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第23話 仲直り

 勇次らは新河岸川沿いを歩きながら喜多院に向かっていた。彼の背後からはりんと禿(かむろ)ふたりがついてくる。若い娘が3人寄るときゃぴきゃぴ、なかなか場が華やかになる。それでも勇次の視線は無意識にりんのほうを向いてしまうのだった。

「ねぇ、勇次さん。お薬のおにぃちゃん、今日は来ないの?」

 屈託のない七星の問いかけにどきりとし、我に返る。お薬のおにぃちゃんとは、おそらく緑山のことだろう。

「今日は遊郭が休みだから来ねぇよ。また今度だ」

「ふうん。つまんないの」

「七星は緑山さんと仲良いのか?」

 あのね……と七星が小さな唇に手を当て、背伸びする。勇次は腰をかがめ、耳元をその唇に寄せた。彼女の異質な臭いにもだいぶ慣れた。

「これ、内緒ね。いつも来るたんびに飴玉くれるの」

 そうか、と小声で頷き、七星の頭を撫でてやる。ふと何気なく顔を上げると、りんが人差し指を唇に立て、目配せしてみせた。彼女も知っていたのだろうか。だがそれよりもその愛らしい仕草に胸を撃ち抜かれ、一瞬目眩(めまい)がした。

 だらしなく頬を緩め、勇次もまた唇に人差し指を立てて片目を瞑ってみせた。




 一方竜弥は、空蝉がお大師様をお詣りしたいと言うので本行院の山門前を通って喜多院の境内に入った。何気なく左手を見ると、東側の表山門をくぐってきた勇次たちにばったり出くわした。彼の後ろから禿の春蚕と七星、そして最後にりんがついてくる。

「お、勇次。おめぇらなんでそっちから入ってきたんだ?」

 氷川神社から帰るなら川越城西門の前を通ってきた方が近い。それならば本行院の裏手で出会えたはずだ。

「ちょいと新河岸川沿いを散歩がてら……な」

 首を傾げる竜弥に勇次は微笑んだ。

「赤間川から灯篭がひとつくれぇ流れてくるかと思ったんだけど……一個もなかったわ」

 北上した赤間川は志多町の先で東へと向きを変え、伊佐沼に流れ込む。氷川神社裏手を流れ、川越城をぐるりと囲むように東京方面へ南下する新河岸川とは、細い用水路で繋がっていた。

 勇次は苦笑いしながら手に持っていた団子の包みを開けてみせた。空蝉が参拝している間に、皆で食べることにする。


 勇次は、七星の口回りに付いた醤油だれを手拭いで拭いてやるりんを愛し気に見つめている。そんな勇次を竜弥は微笑ましく見ていた。勇次とりんの距離感は程良くもあり、もどかしくもある。

「竜弥」

「ん?」

「孔雀、どうだった?」

 背中で訊いてくる勇次の問いにぎくりとする。すっかり油断していた。

「んー? 別に、ふつー」

 不意を突かれてこめかみから冷や汗を垂らす竜弥を、勇次はじろりと振り返った。そこは竹馬の友だ。彼の動揺は声色からすぐにわかる。

「機嫌悪かったろ。最近やたらイライラしてんだよな。ちょっとしたことで八つ当たりされて参ってんだ」

「へ、へぇ……」

「全部おめぇのせいだかんな。どうにかしろ」

 勇次に詰め寄られ、竜弥はしどろもどろで釈明した。

「どうにかしろっつったってよ、俺だって急いで帰ぇってきたんだぜ。正月は挨拶回りだなんだで忙しいし、結局盆休みしか一緒にゆっくりできねぇじゃん。だから神戸から毎日十里、嵐だろうがなんだろうがぶっ通しで歩ってやっとこせ盆休みに間に合ったってぇのによ、人の気も知らねぇでぷんすかしてんだもんな」

 ぐだぐだと一気に吐き出す。

「それ、ちゃんと言ったのか?」

「言わねぇよ。言い訳なんかカッコわりぃ」

「カッコわりぃとこも全部見せてやりゃ安心するだろが。むこうはおめぇがはっきりしねぇから不安なんだろ」

「春に出てく前にちゃんと言ったんだけどな。待ってろって」

 口を尖らせ、団子を齧る。勇次も団子を齧りながら訊いた。

「いつまで待ってろって言ったんだ?」

「それは言ってねぇけど。だっていつまでなんてわかんねぇし」

「それだ」

 勇次は頭を抱えた。漠然とした約束ほどたちが悪いものはない。

「だーってしょうがねぇだろ。わかんねぇもんはわかんねぇんだもんよ」

 開き直る竜弥の横顔を見つめる。

「竜弥、おめぇ、なに考えてんだ? いや、なにをしようとしてる?」

「なにって……」

 勇次の視線に気づいた竜弥は一瞬目を合わせた後、不意にうつむいた。落とした視線の先の玉砂利に、月明かりに照らされた娘3人の影が踊っている。


「それよか、今日言ってた黒い遊神の話だけどよ……」

 3人に聞こえないよう、声を低める。勇次も思い出したように耳をそばだてた。

「甚さん、なんて言ってた?」

「朱座ん中に潜り込んでるかもって」

「えっ?」

 竜弥は一瞬絶句し、さらに声を潜めた。

「それってヤバくね?」

 口に手を当てたまま勇次の目をじっと見つめる。勇次も険しい顔つきで見つめ返した。ヤバいと言われたところで目立った動きのない現在、こちらが何かできる手立てはない。というよりも、それ以前にまだ実感がないのが現状だ。

