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第152話 臨むもの望まれるもの

2020年9月 Vandits garage <常藤 正昭>

 コンコンッ!「どうぞ。」


 個室会議室で設計部との打ち合わせを終えると、会議室のドアがノックされました。入って来たのは練習ウェア姿の中村君でした。練習前に事務所に寄ったようです。


 「お忙しい所すみません。」

 「いえいえ、大丈夫ですよ。どうぞ。」


 中村君が椅子に座り、以前に芸陽印刷の井上社長からお誘いがあった事の報告をしてくれました。結果としては中村君はデポルトに残る事を選びました。やはりサッカー選手としてデポルトで最後まで挑戦を続けたいと言う事でした。


 そして、この話には続きがありました。中村君は井上社長に中村君のご両親の雇用をお願いにあがったそうです。中村君のご両親はあのお話の時にもしていましたが、長年経営されていた印刷会社を畳まれてご実家で農家をされているとの事でした。


 中村君がご両親にお話をしに行き話し合いを重ねた結果、井上社長にお願いをしてみると言うことになったそうです。井上社長はその話を快諾。経営者であったお父様が従業員になる事に思う事は無いか中村君にも確認を取ったそうですが、ご両親はやはりご自身が持っている技術を活かせる場所を探していたようです。そして、何より自分の息子を評価してくれた井上社長のお力になれればと考えられたようです。


 何とか良い着地をしてくれた事にホッと胸を撫でおろします。中村君も井上社長に恥をかかせないようにレギュラーを目指して今以上に練習に励みますと力強く約束してくれました。


 中村君が部屋を出た後、会議室のモニターに先程まで打ち合わせをしていた資料と設計図を映しだします。設計部から提出されたいくつかの設計案。それを見比べていました。


 またドアがノックされます。返事をすると入って来たのは和馬さんでした。


 「富田から常藤さんがここにいると聞いたので。」


 もし和馬さんが事務所に来る事があれば、会議室にいる事を伝えてくださいと富田くんにお願いしていました。和馬さんにもその設計案をお見せしました。

 真剣な表情で資料を読み込むその顔は、やはりこの方が経営者、そして最終決定権を持つ責任者としての素養を持ち合わせている事をありありと見せつけてくれます。運営に携わらないとは言いましたが、決定権を持たないだけでこうして相談などは私の指示と言う形でその都度お願いしています。


 やはりこの方の判断力はこの会社にとって大きな財産です。持て余す、仕舞い込むには惜しすぎる。和馬さんが資料から目を離し、グッと背伸びをしました。


 「いかがでしょう?」

 「いやぁ、夢は膨らみますね。しかし、どれも時期尚早でしょう。準備を進めるのは良いかもしれませんが、行動に移すには少し早い気がします。本当に最悪のケースはこの案すら必要なくなるケースも有り得ますから。」

 「そうならないようにしなければならないんですが。」

 「もちろんです。可能性の話です。」


 その後、いくつかの事を確認して話を終えました。


 ・・・・・・・・・・

2020年9月 春野陸上競技場球技場 <板垣 信也>

 ピッ!!ピッ!!ピィィィーーーー!!!

 長いホイッスルと共に大きな歓声に球技場が包まれます。しっかりと勝利を収めたチーム。同じ球技場で行われた第一試合で高知のチームと戦った徳島吉野川FCが0対1で敗れた為、残り1試合を残してヴァンディッツがようやく勝点3の差を付けて単独の一位になりました。


 応援に来ていただいているサポーターの皆さんもそれを知っているのか、ハイタッチをしたりコールをしていたりといつも以上にテンションが高いように感じます。この終盤戦まで耐えに耐えてきた首位争いにやっと差を付けられた事は、選手達がしっかりと結果を出し続けてくれたからこそです。


 しかし、選手達の顔には浮かれた表情は見えません。そうです。あと一試合。これを落とせば再び並ばれてしまうからです。来週の最終節である第14節に勝利して初めて優勝が確定するんです。


