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非公許遊郭かくし閭(ざと) 巻の弐《黒い遊神》  作者: 阿羅田しい
第7章 朱座にやってくる者たち
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第30話 お国言葉判明

 その頃、東照宮中院通りではひと騒動が持ち上がっていた。仙波東照宮と中院の間を通る道は朱座遊郭の大門へとつながっている。杉林に囲まれたこの道を歩いている間に結界を通り抜けられる仕組みになっているのであるが、今日はどうしたことか行けども行けども芋畑にぶつかってしまうのだ。

 東照宮中院通りに溢れかえる登楼客は、奥井戸騒動で結界が閉じられているとは露ほども知らない。盆休みの翌日とあって遊郭再開を待ち望み、大門の前に押し寄せている状態だ。

「こりゃあ、いってぇ、どうなってんだ……」

 女衒(ぜげん)の半十郎は目を白黒させた。自分が留守の間に一体何が起きていたというのか。

「今日は臨時休業だってよ」

 かろうじて四郎兵衛番所まで辿り着いた登楼客がぶつぶつ文句を垂れながら引き返してくる。半十郎はその客をつかまえて訊ねた。

「今日、遊郭が休みってなぁ本当かい?」

「ああ、せっかく来たってのによ、四郎兵衛番所の番人に追い返されちまったよ。今日は住人以外立ち入り禁止だってさ」

「住人以外立ち入り禁止だと?」

 半十郎は怪訝な表情を浮かべた。そこへ一人の男がやってきた。

「おい、女衒。どうしたのだ」

 聞き覚えのある男の声にくるりと振り返る。

「あっ、おめぇさん、三方山にいた……」

 男は三方山で襲われた半十郎を救ってくれたサンカだった。

「おめぇさん、いつの間に川越に……」

「一昨日からおまえを待っていた。遅かったな。待ちくたびれたぞ」

「一昨日から俺を?」

 自分だって急いで帰ってきたというのに、それよりさらに2日も早く辿り着いたとは、いやはやサンカの能力とは大したものだと恐れ入る。

「それより、この騒ぎはなんだ。遊郭には入れないのか?」

 サンカが大門のほうを見遣る。半十郎は男の顔を見た。自分は朱座遊郭の住人だから結界をくぐることはできるだろうが、彼はそうではない。おそらく足止めを食らうだろう。遊郭が遊女の逃亡を防ぐため出入りに厳しいことは住人ならば誰もが知っている。緊急事態となればなおさらのことだ。


 半十郎が答えに窮していると、今度は背中をポンと叩かれた。

「半十郎さんじゃないかえ。ちょうどよかった。朱座に入れないらしいじゃないか。どうなってんだい? 駆け落ちでもあったかい? それとも心中かい?」

 男とも女ともつかない声の主を見ると、そこには女形(おやま)姿の松風雪之丞が立っていた。

「雪之丞、おめぇ、なんでこんなとこにいるんだ?」

「それが聞いとくれよ、半十郎さん。昨日、勇さんが妹連れて芝居観に来てくれるっていうからさ、ずっと待ってたんだよ。なのに待てど暮らせど来ないじゃないかぁ。これは何かあったんじゃないかってピンと来てね。虫の知らせってやつだよ。そしたら案の定この有り様さ。いったい朱座でなにがあったってんだい?」