 竜弥は勇次から目を離し、ふたたび玉砂利に視線を落とした。おそらく彼も、人の心を操るという黒い遊神の特性を知っているのだろう。だが知っていたとして、今はどうすることもできない。解決の糸口すら見つけられず小刻みに震わせる膝から、その苛立ちが容赦なく伝わってくる。


 続く言葉を探しあぐねるふたりの足元に、無邪気に踊る三つの影に混じってひとつの影が近づいてきた。

「こりゃ、おまえたち。逢魔(おうま)(どき)を過ぎてまで境内におったら物の怪にとり憑かれてしまうぞ」

 この酒臭い声は見ずともわかる。喜多院の僧、妙海だ。

「おー、クソ坊主。まだ生きてやがったか」

 にこにこしながら竜弥が立ち上がる。話の腰を折られ、勇次は舌打ちした。

「ところで、あの女はおまえたちの連れか?」

 妙海は(きざはし)上の賽銭箱の前で手を合わせる空蝉を指差した。

「うちの女郎だ。あれがどうかしたか?」

 勇次も立ち上がる。妙海は数珠を握りしめた。

()が暗い。寅の刻を過ぎたら寺社の境内に立ち入らせてはならん。それこそ物の怪の餌食になってしまうぞ」

 黄昏時になると、成仏できずに彷徨(さまよ)う霊が救いを求めて神社や寺に集まってくるのだという。特に盆はあの世から一時帰省した霊魂もうろついて……という話に勇次と竜弥は「ふうん」と生返事をした。妙海の説法は長くなるので早々に退散することにする。

「待て。そのおチビは禿か?」

 妙海は立ち上がったふたりを呼び止め、七星を見た。勇次が不快な目つきで睨む。

「かどわかしてきたわけじゃねぇからな。先月半十郎さんが売りにきたんだよ」

 そうか……と妙海は呟いた後、その続きを言おうと口を開きかけた。が、勇次と竜弥はこれ以上説教を聞かされてはたまらないと、皆を連れてそそくさと喜多院を後にしてしまった。




 勇次らが帰楼すると、出掛けていた遊女や若い衆はほとんど戻ってきていた。早速勇次が全員に団子を振る舞い、竜弥が線香花火を配る。皆、歓声を上げて喜んだ。

 りんがお縫らとともに狭山茶を淹れている間、中庭の板縁にずらりと並んで座る。空蝉は竜弥の忠告に物思うところがあったのか、勇次から一番遠くの端に腰を下ろした。


「竜弥は?」

 賑やかな声を聞きつけ、甚吾郎がやってきた。勇次が2階に視線を送る。甚吾郎も色々察し、にやりと笑った。隣ではお亮もにこやかな表情を浮かべている。姉も機嫌よく休日を過ごせているようでホッとした。




