第150話 この先の事
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2020年8月 Vandits garage <冴木 和馬>
「これで当初から考えていた敷地は全て買い取れたと言う訳ですか。」
「そうですね。あとは県と村が所有する土地だけですね。でも、無理に買い取る必要は無いかと思います。それをする事でそこの使用目的に首を突っ込まれても困りますし。」
「そうですね。それが良いと思います。」
「すでに徳蔵さん達には知らせてあります。学校法人の申請許可ですが、おそらく10月末の申請書類の締め切りまでには書類等は揃って無事に提出できると返事は貰ってます。」
「さすがにあのメンバーが揃っていると仕事が早いですね。」
「まぁ、俺達に話が来た時点で寄付金が集まっている状態なんですから、言い方を変えれば俺の土地の買収待ちだったって言い方が正しいでしょうね。」
徳蔵さんに話を持っていった時点で返って来た言葉は「いつ寄附できる?」だった。すぐに静佳さんに相談して学校法人設立目的の用地寄付の方法を教わった。
無事に用地寄附の準備は整った。あとは法人が認められればその法人名義の土地として寄付するだけだ。
「土地改良も進んでいるようですね。」
「まぁ、違反になるような事でもないですからね。受理されて良かったですよ。」
「土地を買うのにあれだけの資金を投入して、更地にするのに同じくらいの費用が必要で。本当に大丈夫ですか?」
「常藤さんにしては心配性ですね。意外に持ってるんですよ?まぁ、経営者になって以来、ずっと資産運用はしてきてますから。」
「そうでしょうとも。でなければ、ご自身の会社でホテル経営をやっているのにも関わらず、会社にホテル修繕費を貸し与え、そのホテルの所有権を手放さないなんて考えには至りませんから。」
「転ばぬ先の杖。人生何があるか分かりませんから。」
「ふぅ。まぁ、その杖のおかげでデポルトは救われている訳ですが。」
「でも、リノベ賃貸・宿泊施設の部門も十分会社を支える事業になってるじゃないですか。」
「それはもちろんなんですが、やはりホテルから出る利益に比べれば可愛い物ですよ。」
「まぁ、それは否定しません。」
アパートよりも賃貸マンション、戸建てよりも高層マンション。利益は明らかに違う。民宿などの利益に比べればホテルから生まれる利益は文字通り桁違い。
しかし、少しづつ皆が育ててくれたリノベ部門も間違いなくデポルトの主要部門に成り得ている。全員の努力があって、今の会社がある。そこは見失ってはいけない。
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2020年8月 安芸高校グラウンド <一条 清春>
練習終わりに御岳コーチに呼ばれた。まだ皆は片付けやグラウンド整備をしている。俺がサボる訳にはいかないけど、さすがにコーチに呼ばれたら仕方ない。一年生にゴールを整備用具の片づけを頼んで御岳コーチの元へ走っていく。
御岳コーチは真剣な表情でベンチに座っていた。隣に座っている中堀コーチもだ。トップチームの選手が指導に来てくださった時は「選手」ではなく、「コーチ」と呼ぶのが部の決まりだ。皆さんは大事な時間を割いて来てくださっている。自分達の立場を有耶無耶にしない。御岳コーチから最初に教わった事だ。
「すみません。お待たせしました。」
「いやいや、片付け中にすまんの。」
「いえ、練習、何か不味かったですか?」
俺がそう聞くと御岳コーチは苦笑いしていた。中堀コーチもだ。あれ?違ったのか。俺が困っていると、御岳コーチは手をひらひらさせて明るく話してくれた。
「違う違う。一条は卒業後はどうするつもりじゃ?」
え?卒業後?今は自分が入れる学力の大学でサッカー部がありそうな所を選んで一般入試を受けようかと思っていた。馬鹿とは言わないけど、賢いとも言えない成績の為、推薦入試は望めない。そう御岳コーチに説明した。すると、二人ともまた真剣な表情に戻った。
「一条、トップチームから育成として一条を預かりたいと話が来てる。どうする?受けるか?」
時間が止まった気がした。え?ヴァンディッツに入れるの?俺。コーチたちの後ろでコーンを片付けていたヒロやタクも話が聞こえたのだろう。邪魔にならない距離でこちらの話を直立姿勢で聞いている。
「えっと....あの....」
俺がキョドってると中堀コーチが助け舟を出してくれた。
「御岳さん、それじゃ説明不足ですよ。一条、ヴァンディッツから出されてるのは育成として練習に参加するかって事だ。どこかでバイトしながらとかでも良いし、お前にその気があるならデポルト・ファミリアの農園スタッフとして正規社員で雇い入れる準備もある。」
