第132話 自分達の立ち位置
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2020年1月 Vandits field <板垣 信也>
練習試合が終わり選手控室で試合後のミーティングの前に選手達がシャワーや着替えをしていると、有澤さんが大きな声で飛び込んできました。
「シャワー終わった後は全員新しいユニフォームに着替えてください!」
「どうしました?」
あまりの慌てぶりに私が聞き返すと、彼女は誰かを探しながら事情を説明してくれました。
「今日撮影で来てくださってる元日本代表の槙田さんが、ヴァンディッツのメンバーと監督に会える時間はありませんか?って聞いてくださったんです!こんな機会無いから何とか許可取りしてる所なんです。監督は問題無いですか!?」
「有難い話です。」
今日、テレビ局の撮影が入る事は事前に聞かされていましたし、撮影のスタッフの方からは私が会場入りした時点でご挨拶はいただいていました。しかし、槙田さんに関しては私も選手達も会う時間が無く、選手達からも「会ってみたかった」と聞こえてきていました。
「ホント軽い挨拶くらいになるかも知れないですけど、すぐに段取りしますんで準備宜しくお願いします!えっと....常藤さんどこぉぉ~~!!!」
私達に要件を伝え常藤さんを求めてまた走り出してしまいました。しかし、それを聞いた選手からは嬉しい声が聞こえてきます。
「挨拶だけでも槙田選手に会えんのかよ!」「マジかぁ!」「嬉しぃ~!」
「聞こえましたね。体調などに問題が無い選手は準備を始めて下さい。」
皆さんが先を争うようにシャワーへ向かいます。私と原田コーチはそれを呆れながら見ていました。
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<宗石 詩織>
番組のエンディングを芸西村の琴ヶ浜で撮影して、もういちどVandits fieldへ戻ってきました。槙田さんだけが戻って来る予定だったのですが、南国放送のスタッフの皆さんは撮影だけさせていただいて、もし槙田さんが所属されている芸能事務所からOKが出れば南国放送のニュース番組で撮影裏側として特集させてもらえないか交渉するようです。私達もどうしても見たくて押し掛けてしまいました。
撮影場所はグラウンドが指定され、私達が戦場に入ると既に監督・スタッフ・選手の皆さんは揃われていました。槙田さんは小走りに皆さんに走り寄ります。撮影スタッフの皆さんは既に撮影を始めていました。番組として撮影している訳では無いので、段取りも無く撮りっぱなしで後ほど編集で番組っぽく見せるのでしょう。
「すみません。ご無理言いまして。槙田裕章と申します。」
「とんでもありません。今日は解説ありがとうございました。Vandits安芸の監督を務めております板垣信也です。」
「板垣さんお若いですね。」
「そうでもないですよ。39歳です。」
和やかなムードで始まり、原田コーチや選手の皆さんも挨拶します。槙田さんは配信内でも話されていた試合の感想を皆さんに伝え始めました。すると選手の皆さんの表情は一気に真剣モードになり、その表情からも槙田さんの話を聞き逃すまいと言う意気込みが感じられます。
「それで....実はちょっと試合を見てて気付いた部分があったんですけど。あの、監督ちょっとパス練習見せていただいて良いですか?1対1のパスで良いので。」
すると主務の雨宮さんがすぐにボールを二個抱えて走ってきます。槙田さんはレギュラー組の中で一番パス能力の高い選手を4人選んでもらうように板垣さんにお願いしました。
選ばれたのは八木選手・伊藤選手・市川選手・及川選手でした。槙田さんは二人一組に分けてパス練習をお願いしました。
「いつも通り!ホント、いつもの練習通りにやってみて。」
槙田さんは急に周りに通る大きな声で指示を始めました。私達の後ろでは有澤さんと杉山さん、北川さんがすでにハンディカメラを構えて撮影しています。
4人のパス練習は私から見ても非常に上手いと感じました。トラップミスがありません。しっかりと足元で止める。時には少し前に転がるように止めて蹴りだす。すると受けては少し下がって止めて、二人の距離を変えないように位置をずらす。
ただただ単調に蹴る・受けるでは無く、その場でやりながらも出来る限り試合を想定して練習しているように見えました。
すると槙田さんが手を叩きます。
