じなかったとしか思えねぇんだよ」

「住人を逃がすためじゃないのかい?」

 お亮の問いに甚吾郎は首を横に振った。結局のところ住人は逃げることなく、ひとり残らずかくし閭とともに消滅してしまったのだ。

「いや、俺が思うに、ほとんどの住人は動けなくて逃げらんなかった、もしくはそのときすでにお陀仏になってたんじゃねぇかと」

「……っ?」

 お亮と半十郎は息を呑んだ。

「まさか……井戸の毒で……?」

 その場に戦慄が走る。芸州のかくし閭の住人が全滅した原因は火事ではなく毒殺ではないかと甚吾郎は睨んでいたようだ。それは即ち、今回の奥井戸騒動の真相にもつながってくるということである。

「なら、結界の一部が閉じてなかったのは黒い遊神が逃げるため……?」

 甚吾郎はまたも首を横に振った。宗宮城によれば、白い遊神は黒い遊神を絶対に逃しはしないという。住人亡きあと、白い遊神は黒い遊神を滅するためにかくし閭もろとも消し去ったのだ。


 ならばいったい何故、結界は完全に閉じられなかったのか——。

「これは宗の見立てなんだが」

 甚吾郎の(ひとみ)の奥がわずかに光った。

「意地もあっただろうって」

「意地?」

「ああ、遊神の意地だ。かくし閭が存在してたってことと、何処にあったのかってことを誰かに知ってほしかったんだろうって」


 名もなき男と女が交わり合う遊郭。たとえそれが「悪所」であったとしても、そこを居場所にせざるを得ない人間がこの世に存在していたという事実を知ってほしい。歴史の記憶の片隅にでも刻まれてほしい——。そう願い、芸州の白い遊神は革田の村をひとつ犠牲にした。

 そのやり方が正しいとは言えない。されどほかに方法がなかったとしたならば、彼女らをそこまで追い込んだ(まつりごと)こそが非難されるべきではないのか。


「サンカとは真逆の考えだな」

 半十郎がふっ…と苦笑する。サンカは己を守るために己の存在をひた隠しにしている。結界を張れない代わりに定住せず、足跡を残さぬよう山という山を移動し続けているのだ。

 甚吾郎はゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと開いた。

「サンカがどう思ってるかは俺にゃわからねぇ。けど俺たち制外者は世間から蔑まれ、虐げられ、存在すら否定されてきた。遊神様は記憶こそ失くしちゃいるが、人間だった頃は人間扱いされずに生きてたんだろうよ。だから、世の中にゃそんな人間もいたってことを忘れんなよって知らしめたかったんじゃねぇのか?」

 世間の目から隠れるようにして制外者となり、かくし閭の住人となった者たち。その者たちの、自らの存在を認めてほしいという願望は矛盾しているようでいて、実は真を突いているのかもしれない。どれほど他者とのかかわりを拒絶しようとも、心のどこかで人とのつながりを求めてしまうのが人間という生き物なのだとしたら、芸州の白い遊神の行動は理解できないでもない。彼女らもまた、元人間であったのだから。



「ああ、話が逸れちまったな」

 甚吾郎は一息つき、話を元に戻した。

「とにかく、芸州のかくし閭が滅んだのは3年前だ。だが、この朱座に潜んでいる黒い遊神はまだ生まれ変わって1年足らず。同じ遊神とは考えられねぇ。やっぱり3年前の黒い遊神は、かくし閭が滅んだときに白い遊神が道連れにしてくれたんだと思うんだ」

「いやいや、わかんねぇぞ。3年前の黒い遊神はまだどこかに身を潜めてるってこたぁねぇだろな?」

 半十郎は半信半疑だ。だが甚吾郎は首を横に振った。

「この世に黒い遊神が存在できるのは一柱のみだそうだ。そう、宗が教えてくれた」

「そうか。どのみち生かしちゃおけねぇな」

 半十郎も悔しさを滲ませる。甚吾郎も頷きながら言った。

「ああ。だが、一柱滅んでもまた次の一柱が現れた。てこたぁ、黒い遊神の造り手を()るしか根本的な解決にゃならねぇってことだ」

「わっちら制外者は白い遊神様のお陰で生きていける場所があるんだ。そのご恩に報いるためにも、遊神様はなんとしてでもお守りしなくちゃいけないよね」

 竜弥のためにも、孔雀のためにも、いつか孔雀が人間に戻る日まで彼女を守り通さなければならない。

 お亮は赤くなった鼻を袖で隠し、甚吾郎を見た。彼はお亮の思いを汲んだのか、ふっと照れたように笑った。

次回から第8章「駆け引き」に入ります。

次回は第32話「サンカとの死闘」です。

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