No. A00001
読み終えた日記を閉じ、読書灯を消す。部屋の中には一切の光源がなくなり、辺り一面が闇に包まれた。瞼を閉じゆっくりと伸びをすれば、肩や背中からボキボキというなかなかな音がした。一体どれだけ長い間この姿勢でいたのだろう。
それを感じさせないほど、この日記の中身は興味深いもので溢れていた。俺達の創造主である0番が残したこの日記には、様々なことが書かれていた。
これを、今までの俺なら一人で読んで、それで良しとしていただろう。だが今は違う。この話を皆に共有したくて仕方なかった。全ての事実を知っている以上、皆にもこの話の全貌を知る権利はあるはすだ。そう思うといてもたってもいられなくなって、思わず部屋を飛び出した。
「うわびっくりした、アイルか。」
扉を開けるや否や、エヴァンスとぶつかりそうになる。すんでのところで押し留まって、体勢を立て直した。
「悪い、大丈夫か?」
「僕は何ともないよ。それよりアイルの方が大丈夫?」
「ああ。……俺、どのくらい部屋にいた?」
「ちょうどこれで丸3日、あと半日かな。」
その言葉に愕然とする。丸3日と半日という時間の流れに全く気づかなかったなんて。でもあの内容なら仕方がないだろうと、すぐに本来の目的を思い出す。どこかの国の言葉でも鉄は熱いうちに打て、というのだから、さっさと動かなければ。
「悪いエヴァンス、他の皆集めてくれね?」
「てなわけで、皆に集まってもらったよ。」
先程の会話から程なくして、エヴァンスは研究所内を走り回って皆を集めてくれた。皆一様に大人しくラウンジテーブルに集まり、なんの騒ぎだという顔をしていた。
「……あの、いいですか?。」
オノロンが真っ先に手を挙げる。
「私達を集めて一体どうしたのですか?というかアイル、あなた3日ほど引き篭っていたでしょう?その間、睡眠食事ろくにとっていませんよね?」
「あー……。」
確かにそれはオノロンの言う通りだ。頭もぼーっとしているし、腹も空いている。だが、優先順位は話の方が上だ。
「そ……れはそうなんだけどさ。悪い。先に話させて欲しい。」
その後でならいくらでも休憩するから、と言えば、オノロンはまだ苦い顔をしていたが、少しして渋々「わかりました。」と零した。
「それで、本題なんだけど……。」
そう言って、呼吸を一つ。場の空気がしんと静まり返るのを感じながら、言葉を続ける。
「キーナとクメリアが見つけてくれたこれ。……これは、俺達を造った0番の日記だ。」
ぼんやりとした視界の中で動く何かの影。何かの音も薄ら聞こえるが、それが一体なんの情報を羅列しているのかまでは識別できなかった。未だ視界は覚醒しないが、少なくとも何かしらの感覚を得ている辺り機能に異常はなさそうだ。待っていれば、じきに覚醒することだろう。
目の前の影は少しずつ像を結び、人型になる。視界にその姿を完全にとらえた時、一番最初に映ったのはこちらをやや不安げに覗き込む琥珀色の瞳だった。
「……いな、また失敗か……?」
音声認識も少しずつくっきりとしてきたようで、目の前の人間が放った言葉を途切れ途切れに認識できた。表情と声色からして、彼は困惑しているようだ。もしかすると、僕が起動していることに気づいていないのかもしれない。
試しに、と瞬きを一つ。そうして目線を彼に向けてやれば、視線がぶつかった。
「……もしかして、起動している、のか……?」
その言葉に返事を返したかったが、思うように口が動かない。せめてと思い、今度は瞬きを二つ。そうしてやれば、彼の瞳がさらに輝いた。
「は、はは……!そうか!動いているのか!お前!」
ようやく完成だ!と言いながら、彼は手に持った何かを勢いよく空中へ放った。それらはヒラヒラと独特の動きをしながら地へと落ちていく。
表情、声色、心拍数や動きからして、彼が興奮状態にあることが容易に理解できる。僕が動いたことがよほど嬉しかったのだろう。彼は目をきゅっと細めて笑っていた。
「お前の体が動くようになるまで恐らくもう少しかかる。しばらくそのままでいてくれ、0番。」
0番。恐らくそれが僕の識別名――所謂、名前と言うやつなのだろう。どういう理由でその名前になったのかはわからない。が、その響きは不思議と心地いいものだった。
それから数時間後、僕の体は完全に動くようになった。手を握り、開く。膝の曲げ伸ばし、足首の動き、いずれも特に問題なし。立ち上がり歩こうとすれば少しよろけてしまうが、壁を伝ったり何かに捕まればある程度歩けるようにもなった。今は椅子に座り、対面の彼が食事を摂るのを見つめている。
「……お前に食事の機能はつけていないから、同じように食べる事はできない。わざわざここにいなくてもいいんだぞ。」
目の前の彼は食器を置いて一呼吸の後、そんなことを呟いた。
「……と言われても。」
