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第13話 黒い遊神の魔手

今回から第4章「女の園」に入ります。

 西から天気は崩れてきた。少し前に感じた雨の匂いが強くなる。降り出すのも時間の問題だろう。

 甚吾郎は袖の中で腕を組み、首を傾げた。(あか)()遊郭遊神の(しゅう)宮城が言うことには、彼女のあずかり知らぬところで遊神が潜んでいるらしい。

「するってぇと、宗の知らねぇ遊神は朱座にいるはずがねぇってことですかい?」

「そういうことさ」

 宮城の即答に眉を(ひそ)める。しばし眉間に(うね)をこしらえたまま考え込んだ。

 ——は…話が見えねぇ……

 何故遊神がかくし(ざと)の守り神となったのか。遊神はどうやって選ばれるのか、いや、どうやって生まれるのか。そもそも、かくし閭とは、遊神とはいったいなんぞや——。

 次々に湧いてくる疑問が頭の中で収集つかない。生まれたときからかくし閭にいる甚吾郎は遊神の存在を当然のものとし、疑問視したことがなかった。朱座惣名主の跡取りでありながら、遊神のことを何も知らないのだ。

 父勝治郎を横目でちらりと見た。父は事の重大さを理解していないのか、どこか()()(ごと)のような顔でのほほんと座っている。話が複雑になってくるとからっきし役に立たなくなる。

 ——でも、ま、神輿(みこし)は軽くてパーのほうが楽っちゃ楽だけどな。

 つまり、惣名主である父を隠れ蓑にしているほうが何かと自由に動きやすいということだ。

 視線を宮城に戻す。彼女も甚吾郎を向いていた。勝治郎の本性を知っているがゆえ、深刻な話のときは必ず甚吾郎を同席させる。

「何から説明しようかね?」

 甚吾郎の戸惑いに宮城も気づいた。彼も何から訊こうか迷っているようだ。しばらく考えたのち、彼は組んでいた腕を外して膝の上に置いた。

「そうですねぇ……。その、朱座のどこかに潜んでいるっていう遊神は宗の配下なんですかい? それとも祖、あるいは長者の……」

 遡ること800年余り、平安京の貴族たちを夢中にさせる遊女があちらこちらに出現した。特に、江口・蟹島・神崎の遊女は名妓であった。天皇や藤原道長など名だたる顔ぶれを虜にしたとも伝わる。各所には首長格の妓女がおり、それぞれは「祖」「宗」「長者」と呼ばれ、配下の遊女たちを束ねていた。かくし閭の遊神は彼女らにあやかり、その名をもらっている。

「わっちの下の遊神(もの)じゃないね」

「となると、ほかの(あね)さんとこの(ゆう)(じん)が紛れ込んだってことになりますね」

 宮城は答えなかった。怪訝に思った甚吾郎は傍に控えている如意を向いた。

「如意は何か感じるかい?」

 如意は首を横に振った。彼女は遊神になってまだ40年足らず、朱座はまだ2カ所目だ。遊神としての経験自体浅いせいか、能力は微々たるものである。

 甚吾郎は宮城を向き直した。

「邑咲屋の孔雀もこのことに気づいてるんですかい?」

 孔雀は遊神として生まれ変わってから400年超だ。彼女の力は宗の宮城に劣らない。だが、宮城は溜め息交じりに首を振った。

「あの子は今、色ボケしてるから役に立たないよ」

 結界を張るくらいはできるが、それ以外の能力は皆無に等しいという。

「それ以外の能力? 遊神って、結界を張る以外にも何かできるんですかい?」

 意外そうな顔で甚吾郎が目を丸くする。宮城ははぁーっと呆れ気味に吐息を漏らした。

「この朱座遊郭が繁盛してるのは誰のお陰だい?」

 政変や飢饉などで世の中が混乱に陥っているときも関係なく、朱座は平常通り営業できており、武士の客足は減ったものの売り上げが打撃を受けるほどではない。

 甚吾郎は平身低頭、畳に手を着き謝意を示した。と、なんとなく嫌な予感がして隣の父をちらと見る。案の定、父は舟を漕いでいた。

 ——いっ居眠りしてるっ????