 選手達がゴール裏への挨拶から帰ってきます。やはり表情は勝った歓びは感じられるものの浮かれている様子はありませんでした。控室に戻り少し選手達に話をしました。


 「お疲れ様です。今日の試合はあれだけ相手が攻撃的に来ていた中で、しっかりと無失点で守りきれた事が素晴らしかったです。高い位置からのプレスも試合終了まで全選手が集中力を切らす事無く継続出来た事、交代選手との連携を維持出来た事は本当に今シーズンの皆さんの成長を見せていただきました。」


 隣の百瀬コーチに目線を送り、百瀬コーチからも総評を貰います。


 「なによりデポルトの仕事の方も今、相当忙しい時期だと社員の方から聞いてる。その中で仕事でもクオリティを落とす事無く勤めていると常藤さんから評価していただいている。本当に皆には頭が下がる。チームとしても早くサッカーに集中させてやれる環境を作ってやりたいと監督以下全員で努力は続けてる。その後押しが来週の一戦にかかってると思ってほしい。最後まで気を抜かずにいこう。」

 「「「「「応ッッッッッッッ!!!!」」」」」


 四国制覇まであと一節。


 ・・・・・・・・・・・

2020年9月 Vandits garage <常藤 正昭>

 あっという間のシーズンだったと言うのがデポルト・ファミリアの社員の皆さんの共通した今年の時間の肌感覚でした。それだけ事務仕事もやるべき事が立て込んでいたと言う事なのかも知れませんが、各チームやカテゴリーから報告を貰って初めて一年がこれだけ過ぎていたのかと思わされました。


 Vandits安芸は無事に四国リーグを首位で終え、11月からの地域CLへの挑戦権を得る事が出来ました。四国リーグでは一年を通して徳島吉野川FCとの首位争いを経験出来た事で、選手達の様々な事への管理能力が高まったように私も感じますし、各部署からも同じような報告を受けています。


 体調面の管理はもちろん、仕事との両立や試合に向けてのスケジュール・メンタル面の調整。これまでに歩んできた三年間は間違いなく選手達、そしてチームに経験として蓄積されている事を見せてくれました。


 シルエレイナ高知は9月初旬に行われた皇后杯四国予選を問題なく突破。四国代表枠での本選出場を手にしました。これに関しては選手達はもちろんですが、原田コーチが「四国予選で負ける事は許されない」と言っていた通り、四国予選に進んだ四県の代表チームもほぼ育成世代が主体のチームで社会人と大学生がメインでスタメンを構成していたのはシルエレイナだけでした。


 そう言った面からも「負けるようでは困る」と言うのが原田コーチの考えだったようです。確かになでしこリーグ加盟チームや新設されるWEリーグへ加盟するチームと今後やりあっていこうと考えているシルエレイナが、その下部組織に当るようなチームに負けているようでは話になりません。


 これでVandits安芸・シルエレイナ高知ともに11月から始まる地域CLと皇后杯本選に向けた準備期間に入りました。両チームがここを一年の目標としてきただけに意気込みは相当なモノだと聞いています。


 コンコンッ!ドアのノックと共に雪村くんが入ってきました。少し困り顔でいくつかの書類を机の上に置きます。


 「常藤さん、また別の譜代衆の企業から問い合わせが入っています。」

 「またですか....参りましたね....」


 今季に入ってから時折、譜代衆として支援していただいている企業から、冴木和馬が運営として復帰するのはいつかと言う問い合わせをいただいていました。その問い合わせが加速したのは、和馬さんが管理するゆず園が商品開発をして、デポルト・ファミリアの管理する『えんがわ』や高知県東部の道の駅、東京にあるアンテナショップで販売する事が決まった後からでした。