「胡蝶、開けるぜ」

 すっ……と障子を開け、竜弥が胡蝶の部屋をのぞき込む。彼女はぶすっと不機嫌な顔で布団の中にいた。

「なんだ、竜弥さんか」

「勇次じゃなくて悪かったな」

 枕元に腰を下ろして団子を見せる。

「食えるか?」

「食欲ない」

「残念だなぁ。せっかく勇次が胡蝶のために買ってきてくれたのによ。しょうがねぇ、俺が代わりに……」

 あーん、と口を開けて団子を口元へ持っていく。

「食べる!」

 それを見た胡蝶は一瞬で飛び起き、団子を奪い取った。思ったより元気そうだが、熱がまだあるのか頬が赤い。

「おめぇはいいな。わかりやすくてよ」

 急須から狭山茶を注ぎ、竜弥は溜め息をついた。相変わらずの態度を見せる胡蝶に、黒い遊神に操られてはなさそうだとの安堵の吐息でもあった。

 階下からは皆の楽し気な笑い声が聞こえてくる。

「みんなで遊んでるの? ずるい。わっちも勇次さんと遊びたいのに、お見舞いにも来てくれないなんて寂しいよ」

「勇次に感染(うつ)されたら見世が立ち行かなくなるんだよ。おめぇだってそれくれぇわかるだろ」

 なだめてもすかしても胡蝶はめそめそするばかりだ。

「団子買ってきてくれるってこたぁ、おめぇのこと忘れてねぇってことだ。だから心配しねぇで今年は大人しく寝てろ。また正月に遊んでやっから」

 口をへの字に曲げる胡蝶の頭を撫で、あとは遣り手婆のお亀に看病を変わってもらった。その足で奥の座敷へ向かう。

 ——孔雀もあれくらい素直だったらな……

 理由(わけ)もわからず癇癪を起こし、察しろと言わんばかりの態度には辟易する。

 ——いや、素直じゃねぇのは俺も一緒か。

 竜弥は孔雀の座敷の前で膝をつき、引手に指をかけた。一瞬躊躇したが、意を決して障子を開ける。果たして孔雀はまだ奥の窓辺にもたれたままだった。

「忘れ物でも取りに来たのかえ?」

 嫌味ったらしい声が迎える。まだご機嫌斜めのようだ。かーっと怒りに震える拳を握りしめ、一度静かに深呼吸をする。そのあと十を数えてから奥の寝所に向かった。

「夜風は身体に(さわ)るぞ」

 竜弥は孔雀の身体越しに、障子窓を閉めた。孔雀はまだぶすくれている。

「今宵は満月だろ。見なくていいのかえ?」

「おめぇだって見えてねぇじゃねぇか。だったら俺だって見る価値ねぇだろ」

 すぐそばに腰を下ろし、窓枠にもたれかかる。

「俺はおめぇの顔が見れればいいんだ」

「こんな顔でも?」

「どんな顔でも、だ」

 腕を伸ばし、細い肩を抱き寄せる。下ろした緑の黒髪を指で()く。麗しいかんばせを見つめ、薄紅色の頬に大きな手を添える。

 怒った顔も、泣き顔も、どんな顔をしていても、この全部が心から愛おしい。

「閉めるとまだ暑いね」

「そだな」

 くすりと笑い合い、しなやかな身体を抱きしめたまま障子窓を少し開けた。満月の優しい光と心地良い夜風がふたりの身体を包み込む。今宵は久方ぶりに熱帯夜から解放されそうだ。




 その頃中庭では、遊女や若い衆が線香花火を楽しんでいた。りんは茶を注いで回りながら、その光景をにこにこと見守っている。

「こんなときでも女郎たちを優先して、自分は裏方に徹するんだよね」

 いそいそと動き回るりんの姿を見つめ、お亮が甚吾郎に耳打ちする。勇次も板縁に腰掛け、ぼんやりとりんを目で追っていた。

 欲を言えばふたりきりで過ごす時間が欲しかった。氷川神社まで禿ふたりも連れていったのは、りんの発案を渋々受け入れたがゆえだ。

 ——やっぱふたりきりで出掛けたかったなぁ……

 りんを見つめながら、はっと気づく。もしやふたりきりになるのを避けられているのではなかろうか。

 そんなしょうもない考えを巡らせていたら、ぱちっと目が合ってしまった。りんがこちらへやってくる。勇次はどきどきしながらその動向を見守る。彼女は近くまで来て膝をつき、まず甚吾郎の湯呑みに茶を注いだ。次にお亮の湯呑み、勇次の、と順に注いでゆく。が、勇次の湯呑みに注いでいる途中で急須が空になってしまった。りんは慌てて追加分を持ってこようと立ち上がった。

 勇次がその手を掴む。

「もういいからゆっくりしてろ。飲みたくなったら自分で()ぎに行くから」

 そう言ってりんを板縁に座らせる。草履を持ってきてやり履かせていると、春蚕と七星がやってきた。

「一緒にやろ」

 無邪気な顔で七星が勇次とりんの手を引っ張る。ふたりは顔を見合わせ照れ臭そうに笑った。




 繊細な花を咲かせる線香花火を見つめ、お亮が甚吾郎に訊ねる。

(しゅう)となに話してたんだい?」

「ああ、ちょっと確かめてぇことがあってな」

「確かめたいこと? ってなに?」

 甚吾郎は狭山茶を一口すすり、答えた。

「芸州のことだ」

「かくし閭?」

「うん。こないだ聞いた黒い遊神の話と言い、どうも引っ掛かってな」

 宗宮城との話は長くなるから今度教える、と言ったきり、甚吾郎はこれについては口を閉ざした。お亮もそれ以上はなにも訊かず、弟の持つ線香花火を見つめた。


 揺らすな馬鹿野郎と若い衆がじゃれ合っている。まるで童心に帰ったようだ。それを見てゲラゲラ笑う勇次の手も震え、火の玉はあっという間に落ちてゆく。

 消えゆく火の玉を呆然と見つめる勇次に、りんが新しい線香花火を手渡した。自分の火の玉をその先端にくっつけてやる。やがてふたりの線香花火は一輪の鞠菊となり、艶やかな火花を咲かせ、一時(いっとき)の美しさを散りばめた。

 短い命を儚むよりも、この一瞬の輝きを愛でていたい。いや、永遠にこの休日が続けばいいと、妓楼の誰もが思った夜だった。

ようやく折り返し地点まで来ました。

評価ポイント・ブックマーク・感想などをいただけましたら幸いです。

よろしくお願いいたします。


次回より第6章「心の闇」、いよいよここから本格的に黒い遊神の謎に迫っていきます。

次回は第24話「異変」です。どうぞご覧くださいませ。

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