第1話 制外者の末路
戦から戻ってきた男たちは我が目を疑った。さとが跡形もなく消え去っていたからだ。
「わしらが戦に行っとる間に、いったい何があったゆうんじゃ……」
さとだけではない。隣の集落も灰塵と化していた。さとから出た火が燃え移ったのだという。聞けば聞くほど不可解だ。さとがあったと思われる場所で、男たちは茫然と立ちすくんだ。
さとの者たちと集落の村民たちの消息はようとして知れない。全員焼死してしまったのだろうか。
「お代官様に聞きにいかんにゃぁ」
不安に駆られた男たちは事情を知るべく代官の元へと向かった。だが、その必要はなかった。なんと代官のほうから出向いてきたのである。
「皆の者、此度の戦場での働き、まこと見事であった。将軍様もたいそうお喜びであられたぞ。やはりおまえたちの力は頼もしいかぎりだ」
馬上から上機嫌で偉丈夫たちを見下ろす。その態度に彼らの誰もが違和感を覚えた。代官の言葉を鵜呑みにする者などひとりもいない。その理由はただひとつ。
——戦に負けとるんに、なにを公方様が喜ぶんじゃ?
男たちは幕府軍として参戦したが、彼らの獅子奮迅の働きも及ばず敗戦を喫したのだ。なのに徳川将軍が男たちの働きを褒め称えているというのはどう考えても腑に落ちない。
訝る男たちを一顧だにせず、代官はにこにこと告げる。
「春になったら褒美を取らせる。品が整うまでゆるりと身体を休めるがよい」
それから男たちを代官邸近くの屋敷に案内するよう従者に命じると、馬の向きを返した。
「お待ちください、お代官様! さとの者たちはどうなったんじゃ?」
「わしの村ものうなってしもぉた。わしの女房はどこへ行ってしもぉたんじゃ!」
父母は、子供たちは、兄弟姉妹はと口々に追いすがる。馬を止め、代官はふと表情に哀愁を漂わせた。
「此度は不憫なことであった。せめておまえたちには償いをさせてほしい。悪いようにはせぬ。おまえたちの身の振り方は考えておるゆえ」
哀しみの表情とは裏腹に、その声は淡々としたものだった。されど従うしかないのか。抗おうにも住む家はおろか、さとも村も失ってしまったのだ。男たちに帰る場所などどこにもない。
落ちゆく太陽を見つめる。言い知れぬ不安を抱えながらも、男たちは長く伸びる代官の影をぞろぞろと追うしかなかった。
屋敷にたどり着くと、男たちはまず温かい食事でもてなされた。家と家族を失った衝撃で忘れていた空腹が急激に襲う。膳に乗った飯を彼らは夢中で貪り食った。だが、ご馳走をたらふく食い、酒を浴びるほど飲んでも忘れることはできない。跡形もなく消え失せたさと、草一本も生えていない焼け野原——。
あまりに無残な光景を目の当たりにしたからか、それとも現実を受け入れたくないとの心理からなのか、彼らの口は一様にして重たい。ひとしきり腹を満たしたその場に沈痛な空気が流れる。そんな中、ようやくひとりの男が口を開いた。
「なぁ、喬史郎。わしら、これからどうなるんじゃ?」
耕作が顔を寄せ、小声でそっとささやく。
「そがぁなこゆぅてわしに聞かれてもわからんよ」
喬史郎もぼそっと返した。自分とて家族を失ったのだ。今は悲しみに暮れるばかりで先のことなど考える余地もない。
「おかん……」
誰かのすすり泣きが聞こえる。それを皮切りに誰かが鼻をすすり、また誰かが嗚咽を漏らした。悲哀の連鎖は瞬く間に広がり、一同が涙に暮れた。
喬史郎も目頭を押さえた、そのときだ。先ほどの従者が板戸を開けて入ってきた。
「お代官様からのお達しだ。おまえたちの行き先が決まったゆえ、明朝早々に出立するようにとのことである」
