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第20話 芸州の制外者に起こったこと

 お亮とりんが風呂から上がった後、勇次と竜弥もようやく風呂で一息つくことができた。

「で、あの(あと)りんとはどうなった? やったのか?」

「まだなんもしてねぇよ。相変わらずだ」

「なんでぇ。なんか進展あったと思ってワクワクしながら()ぇってきたのによ」

 口を尖らす竜弥の頭に勇次が湯をぶっかける。

「ほっとけ。それよか今回は早かったじゃん。どこほっついてたんだよ」

「うーん、色んなとこ」

「おめぇはいっつもそればっかだな。土産くれぇねぇのか?」

「あるぜ、常盤堂の雷おこし」

 竜弥は笑って勇次の頭にも湯をかけてやった。

「浅草かよ。んなもん、夜船使やぁ一晩で買いに行けるだろが」

 勇次が竜弥の顔に湯を浴びせる。竜弥は顔を擦りながら立ち上がり、湯船に向かった。ざぶんと沈む背中に、勇次が問いかける。

「東京にずっといたのか?」

「いや、西のほうにも行った。てか、ほとんど西のほうにいたかな」

「西のほう?」

 怪訝な表情で湯船に入ってきた勇次に竜弥が気づく。

「なに? 西がどうかしたか?」

 勇次は答えずにざぶんと湯船に潜り、ぷはーっと顔を上げた。頬の傷が滲みる。苦痛に顔を歪ませ総髪を掻き上げた。

「西にいたなら知ってんだ、芸州のこと」

「芸州のこと? なにそれ知らね」

 竜弥は素知らぬ顔で勇次の頬に手を当てた。

「あーあ、なんだよ、この傷。色男が台無しじゃねぇか」

 わざと話を逸らしているみたいだ。勇次は眉尻を上げ竜弥の手を振り払った。

「とぼけんな。遊郭だよ」

「あ、宮島ね。残念。俺、摂津にいたからそっから先にゃ行ってねぇんだわ。厳島神社な、拝みたかったなぁ」

 芸州は廃娼藩であったが、それは宮島に遊郭があったため城下町には必要がなかったからだ。

 顔の前で拝む真似をする竜弥を勇次が横目で睨む。竜弥は早々に観念した。

「わかった、わかった。俺の負けだ。やっぱ勇次にゃ誤魔化しきかねぇもんな」

 両手で湯を掬い、顔を洗う。一呼吸置いてから逆に訊ねた。

「で、勇次はどこまで知ってんだ?」

「俺? 俺が聞いたのは、芸州にかくし(ざと)があったってのと……」

「あった、てこたぁ今はもうねぇってことも知ってんだな」

 確かめた上で再度訊ねる。

「誰から聞いた?」

「甚さん」

 そうか、と短く答え、また黙る。今度は勇次が訊き返した。

「竜弥は?」

 竜弥はややあってから答えた。

「……芸州の(にん)(がい)(もん)

「てこたぁ、かくし閭の住人か」

 こくりと竜弥が頷く。彼のただならぬ雰囲気から、かくし閭炎上に巻き込まれた可能性を懸念する。が、その懸念は竜弥の次の言葉によって払拭された。

「芸州のかくし閭が燃えてなくなったって噂を耳にしてさ、急いで探しに行ったら革田の村がひとつ、丸焼けになってた」

「かくし閭は?」

 竜弥は顔を斜めに倒した。

「どこにあったのかも知らなかったし、そもそもかくし閭が芸州にあったってこと自体知らなかったからな、かくし閭が燃えてなくなったって聞いても現物を見てねぇからにわかには信じらんなかったんだ」

