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第27話 お亮、甚吾郎にフラれる

 ひとまずりんは行燈(あんどん)部屋に閉じ込めておくことになった。仕置き部屋には(ひぐらし)がまだ閉じ込められていたため、彼女と一緒にすることは(はばか)られたからだ。

 だからといって行燈部屋なら良いかというと、けしてそういうわけではない。当然、勇次は激昂し猛反対した。濡れ衣を着せられただけでりんを仕置きをする謂れはない。勇次の言い分はもっともだが、りんの身を守るためにも隠しておいた方が良いとのお亮の判断に、最終的に勇次が渋々折れた形となったのだ。




「勇次、心配するほどのことじゃねぇみてぇだぜ」

 行燈部屋から出てきた番頭松吉は微笑んだ。勇次が引き戸の小窓からそっと部屋の中を覗く。りんは格子窓を開けて空気を入れ替えたり、床板を水拭きしたり、まめまめしく掃除をしていた。

「揚羽も喜んでるよ。会話はできなくてもりんの笑顔を見てるだけで癒されるってな」

 揚羽は邑咲屋の遊女だが、梅毒に罹患したため行燈部屋に隔離されている。そして彼女は何を隠そう、松吉と恋仲でもある。揚羽の年季が明けるまで松吉が必死に働いて彼女の借金を返し、返済が終わったら晴れて夫婦になる約束を交わしているのだ。

「りんは病人の世話に慣れてるからな」

 行燈部屋に閉じ込められることになった当初は不安を隠せなかったりんではあったが、病人の揚羽を目にしたことで自分にもできることがあると気を取り直したのだろう。誰も近づきたがらない梅毒患者に対しても分け隔てなく接するりんの存在は、揚羽にとっても松吉にとっても心強いものであった。

「揚羽、りんのこと頼んだぜ」

 勇次が小窓から揚羽に声をかける。

「嬉しいねぇ。まだわっちにも役に立てることがあったんだね」

 揚羽が梅毒患者特有の青白い顔を向ける。彼女の笑顔も久方ぶりに見た。勇次は「あとで本を差し入れる」と微笑んでそっと小窓を閉じた。




 勇次が竜弥とともに内証へ呼ばれたのは(ひつじ)の中刻の鐘が鳴った後だった。

「お義姉(ねぇ)さん、聞いたぜ。下手人捕まえらんなかったら広小路で裸踊りすんだって? 大見得切るにもほどってもんがあるだろ」

 障子を開けるなり竜弥が義姉の身を案じる。勇次も同調した。

「まったくだよ。俺ぁ肝潰したぜ」

「だって、りんが濡れ衣着せられて悔しいじゃないか。おまえだって頭に血が昇ってたじゃないかえ」

「あたりめぇだ。りんを下手人扱いしやがって、あの女狐ども、ほんとの下手人捕まえたらただじゃおかねぇ。それこそ素っ裸にして札の辻にさらしてやる」

 勇次はまだ腹の虫が収まらない。対してお亮は涼しい顔で目を閉じた。

「毒が盛られたかどうかもわからないうちから滅多なこと言うもんじゃないよ。それより、ふたりともまずはそこへお座り」

 勇次と竜弥はお亮の前に腰を下ろし、胡坐をかいた。お亮の前には包み紙が置かれている。彼女をそれに目を遣り、開けるよう促した。勇次が竜弥と目を見合わせると、竜弥は勇次に開けるよう目配せした。躊躇(ためら)いがちに包み紙に手を伸ばす。ゆっくりと開けた紙の隙間から黒光りする鉄の塊が見えた。一瞬ぎくりとし、手が止まる。