「行き先ってどこか?」
「革田の村である」
「はぁ?」
喬史郎は思わず腰を浮かせ、驚愕の声を上げた。喬史郎だけではない。耕作を含めさとの男たちが片膝を突き立てて怒りの声を上げた。
「なんでわしらが革田の村に住まんにゃぁいけんのんか!」
「黙れ、この制外者が! せっかくご城主様のお慈悲で無宿者のおまえたちに住処を与えてやろうというに、盾突くとは何事じゃ!」
逆上した従者は近くにあった膳を足で蹴り飛ばした。一瞬、しん……とその場が水を打ったように静まり返る。
「よいか。おまえたちはもう無宿者なのだ。野非人となって路頭に迷うところを救ってやろうというのに有難いと思わんのか!」
「非人のほうがまだましじゃ! 非人じゃったら平人になれるじゃろう。ほいじゃが、革田になってしもぉたら一生平人になれんかろう!」
険悪な雰囲気を残りの約半数の者たちは黙って窺っていた。その者たちに従者が問う。
「おまえたちはどうなのだ? 革田村へ行くか、それともこの者たちと同様、ご城主様に逆らうか」
彼らの中に逆らう者はひとりもいない。それもそのはず、彼らは灰塵と化した革田の村の者なのだから。
戦に駆り出された者は農民・猟師・漁夫。それ以外にも革田——つまり穢多などの部落民、そして非人などの制外者も含まれていた。藩はそれぞれの集落から屈強で腕の立つ男を選び出し、軍夫として動員したのである。
「大人しくほかの革田村へ移ればよし。さもなくば……。まぁ、それは追って沙汰する」
有無を言わさず従者はぴしゃりと板戸を閉め、行ってしまった。ふたたび不気味な静寂が訪れる。
革田の者がほかの革田村へ移ったところで仕事や身分が変わるわけではない。彼らにとって悪い話ではないだろう。しかし、喬史郎たちさとの人間にはどうにも抵抗があるのだ。一度穢多の身分になってしまったらもう平人になるのは難しい。一生を革田として生きてゆくのはやはり覚悟のいることなのである。
「喬史郎、どうする?」
「今さら革田になれるわけなかろう」
「じゃが、逆ろぉたらどうなる?」
「知らんわ。んじゃけど、殿様の言いなりになりょぉったまるか」
ふたりの間に重たい空気が流れる。
「なんでわしらがこがぁな目に……」
さとで普通に生活していただけだ。さして目立った動きをしたわけではない。それとも知らぬ間に城主の逆鱗に触れるようなことでもしたのだろうか。様々な思考を巡らせても思い当たる節はない。もしも、ひとつあるとするならば——。
「なぁ耕作、黒い遊神て知っとるか?」
突として喬史郎が耕作の耳元で声を潜めた。
「黒い遊神? なんか、そりゃぁ、知らん」
聞き慣れぬ言葉を耳にしたからだろうか、耕作はぎょろりと開いた眼を喬史郎に向けた。一瞬どきりとする。
「わしもよう知らんが、人の心を操って仲間をバラバラにするげな」
「なんか、そりゃぁ? いびせぇの。それで、それがどうしたんか」
「あんな、わし、さとがなくなったなぁ、ひょっとしたら黒い遊神の仕業じゃぁないかゆうて思うてな」
耕作の動きが止まった。さとの消失は黒い遊神の仕業ではないかと疑う喬史郎の顔をしばし黙ってじっと見つめている。
「喬史郎、おまえ、なんでそがぁなことを知っとるんかいね」
「噂で聞いたんじゃ」
「噂て、どこから……」
「女衒じゃ」
そのような噂が女衒の間で広まっているらしい。人身売買を生業とする女衒は、売り物になる人間を探すべく諸国を旅している。すべからく女衒同士の情報交換もある。そこでは人知れず様々なやり取りが繰り広げられているのだ。