 勇次は何度か頷いた。

「それをその制外者から聞いて、かくし閭の存在が本当だったってわかったんだな」

 竜弥が黙ったまま頷く。ここで勇次はある疑問をぶつけた。

「俺が聞いた話じゃ、遊神も含めてかくし閭の住人はひとり残らずお陀仏になったってことだ」

「……」

「それだけじゃねぇ。戦で留守にしてた男衆も帰ぇってきてすぐ皆殺しにされちまったって。けど、おめぇの話を聞く限り、最低ひとりは生き残りがいたってことになる」

「……そだな……」

 どこか浮かない顔で竜弥は揺れる湯面を見つめていた。

「竜弥、おめぇ、なんか隠してることねぇか?」

「……」

 竜弥はやおら湯船から上がると、水風呂を指差した。

「のぼせちまうからそっち入ろうぜ」

 話が長くなるということか。勇次は竜弥の誘いに乗り、水風呂へと移動した。




「隠してるっつうか……」

 もごもごと口ごもる竜弥に勇次が苛立つ。

「洗いざらい話せ」

 勇次に気圧され竜弥は遠い眼をした。

「……忘れもしない、あれは3年前。俺が川越を出奔して……」

「3年前? ちょっと待て。なんで春に帰ぇってきたとき話さなかったんだよ」

「いや、忘れてた」

「てめ、ふざけてんのか?」

「怒らない怒らない。そーゆー顔、お義姉さんそっくりだぜ」

 ぐぬぬ……と勇次は怒りを呑み込んだ。竜弥がふっと笑みを漏らす。

「勇次さ、春はそれどころじゃなかったじゃん」

 竜弥の指摘にはっとした。たしかに春は普通の精神状態ではなかった。1月16日の城下町大火でりんが焼死したと思い込み、すっかり憔悴しきっていたのだ。竜弥は抜け殻のようになってしまった自分を支えてくれたひとりでもある。彼がいなかったらどうなっていたか自分でもわからない。もしかしたら、りんと再会する前に死んでいたかもしれないのだ。

「そだな……。悪かった」

 と長い睫毛を伏せる勇次の胸板を、竜弥がパンパンと軽く叩いた。大火の後、悲嘆のあまり食事もろくに喉を通らず、やせ細ってしまった勇次を心配していた彼であったが、ほぼ元通りの逞しい体躯に嬉しげだ。

 勇次は上腕の隆々とした力こぶを見せながら話を戻した。

「で、3年前がどうしたって?」

「そうそう、3年前な。6月だっけ、氷川神社に大工たちが集まってちょっとした米騒動があったろ。でもってその前だかあとだか名栗でも世直し一揆が起こって大騒動になったじゃん」

「ああ、よーく憶えてるぜ。おめぇが川越から出てったのはそのせいだもんな」

「そのせいっつうか、まぁ、きっかけではあったな」

「で?」

「で、坂本龍馬に会ってみようと思って京へ行ったんだけど、半年前に殺されてて会えなくてぇ。しょうがねぇから次どこ行こうかなって考えてたとき、たまたま幕府が長州を征伐しに行ってるって噂で聞いて、高みの見物でもしてやろうかと……」

「物見遊山気分で戦を見に行ったのか」

 呆れ顔の勇次を尻目に、「まぁな」と竜弥は鼻を鳴らした。だが竜弥が長州まで辿り着く前に、幕府軍は芸州口で返り討ちを食らい、敗走したという。彼がかくし閭の消滅を知ったのはちょうどそのころだ。目ぼしい場所を訪ね歩き、辿り着いたのが(くだん)の革田村——というわけである。

「結局、かくし閭は燃えちまって見つかんなかったからよ、とりあえず野宿でもしようと山に入ったんだ」

 その翌朝のことだ。竜弥は一発の銃声で目が覚めた。

「けっこう近くで聴こえたから慌てて飛び起きたよ。そしたら次々に銃声が聴こえてきてさ、悲鳴みてぇなのも聴こえたからこりゃただ事じゃねぇなって思って、急いで見に行ったんだ」