 腰をくねらせながら雪之丞はまくしたてた。半十郎は愚痴など聞いている場合じゃないのに、と頭を抱える。

「それが俺にもわからねぇんだよ。とにかく住人以外は入れねぇらしいんだ」

「ええ? それじゃわっち、入れないじゃないか。せっかく勇さんに会いに来たってのにぃ」

 よよよ、と雪之丞が袖口で目頭を押さえる。弱り果てた半十郎の目にそのとき、ある男女ふたりの姿が飛び込んできた。

 邑咲屋の妓楼主伊左衛門と勇次の許嫁お染である。

「おうおうおう、ちょいと通してくんな。俺ぁ朱座の妓楼主様だ。朱座に入る権利はあるんだぜ」

 下品な声をがなり散らし、人込みを無理矢理掻き分けてゆく。お染も高飛車な態度で伊左衛門の後ろをついていった。

「やぁだぁ、これじゃ勇次さんに会えないじゃない。どうしてくれるのよ」

「お染お嬢さん、ご心配いりやせん。この伊左衛門がついてりゃあ、四郎兵衛番所の番人なんざちょろいもんですよ」

 どうやら伊左衛門が帰宅途中に下新河岸の船問屋井筒屋に寄り、そこのお嬢様お染を連れてきたようである。

 ——あいつら、使える!

 咄嗟に(ひらめ)いた半十郎はふたりに背後からそっと忍び寄った。




 四郎兵衛番所の番人が邑咲屋を訪ねてきた。妓楼主の伊左衛門と勇次の許嫁お染が大門まで来ているから本人確認をしてほしいということだ。

「赤の他人だって言って追い返してきな」

 お亮は勇次に言いつけた。毎年お盆には帰宅するくせに今年はどういうわけか帰ってこなかった。かと思ったら翌日ひょっこり帰ってくるとは。この一大事に厄介な人間の相手をしている暇はない。勇次も姉に同意し大門へと向かう。


 四郎兵衛番所に招き入れられた勇次は、小窓からそっと大門の外側を覗いた。するとそこには半十郎が見知らぬ男と女を伴い、待っているではないか。

 ——あれ、半十郎さんじゃん。隣にいるのは……ありゃぁご楼主じゃねぇな。見ねぇ顔だ。で、そっちの女は……

 半十郎の斜め後ろに立つ背の高い女に視線を移す。

 ——んっ? 雪之丞?

 驚きの眼を見開いたその瞬間、小窓に顔を向けた半十郎と目が合った。勇次に気づいた半十郎は帯のあたりで両手を合わせ拝んでいる。表情は何かを必死に訴えているようだ。勇次はピンときた。番人に伝える。