 やはり冴木和馬は会社の運営から離れたとしても事業を興し、デポルトの助力となるような企画力と行動力を持っていると言う事が証明されたからです。実際に三年を目途に冴木ゆず園はデポルト・ファミリアにゆず園事業を売却する予定になっています。


 こうしてまたデポルトが事業拡大が出来ている。しかし、この事業に和馬さんの私財がどれほど投入されているか。ご自身の事業なので我々が口を出す事は出来ません。唯一出来るとすれば事業売却の時に和馬さんが損をする事の無いようにしっかりとお支払いする事ぐらいです。


 この事で唯一助かっているのは譜代衆の中でも大口である笹見建設とPmからは何も言及がない事です。「判断はデポルトに任せる」と言うのが当初からの笹見さん達の考え方です。


 和馬さんの中でも運営や経営の立場へ戻る事にまだ躊躇している様子は見受けられますので、こちらとしても無理強いは出来ませんし会社としてもその判断はまだでは無いかと言う意見が多いのが実情です。

 しかし思いのほか、外部からの声がそれを望んでいると言う事です。それは譜代衆の方だけでは無く、サポーターの方々の中からも少し聴こえては来ています。サポーターの皆様は私達の事を考え、SNSなどでは大々的に書いたり呟いたりはされていませんが、時折チャット欄や掲示板などでは話題として見かけると言う話も広報部などからは聞いています。


 「少しづつではありますけど、望む声が大きくなってきていると報告があります。」

 「えぇ、戻す事は簡単なんでしょうが、それをする事でいらない所からの反発や批判の声が心配です。チームには出来る限り影響を出したくありません。」

 「そう言った批判を言う人は得てしてヴァンディッツの試合なんて見た事も無い人だったりするんでしょうね....」

 「自分の正義が間違っていないと歪んだ価値観で思った事をそのままぶつけて他人を傷付ける事に何の痛みも感じていない。本当にインターネットの普及が生んだ弊害ですね。」


 そう言った声にこの一年晒され続けてきました。デポルトもファミリアも和馬さんも。目に入らないように耳に入れないように気付かないようにしてきた一年でした。しかし、そんな中でも和馬さんの復帰を望んでくれている方々がいると言う事は、我々にとっては非常に励みになり有難く感じています。


 「こればかりは会社命令と言う訳にもいきません。和馬さん自身が決断してくれるのを待つしかないんです。出来ればJリーグ入りを果たす前には戻って貰いたいとは思っていますが。」

 「出来るでしょうか?」

 「何かのきっかけだけだと思います。和馬さん自身も出来る限り判断する状況には立ち会いませんが、この一年何度も経営や運営の相談を受けてくれています。やはりどう心に決めていてもご自身が立ち上げた会社であり、たくさんの若者たちの夢を預かっていた立場です。その立場から離れたからと言って、後は任せたとはなれないでしょうね。彼の性格ならば。」

 「そうですね。私も帰ってきて頂ければ嬉しいんですが。」

 「はい。それは誰よりも私が望んでいます。まぁ、待つしか無いのでしょうね。」


 決断してくれる時は来るのでしょうか。波は次第に大きくなっているようにも感じています。


 ・・・・・・・・・・

2020年11月 熊谷スポーツ文化公園陸上競技場 <三原 洋子>

 体の中の力と言う力が全て抜き取られてしまったような感覚。まっすぐグラウンドを見ているはずの景色は歪み、その目を拭うと自分の手が濡れる事に気付きました。


 試合を終えた後のグラウンドではヴァンディッツの選手が何人も膝を付いて、仰向けになって、涙を流していました。ベンチでもゴール裏でも、皆が涙を流しています。


 どうしてこうなってしまったのでしょう。どうして....


 2020年11月27日、15時半。埼玉県熊谷市、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場。抜けるような青空の中行われた、地域チャンピオンズリーグ決勝リーグ第3戦最終戦。




 Vandits安芸は、JFLへの切符を逃しました

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