第162話 移籍オファー
2021年6月 Vandits garege <冴木 和馬>
「咲坂栄一さんと水梨葉子さんだ。今月から(株)Vanditsの強化部へスカウトとして働いていただける事になった。」
『スカウト』と言う言葉に一気に周りは色めき立つ。今まで有力選手獲得の為に必要と思いながらも、なかなかそう言った人材への伝手が無く採用に踏み切れなかった分野だ。
「咲坂さんにVandits安芸と育成世代男子を、水梨さんにシルエレイナ高知と育成世代女子を担当してもらう。....とは名目上で、実際は二人と強化部のメンバーで話し合いを行って、移籍や新加入の候補選手を選定していく予定だ。樋口と森は頻繁に顔を合わせる事になる。しっかり意思共有するように。」
「「はい。」」
二人に挨拶をしてもらい会議に加わって貰う。スカウトとしてやはり『即戦力』。これは変わらない。もちろん育成世代の発掘も大事だが、ここに関しては学園の創設などでフォロー出来る部分もあるのでそれほど急がない。
二人からも今後の候補を挙げて貰っている。その中に気になる存在がいた。水梨さんの報告だった。
「そして次に候補として推薦したいのはFWの選手です。所属は愛媛FCレディースに所属する八木早苗選手です。」
その名前を聞いた瞬間、全員の目が会議を遠巻きに見学している八木の方へと集中した。八木はビックリしながらも困ったような顔でその視線を受け止める。
「はいはい。話を聞こう。(和馬)」
「ありがとうございます。愛媛FCレディースは今季になって監督交代をしました。それによって今まで2トップだったFWが1トップとなり、八木選手の起用回数が減ってきています。しかし、チームは六月現在で2位。非常に好調です。このままの成績をキープ出来たとすると、来季の監督続投もあり得ますので八木選手の起用はさらに厳しくなる可能性があります。」
これはサッカー選手にとって一生付きまとい続ける事なんだろう。チームの指針を決める監督が変われば使われる戦術や選手はガラリと変わる。八木のお姉さんは今回その候補になれなかったと言う事だ。
「以前から付き合いがあって話などもしていると、弟である八木選手が所属されてるVandits安芸の試合はもちろん、今季はシルエレイナ高知の試合も一度観戦に来てくれていたようです。本人も今後の移籍を視野に入れた生活をしているのかも知れません。ここに関してはチームからGOをいただけたらすぐに接触します。」
さすがは専門だな。仕事が早い。今回二人が挙げてくれた7名の選手に関しては夏の移籍期間で交渉だけはしてみる事になった。反応によっては移籍もあるし、結果が出なくても冬の移籍に向けて関係は継続していくと言う事で話がまとまる。
「あと報告だが戦場の客席増設工事は来週で終わる。ただ工事自体はまだトイレの改修と増設が残っているから、今年度中は続くが練習は来月から再開して構わないそうだ。今まで待たせて済まなかったな。」
これまで工事の関係で中止せざるを得なかったスタジアムでの練習は来月から再開出来る目途が立った。今まで人工芝のコートで両チームが曜日ごとに入れ替わりながら練習をしてきた。やっとその不便さからも解消される。
客席の増設部分は、今までゴール裏からメインスタンドへの回遊路として使われていた部分への増設だから、工事自体はそれほど大がかりでは無い。トイレの増設はスタジアム基準の数はクリア出来ているのだが、実際に2000人以上が詰めかけた時に混雑する事があったので、これを機に一気に増設する事にした。
まぁ、その為の敷地や場所はスタジアム内に予めトイレの予定で空けておいた部分があるので、これも水道工事を含めそれほど問題では無い。
「運営統括部からの報告は以上だ。他に何か報告や提案がある者はいるか?」
手は上がらない。寂しくもあるが、まぁ仕方ないだろう。
「自分達の会社を良くしていこうって会議だ。もし提案があるなら遠慮なく言ってくれ。俺か常藤さんの社用メールに送ってくれれば良い。じゃあ、Vandits安芸・シルエレイナ高知ともに全勝のままサマーブレイクに突入出来そうだな。ジュニアユースはU-13が苦戦してるようだが、これは一年目だし未経験者も多いからな。試合経験を積ませると言う意味でもリーグ戦への参加は意味がある。じゃあ、全員三ヶ月後の全体会議でも良い報告が出来るようにそれぞれ頑張ろう。じゃあ、常藤さんお願いします。」