「これって……」

 姉の顔を見ると、その隙に竜弥がさっさと包みの中からそれを取り出した。

「リボルバーだな。お義姉さん、これ、どうしたんだい?」

 重さからいって弾は6発すべて入っているようだ。

「さっき甚さんに渡されたのさ」

「甚さんに? なんでまたこんな物騒なもん」

「万が一の時は俺を撃て……って」

「は?」

 弟ふたりが絶句する。ややあってから勇次が口を開いた。

「なんでそうなるんだよ。話が見えねぇな。ちゃんと説明してくれよ」

 お亮はひとつ大きく息を吐き、ふたりを見据えた。


「わっちは女将として、りんだけじゃなくこの邑咲屋のみんなのことを信じているんだ」

「そりゃそうだ。お義姉さんは女将として当然だよ」

「ありがとうよ。けど、甚さんは違うみたいなんだ」

「甚さんは?」

 勇次と竜弥が顔を見合わせる。

「甚さんはね、惣名主家として朱座の住人全員を疑わなきゃならないって言うんだ」

「でこたぁ甚さんは、やっぱり誰かが井戸に毒を盛ったって睨んでるってことか?」

 お亮は小さく頷いた。さすがにそこまでは口にしなかったらしいが、それを想定した上で今後の動き方を考えるつもりなのだろう、と推し量る。

 勇次と竜弥はまたも言葉を失った。衝撃を受ける弟たちにお亮が追い打ちをかける。

「住人だけじゃない。甚さんは自分のことも疑ってるって……」

「甚さんが自分のことを疑ってる? 意味わかんねぇ」

 竜弥は首を傾げた。勇次は拳を口に当てリボルバーを見つめている。妖しく放つその黒い光を見つめ、突如はっと顔を上げた。

「黒い遊神……?」

 お亮はこくりと頷いた。まだ怪訝に眉を顰める竜弥に勇次が目を向ける。

「黒い遊神は人の心を操るんだ」

 そこまで聞いて竜弥もはっと目を開き、お亮を見た。

「まさか甚さん、自分が黒い遊神に操られたときのことまで想定してんのか?」

「そうさ。甚さん、万が一自分が操られたときは迷わず殺してくれって……」

 そこまで言ったところでお亮は袖で口を覆った。あとは言葉にならなかった。涙を堪えるのがやっとである。

 重たい空気が幾重にも折り重なり、3人の上にのしかかる。彼らはしばらく、声を発することができなかった。


 しばしの沈黙に耐えかねて、いつもの調子で竜弥がおどけてみせる。

「いやいやいや、甚さんに限ってそんな……操られるなんて……なぁ、勇次?」

「ん? あ、ああ、そうだよな。甚さんは強ぇから心配いらねぇよ、姉ちゃん」

 ふたりに笑顔を向けられたお亮はしかし、険しい表情を崩さない。

「その、〇〇に限ってってのが一番危ないんだよ」

「……」

「……」

 ふたたび沈黙が流れる。今度は勇次が先に口を開いた。

「あのさ、心の隙間につけ込まれなきゃいいんだろ」

「そうだよ。甚さんが心を病まなきゃ大丈夫だ」

 竜弥も同調する。だがお亮はまだ懐疑的だ。

「なんで大丈夫だって言い切れるんだい? いくら甚さんが強くたって心を病むこともあるだろ」

「だから、甚さんが心を病まねぇようにすりゃいいだけの話だろ」

「どうやって?」

「姉ちゃんが甚さんに優しくしてやりゃいいんだよ」

「は?」

 目を丸くして訊き返す姉を見て、弟ふたりはにやにやしている。

「要するに、甚さんが心を病むのはお義姉さんにフラれたときだってことだよ」

 竜弥に指摘され、お亮はにわかに黙りこくってしまった。すかさず勇次が一気に畳みかける。

「そうだ。せっかく今日遊郭が休みになったんだ。甚さん誘ってふたりで雪之丞の芝居でも観に行ってきたらどうだい?」

「おおっ、そりゃいい。お義姉さん、そうしなよ。異母兄(あに)きもいねぇことだし、ちょうどいいじゃねぇか。留守は俺と勇次にまかせてくんな」

 竜弥もポンと膝を打って身を乗り出した。ドキドキしながら姉の様子を弟ふたりが見守る。お亮はしばし考えたかと思うと遠慮がちに頷いた。