「逃げろよ、馬鹿。死ぬぞ」

 勇次が呆れて水をかける。苦笑いで竜弥は続けた。

「まぁ、とにかく見に行ったんだよ。そしたらさ、人がばたばた倒れてて、そこら一帯血の海で、その周りを兵隊みてぇなのが囲んでた」

 うわぁと眉を顰める勇次に、さらに語って聞かせる。

「だめだこりゃと思ってあきらめて引き返そうとしたんだけどよ、たまたま見つけちまったんだな」

「なにを?」

「まだ生きてるやつ。ひとりだけだったけど」

 勇次は目を丸くして竜弥を見つめた。

「それで結局そいつどうなったんだ?」

「血まみれでとどめ刺されそうになってたから、思わず兵を短筒で撃っちまった」

 けらけらと竜弥が笑う。勇次は呆れ果ててものが言えない。どこから突っ込めばいいのやら。

「ちなみにおめぇが持ってた短筒って……」

「うん、リボルバー。家出る前に金舟楼にあったのを黙ってもらってった」

「 お ま え な あ 」

 しれっと言い放つ竜弥の首に、鬼の形相で手を伸ばす。

「そーゆーのどろぼうって言うんだよっ!」

 喉笛を潰しかねない勇次の手を竜弥は慌てて掴んだ。

「ちょちょ待て待てっ。話はまだ終わっちゃいねぇってのっ」

 勇次はなんとか怒りを堪えて手を離した。

「で、一発撃ったあとどうした」

「そうそう、リボルバーって6発連射できるようになってるじゃん? 兵も全部で6人だったからちょうどよかったぜ」

「……まさか全員撃ったんじゃ……?」

 額を押え勇次が青くなる。竜弥はしたり顔で言い放った。

「急所は外しといてやったぜ」

「あたりめぇだ、ばか」

 兎にも角にも兵たちが(ひる)んだ隙に、竜弥はその男を連れてなんとか逃げ切ったらしい。

「でもよ、そいつ、肩と足を撃たれててけっこうな深手でさ。血ぃだらだら流すわ止まんないわで相当やばかったんだ。さすがに俺じゃどうしてやることもできねぇ。けど山ん中でウロウロしてたら追手に見つかっちまうし。そしたらよ、そいつが言ったんだ」

 竜弥は一呼吸入れてから続けた。

「近くにサンカがいるからそこへ行けばなんとかなるかも、って」

「サンカ……か」

 サンカは(ひと)(ところ)に定住せず、山から山へと移り住む制外者(にんがいもの)だ。一か所に滞在するのは数日から長くても(ふた)(つき)()(つき)で、移動はほぼ家族単位。その実態は定かではなく、忍びとも職人集団とも言われているが、本当のところを知る者はほとんどない。宗門人別帳にも記載されておらず、旧幕府や新政府ですら人数はおろか実在性さえ把握しきれていないのが実情だ。

「なんでそいつはサンカが近くにいることを知ってたんだ?」

「毎年その時期になると蓑笠とか竹細工とか売りに来るんだと」

 何はともあれ、ふたりは無事にサンカの住処へと辿り着いた。

「サンカの薬ってよく効くんだぜ。そいつの傷も痕は残っちまったがすぐに治っちまっておでれーたわ」

 サンカの仮小屋でしばらく世話になっている間、その男から素性を明かされたとのこと。

「聞いて驚け。そいつ、かくし閭の人間だったんだよ。しかも俺と同じ妓楼の息子だってさ」

 そこですっかり意気投合したと、竜弥は嬉しそうに語った。甚吾郎以外の同じ境遇の、しかも川越以外の者に出会えた悦びは一入(ひとしお)であろう。その一方で、勇次は妙に腑に落ちた顔をしていた。

 ——妓楼……遊郭か……

 ようやく話が繋がる。芸州にかくし閭があるという噂の信憑性を裏付けたのは、その男の存在だったのだ。

「そいつ、今どこにいる?」

「いや、芸州で別れちまったからそのあとどうしてるかはわかんねぇ。けど……」

「けど?」

「一応、俺の名と朱座の場所は教えといたから、困ったことがあったら来るかもな」

 勇次は深い溜め息を漏らした。竜弥が留守のときに来訪されたらどうやって対処しろというのだ。

「そいつの名は聞いてねぇのか?」

「聞いた聞いた。えっとー……たしか(きょう)()(ろう)って言ってたかな」

「喬史郎な。間違いねぇんだな?」

「おうっ」

 竜弥はぐっと親指を立て目配せした。それを横目に勇次が呆れ顔で水風呂から上がる。

「あ、勇次、ちょっと」

 絞った手拭いで身体を拭いている勇次を竜弥が呼び止めた。

「話は変わるが、おめぇ、黒い遊神って知ってるか?」

 何の脈絡もなく発せられた竜弥の言葉に勇次は思わず振り返った。

「竜弥、おめぇ、なんでそれ知ってんだ?」

「てこたぁ、勇次も知ってんだな」

「俺は今日、甚さんから聞いたばっかだ。おめぇは?」

「今話した喬史郎さんって人から」

 ふたり顔を見合わせ、実は……と互いの話をすり合わせようとしたときだ。

「いつまで入ってるんだい。とっとと上がんな」

 姉お亮の声で話は中断を余儀なくされた。

次回は第21話「もどかしいふたり」です。


【一口メモ】

◎常盤堂:浅草の雷おこし製造・販売業者。江戸時代末期、雷門前にて露天商が売り出したのがルーツとされることから、創業は200年以上前とも云われる。

◎夜船:川越夜船。新河岸川を航行する高速客船。扇河岸を午後3時ごろ出航し、翌日昼頃に浅草花川戸に到着する。

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