第148話 四国の壁
2020年6月 Vandits garage <板垣 信也>
雪村さんは恐らく本人からも聞かされていたのでしょう。表情を変える事無くこちらの話を聞いてくれています。
「本人からは今シーズンの最終戦を持って引退発表をさせて欲しいと。」
「普通ならばまさかと慌てるんでしょうが、さすがに40歳を超えた選手にこれ以上頑張れとは言えませんね。」
「確かに。まぁ、でもそれでもスタメンを張り続けられる実力を維持できている事が凄いんですが。」
百瀬君と原田君が及川さんの気持ちを汲んでくれています。その通り。あの年齢で自分の子供に近いような選手達に交じってスタメンを譲る事無く、一年間体調とモチベーションを維持し続ける。正直、自分では無理だと思います。
「そうで無くとも儂とコンディショントレーナーの白川先生以外のコーチ陣は全員が及川より年下じゃ。そう考えればあの男がどれほどの節制と徹底の生活の中で生きておるか分かると言うもんじゃ。」
「雪村さんはご存じだったんですか?」
「....もちろんです。お付き合いを始めた当初から言われていました。プロサッカー選手の妻にはさせてあげられないけどと。近い将来、デポルトの社員に専念するか、後進の育成に携わりたいと思ってると。」
彼は恐らくこのチームが出来た時からずっとこの瞬間を考えていたはずです。それに気付かないように気付かれる事のないように、我々が目を逸らしていただけなのかも知れません。
「和馬さんはどう仰ってるんですか?」
「本人の希望に沿わせてやってくれと。」
「良いんですか!?」
「私もそれを伺いましたが、『このチームは及川司がきっかけで作られたが、だからと言って本人がいなくなってモチベーションや成績を落としているようなチームでは困る。』と。」
「....全くもってご尤もじゃの。」
私が監督として来る頃までは間違いなく『及川司をJリーガーに』と言うチーム内の合言葉はあったと思います。しかし、様々な経験をし、様々な方からの応援を肌身で実感して、彼らの中で『Vandits安芸をプロチームに』が合言葉に変わったように思います。
「本人とは話し合いは続けます。ただ、現実的に今は彼にスタメンを務めてもらわなければいけない状況です。そこは彼も納得してくれているからこそ、これだけ悩んでいるんだと思います。」
「及川の代わりか。なかなか厳しい要求じゃの。しかし、このチームが出来た時から分かっていた課題ではあった。それ以上の課題があったからこそ、後回しにしてきたツケがここで来たと言う事じゃの。」
そう。チーム全体の戦力強化が最優先課題であっただけに、DHの次世代選手を育てると言う課題は後回しにされてきました。ダブルボランチをワンボランチに切り替える事までして延命措置を繰り返してきました。しかし、我々の運命を担い続けてくれたチームの心臓は、もう限界が近いとしっかり声を上げてくれました。
「五月君をDHにポジションチェンジしましたが、今後の選手の成長はそのまま来年からの懸念材料に変わりかねません。しっかりと対応していきましょう。」
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2020年6月 鳴門球技場 <及川 司>
【四国サッカーリーグ 第9節 対 徳島吉野川FC】
良い手が見当たらない。何度も何度も試すが相手の5バック2ボランチに全く歯が立たない。まさかの展開になった。
徳島吉野川FC。高知ユナイテッドSCがJFLに上がるまでその次点を譲らなかったチーム。高知ユナイテッドが全勝や無敗で一位になる事が多かったために目立たなかったが、二位とは言え成績だけで言えば十二分に優勝しても可笑しくない勝ち点だった。昨年も高知ユナイテッドが全勝でJFL昇格を決めたが、徳島吉野川FCは12勝2敗の勝ち点36で、三位に勝ち点差11を付ける成績だった。
実は徳島吉野川FCとは第3節ホームで戦っている。その試合はお互いに守備で良い動きを連発し、0対0のスコアレスドローで勝ち点1を分け合った。そして迎えた今日の試合。お互いに7勝1分同士。こちらはバランス重視のフォーメーションで前半に臨んだが、徳島はまさかの前半から徹底的な防戦となった。
