第164話 新たな挑戦
2021年7月 高知市内某サッカーグラウンド <飯島 賢太>
サマーブレイク前の最後の試合。相手は昨年勝利出来なかった徳島吉野川FC。後半残り15分。3対0。後半投入の棟田のハットトリックでサポーターの雰囲気は最高潮。
今日はクラブに無理を言い、観客席でサポーターの皆さんと一緒に観戦させてもらった。あの心強い声を間近で直接肌で感じておきたかった。
リーダーの洋子さんにチャントやコールのきっかけを教わり、この日1000人以上集まった皆さんと一緒に手を叩き声を張り上げる。
もうすぐ試合が終わる。その頃にはサポーターの皆さんも俺が観客席にいるなんて忘れたようにピッチに想いを届け続ける。
俺はこの人達にも支えてもらっていた。今まで学生サッカーしか知らない俺に、職業としての生業としてのサッカーを感じさせてくれた人達。
楽しい時は祭りのように騒がしく、悔しい時にはシュートを外したのが自分達かのように悔しがり、嬉しい時には隣後ろ関係無く抱き合って喜ぶ。
そんな飾り無い剥き出しの感情を常にぶつけ続けてくれた。
試合が終わる。ホイッスルと同時に皆とハイタッチをして喜びを分かち合う。
選手達がゴール裏に整列し、深々とお辞儀をする。それに拍手を送り、コールを歌う。当たり前の光景を新鮮に感じながら、グラウンド脇にある大きな広場へと移動する。
今度はチーム側へと移動して、さっきまで一緒に声援を送っていた人達と向き合う。皆、笑顔だ。いや、涙を流している人もいる。でも、笑顔だ。
なぜか涙は出なかった。自分でも分かっていたんだと思う。
中堀さんに促されて挨拶する。たくさんの想いを伝えた。たくさんの感謝を。
そして、くるりと振り向いてチームの皆に感謝を伝える。そして、一番伝えなければいけない人へ。
「常藤さん。あの日の、相談に乗っていただいたあの日が無かったら、俺は、僕は、チームを離れていたかも知れません。あの日の想いを忘れることなく、ヴァンディッツとしての誇りを持って、ベルギーへ行きます。またいつか、あの日のように一緒に珈琲を飲みたいです。その時には、もう少し大人になれてると良いんですが。」
皆から笑いが起こる。もう一度サポーターと向き合う。最後の想いを伝える。
「チームを頼みます。皆さんに恥ずかしく思われない、ヴァンディッツの自慢だと思ってもらえる選手になります。そして、いつか、帰ってきます。これからどんなサッカー人生を送ろうが、僕が日本サッカー界に戻ってくる時は、ヴァンディッツです。本当にたくさんの想いを、ありがとうございました!行ってきます。」
選手とスタッフと握手をして、サポーターさん含めて皆で集合写真を撮る。人数が凄くなる事を予想して、会社はドローン業者に空撮を依頼していた。
たくさんの笑顔と、たくさんの涙に見送られて、明日ベルギーへ発つ。しばらくのお別れ。
・・・・・・・・・・
2021年8月 Vandits fieldサブグラウンド <山口 葵>
「今日から練習に参加します。酒井彩芽です。ポジションはDFです。宜しくお願いします。」
「同じく今日から練習に参加します。八木香苗です。ポジションはFWです。宜しくお願いします。」
夏の移籍で二人の選手が新たにシルエレイナ高知に加わりました。二人とも愛媛FCレディースから加入しました。八木さんはVandits安芸の八木選手のお姉さん。今までに何度もヴァンディッツやシルエレイナの試合を観戦に来てくれていて、スカウトの水梨さんの話では、愛媛側で監督交代からレギュラーメンバーの入れ替わりが激しくなり、出場機会が激減した早苗選手(紛らわしいので呼び方を皆で決めました)と酒井選手が移籍先も含めて今後を思案していた所に水梨さんが声をかけたそうです。
社会人メンバーの少ないシルエレイナにとって二人の加入は非常に大きな出来事で、それ以上になでしこ1部を経験している事はこれからのチームの熟成度を上げていく中で間違いなく必要な経験値になると思っています。
練習でも積極的に周りとのコミュニケーションを心掛けてくれていて、特に学生メンバーには私生活の部分からどういう面に気を付けるべきか等を押し付けにならないように普段の何気ない会話の中に織り交ぜながら話をしてくれているようで、本当に助かっています。
