Only the truth makes smoke
オノロン視点
「いくらなんでもよぉ……そりゃちょっと、無理があるんじゃねえの?」
隣に立って煙草を吹かすカルナスはそう言い、怪訝そうな声を出した。
彼女の言い分も無理はない。私だって、この考えが随分と突拍子もなく掴みどころがないものだということは重々承知している。
「……私達、どうすればいいんでしょうか。」
言葉と共に吐き出した紫煙は部屋を漂い、次第に見えなくなった。
随分と前から、心の中で何かが引っかかっていた。それが何なのかはすぐにはわからず、単なる気の所為かもしれないとそれほど気にも留めなかった。
最初に違和感を強く感じたのは、アイルが誰よりも早く起きていた朝だった。夜更かししているのか、基本的にアイルは起きてくるのが遅い。いつもイゾルカやクメリア辺りが起こしに行って、三度目の呼び掛けでようやく起きてくるような子なのだ。なのにあの日は珍しくアイルが最初に起きていて、皆のフレンチトーストを作っていた。珍しいこともある、とその一言で終わらせればいいのかもしれない。しかしそれ以降アイルが早起きした日は無く、むしろ以前にも増して皆より遅く起きるようになったのだ。
「それの何が違和感なんだよ。あいつの気まぐれってこともあんだろ?」
考えを整理するためにカルナスに話していれば、横から意見が入る。そう、気まぐれと言ってしまえばそれまでである。しかしこの出来事を違和感としたのには、他にも理由があるからなのだ。
それから数日後の、アイルとイゾルカの研究報告会。現場こそ見ていないものの、イゾルカによればアイルは研究報告を上げていないのだという。その数通算四十四回。何度報告会を行っても適当な言い訳をして報告を誤魔化したり、報告を持ってきていないにも関わらずほぼ確実にお茶は用意されるのだ。
元よりアイルのサボり癖というか、先延ばしにする癖は問題だと考えていた。なら尚更お茶を準備するのは手間になるだろうし、どうせ報告することがないのならそんな時間を取らず部屋で昼寝をしていた方がまだマシであろう。自分が楽をするためなら無駄なことはしないというアイルのスタンスをよく知っているからこそ、その無駄に溢れた行為がいまいち理解できないのだ。
「あいつ、そんなにお茶好きだったか?」
「いや、そんなことないと思います。お茶会をやってもひとつも茶葉の名前覚えてませんし、特に好みもないようでしたから。」
ただのお茶好きならわからなくはない行為も、アイルであれば無意味だと思えてしまう。得るもののない報告会に、彼は何を見出してるのだろう。
そして、先日のプラネタリウム。資料から得た情報では、星を人工的に作り出し観察する装置だそうだ。最初、その言葉を聞いてなんの違和感も持たなかった。しかし、そもそもがおかしいのである。
私達は、本物の星というのを見たことがない。そもそも、私達の中に「外」というものの認識は無かったのだ。研究所の中が全てであり、ここで生きることは当たり前。ここで生きること以外の選択肢など、初めから浮かんでいなかった。だから最初「星」と言われて、ピンと来るはずがなかった。それでも何故か私達は、星というものがどういうものかを見たこともないのに知っていて、プラネタリウムを知識として知った時も「そういうものか」と納得したのだ。星なんて、知る由もないのに。
「まぁ確かに……。言われてみれば、星って見たことないかもな。」
「そうでしょう?おかしいんですよ、本当に。」
そう言いながら、目の前にとある物を置く。
「そして……これが私の心の蟠りの中の最たるものです。ここからは他言無用ですよ、カルナス。」
「わーってるって。んで、それは何なんだよ。」
私達の前に置かれているのは、一冊の黒い本だ。先日資料室の中で偶然見つけた、記憶の中に微かにあった本。タイトルも表紙もない。表面は焼かれていて黒く煤けている。その証拠に、手に持てば煤がしっかりとこびりついた。
「なんだこれ。手になんか付くんだけど?」
「煤です。」
「煤?なんでそんなもんが。」
「燃やされているんですよ、この本は。資料室で人目につかないように隠されて置いてありました。」
「な、んだそれ。誰がこんなこと……。」
「それはまだわかりません。しかし、これが意図的に誰かに焼かれ、隠されたことは事実です。」
信じられないというような顔をして黙り込むカルナス。この顔と反応からして、おそらく彼女ではないだろう。
「誰がこんなことをしたかは一度置いておいてください。問題はこの中身なんです。」
そう。私が問題としているのはこの本の中身なのだ。
私は資料室でこの本を見つけた後、バレないように細心の注意を払い持ち出した。その後無事に部屋へと持ち帰り、時間をかけて中身を確認したのだ。
「燃やされてるのに中身読めたのか?」
「ええ。燃やされているとはいえ、幸い外装のみだったようです。それに、燃やされた外装も分厚く作られていました。ページの端が焦げているところは多々ありますが、中身が完全に焼け落ちていることはなかったです。」