それに対して、至極当然の言葉を返す。動き、喋れるようになったからと言って、自分が何のために生み出されたものなのか、彼が僕に何を求めているのかは指示がない限りわからない。彼からの指示を待ってはいるが一向にそれは発されず、途方に暮れているのが現状だ。ならばせめてと、いつでも指示を受けられるよう傍にいるのだ。ここにいなくてもいい、と言われても困るのは僕の方である。
「……あなたは、僕を何の目的で造りましたか?指示をください。食事の用意、掃除、その他雑務でも何でもいいので。指示がないと具体的に動くこともできません。」
このままでは埒が明かない。思い切って目的を聞いてみる。そう言えば彼は食器を置き、僕をじっと見据えた。
「……目的は、ない。お前を造ることが目的だったからだ。別にお前を召使いにしようとか実験をしようとか、そういうものでも無い。」
だから、お前の好きなようにしろ、と告げると、再び食器を手に取り食事を続けた。
好きなように、と言われても。そんなものは無い。どうしたらいいか分からないし、結局のところ世話をさせたいわけではないようなので、しばらくそのまま彼を見つめていた。彼も動かずに自身を見つめる視線に戸惑っているようだったが、しばらくすれば慣れたのか、なんでもないふうに食事を続けていた。
「ねぇマスター、洗濯物出して!溜め込まないでって言うのこれで何回目だと思ってるのさ!」
そうして始まった僕と彼の生活は、案外忙しないものだった。世話をしなくていいと言われたが、こんな場所にやることなんてない。その上、彼の生活が想像以上にだらしないのも相まって、結局僕は甲斐甲斐しく彼の世話を焼いている。今日も彼が溜め込んだ洗濯物を回収して回り、研究所内の掃除をして、食事の支度をするのだ。研究に没頭すると全てのことが後回しになるのが彼の悪い癖だ。僕を造る前は一体どうしていたのだろう。
「……別に、ここにはお前と俺しかいない。身なりに気を遣う必要もないだろう。」
「そういうことじゃないでしょー!?大体、マスターは人間なんだから!それじゃ不衛生でしょ!パーツ交換すりゃいいとかじゃないんだからさぁ!」
研究熱心なのはいいが、この人の自分を疎かにする癖は何とかならないものだろうか。考えるだけ無駄なことを思い浮かべながら、マスターからもう3日も着続けている上着を引き剥がした。
「……お前は。」
昼食をとりながら、目の前の彼は口を動かす。
「ん?何?」
「……料理が上手くなったな。」
そう言いながら彼がまた一口と食んだのは、僕が作ったフレンチトーストだった。これを作るのはもう何度目かというものだが、レシピは特に変えていない。
「レシピ変えてないよ?最初に作った時と同じ。」
「……そうか。」
「何か違った?」
「いや。……俺の舌が鈍いだけだろう。」
「ええ?でも上手くなったってことは美味しくなったってことでしょ?」
「まぁそうだな。……何が違うかと聞かれればわからんが、今日のは、美味い。」
彼の口から出た珍しい褒め言葉だ。嬉しくなって頬のあたりが緩むのを感じる。何が原因かはわからないが、褒められるのは純粋に嬉しい。
「……ああ、そうだ。」
そういうと彼はフレンチトーストにテーブルの上の小瓶の中身を少量振りかけた。
「何かけたの?」
「塩だ。」
こうすると甘みが感じられてより美味くなる、と言って、皿の上の随分と小さくなったそれを口へ運んだ。人間は随分と変わった食べ合わせをするものだなと思ったが、同時にこの人を人間の基準とするのは少々危険な気がした。
彼は人間が嫌いだった。空気を読み、テンプレート化された答えを自分の考えとして発し、周りと同じ顔をする。なんの面白みもない、最早人間である理由もない。そういう類の人間が大嫌いだった。と同時に、人間が好きだった。自分の意思で動き、自分なりに思考した言葉を紡ぎ、唯一無二の顔をする。人間である、理由と価値のある者たち。そういう人間が大好きだった。
そんな彼には野望があった。幼い頃、テレビで見たアンドロイドが出てくる映画に彼は釘付けになった。無駄のない胴体に強力な四肢、高い身体能力。何より彼を夢中にさせたのは、圧倒的なその頭脳。人工知能搭載のそれは人間よりも遥かに賢く聡明で、それは彼が理想とする完璧そのものだった。なんとしてでも理想のアンドロイドを作りたい。それが彼の唯一の願いであり、抗うことのできない欲望だった。彼が愛した人間たちのように、アンドロイド自身が生き方を考え、自己の責任を持ってそれを選びとれるように。召使いのような便利な道具ではなく、意志を持った一つの個体として。例えそれがどれだけ時間のかかることだとしても、無駄なことだと言われようと、彼は決して諦めなかった。
大学で教鞭を執る傍ら、少しでも時間が空けば研究室へ籠り実験を繰り返す日々。論文を書いては学会発表をし、また研究室へと籠る。そんなことを、何十回と繰り返したある日、思い切って森の中に大きな研究所を構えた。誰にも邪魔されず、ただ黙々と理想のアンドロイドを作るために。そうして何度も何度も実験と失敗を繰り返して、ようやく僕を完成させた。