今後のレギュラー争いも当然激しくはなってくると思いますが、この争いが無いようではチーム力向上はありえません。
・・・・・・・・・・
<八木 早苗>
シルエレイナ高知から移籍オファーをいただけた時は、正直言って驚きしかなかった。チームとしては絶好調。もし移籍交渉に入るとしてもシーズンを終えてからだと思っていた。
でも、水梨スカウトの話では今季終盤に待つなでしこリーグ入れ替え予選会に向けて、今以上の選手層の充実を図りたいチームの狙いがあったそうだ。
私と時を同じくしてレギュラー構想から外れた彩芽もシルエレイナからのオファーを受けた。チームからは驚かれたし、チームメイトからも引き留めて貰える事はあったけど今の状況では自分達がもう一度レギュラーにと言うのは監督が交代しない限りあり得ないと私は判断した。
弟の和信がいる(株)Vanditsへ行く事は相当悩んだ。でも、それ以上に選手へのフォローの部分、引退後のセカンドキャリアの面など自分としては現役に集中させて貰える環境と言う面では(株)Vanditsは相当に好条件だったと言えた。
チームに合流しての初めての練習。それはウォーミングアップから驚かされた。柔軟や軽いダッシュなどをするんだけど、選手はもちろんスタッフすら一切喋らない。普通、いえ、この場合は普通がどれに当るかが分からないけど、私が今まで関わってきたチームはウォーミングアップから皆が声を出して、テンションを上げていく事が多かった。
でも、シルエレイナではその時間が本当に静寂に包まれる。敷地の外を走る軽トラックの音が聞こえてくるくらいだから、本当に一言も話さない。
メニューを教える為に一緒に練習してくれた同じFWの中嶋由衣ちゃんに話を聞くと、ウォーミングアップの時間は選手個人で自分の体の今日の調子と向き合い、体と対話する時間なのだそうだ。
いつもと同じメニューをこなしていても、「あれ?今日は関節が硬い気がする」とか「ダッシュの一歩目が勢いが乗らない」などのちょっとした違いに気付く為の時間なんだそうだ。それはネガティブな部分だけでなく、調子が良い部分はどこなのかも探っていく時間でもあるらしい。
郷に入れば郷に従え。私も初めてじっくりと自分の体に向き合ってみる。すると、確かに自分の筋肉の動きをいつも以上に感じられるような気がする。自分が無意識で回していた股関節のストレッチは実はもう少し回した方が効果が高いんじゃないかとか。
そして、それを自分の中で考えているとそっとコンディショントレーナーの白川先生が声をかけてくれる。Vandits安芸のコンディショントレーナーを務められていて、シルエレイナの練習も見てくれている理学療法士の先生だ。
自分が感じた事を話すと、少しチームの輪から離れてそのストレッチの強度の違いをもう一度先生立ち合いの中で試してみる。そして、先生なりのアドバイスを貰いながら自分のウォーミングアップメニューを見直していく。
ここまでこだわっているのか。おざなりになりがちなウォーミングアップも細部まで拘り、常に見直しながらチームで共有する。少しこのチームに来た意味を感じ始めていた。
・・・・・・・・・・
2021年8月 芸西村内農園 <望月 尊>
「ありがとうございましたぁ!」
自分達の農園で獲れた野菜を『えんがわ』の商品棚に陳列しながらお客様が退店されるのを見送る。今日も売れ行きは好調だ。しかし、野菜は少しづつ在庫が増えつつある。と言うのも、今年に関しては宿泊施設の『本陣』を利用するお客様が極端に少ない。それに伴って宿泊客のお食事の為に納品していた野菜がストップしている。
体育館や武道場を使う学生や児童の合宿などの受け入れはあるが、やはりヴァンディッツやシルエレイナの練習試合を目的に前乗り宿泊していただけるお客様が無くなるのは相当に痛かった。ある程度は予測して植える数を調整もしたが、それでも少し野菜は余りつつある。
今はアルバイトスタッフの女性陣や農業アルバイトの学生達に規格外の野菜をタダで持ち帰ってもらっている。しかし、これもあまり褒められた対応とは言えない。自分達の作った野菜をタダで配ると言うのは、労力を只売りしているのと同じだ。ひたすらに損失を誤魔化しているに過ぎない。