5バックな上にダブルボランチを置き、11人のスタメンのうち8人がガチガチに守っている。主導権は完全にこちらにあるが、攻めきれない。ゴールエリアに相手選手が溢れ、オフサイドの心配は無いがこちらが人数的に不利になり、決め手に欠く。
ハーフタイムには監督から「相手はうちとの対戦は引き分けで構わないと開き直った」と判断し、その他の試合でどちらかが負ければ優勝出来ないと言う我慢比べを挑んできたのだ。
相手は引き過ぎてるが故にカウンターをしたくても人数を割けない。こちらが逆に人数的優位を保てるので、カウンターが怖くない。
ボールの出し入れで相手選手の釣り出しを狙うも、人数が整っているだけにすぐにスペースは埋められてしまう。ミドルやロングキックもさすがにこの人数では自然に壁が出来ているのと同じ状況だ。
無情の笛が鳴る。まさかの同じ相手に2戦とも引き分け。ぐったりと項垂れる八木の背中を叩き、体を起こさせる。
「負けた訳じゃない!さぁ、サポーターに挨拶行くぞ!」
全員に声をかける。皆が顔を上げ表情を引き締める。よし、サポーターの前だけでも強がれる気持ちがあるなら、戦えるさ。
強がりと見栄っ張りは男の甲斐性みたいなもんだ。
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<三原 洋子>
選手達がゴール裏への挨拶を終えて控室に戻っていきます。私達は拍手と声援で送り出しました。でも、観客の中には不安そうな顔の人もいます。
チーム創立初めて同じ相手に引き分け。四国リーグは県リーグほど甘くは無い。分かっていましたけど、やはり四国リーグの上位常連チームは非常に手強いです。
「選手が落ち込んでないみたいでよかったよね。」
一緒に観戦してくれた皆さんとチームバスが置かれている場所に移動しながら雑談します。
「あそこで落ち込んだ表情見せないように年長メンバーが声かけてたもんね。やっぱ頼りになるよ、司も中堀も。」
「精神的な支えでもあるけど、しっかり出場して結果も残してる。Jリーグでプレイしてるトコ、見たいよなぁ。」
「高知からやって来たオールドルーキー!!とか、言われるのかな?」
「見たいよなぁ。Jリーグで。」
私達サポーターの中にも明確にJリーグと言うモノが目標として見えるようになってきました。もちろんまだ四国リーグを勝ち上がった訳でもありませんし、JFLと言う大きな大きな壁が待っています。
そのおおきな壁に向かって一致団結を問われているチームとサポーター。今季、初めてライバルと言えるようなチームが現れ、恐らくリーグ終盤まで地域CLの出場を争う事になるでしょう。
私達の声援が少しでも選手の皆さんの後押しとなるように。まだまだ始まったばかり。
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2020年7月 東京都内ホテル <山口 葵>
無事に皇后杯高知県予選を優勝した私達は、東海・関東エリアのサッカー強豪校の試合観戦や練習見学に主要メンバーが訪れています。来季からはいよいよ本格的なチーム作りが始まります。それを前に大学・高校の有力選手に声を掛けに来たのです。
私や美咲も学校巡りはしていて、強化部でも無い私達が参加している理由は先月にJFAから記者発表された大きなニュースがあっての事でした。
2021年秋から日本初の女子プロサッカーリーグの開幕が発表されました。リーグ名は『WEリーグ』。開幕に向けてなでしこ1部2部に加盟していたチームの中からWEリーグ加盟基準を満たした10チーム程度がWEリーグの創設チームとして登録。
その後はリーグを拡張していく形でなでしこリーグとの入れ替え戦は無く、チームを新たに加えていきながらWEリーグ自体の加盟チームを増やす形になっています。
と言う事は、なでしこリーグに現在加盟している10チームの席が空き、現在なでしこチャレンジリーグで戦うチームが2部に昇格。2部のチームが1部に昇格と言う形が取られ、なでしこリーグがこれをもって日本の女子サッカーのトップアマチュアリーグとなります。
今後はなでしこリーグに加盟申請したチーム同士で予選会を行い、予選会を勝ち抜いたチームがなでしこ2部の最下位、最下位次点チームとの入れ替え戦を行ってなでしこ加盟を目指すシステムになるようです。