それって八木さんみたいに農園スタッフしながらサッカーする生活って事か。自分の中にワクワクする感情が起こり始めていた。それを中堀コーチが見事に砕きにかかる。
「期待で胸膨らませてるお前には悪いが、現実の話をすれば(株)Vanditsとしても県内出身の生え抜きの選手を確保しておきたいと言う思惑はある。成田の様に高校卒業時点からヴァンディッツに関わった選手がトップチームで活躍する事は地元ファンの獲得にも大きく関わって来る。一条の場合は高校時代、いわゆる育成世代からヴァンディッツのメンバーが指導に関わってる。それを知ってるサポーターも多い。だからっていう下心ももちろんあるんだぞ?」
中堀さんは俺が舞い上がらないようにちゃんと現実を教えてくれる。他の選手コーチの皆さんもそうだ。トップチームに加入したいと思ってる部員の皆に選手コーチの皆さんが合言葉の事に言うのが、「俺達のチームはプロチームじゃないからプロ契約は無いよ?」と言う事だった。
その言葉に少しがっかりしたのも事実だ。分かっているけど、そこは待ってるぞって言って欲しかった。
「経験者として言っとくが、俺の場合は事務仕事との両立だったがはっきり言ってかなりキツいぞ?今の岸本や成田なんかも高卒で農園スタッフとして頑張ってくれてるが、最初の数ケ月は、はっきり言って仕事も練習も使いもんにならないくらい体力とフィジカルやられるからな。精神的にも相当キツイと思ってた方が良い。」
「もちろんサッカーの強豪ではない大学に進んだり、他の県で都道府県リーグで戦っているチームに入るのも選択肢にはある。そちらの方が間違いなく実戦経験はヴァンディッツよりは得られるじゃろう。」
自分にとってどちらが良いんだろう。親元を離れて大学や就職してサッカーを続ける事も厳しいと言えば厳しいし。
御岳コーチがにっこり笑いながら教えてくれた。
「かの偉人たちは言葉は少し違えど、皆同じような意味合いの言葉を残している。松下幸之助然り、岡本太郎然り。『人生の道に迷った時は、より困難な道を選びなさい。』とな。」
困難な道。自分にとってより困難な道とは。中堀コーチも自分の気持ちを話してくれた。
「まぁ、うちは最悪返事は3月になっても良いらしいから、悩めるだけ悩めばいい。大学受験はそうもいかんだろうけど。ただ、御岳コーチじゃないが俺が好きな言葉があってな。『根拠のない自信を持て。根拠は後から付いてくる。』って奴。俺はさ、それくらい自分の選んだ道に迷いを残したくなかったから。その言葉を言い訳にしてヴァンディッツに飛び込んだ。結果、良かったと思ってるけどな。」
「ヴァンディッツにいる選手、皆が思っておるじゃろう。誰が高知県の東部地区からJリーグを本気で目指そうなどと考える。本気でサッカーをしとる者からすれば、これほど可能性の低い道は無いわい。しかし、儂は面白いと思うた。指導者としての最後の時間をこの馬鹿げた可能性に賭けてみたいと思うた。おかげで儂も楽しい思いはさせてもらっとるがな。」
とりあえず返事は急がないと言う事だった。俺の中で判断が出来たら話をしに行くと言う事になった。今日はこれで話は終わり、片付けに戻る。
向こうで満面の笑みで待ち構えている後輩たちにどう話したものだろう。
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2020年9月 焼き鳥屋『鉄』 <冴木 和馬>
久しぶりに鉄の暖簾をくぐる。鳥の焼かれている旨そうな匂いに炭の煙の臭いが混ざり、それを嗅ぐだけで胃が刺激される。中に入ると久しぶりに顔を出した薄情者を大将も店員もいつもの笑顔で迎えてくれた。
「皆集まってるぞ。ウーロン茶で良いな?」
「お願いします。ちょっと腹減ってるんでいつもより食います。」
「何か体ががっしりしたな。ダイエットか?」
「本格的に農家してるんですよ。食う量も増えました。」
「そうか。分かった。適当に持ってく。」
「お願いします。」
二階への階段を上がり襖を開けると、ヴァンディッツのメンバーが何人も座っている。いつもの事ながらヴァンディッツの食事会がある時は二階は貸し切りになる。今日のメンバーはいつもより多い。ってか、未成年メンバー以外はほぼ全員いるんじゃないか。
「すまんすまん。待たせた。」
「いえ、急な誘いになって申し訳ないです。」
中堀含め何人かが申し訳なさそうに挨拶をする。まぁ、頼りにしてもらえるのもこうして食事に誘ってくれるのも嫌いじゃないし嬉しいから全く問題は無いのだが、恐らく今日はただの食事会では無いのだろう。
さて、今度はどんな厄介事だ?