 後ろに倒れそうになる。

「甚吾郎、この馬鹿旦那のことはほっときな。聞いたところでどうせ役に立たやしないんだ。今まで通り適当におだてて、お城のご家来衆とのつなぎ役をやってもらえればいいんだよ」

 まさか今、宮城が父のことを操っていたのではあるまいな。

「操っちゃいないよ」

 宮城の一言にぎくりとする。もしや人の心を読めるのか。

「ああ、驚かせてすまなかったね。心までは読めないから安心しな」

 半信半疑で宮城を見つめる。だが、宮城の次の言葉に背筋が凍りついた。

「でもね、その潜り込んでいる遊神は、結界を張れない代わりに人の心を操ることができるのさ」

「人の心を……操る……?」

 甚吾郎はぞっとした。人の心を操ることができるということは即ち国を、世界を操ることをもできるということだ。

「でもね、操れる人数は限られてる」

「何人くれぇ?」

 千人か万人か。ドキドキしながら宮城の答えを待つ。

「遊神に生まれ変わって1年目は1人、2年目は2人、10年目には10人」

「つまり、100年生きたら100人の人間を操れるってことだな。なんだ、それっぽっちなら心配するほどでもねぇや」

 だが、ほっと胸を撫で下ろす甚吾郎に、宮城は鋭い視線と恐ろしい言葉を投げつけた。

「その100人が政府のお偉いさんだったら? もしくは殿様だとしたら?」

 ふたたび緊張が走る。甚吾郎は口を押えた。

「100人の長が何千何万の兵を率いて戦を起こすこともあり得る……?」

「100人もいらないかもしれないね。たった1人だって、その1人が天子様ならば」

 押えた指の隙間から戦慄が漏れる。ようやく戊辰戦争が終結し、新たな明治の世を創り上げていこうというときにまた擾乱ということにでもなったとしたら、今度こそ異国にその隙を突かれ、国は滅んでしまうかもしれない。