「ただの噂じゃろぉ」
耕作はおもむろに散らばった膳や箸を拾いはじめた。唐突に「黒い遊神」などという得体の知れぬものの存在を聞かされ、取り乱しそうになる心を落ち着かせようとしているのかもしれない。
「つまらんこと言うてすまんじゃった」
喬史郎も椀や湯呑みを片付ける。それきりふたりは無言のまま、まんじりともせず、朝が来ないことをひたすら祈りつづけた。
翌早朝、山際がようやく白みはじめたころ、革田の者たちは別の革田村へと散らばっていった。制外者の中にも革田になることを選んだ者もいた。穢多身分とはいえ、皮革生産という食いっぱぐれのない職業につけることは生活していくうえで安心安定を約束するものでもあったからだ。
しかし喬史郎は耕作や数名の制外者とともにその場に残った。彼らはまだ陽が昇りきる前に人里離れた牢屋へ移されることとなった。
「戦で死に物狂いで戦った仕打ちがこれなんか」
移送の途中、耕作がぼやく。喬史郎も心の中で頷いていた。軍夫として動員された革田や制外者の派遣先は激戦地、それも死地ともいえる最前線だ。それでも彼らは奮戦激闘し、敵の迫撃を撥ね返した。最終的に敗戦したとはいえ、その善戦ぶりは敵軍ばかりでなく味方をも脅かすものであった。
藩はその秘めたる力を恐れ、使い捨てにしたのだ。非常事態のときだけ利用し、褒美をぶら下げ、利用できる者はふたたび利用する。逆らう者は捨てればよい。また新たな戦闘員を徴兵すればよいだけのこと。
戦で武功を上げれば賤民身分から解放されると期待した自分が浅はかだっただけなのだ。
——幕府も藩も腐っとる。徳川の世ももう終いじゃのぉ。
山道にさしかかると同時に陽が翳った。鬱蒼と生い茂る樹林の道を歩きつづける。そのとき、喬史郎はただならぬ気配を察した。その直後だ。林立する木陰から、銃を持った男が現れた。ひとりやふたりではない。辺りを見回す。息を呑んだ。が、気づいた時にはすでに四方を数名の銃兵たちに囲まれていた。
——長州軍か?
いや、戦は長州の勝利で終わったはずだ。敗者を深追いするとは考えにくい。ならば、この兵たちは……。
——そぉゆうことか。
藩は初めから逆らう者は消すつもりだったのだ。だが、気づいたところでもう遅い。丸腰のこの状況から逃げられる術はなかった。
「こがぁなところでくたばっとったまるか!」
突如走り出したのは耕作だった。
「待て、耕作!」
喬史郎が叫んだその瞬間、発砲音が山林に響き渡った。銃弾をかいくぐろうと必死に駆けた耕作の身体を弾丸が貫く。彼はそのままばったりと倒れ込んだ。
「耕作ーっ!」
だが、耕作の元へ走り寄る間も与えず、銃弾は雨あられのごとく容赦なく浴びせかかってきた。仲間が次々と倒れてゆく。喬史郎も脚に銃撃を受け、転げた。その頬を銃弾が掠める。間髪置かず肩にも被弾した。
ざく……。うずくまる喬史郎の瞳に映ったのは、草鞋と革靴とが混在した光景だった。最後のひとりとなった喬史郎を複数の銃兵たちが取り囲む。もはやこれまでか。どくどくと流れゆく鮮血を見つめながら覚悟を決め、静かに目を閉じた。瞼の裏に焼き付いた恋女房と愛娘の顔が浮かぶ。
銃口に向き合い、最期の瞬間を待っていた、その直後、ふたつの異なる銃声を聴いたところで意識は途切れた。
次回は第2話「大火のその後」です。
舞台を川越に移し、勇次を中心とした朱座遊郭の物語が新たに始まります。
【用語解説】
◎藩:当時話し言葉の中で「藩」という呼称は使われていませんでしたが、文中では物語をわかりやすくするために使用しています。