「はい。私としても同じ気持ちです。スポーツ事業とホテル事業、そしてその他の事業で分かれて活動をしていますが、一番の目的は何であるか。これを忘れる事無く全員で意思共有をしていきましょう。では、会議は以上です。お疲れさまでした。尚、この後軽い軽食が運ばれてきますので、お時間ある皆さんはそのまま残って懇親会にしてください。咲坂さん、水梨さん。もしよければぜひ参加してって下さい。」
「ありがとうございます。楽しませていただきます。」
「嬉しいです。ありがとうございます。」
こうして会議が終了し、入り口の自動ドアを開けると雪崩れ込むようにいくつかの店舗から料理が運ばれてきた。事前に終わる時間を伝えて配達をおねがいしていた。中華料理やお弁当屋さんにはおかず類を、三原さんのパン屋さんにもお願いしている。皆が嬉しそうに置かれる料理に群がっている。
そんな光景に嬉しさを感じながら個別会議室へと移動する。さぁ、こっからは更に厳しいお話の始まり始まりだ。
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個別会議室 <冴木 和馬>
会議室には俺、常藤さん、樋口、森、そしてさっそくで悪いが咲坂さんが集まっている。ドアがノックされ、最後の参加者が入って来る。
飯島だ。
「お呼びと聞きました。」
「せっかくの懇親会なのにすまんな。まぁ、他にも配達はまだ来るから、とりあえず話をしよう。」
「あっ、はい。....えっと、もしかして移籍の話ですか?」
「そうだ。察しが良いな。」
「でも、まだ夏の移籍期間始まってないですよね?あっ、地方リーグですか?」
「それならこれだけのメンツは揃えないさ。」
「え?じゃぁ....」
俺は咲坂さんの方を見る。伝えるのはこの話を持ってきた咲坂さんから伝えるべきだ。咲坂さんは頷いて話を始めた。
「飯島選手。君に興味を示しているチームがあります。ベルギーリーグ3部のFCデュビズと言うチームです。」
飯島の表情が固まっている。うちに舞い込んだ初めての海外チームからの移籍オファー、さて飯島はどう判断するかな。
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<飯島 賢太>
ベルギーリーグ?って言ったらあれか?香川真司がいるあのベルギーリーグか?なんだっけ?あっ、そうだ。シントトロイデンだっけ。日本の企業がオーナーなんだよな。その関係で日本企業がスポンサーになる事が多いってニュースで見たなぁ。
あっ、でもあれは1部リーグだから関係無いか。
「飯島選手、話を進めて良いかい?(咲坂)」
「あっ、すみません。」
「よし。3部リーグだから知っての通りアマチュアリーグ、まぁ、正確に言えばセミアマチュアのリーグになる。日本で言う所のJFL的な位置だと思って欲しい。」
「はい。」
「しかし、このFCデュビズはプロリーグに昇格していた時期もある伝統的なチームで非常に育成にも力を入れているチームなんだ。まぁ今、ベルギーリーグ自体がヨーロッパ五大リーグの育成機関って言われるくらいステップアップのリーグとして評価を高めてる。」
「聞いた事はあります。」
そしてそこからは俺に話が来た理由を教えて貰った。今、ベルギーリーグで注目されてるのは日本人選手なんだそうだ。W杯でも決勝トーナメントに何度も進出しているにも関わらず、世界的な評価はそれほど高くない。と言うのも、選手自体の評価は高い人もいるんだけど、Jリーグに対する評価が選手ほど高くないってのが現状らしい。
それを如実に表してるのが移籍金なんだそうだ。海外リーグ同士の移籍となればJリーグから移籍するのに比べて、数十倍とも言われる金額が支払われる事もある。
まぁ、今回の場合は俺はプロ契約していないから移籍金なんて発生しないんだけど。