「はいはい!ありがとうございます!やっぱ、安定してるし上手いね。でもね、一個だけ。少し意識を変えて貰いたい所。....えっと市川君、ちょっと変わろうか。」
市川さんが槙田さんと変わり、及川さんとパス練習を始めました。槙田さんは当然スパイクでは無くスニーカーですが、それでも見事なトラップを見せます。
「これが皆の練習。それで....及川選手、行くよ?」
すると、槙田さんから今までのパススピードとは全く違うグラウンダーのシュートとも言えるようなパスが及川選手に出されました。及川選手はトラップはしましたが、その場でボールを止める事が出来ずボールは左に流れてしまいました。
「これが、代表のパススピード。そして合宿での練習スピード。」
選手の皆さんは一気に静かになってしまいました。恐らく自分達のパス練習に自信を持ち始めていたのかも知れません。リーグ戦でも練習試合でも面白いくらいにパスは繋がり、ボール支配率も上がっていましたから。
「これ、凄ぇ大事な部分。今いるリーグや来年行くリーグに合わせて練習しない。皆が育成世代ならその年齢や体格、技術に合わせて練習メニュー工夫しなきゃいけないかも知れないけど。皆はもうプロ目指す選手でしょ?だったら、練習もプロの、一番上のカテゴリーに合わせてやるべきだよ。自分達の立ち位置を知る事も大事だけど、自分達が立つべき目標もしっかりと見据えないと時間は有限だから。」
槙田さんは今までの経験からそのアドバイスをくれたのでしょう。「皆が戦うべき場所はもっと上だ」と。「その相手に合わせた練習をしなければいけない」と仰ってくれてるんだと思います。
「これについて来れない選手を特別メニューにする。今の練習が出来る人が上のカテゴリーに向けた練習をするんじゃなくて、上の練習について来れない人が特別メニューをする。分かりづらいかも知れないけど、自分達の線引きをどこに引くかって話。下に引こうと思えばいくらでも引けるし、それは自分達を簡単に満足させちゃうから。行くんだよね?Jリーグ。だったら、Jリーグの中でも屈指って言われるレベルの練習をしようよ。」
驚き戸惑っていた選手の皆さんの目がどんどん真剣な物に変わります。こんな話をしていただけるなんて。本当に貴重な時間です。
「順調に行けばあと何年?時間ないよ?今から始めないと。JFL入ってから始めて、一年でJリーグ上がれたらそこで一気に実力思い知らされて、一年でJFLに逆戻りなんて全然あり得る話だから。サポーターガッカリさせたくないでしょ。今からやってこうよ。」
話しながらだんだんと槙田さんの感情が昂っているのが分かります。もっと出来る、高めていこうと鼓舞してくれているのが分かります。
「とまぁ、こんな感じなんですけど。すみません、監督。外から色々と。」
「いえ、私も気付かされました。本当に有難い言葉でした。有難う御座います。」
「いやぁ、また来たいですよ。有澤さん、また呼んでください!」
急に話しかけられた有澤さんはハンディカメラを持ったまま、体をビクリとさせて元気よく「会社と交渉します!!」と返しました。その言葉に槙田さんだけでなく、監督や選手まで笑っていました。
たった1時間も無い会話でしたが、ヴァンディッツにとっては大きな出会いになったと感じました。
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2020年1月 <冴木 和馬>
PCでメールを確認し、ホッとため息を吐く。そのままスマホを握り常藤さんに電話を掛ける。
「もしもし、常藤です。」
「お疲れ様です。冴木です。」
「お疲れ様です。どうされましたか。」
「無事にMK射撃場さんとの契約は終わりました。とりあえずは香南市の新たな射撃場が出来るまでは営業を続ける約束になってます。しかし、土地も既に確保は終わってますし、申請も下りてますのですぐに笹見建設さんと話し合って工事に入ります。」
「そうですか!お疲れ様です。」
スマホの向こうからもホッとした雰囲気を感じる。結局、相手方とこちらで合意しても新たな場所に射撃場を建てられなければ、話はまた一からになってしまっていた。射撃場の建設をする為にはこれまた非常に面倒な許可が必要になるのだが、そこはさすがに射撃場を経営している会社だけあって、現状も営業中な訳なので許可はあっけなく下りた。
ここからは警察なども入っての現地調査などもあるらしいが、周りには民家は無く、あると言えば香南市と土佐山田を繋ぐ県道30号があるくらいだ。そこから山に上がっていく道も香南市から認可を貰い、道の舗装もこちらが予算を出して工事する予定になっている。