「そうだね。昨日のお盆休みはどこにも出かけなかったもんね。神様のくれた休みだと思って羽伸ばしてこようかな」

 よっしゃーっ!と勇次と竜弥は喜び勇んで、裏口へ甚吾郎を呼び出した。そして物陰からふたりの様子をそっと見守った。




 しかし——。

「今はそれどころじゃねぇだろ。俺は惣名主家なんだぜ」

 申し出は嬉しいけど、と前置きしながら甚吾郎はお亮の誘いを断った。

「そ、そうだよね。朱座のみんなが苦しんでるときに放っぽって遊びに行くわけいかないもんね」

 お亮が苦笑いしながら両手を振る。甚吾郎は珍しく険しい目つきでお亮を睨みつけた。

「お亮、だいたいおめぇが氷川さんの神幸祭までに下手人を捕まえられなかったら広小路で裸踊りするって大見得切ったんじゃねぇか。だから俺はこうして必死に下手人探しに頭悩ませてんだぜ。呑気に芝居なんか観てる場合じゃねぇだろ」

 そもそも住人らを外に出さないために結界を閉じているのに言い出しっぺの自分が決まりを破るわけにはいかないだろうと、くどくどくどくど説教する。

「うんうん、悪かったよ。今のは忘れとくれ。じゃ」

 そそくさとお亮は裏口の中に駆け込んだ。

「あっ、お亮……」

 下手人を捕まえて騒動にケリが付いたらそのときは一緒に……と言いたかったのに。甚吾郎は地団太を踏んだ。せっかくの誘いを断らなくてはならない自分の立場とこの状況が恨めしい。

 ——下手人の野郎、ぜってぇ許さねぇ。

 甚吾郎が沸々と怒りをたぎらせる一方で、お亮も弟ふたりにキレ散らかしていた。




「なんでわっちがフラれたみたいになってんだいっ!」

 両手で勇次と竜弥の衿口をぎりぎりと掴み上げ、般若の形相で怒声を浴びせる。

「待てっ姉ちゃんっ、病むな病むなっ。黒い遊神の餌食になっちまうぞ」

「うるさいっ、このトンチキ野郎ども! わっちが病んだらおまえたちのせいだよ! どうしてくれんだい!」

「おっお義姉さん、落ち着いてくんな。仲違いはよくねぇって。それこそ黒い遊神の思う壺だぜ」

 勇次と竜弥は大汗をだらだら流しながらお亮をなだめた。だがお亮の怒りはいっこうに収まらない。ぎゃあぎゃあと3人で大揉めしていたときだ。そこへ権八がやってきた。

「あのう……お取込み中申しわけねぇんですが……」

「なんでい、パチ、今それどころじゃねぇ」

 勇次が衿口を掴まれたまま答える。権八はおずおずと告げた。

「え、えと……、お客さんがいらしてるんですが、お帰りいただきやしょうか?」

「客? 誰だ、こんなときに」

 眉を顰めて権八を見たその先に、ひとりの男の影が現れる。

「私です」

「あ、緑山さん……」

 その顔を見て3人の動きが一斉に止まった。

「なんか原因がわかったのかね?」

 お亮が勇次に囁く。勇次は首を傾げながら衿口から姉の手を外した。

「勝手に上がらせていただいたこと、お詫びします」

 緑山は丁寧に頭を下げた。

「いや、それは別にいいけど。緑山さん、何かわかったことでもあったのかい?」

 だが緑山は勇次の問いには答えず、衿の乱れを直している竜弥のほうに身体を向けた。勇次とお亮が竜弥を見る。竜弥は緑山を見つめたままごくりと喉を鳴らした。

「竜弥さん、お久しぶりです」

 緑山がにこりと微笑みかける。だが竜弥は困惑気味だ。心当たりがないのだろうか。勇次とお亮が固唾を呑んで見守る中、緑山がその名を口にした。

「お忘れですか? (きょう)()(ろう)です」

 喬史郎——。その名を耳にした途端、はっと勇次の瞳孔が開かれた。昨日聞いたばかりのその名を、彼が忘れるはずはなかったのだ。

次回から第7章「朱座にやってくる者たち」に入ります。

次回は第28話「緑山の素性」です。

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