これによって日本女子サッカーのプロ登録選手の数が増え、海外の女子サッカーリーグへの移籍も今以上に活発に行われるようになるはずです。
私達に大いに関係あるのは国内の育成世代、または大学チームに参加する選手の獲得競争が激しくなると言う事です。女子のプロリーグ創設にJFAが動いている事は知っていましたが、いよいよ開幕時期がはっきりするとその界隈は動きが慌ただしくなってきます。
私は優と一緒に母校の藤枝女子の公式戦見学の為に東京都内のデポルト・ファミリア管理のホテルに一泊していました。昨日は、東京都内の学校を2校ほど練習見学をさせていただきました。
シルエレイナの選手層の厚みを増す為に一人でも多くの有望選手を集めなければいけません。
チームが走り始めた事に満足せず、更なる発展に注力しています。
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2020年6月末 Vandits garage <冴木 和馬>
個室の会議室に俺と真子、常藤さん、板垣、原田、御岳さん、そして常藤さんの奥さんの静佳さんと数人が集まっている。
俺達デポルトのメンバーが並んで座り、静佳さんと数人の方が向かい合う形でテーブルに着く。
「以前から準備をしておりました事務所が2020年の10月より稼働を始めますので、色々とご協力いただきましたデポルト・ファミリアさんにご挨拶に伺いました。」
「それはそれはご丁寧に。って、静佳さん。そんな付き合いでも無いでしょう。いつも通りでいきましょう。」
「もぉ!和馬さん。私達も自分達の会社の船出がかかってますから。最初の形式くらいはとらせてくださいよ。」
「ははは。常藤さんから話は少し聞いてましたけど、結局法律事務所にはしないって事で良いんですか?」
「はい。企業向けのご相談と言うのは以前通りお付き合いある方に関しては続けさせていただきますが、今後はプロスポーツエージェントの業務がメインになります。」
さすがだな、静佳さん。以前の弁護士事務所に在籍していた時に数件経験しただけのスポーツ選手の肖像権の裁判と契約更新のリーガルチェックで、この業界でやっていけると判断したんだろうな。
会社の内容も説明して貰えたが、プロスポーツ選手のエージェント・代理人業務と引退後の選手の活動のマネージメントなども行う。口で言うのは簡単だが、やる業務は幅広い。
プロ選手で言えば、契約や移籍・サプライヤー契約などの交渉、メンタルケアも含めた環境面でのサポート、資産や税金・保険などのサポート。はっきり言えば選手が競技だけに集中する環境作りを担う事になる。
そして引退後の選手に関しても同じだ。マネージメント業務をしながら、その選手の関わったスポーツの振興や普及に関わるイベントの立ち上げ、そして引退後の生活のサポートも担う。
はっきり言えば今までの弁護士の領分からは大きくはみ出した業務ばかりになる。
「思い切りましたね。」
「信頼出来るメンバーとやってますから。」
そう言って静佳さんの隣に座っている男性と女性を紹介された。一人はヨーロッパでスポーツ代理人をしていた羽生秀則さん。もう一人の女性は中川夏帆さんだ。
「初めまして。羽生と申します。お会い出来て光栄です。」
「中川と申します。宜しくお願いします。」
羽生さんは数年後にFIFAが導入予定のフットボールエージェント制度で資格を取得する予定で、その後おそらくJFAも導入する同様の資格も取得予定だそうだ。
静佳さんの会社ではサッカーだけに限らずいくつかのプロスポーツ選手の代理人を手掛けるようだ。
「現在でJリーグ所属中の選手5名、Bリーグ所属のバスケットボール選手2名、他に女子ゴルフの選手2名が当社と契約中です。」
「すごいですね!もうそんなにいるんですね。」
「いえいえ、これは羽生とうちの会社で働いてくれるスタッフが以前から契約している選手達で、新しく会社を興すとなった後も継続していただけた選手なんです。」
会社は今後、東京に拠点を置いて活動をするが契約選手の状況によっては海外に事務所を構える事もあるとの事。当然ではあるがうちの選手がお世話になるのはまだまだ先の話だ。
それでもこうして挨拶に来て貰えるのは有難い。いつか自分達のチームの選手がこういった制度を利用出来るほど有名選手になってくれると嬉しい。