初めて僕を起動したあの時の彼の表情を思い出す。困惑と期待が入り交じったような眉、揺れる瞳、心拍が上がっていたのだろう呼吸は早く、いかにあの一瞬に気持ちを込めていたのかがわかる。彼はきっと幾度となくあの瞬間を待っていたのだろう。僕が完成した時、彼は笑っていた。後にも先にも彼が笑ったのを見たのはあれきりだが、それほどまでに喜びはしゃいでいた姿を思い出す度に、彼はどうしようもなく人間なのだなと思った。
いつか、自分にも同じように喜べる日が来るのだろうか。そうしたら、自分はどうするんだろう。彼のように笑顔になるのだろうか。それとも感極まって泣いてしまうのかな。むしろ、感動が一周まわって普段と変わらないのかもしれない。そんな日が来るかはわからないが、せっかく彼が苦労して人間のように造ってくれたのだ。そんな素敵な日が訪れることを願わずには居られない。
そんな日々が続いたある日のこと。
「……お前も何か作ったらどうだ。」
朝食を食べているマスターの向かい側で、彼が床に散らかしたままにした紙を拾い上げていると、突然そう言われた。
「……作る?作るって何を?マスターのご飯なら毎日作ってるけど?」
「……そういうことじゃない。」
少し眉間に皺を寄せたあと、コーヒーを啜る。マグカップをゆっくりと置いて、彼は視線をこちらに向けた。
「……お前も何か研究をしたらどうだ、と言っているんだ。何でもいい。お前には永遠の時間があるだろう。」
まずは興味惹かれるものを探すところからだな、と言って、彼は席を立った。
研究。マスターがずっと行っていること。自分もそれをしたいと考えたことは無かったが、研究をしている彼はいつも楽しそうだと思っていた。自分も、彼のように夢中になれるものが見つかるだろうか。そう思うとなんだかソワソワして、いてもたっても居られなくなる。手にした紙の束を机の上に置いて、足早に資料室へと向かった。
向かう道中、ぐるぐると頭の中で考える。研究って、どんなことをするんだろう。そもそも、どんなことを考えればいいんだろう。何か大きなテーマが必要で、それに対して考えたり実験をするのだということはわかっている。そもそも、そういう興味惹かれるテーマを見つけられるだろうか。
そうして辿り着いた資料室の中。部屋の端から端までびっしりと並んでいるのは、専らマスターが集めたアンドロイドや人間に関する資料ばかりだ。とりあえず一つ手に取って開いてみる。少し読んで、それを閉じ机の上に置いた。そうしてまた別の資料を取り出しては開き、机上に置く。どれもいい刺激にはなるが、何か一つインパクトに欠ける。何か、決定的な何かが足りない。でも、どの資料の中にもその何かが存在しない。僕は一体何を探しているのだろう。その正体すらわからないまま、次々に資料の山を作っていった。
「み、見つからない……。」
探し始めて一体どれだけの日数が経過したのだろう。簡単な掃除とマスターの食事の支度、片付け以外の時間はこの資料室にずっと籠っているが、全くと言っていいほど研究テーマが見つけられない。今日も今日とて無意識のうちに作った資料の山を一つずつ手に取り、元あった場所へ戻している。
ここにある資料は粗方読み終えてしまった。それでも見つからないとなれば、あとはどこを探せばいいのだろう。マスターの研究している様子を見ていれば、なにかヒントを得られるだろうか。いや、それでも彼がやっていることと同じことではつまらない。そうじゃなく、もっと独創的で、僕がやるからこそ意味のあることがしたい。それなら、彼が絶対にやらなそうなテーマはどうだろうか。
そんな時、ふとマスターの言葉を思い出す。お前には、永遠の時間がある。彼は僕にそう言った。それは確かにそうだ。僕はアンドロイド。僕が持つ時間は永遠と言っても過言では無い。でも、マスターは?マスターが持つ時間は有限だ。だって彼は人間だから。彼には、永遠がない。
(……なら、僕が研究すべきは。)
僕にしかできない研究。僕だからこそやる意味のある研究。ようやくその答えを見つけた。近くにあった紙の切れ端に、急いで思いついた事柄を記していく。
永遠。これが、僕の研究テーマだ。永遠とは何か。永遠を作り出すことはできるのか。もしこれが上手く行けば、人間であるマスターも永遠を手に出来る。そうしたら、今までみたいな日々をずっと送っていける。人間に必ず訪れる終わりに怯える必要はない。我ながら、最高のアイデアだ。そう思った。
あぁ、まずは何から手をつけよう。人間に関する資料が必要だろうし、永遠を作り出すためには今この世にはない何かを生み出す必要があるはずだ。それに、マスターを永遠の肉体にするなら、無事に適合できるようにしっかり実験もしなければならないだろう。やるべきことは尽きない。時間は限られている。悩むより先に手を動かさなければ。
(……あぁ、さすがはあのマスターに造られただけの事はある!)
最高のテーマを前に、興奮が止まらない。血なんて繋がってもいないのに、こういう所はやっぱりあの人譲りなのかもしれない、なんてことを考えながら、僕は目当ての資料の背表紙をなぞった。
了