「女衒の半十郎さんと一緒にいるのはうちのご楼主と俺の許嫁だ。間違いねぇ。通してやってくんな」

「ええ? おたくのご楼主ってあんな毛むくじゃらでしたっけ?」

 番人が訝る。勇次は素知らぬ顔で言い放った。

「旅の途中で髭剃り忘れたんじゃねぇか? とにかくあれはうちのご楼主だ。義弟(おとうと)の俺が言うんだから間違いねぇよ」

 勇次に押し切られ、番人は渋々3人を大門横にある脇戸から中に入れた。

「勇次、ありがとよ。助かったぜ」

 半十郎に続いて雪之丞が勇次に飛びついてきた。

「勇さ~ん、逢いたかったよ~。なんで昨日来なかったんだい? なにかあったんじゃないかって心配したんだよ」

「わ、わかった、わかったから一旦離れよ。暑ちぃだろ」

 勇次は雪之丞の腕を無理矢理引き剥し、番人に怪しまれないうちに3人をとっとと邑咲屋へ連れていった。




「おー、雪之丞じゃん。久しぶりだなぁ。元気にしてたか?」

 半十郎、雪之丞、サンカの男3人を迎えるなり竜弥が歓喜の声を上げた。

「おや、竜さんじゃないかえ。帰ってたのかい、このドラ息子が」

 雪之丞は悪態をつきつつ「相変わらず色男だねぇ」と竜弥にも抱きついた。竜弥は苦笑いし、次に視線を2人の男に向けた。

「半十郎さんも久しぶり。そっちのお連れさんは……」

 言いかけて言葉が止まった。

「どした、竜弥?」

 勇次が訝り、竜弥の顔をのぞき込む。竜弥はサンカから目を離さず言った。

「あんた……、芸州の山ん中で俺と喬史郎さんを助けてくれた人じゃねぇか?」

 勇次とお亮は先ほどの竜弥から聞いた話を思い出し、互いに頷き合った。半十郎は驚きの表情を浮かべている。

「さ、とにかく皆さん、玄関じゃなんですから奥へお上がりくだしゃんせ」

 お亮が皆を促した。一同は客間へと通される。その前に勇次は階段下で雪之丞だけに手招きした。


「雪之丞、ちょいといいかい」

「あらやだ、勇さんたら。内緒ごとかい?」

 腰をくねらせ雪之丞が勇次の腕に絡みつく。

「ああ、ふたりだけの秘密だ」

 勇次は人差し指を唇に立て、目配せした。ぽっと頬を赤らめる雪之丞の耳元に吐息を吹きかける。

「雪之丞、俺も会いたかったぜ」

「本当かい? 嬉しいっ、勇さん」

 雪之丞は絡ませた腕をぎゅっと掴み、勇次の手を握った。勇次も彼の手を握り返す。

「実はな、おめぇに教えてほしいことがあるんだ」

「なんだい? 勇さんの頼み事なら何でも聞いちゃうよ」

 その言葉を聞き、勇次はにんまりと雪之丞の腕を解くと、階段下から2階に向かって叫んだ。

「七星、おいで」

 七星はすぐに勇次の声に反応し、ととと……と可愛い足音とともに顔をのぞかせた。

「降りてこい」

 勇次に手招きされ、七星が一段一段降りてくる。2段ほど残したところで七星は立ち止まった。

「なぁに、勇次さん?」

「このおねぇちゃんがこれくれるって」

 言うやいなや勇次は雪之丞の頭から(かんざし)をひょいと引き抜いた。

「あっ、勇さん、なにするん……」

 慌てる雪之丞の口に手を押し当て、勇次は耳打ちした。

「あとでもっといいの買ってやるから」

 頬を染め黙る雪之丞を横に置き、七星を見る。彼女はとても嬉しそうに身体を揺らしていた。

「わぁい」

「七星、このおねぇちゃんに礼を言え」

 促された七星は雪之丞を見上げた。

「ありがとう、おにぃちゃん」

 ひくひくと雪之丞の顔が引きつる。そこは気に留めず、勇次は七星に2階へ戻るよう告げた。軽やかな足取りで階段を昇っていく七星の背中が見えなくなると、勇次は雪之丞を向いた。彼の表情はぶるぶると怒りに震えている。

「あのクソガキ、おにいちゃんておにいちゃんてどういうことだい」

「子供は正直だからな」

 しれっと言い放つ勇次を雪之丞がきっ…と睨みつける。勇次はまぁまぁまぁと彼をなだめた。


「それよか、おめぇに訊きてぇことがある」

 まだご機嫌斜めの雪之丞の肩を抱き寄せ、声を低める。

「今の禿の言葉、どこのお国言葉かわかるか?」

 雪之丞は顎に拳を当て、うーん…と黒目を天井に向けた。勇次が四郎兵衛番所の番人を欺いてまで雪之丞を結界の中に入れたのは、北から南まで諸国を回る旅一座の座長ならば七星の出身地がわかるのではないかと踏んだからだ。

 そうとは知らず、ややあって雪之丞が声を上げた。

「あ、思い出した。芸州だ」

「芸州? そりゃほんとか?」

 勇次が目を丸くする。雪之丞は確信に満ちた目を彼に向けた。

「うん、間違いないよ。〝ありがとう〟ってさ、こっちじゃ〝り〟を強く言うだろ? でもって上方(かみがた)は〝とう〟を強く言うんだけど、芸州は〝が〟を強く言うんだ」

 台詞回しで興行先の方言を取り入れることがあるから覚えているのだと言う。なるほど、と勇次は妙に納得した。

 ずっと抱いていた違和感と、どこかで出会ったことのある既視感。点と点が繋がった。だが、繋がったのはまだ一つだけだ。いまだ残る点を繋げていかなければならない。それどころか、これから新しい点が発生する可能性すらあるのだ。

 深まるばかりの謎に、頭が痛くなる。

次回は第31話「何故、結界は閉じられなかったのか」です。

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