おそらく芸西村の土地が完全に所有権がこちらに移るのは5月頃になるだろうか。この話がまとまってからの笹見建設さんの動きは早かった。間違いなく裏で徳蔵さんの檄が飛んでいるんだろうが、徳蔵さんに報告して三日で担当の人から連絡があり、一週間後には簡単なイメージ図と完成予想図が送られてきた。
そして、ここからは移転する射撃場に関しては完全に俺はノータッチになり、MK射撃場さんと笹見建設さんが話し合う形になる。建設費の見積もりだけが送られてくる話になっている。
「せっかく手元にお金が入って来ても右から左へって生活を送るのは、会社立ち上げた時以来ですよ。」
「それはファミリアですか?デポルトですか?」
常藤さんは楽しそうに問いかける。俺が「両方ですよ。」と答えるとこれまた楽しそうに笑っていた。
「芸西村の方は一度現地を見させてもらったけど、射撃場が二つあって、片方の敷地だけで学校の校舎は建てられそうなんですよね。もう一つは綺麗に平らな芝生だったので何かに使えないかなと。」
「なるほど。そちらも笹見さんに見ていただいて案をいただきましょう。」
「分かりました。とりあえず一段階突破って感じですね。」
「そうですね。まだまだ先は長いと思いますが。」
確かにそうだ。徳蔵さんも二年を目途に学校法人を立ち上げるとは言ったが、学校が始まるのが二年後と言う事ではない。恐らく一期生を迎えるのは三年後か四年後になってしまうだろう。
「和馬さん。八木君の件ですが。」
「はい。」
八木の実家に対して他クラブからこちらに話を通す事無く移籍交渉を行った件について、Vandits安芸としてはHP上で相手のクラブ名を伏せた形で経緯を載せ、『クラブとしては非常に困惑と共に憤りを感じている。』とした。
そして、JFAにも相談したが、こちらに関してはJFAとしては公式に発表する事無く相手クラブに対して厳重注意の連絡と文書が送られる形になった。うちとしてもそれほど大事にしたい訳では無かったが、今後のクラブ運営の姿勢を外部に示す為にもHPへの掲載は踏み切っていた。
「相手クラブから謝罪の電話と代表が直接事務所にまで謝罪に来られていました。」
「こちらのHP記載はフル無視しといて、JFAが動いたらさすがに不味いと思って動きましたか。」
「はい。」
そんなもんだ。こちらをただの県リーグチームだと思って舐めてかかるから痛い目を見る。こちとら年中、賃貸契約をしていただいてる方の法務的な手続きや建設・リノベーション、ホテル運営で恐ろしいくらい権利関係の法律にまみれまくってるんだぞ。高卒の子をデポルトで雇うだけでも慎重に慎重を重ねて確認作業を行い、相手にも理解して貰う時間をしっかり設けてから雇用契約を結ぶのに。
そんな遊びみたいな移籍交渉されて黙っている訳が無い。
「今後、相手クラブがどう動くかは分かりませんが、八木君からサイン付きの文書で『そちらとの移籍交渉に応じる気は今後一切ない』と言い切りましたので。八木君もあぁ見えて非常に怒っていたみたいですね。」
「そりゃ、そうでしょ。いい加減親に黙ってる状態なのに、勝手に知らないトコから騒動持ち込まれたんですから。」
「それもそうですね。」
しかし、八木はその後両親をホーム戦の練習試合に誘い、うちがどう言うクラブなのか、どんな状態なのかをしっかりと知ってもらった。何日か滞在して貰い、農園部で働いてる姿なども見て貰った。
見て貰った試合は偶然にも南国放送から取材が入っていた試合だったので、かなり観客も多く盛り上がった試合を見て貰えて、ご両親も驚かれていたと聞いている。またその試合で八木自身も1ゴール1アシストを決めた事で、少し安心材料にもなったのかもしれない。
その後、常藤さんに「息子を今後も宜しく頼みます。」とお二人から御電話があったと聞いている。
「まぁ、こちらは上手く転んでくれましたが、我々もサッカーの移籍・契約に関しては無知な分野ですので、しっかりと勉強をしなければいけませんね。」
「法務課も構える必要があるでしょうか?」
「そうですね。少ない人数で良いと思いますが、ヴァンディッツ専属の法務担当は必要になるかと思います。」
運営を離れたとは言いながら、結局はこうして常藤さんとは運営の話になってしまう。俺も気になってしまう性格なのがいけないな。
もう少し皆に任せられるようにならないと。そう思いながら話を続けた。
誤字脱字ありましたら教えていただけると助かります。また、感想・評価・アドバイスもお待ちしております。今後ともよろしくお願いいたします。