「冴木さんから聞くと君も八木選手と同じように移籍話を全て断っているそうだね。今回もと感じたんだけど、さすがに相手が海外だからね。きちんと話をしておこうと思って。」
「はい....ありがとうございます。」
「はっきり言えば、チャンスだよ。」
その言葉にドキリとした。咲坂さんは真剣な表情で俺を見ていた。いや、樋口さんや森君もそうだ。そして、冴木さんと常藤さんも。
「はっきり言って地域リーグやJFLから話が来てるのとは訳が違う。もし、FCデュビズで1シーズン、君が結果を残す事が出来ればそのまま個人昇格でプロ契約もあり得る。そしてそれは君の日本代表へのチャレンジが始まる事にも繋がる。」
日本代表!?いやいや、さすがに話が大きすぎだろう。
「冗談で言って無いよ。僕は。個人昇格した先がベルギー1部なら、もしかすれば君はJリーグで華々しい経歴を持ってベルギーリーグに移籍した日本人選手達と肩を並べる事になる。注目度は今までの比較にならない。しかもノーマークだった日本人選手だ。日本人が最も好むパターンだよ。」
言っている事は分かる。でも、それを今の自分に当てはめる事が出来ない。そんな評価が自分にあるのだろうか。
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<冴木 和馬>
俺や常藤さんは同席させては貰っているが、絶対に何かを発言するべきではない。それが飯島の判断を鈍らせたり違った方向へ導いてしまう恐れがあるからだ。
それは事前に咲坂さんからもアドバイスを貰っている。今回は同席はさせてもらったが、今後は俺達運営部の人間は同席するべきでは無いのかも知れない。
「どうして俺なんでしょう?」
「FCデュビズがあなたを必要だと判断したと言う言葉では納得出来ませんか?」
「いや....あの..」
飯島に咲坂さんはゆっくりと今回の移籍オファーが来た理由を推測ではあるが、順序立てて説明していく。
FCデュビズは前季、昇格争いすら絡む事が出来ず順位争いも下位から中段辺りを行ったり来たりするような一年だったらしい。その中でチームの課題となったのは得点力のあるFWとチーム貢献の出来るスタミナある選手。
そしてそんな中でも大きな要因となるのはFCデュビズが《《アマチュア》》チームだと言う事。その補強費はプロチームに比べて相当少ない金額でやり繰りしているはずだ。だから、他のプロチームから移籍金を支払ってまで獲得すると言う流れは難しい。
そんな中で得た情報に遠い日本の地で同じアマチュアリーグで驚異の得点を叩き出している日本人がいる。しかも、アマチュアリーグ間の契約で移籍金は発生しないとなれば、調査・獲得へ動いても不思議ではない。
「飯島君、君がレギュラーに定着して二年半。その間の活躍は様々なカテゴリーやチームでリストアップされているはずです。それほどまでに君の残した結果はカテゴリーは都道府県リーグと地域リーグではありますが、素晴らしい物であると言う事です。」
飯島の表情は晴れない。まぁ、実感がないわけだからな。いや、実感出来るチャンスはあったはずだ。飯島も八木も、高瀬も大西も各カテゴリーの様々なチームからオファーは来ていた。しかし、それを知る事すらせずヴァンディッツへ重きを置き続けてくれた。
しかし、結果それが彼らの評価に対する認識を広げるチャンスを失わせてしまったとも言える。
「俺にそんな価値があるんでしょうか。」
飯島のその言葉に咲坂さんの表情が厳しくなり、グッと体を飯島に近付けしっかりとした口調で気持ちを伝えた。
「あなたはこの数年で、このチームで、何を学ばれたのですか!?」
段々と強まった語気に飯島は面食らう。
「....失礼しました。しかし、飯島選手も含め選手の皆さんとは一度しっかりとお話をさせていただかなければいけないかも知れません。」
咲坂さんはそう言いながら俺を見る。俺は心得たと頷いた。早々に機会を作ろう。
「あれは昨年の12月でした。私の元へ(株)Vanditsからスカウトとして来てくれないかとお話をいただいたのは。」
ここで咲坂さんが自分がVandits安芸へ来る事になった経緯を飯島に話し始めた。




