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第22話 嫌いな理由

 1月の大火以来、竜弥は初めて城下町の目抜き通りにやってきた。所々に蔵造りの建物が見える中心街は復興が早い。民衆の生命力には目を見張るものがある。

 目抜き通りを北上し、札の辻を曲がると高沢橋周辺に黒山の人だかりが見えた。灯篭流しはすでに始まっているようだ。

 右手に六塚稲荷神社が見えてきたところで竜弥は空蝉を振り返った。彼女は緊張気味に顔を上げる。

「こっから先は余計な口きくんじゃねぇぞ」

 りんのことが知られたら厄介だ。ここまでも一言もしゃべらずに来たが、竜弥は念を押した。空蝉が怯えたように無言で頷く。勇次が何故このような辛気臭い女を勧誘したのかまったく理解できない。


 赤間川を越え、水車小屋のほうへ歩いてゆく。その辺りで灯篭を売る者が見えた。見慣れたその顔は香具師(やし)の元締め熊次郎だ。

「熊さん、ちす」

「おう、竜弥。帰ぇってきてたのか。今回は早かったな」

 一通り挨拶を交わし、灯篭をふたつ購入する。ほとんどの者は自前の物を持参するのだが、こうして手ぶらで来る者のためにいくつか用意してあるのだ。もちろんそこは商売、ただというわけにはいかないが。

 竜弥はふたつのうちのひとつを空蝉に渡した。

「わっち、お金持ってない……」

「金はいい」

「借金になるのかい?」

「そんなケチくせぇことしねぇよ」

 ぶっきらぼうに答える。さらにぶっきらぼうに筆を渡す。

「あ、わっち、字、書けないんだ」

 空蝉がまごついていると竜弥は一旦渡した筆を取り上げた。

「ガキ、なんてぇんだ?」

「え?」

「ガキの名だよ。あんだろ、名前くれぇ」

「あ……、糸……」

 漢字は?と訊こうとしたが、おそらく知らないだろう。竜弥は平仮名で「いと」と灯篭の側面に書いてやった。それをまたぶっきらぼうに渡し、次に自分の灯篭に母の名を記した。

邑咲屋(うち)は中見世だ。女郎が読み書きできねぇと恥かくから学んどけ」

「……あい」

 竜弥は空蝉の手を引いて土手を降り、この日のために臨時で設けられた桟橋の上に立った。先にしゃがみこみ、灯篭を流す。北へ向かって流れてゆく灯りをしばし見つめた後、次に空蝉と場所を変わってやった。

「今の、誰の?」

「先代の女将。俺のおふくろだ」

「え? てことはあんた、御曹司かい? でも、跡取りは勇次さんだって……」

 空蝉は目を丸くした。竜弥をただの若い衆だと思っていたのだ。お亮も気を遣わせないようにあえて話していなかったのだろう。

「跡取りは勇次だよ。俺よりあいつのほうが百万倍仕事できる。つかとっとと流せ。後がつかえてる」

 促され、空蝉は慌てて灯篭を川面に浮かべた。ひしめき合う人混みの中、彼女が落ちないよう腕を掴んでいてやる。こうして空蝉も無事、灯篭を見送った。

「あの……、ありがとう」

 ふたたび土手を上がったところで空蝉が礼を告げる。竜弥は聞こえているのかいないのか、無言で流れる灯篭を見つめていた。


 そのとき背後からひとつの細い影が近づいてきた。

「竜弥さん」

 呼ばれて振り返る。そこには百姓風の若い娘が立っていた。

「おー、なっちゃん……だよな? 小太郎の情女(いろ)の」

「はい、なつです。竜弥さん、憶えててくれたんだね」

 彼女はなつ——りんの幼馴染だ。手には灯篭をふたつ持っている。それぞれの側面には「りん」と「さち」の文字が見えた。さちも彼女らの幼馴染だが、1月の大火の下手人として嫌疑を掛けられ、疑いを晴らせぬまま処刑されてしまった。

 ——なっちゃんはりんが死んだと思い込んでんだよな……

 幼馴染をいっぺんにふたりも喪ってしまったなつは、りんが生きていることを知ったら泣いて喜ぶだろう。本当は教えてやりたい気持ちでいっぱいだ。だが、おしゃべりな小太郎に知られたらまずい。小久保村の村民たちに言いふらされでもしたら目も当てられない。ここは心を鬼にして内緒にしなければならないのだ。