「その遊神は仲間じゃねぇんですかい?」

「仲間じゃないね」

「だとしたら何者なんです、そいつは?」

 宮城は一息間を空けてからその名を口にした。

「黒い遊神」

「黒い遊神? 遊神にゃ白とか黒とかいるのか?」

 宮城がこくりと頷く。如意の顔も見たが、彼女も頷いていた。彼女は(おし)ゆえに口は挟まないが、話の内容はすべて理解できる。その真顔から信憑性がうかがえた。

「言うなれば、わっちらが白い遊神。かくし閭の守護神さ」

「なら黒い遊神は……?」

 敵か——。宮城の表情は是とも否とも判別がつかない。

「黒い遊神の目的は?」

「色々さ。そのときどきによって変わるからわからない」

 甚吾郎は再度袖に手を入れ腕組みした。ここまでの宮城の話を鑑みるに、どうやらその黒い遊神とやらは招かれざる(あやかし)ということになる。

「やっつける手立てはないんですかい?」

「黒い遊神が人間だった頃の心を取り戻せば浄化するらしい」

「浄化? どうやったら人間の心を取り戻せるんだい?」

「……まぁ……説き伏せるとか……?」

 宮城は言いづらそうに口ごもった。

「説き伏せる? そんな原始的な? なんかほかにねぇのかい? 例えば(まじな)いとか武器とか」

「そんなもんあったらやつらはとっくに滅んでるよ」

 甚吾郎は横を向き、目を閉じた。

「随分頑固なやつらだな」

 今まで存在しているということは、説得も一筋縄ではいかない輩なのだろう。

「まぁ、今のところまだ動きはないみたいだ。それに、感じた限りではその黒い遊神、まだ若いね。おそらく生まれ変わってから1年も経っていないだろう」

 宮城の言葉に甚吾郎が目を開ける。

「じゃあ、操れるのは1人ってことか」

 宮城は頷いた。1人だからといって安心できるわけではないが、手に負えない人数でもない。

「黒い遊神は、若いうちはかくし閭の中でしか動けない。だから早いうちに手を打てばなんとかやつの力を封じることはできるよ」

「なるほど」

「わっちも今の時点でわかることはこれだけさ。とにかく用心に越したことはない。心していておくれ」

「承知。ところで、宗、つかぬことをお(たず)ねしますが」

「なんだい?」

 宮城に見つめられ、一瞬迷いが生じた。そっと目を逸らし、うつむく。訊くべきか訊かざるべきか。甚吾郎は悩んだ末、意を決して顔を上げた。

「仮にですよ。仮に朱座ん中で火の手が上がったら、遊神様はすぐに結界を閉じるんですかい?」

 言い終わると同時に宮城の顔色が変わった。甚吾郎は失言に気づいたがもう遅い。宮城の表情はすでに怒りの色を成していたのだ。

「結界を閉じる前に住人を逃がすに決まってるじゃないか。甚吾郎、あんた、わっちのことをそんな薄情もんだと思ってたのかい? 見損なったよ」

 宮城は激しい怒りをぶつけてきた。甚吾郎が慌てて弁解する。

「滅相もござんせん。言わずもがな朱座の遊神様のことは信じております。けど……」

「けど、なんだい?」

 けど、と言いかけたところで、隣で居眠りをしていた勝治郎が目を覚ました。父に聞かれたら話がややこしくなる。続きはまた今度にしようと、宮城と互いに目配せをし合った。一抹の不安と父を抱え、座敷を出ていく。

 ——だったら、なんで芸州のかくし閭は住人もろとも消滅しちまったんだ?

 住人が避難する前に遊神が結界を閉じたということであろう。

 ——住人を道連れにしたのか?

 しかし、遊神は結界を完全には閉じなかったという。それは住人を逃がすためではなかったのか。その住人がひとり残らずかくし閭とともに消滅してしまった今、真相を知る手掛かりはない。

 ——わからねぇ。なんで飛び火するかもしれねぇのに結界を完全に閉じなかったんだ……?

 いくら考えても納得のいく答えは浮かばなかった。ただ、芸州の二の舞だけはなんとしてでも避けたい。そのために、朱座を守る惣名主家の跡取りとして自分は何をすべきなのか——。甚吾郎は父を寝所に送った後もずっと考え続けていた。





 朱座の薬売り緑山が邑咲屋にやってきたのは、翌日の昼見世を開けて間もない頃だった。昨日の雨はすっかり上がって空は晴れ渡っている。その時間、客引きで店先に出ていた勇次が、張見世の前を控えめにウロウロしていた彼を目ざとく見つけた。

「緑山さん、来てくれたのかい? ありがてぇ。ご奉仕いたしんす。さ、どうぞ中へ」

 躊躇する緑山の背中を押す。緑山は照れながらも、まんざらではない様子だ。勇次に導かれるまま待合処の縁台に腰掛ける。そこからは張見世に並ぶ遊女たちの横顔が一望できた。

「どの遊女(おんな)がお好みですかい? あの真ん中のなんかお勧めですよ」

 勇次は中心にでんとかまえる散茶玉虫を指差した。彼女は客の扱いがピカ一だ。大事な客に粗相はない。だが緑山は、端っこで小さくなっている()()るが気になるようだ。

「へぇ、緑山さん、お目が高いんだな。穂垂るは見た目はあれだが、気立ての良い子でね。暮れに働きはじめたばっかなのに、もう馴染みが3人もついてるんだぜ」

「すごい。人気者なんですね。じゃあ、私なんか相手してくれないかな」

「またまたご謙遜を。緑山さんみてぇな優男、川越じゃそうそう見かけねぇよ」

「勇次さんみたいな色男に言われても説得力ありませんよ」

 緑山は苦笑した。気を取り直し、ふたたび(まがき)の中を垣間見る。すると——。

「おや?」

 何かに気づいたように一点を見つめた。勇次もその視線の先を追う。緑山が呟いた。

「あの人……」

 彼の視線は空蝉を捉えていた。

次回は第14話「洗礼」です。

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