こう言った考え方も冴木さんのおかげで身に付いた。冴木さんの管理するゆず園に何度も通い、休憩中や作業しながら様々な話を聞いた。会社や経営に関する話だけではない。今までに出会った人の話や冴木さんが人付き合いで大事にしているポイントなど、飲み込めるモノは何だって飲み込んだ。
「あのぉ....望月さん。」
後ろから幼い声が飛ぶ。振り返ると小さな男の子が色紙を持って緊張した顔で立ってくれている。Vandits安芸のキッズ用のユニフォームを着ていた。
「はい。こんにちわ。」
「あの....えっと....」
八木達ならここで「サイン?」って聞いたりしているんだろうが、自分はその最後の一言をちゃんと相手に委ねる。自分で「欲しいです」と言えて貰えるサインの方が思い出に残ると思えるからだ。少し偉そうか。
男の子は意を決して「大ファンです!サイン下さい!」と大きな声で色紙とペンを突き出してきた。そのおおきな声に周りの従業員の皆さんやお客様もこちらを見ている。恐らく自分がヴァンディッツの元選手だという事をご存じの方はほとんどいらっしゃらないだろう。
それでも自分はしっかりと男の子に対応する。頭をゆっくりと撫でて「ありがとう」と感謝を伝える。色紙に拙いサインを書きながら男の子の名前を聞いて宛名も書く。
「ヴァンディッツ、好き?」
「はい!来年....四年生になったらサッカーやっても良いってお母さんとお医者さんが言ってくれて。だから、ヴァンディッツのスクール通います!!」
嬉しそうに話す男の子の言葉の中の「お医者さん」というワードに胸が痛む。男の子の後ろに立つお母さんらしき女性に笑顔を向けると、優しい笑顔で説明してくれた。
「生まれた頃から心臓の病気で。長かったんですけど、やっと少しづつなら運動をしても大丈夫だって言っていただけて。Vandits安芸の試合とか配信は家でも病院でもずっと見ていて、望月選手の大ファンだったんです。だから、今年はどうしてもサインを貰いたいんだって。」
視界が歪みそうになる。泣くな。彼には明るい未来が見え始めている。
「そうでしたか。良かったね。スクール、自分も指導に行ってるから、今度はコーチと選手で会おうね。」
「はい!僕、ゴールキーパーになりたいんです!凄い選手になるのに大事な事は何ですか?」
楽しそうな顔で目を輝かせて質問してくれる。分かってるかい?目の前にいるおじさんはプロにもなれなかった選手なんだぞ?
でも、自分が思い付く限りのアドバイスをする。
「怖がらない事。そして、何よりDFやチームメイトに『自分が守ってるから大丈夫!』って安心させてやる事。だから、GKは一番頼もしくなきゃいけない。」
「頼もしく....怖がらない....」
「大丈夫。病気とずっと戦って、サッカー出来るまで頑張れたんだろ?君は強いよ。」
その言葉に男の子は満面の笑顔で頷く。握手をしてグータッチ。嬉しそうにサインを抱きしめて親子は店を出て行った。周りには少し涙ぐんでいる女性の方達がいる。
「やっぱり引退は早かったんじゃないか?守護神。」
振り返ると冴木さんが立っていた。ポンと肩を叩かれる。ずっと引退しようとしていた自分を引き留めてくれて、引退後もずっと気にかけてくれている。何かあれば農園に足を運んでくれて状況を聞きに来てくれる。
「いや、もう無理ですよ。でも、嬉しいです。」
「そうかなぁ。まぁ、そんな頼れる守護神に一つ報告、というか相談だ。」
冴木さんはそう言って透明ファイルを自分に渡した。中には何かの企画書が入っていた。表紙には『私達は高知の未来の力を応援します』の文字。冴木さんを見る。
「営業部の古川と運営統括部の柿倉が共同で作った企画書だ。高知のいくつかの企業や小売店に持ち込んで新たな試みをしてる。」
冴木さんと二人で二階のカフェに移動して企画書を読ませて貰う。それはVandits安芸のジュニアユースチームへのスポンサー募集の企画だった。
「そこで良い返事が貰えそうなスポンサーがいるんだが、ちょっと条件があってな。それも含めて望月に相談しようと思って。」
冴木さんが持ち込んだ相談は農園部にとっては大きな転機になるかも知れない内容でした。
「良い返事が貰えそうなんですか?」
「そうなんだ。望月、これから三年間、金曜と土曜の朝に野菜をあるお店に卸して貰いたいんだ。」
三年??また凄い話を持ってきたな。冴木さん。