焦げていると言っても、読むのにさほど苦労はしなかった。外装だけが燃やされ、焼け焦げている。本当に不自然な本だ。
「では、ひとつずつ解説していきますね。まず、この本についてですが……。この本は、『人間について』書かれた本でした。」
人間。自分は今日まで、自分を人間であることを疑ったことはない。朝起きて、ご飯を食べ、研究をし、他者と交流する。そうして夜には風呂に入って眠りにつく。傍から見れば、これはれっきとした人間の生活そのものだと思った。そうだと思っていた。この事実を知るまでは。
結論から言えば、私達は人間などではなかった。人間とは本来母親の胎内から産み出されるもので、大概の場合親が存在する。そしてその体内には心臓や肺、内臓などの臓器が詰まっており、血液は赤いのだという。
でも、私達は誰かの胎内から産み出された記憶も記録もない。親と呼べるものも存在しなかった。気がついた時にはこの研究所にいて、当たり前のようにここで暮らしていたのである。また、私達にはおそらく臓器というものが無い。中を開けてみなければわからないことかもしれないが、少なくとも心臓や肺、内臓などというものの名前を知ったのはこれが初めてだった。そして何より、私達の血液は赤くない。青いのだ。一度作業中に手を切ったことがあるが、そこから痛みと共に滴り落ちたのは青色の液体だった。それが血液であると頭では認識していたが、実の所血液が何なのかは理解していなかった。
何一つ疑うことなく、何一つ知識を持たずに生きてきた。しかし、その疑いもしなかった日々は明らかに何かが違っていて、知れば知るほど私達が何者なのかをわからなくさせた。
「私達は……人間じゃあなかったんですよ、カルナス。この意味がわかりますか……?」
「そんなこと、急に言われても……。」
「そうですよね。私もそうでした。でも……!私達は、人間じゃあないんです!何者に作られたのかも、私達が一体何者なのかもわからないんです……!」
事実として知ってしまった現実は、あまりにも残酷だ。一体誰が。何のために。
「……この本を燃やしたやつは、こうなることをわかってて燃やしたんだろうな。多分、精一杯の抵抗だろ。」
長い沈黙の後、カルナスがぽつりとそう呟く。確かに、もし私がこの本を最初に見つけたら、きっと同じことをしただろう。
「少なくとも子供たちの中に本を燃やした子が……。いえ、真実を知ってしまった子がいるのは間違いありません。」
「だな。お前はそれがアイルだって言いてぇのか?」
「半分は……そう考えています。」
「半分?なんだよ半分って。」
「私は……。」
「アイルが俺たちを創ったって……。いくらなんでもよぉ……そりゃちょっと、無理があるんじゃねえの?」
かくして、話は冒頭へと戻るのである。もちろん私だって、アイルが私達を創ったなどというのは暴論だとわかっている。それでもアイルに対する不信感は、自ずとそうした答えを導き出すことに繋がるのだ。
たった一度きりの早起き、何も行われない研究報告会。焼かれて煤けた本と、人間では無いという真実。私達の中で唯一怪しい動きを見せ、何かを隠していそうな人物と言えば彼しかいないのである。
「怪しいのはわからんでもない。でも、俺たちを創ってあいつになんのメリットがあるんだよ?目的が全く見えてこねぇんだけど。」
「そう、そこなんですよ。もし仮に彼が私達を創ったとして、それになんの意味があるのかがわからないんです。それにもし本当に彼が私達を創ったのだとしたら、彼は本当の人間なんでしょうか?」
「わかるわけないな。手っ取り早くあいつを一刺しでもして血液の色見ればわかるだろうよ。」
「そんなこと出来るわけないでしょう!怪しいとはいえ、大事な兄弟なんですから……!」
「わかってるって。悪かったよ。」
そう言いながら、カルナスはいつの間にか二本目の煙草に火をつける。普段なら身体の為にと止めたそれも、今となってはなんの意味もなさない。いくら煙草を吸おうが酒を飲もうが、私達に悪くなる臓器など最初からないのだ。そもそも酒や煙草が体に悪いという認識も、あらかじめ頭に植え付けられていた知識と感覚に過ぎない。良く考えればそれがどこにどう作用し、どう悪くなるのかなんて微塵も知らなかった。だからカルナスの酒や煙草を止める理由がない。それを知ってか知らずか、彼女は「……止めねぇんだな。」とだけ呟いた。
「ん。」と言うので声がする方へ目を向ければ、カルナスが煙草を箱から一本器用に出し、こちらへ向けていた。取れ、ということなのだろう。慣れた手つきでそれを咥えれば、カルナスの顔が少しだけ近づいた。ジジ、という音ともに、咥えた煙草に火が移る。少しして、ありもしない肺に煙が満たされていくような感覚を覚えた。
私だって、この考えが随分と突拍子もなく掴みどころがないものだということは重々承知していた。それでも口に出して言葉にした瞬間、それは少しずつ形を帯びていき、あるかもしれないという変な気さえ起こしてしまう。
「……私達、どうすればいいんでしょうか。」
気弱な言葉は、吐き出された紫煙と共にどこかへ消えた。その行き先を、私達は知らない。
了