店員がウーロン茶を持って来てくれ、とりあえず乾杯を済ませる。すでにいくつか並んでいる料理をいただきながら、皆の近況を聞いていく。試合の事、仕事の事、何となくは常藤さんや秋山・雪村くん伝いで聞いてはいるが、やはり本人からも聞いてやりたい。
それぞれがどんな事をしてて、どんな事に悩んでるのか。なかなか直属の上司や先輩には吐き出せない事もある。それを全く部署の違う目上の人間に話せるかどうかは分からないが、聞いてやりたいと言う姿勢を見せるだけでも相手の壁は少し低くなる可能性がある。
「冴木さん、今シーズンのオフから選手・スタッフ向けに金融リテラシーの講義みたいなのが始まるって聞いたんですけど。」
「あぁ、オフからになったんだな。確かにそう言う話は以前からしてたんだ。でも、なかなか場を整えられなくてな。今回やっと出来るようになったって事だろうな。」
以前から、選手たち向けに資産や投資などの金融リテラシーに関する講義をしたいと考えていた。この分野に関しては完全に常藤さんの得意分野なので、後の事はお任せしてたが具体的な日にちが決まったんだな。
「それで実は俺達、そう言う知識が一切無くて。出来れば和馬さんに簡単にでも、ホント!小学生でも分かるような基本的な事を教えて貰おうかと。」
「そこに関しては常藤さんの方が本職だぞ?」
「もちろん!それは分かってるんですけど、和馬さんはその道に進んだ訳じゃないのに若い頃から資産運用とかされてた訳じゃないですか?どうして始めようと思ったかを聞いてみたくて。」
なるほど。より身近に自分達の問題として理解したかったわけか。その業種で働く人間よりは自分達と同じように全く知らない所からスタートした人の話の方が理解しやすいって事は確かにあるだろうしな。
「まぁ、そうは言っても俺の場合もなかなか状況は特殊だから、参考になるかどうかは分からんが、まぁ経験談として話を聞いとくと良い。あっ、メシとか食いながらで良いからな。長い話になるから。」
そもそも俺が自分の資産の事を考え始めたのは会社がまだスタートしたばかりの21歳の頃。自分達のリノベーションしたバックパッカー向けの民宿が流行り始め、俺達にもやっと少ないながらも給料が出始めた時だった。
それまでははっきり言って持ち出し状態だった。はっきり言えば、創業者全員が親の脛をかじりながら会社経営をしてた。親に大学の学費を出して貰い、生活費も出して貰い、時にはお小遣いさえもらってた奴もいた。
そう言いながら俺も大学四年間の授業料と生活費は父親が全て出してくれていた。大学四年の頃には生活費くらいは自分で用意できる収入になっていたが、父親から「大学を出るまでは面倒見る。その後はお前の思うように生きなさい。」と言われ、有難く世話になる事にした。
そこでふと自分で考えたのが、ファミリアの給料をどうするかと言う事だった。生活費は全て貰っていて、大学行きながら会社経営ははっきり言って友人と飲みに行ったり旅行したりするような時間は一切持てなかった。
そこで一番最初に始めたのが、ファミリアの給与を全額貯蓄する事だった。この貯蓄もある目的があって始めた事だった。
それが投資だ。投資を始める為の資産、軍資金と言い換えても良いかもしれない。それを作る為に貯蓄を始めた。大学卒業するまでの四年間で貯蓄した金額はおよそ500万だった。
それを使って一番最初にした事が、ファミリアでリノベーション用の中古戸建て物件を買う事だった。
誤字脱字ありましたら教えていただけると助かります。また、感想・評価・アドバイスもお待ちしております。今後ともよろしくお願いいたします。