「今日は勇次さん、一緒じゃないの?」

「……うん。ちぃとばかし野暮用があって、今年は俺が代わりに、な」

 適当に誤魔化す。なつは寂し気に目を伏せた。

「ふうん。勇次さんって案外冷たいんだね」

「いや、そういうわけじゃ……」

 弁解する間もなく、ふいっとなつは土手を降りていってしまった。夏風邪を引いたとでも言っておけばよかったか。しばらく土手の上からなつを見つめる。言いたいことは山ほどあっただろう。だが、この場で竜弥に八つ当たりしても詮無いことはなつもよくわかっていただろうし、竜弥も責められたところで誤解を解く言葉は持ち合わせていない。

 ふたりの歯がゆい思いをよそに、りんとさちの灯篭は瞬く間に数多の光に埋もれていった。

「竜弥」

 振り返ると熊次郎が冷やし甘酒をふたつ差し出してくれた。礼を言いながらそれらを受け取り、空蝉に一杯持たせる。

「え、わっちもいいの?」

「親分さんの驕りだってよ」

 にやにやと熊次郎を見る。熊次郎は苦笑したまま竜弥の頭を小突いた。熊次郎はすべてを知っている。知っているがなにも触れずにいてくれた。もちろんなつにも、息子の小太郎にも黙っていてくれていた。

「なつのことは気にするな。こっちでなんとかかんとか言いくるめとくから」

 熊次郎の言葉に竜弥は微かに笑った。

「ところで竜弥。帰ぇってきたってこたぁ、ほんとに邑咲屋を継ぐ気か?」

「いやいや、あんときのことは白紙だ」

 りんの父親に勇次とりんの結婚を認めてもらうため、自分が邑咲屋の跡を継ぎ勇次を人別帳に戻すと啖呵を切った経緯がある。だが、その直後の大火でりんの父親が焼死した上りんも制外者となり、そのときの約束は意味を成さなくなってしまったのだ。

「けど、赤の他人の勇次より次男坊のおめぇが継いだほうが何かと都合がいいんじゃねぇか?」

「ううん。やっぱ跡取りは勇次がいい。あいつが抱え主のほうがうちのやつらも安心だろ」

 熊次郎は頷くでもなく、黙ったまま優しい笑みを浮かべている。竜弥は甘酒を飲み干し、茶碗を返した。

「帰ぇるぞ」

 空蝉を促す。熊次郎は彼女のことは最後まで何も聞いてこなかった。かくし閭の人間はもれなく理由(わけ)有りだ。何も訊かないのが礼儀なのである。




 灯篭を流し終え、赤間川を後にする竜弥と空蝉の背中を見つめるひとりの男の姿があった。緑山だ。彼も灯篭を流しに来ていたのだろうか。緑山は竜弥と熊次郎の会話に耳をそばだてていた。空蝉に声をかけようとも思ったが、しかしふたりの仲を疑い、躊躇っていたのだ。

 夕闇に溶け込んでゆくふたりの影が見えなくなるまで、その場に立ち尽くす。と、そのとき、どこか得も言われぬ殺気を覚え、咄嗟に身構えた。

「あなたは……」

 人波に紛れ、突如現れた男に驚愕の眼を向ける。顔を髭でびっしり覆われた男は、感情をその顔に乗せず、ゆっくりと近づいてきた。

「なるほど、川越にいたのか。あの女衒を助けて正解だったな」

 男は三方山で半十郎を助けたサンカだった。

「私に何の用です?」

「とぼけるな。盗んだものを返せ。さもなくばこの場で殺す」

「人聞きの悪いことを言わないでください。何かの間違いでしょう」

 だが男は聞く耳を持たず、じり……と間合いを詰めてきた。それに合わせて緑山も後ずさりする。今ここでやられるわけにはいかない。

 緑山はちらりと横目で後方を見た。あと一歩下がれば土手の上から転げ落ちてしまう、というところまで追いつめられている。一か八か、一計を案じた。

「うあぁぁぁぁぁぁ!」

 自ら土手を転げ落ち、あろうことか赤間川にどぼんと入水してしまったのだ。

「人が落ちたぞ!」

 灯篭流しの人込みでごった返していたその場は瞬く間に騒然となった。騒ぎに気づいた熊次郎も慌てて駆けつける。

「つかまれ!」

 緑山は熊次郎に手首を掴まれ、土手に引き上げられた。

「あ、あの男に突然押されて……」

 声を震わせながらサンカの男を指差す。熊次郎がその方向に目を向けると、男は舌打ちし、あっという間にその場から姿をくらましてしまった。

「大丈夫か?」

 熊次郎がずぶ濡れの緑山を覗き込む。

「はい、もう大丈夫です。お陰様で助かりました。ところで親分さん、今夜、石原宿に泊まれる部屋はありますか? 着物を乾かしたいのですが」

「すまねぇな。生憎、盆休みだから泊り客でいっぱいなんだ」

 そうですか、と残念そうに緑山は力なく微笑んだ。それから一礼し、何処へともなく夕闇の中へ姿を消していった。




 竜弥は帰り道、閉店間際の小間物屋を見つけて立ち寄った。袋一杯に詰められた線香花火を抱えて戻ってくる。帰ったらみんなで遊ぼうとほくそ笑んでいるのだ。ふたたび歩き出す。

「なにも訊かないんだね」

 3歩ほど下がって後を付いてくる空蝉がぼそっと呟く。ぴくりと竜弥は立ち止まり、侮蔑の眼差しを向けた。

「あ? おめぇ、まさか自分だけが不幸だとか思ってんじゃねぇだろな」

「そんなこと……」

「あるだろ。顔に書いてあるぜ。私がこの世で一番可哀想な女です、ってな」

 口を半開きにしたまま空蝉は竜弥を見つめた。

「ガキが死んだかなんだか知らねぇが、俺はな、おめぇみてぇに不幸っ()まき散らしてるやつが(でぇ)(きれ)ぇなんだ」

「はぁ? だっておなかを痛めて産んだ子を亡くしたんだよ。これがどれだけ不幸なことか、どれだけ悲しいことか、男のあんたにゃわからないよ」

「ばーか。遊郭じゃそんな女、五万と掃いて捨てて腐ってらぁ。それこそ遊郭なんか水子だらけだ。俺は生まれたときからずっとそんな女どもに囲まれて育ってんだよ」

 竜弥に気圧され空蝉は言葉を失った。それでも竜弥は語気を緩めない。

「中条(堕胎)だろうが死に別れだろうが、母親なら誰もが血を吐くほど泣き狂う。父親が誰なのかもわからねぇ子供でもだ。男に捨てられ、子供はおっ死んじまう。そりゃ気が触れて当然だろ。俺はそんな女どもをずっと間近で見てきた。だからおめぇの悲しみなんざ一々訊かなくたってわかる」

 わかっているのに母を置いて川越を出奔してしまった自分もいる。母の悲しみはいかばかりであっただろう。命を縮めてしまうほどの懊悩を自分はあのとき考えようともしなかった。この矛盾に満ちた苛立ちを無関係の空蝉にぶつけてしまう自分に憤りを隠せない。

「朱座の連中はな、理由有りじゃねぇ人間なんかひとりもいねぇんだ。お亮さんと勇次だって命からがら川越まで辿り着いてる。朱座の住人はもれなく誰にも知られたくねぇ過去を背負って生きてるんだ。だから一々他人の過去にゃ首突っ込まねぇんだよ。わかったか、この附子」

 最後の一言は余計だが、空蝉は返す言葉もなく唇を噛みしめた。

「おめぇ、うちの女郎どもに嫌われてんだろ」

 はっとして咄嗟に目を逸らす。やはりな、という顔で竜弥は続けた。

「図星かよ。勇次が優しいからって甘えてんだろ。だからやっかまれるんだぜ」

「わっちが悪いってのかえ?」

 空蝉はやっとの思いで声を絞り出した。竜弥は目を細めて睨み返す。

「まったく悪くねぇって言い切れんのかよ」

 またも空蝉は黙り込んだ。たしかに自分にも落ち度はあったかもしれない。必要以上に勇次への甘えがあったことも事実である。しかし、だからといって嫌がらせをしていい理由にはならないはずだ。

 だが、不満顔の空蝉に竜弥がとどめを刺した。

「おめぇ、無意識に周りのやつらの気持ち逆撫でしてんだよ。さっき言ったろ。ほかの女郎だって裏で色んな事情抱えて売られてきてんだ。一人一人性格も違う。甘えたくても甘えらんなくて我慢してるやつだっているってこと、ちったぁ考えろ」

 空蝉の顔をじっと見据える。満月に照らされるその表情は陰鬱としていた。まだ納得いっていないのだろう。それはそうだ。我が子を亡くしたばかりなのだから、他人を気にかける余裕などあるわけもない。

 竜弥は小さく息をついた。

「四十九日までだかんな」

「四十九日?」

「ああ、それまでは大目に見てやる。けど四十九日過ぎても時化(しけ)た面してやがったら承知しねぇぞ。仕事は待っちゃくれねぇんだ。勇次も仕事となりゃ厳しいからな。覚悟しとけ」

 そう吐き捨て、竜弥はくるりと背を向けた。鐘撞き通りを曲がり、ずんずん歩いてゆく。月明かりを頼りに空蝉は、その背中を見失うまいと必死に追いかけた。

次回は第23話「仲直り」です。

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