wake up from
「……い、おーい。朝だけど、起きられる?」
微かに聞こえる声が、俺の意識を眠りから引きずり起こす。未だ重たい瞼を開ければ、目の前には人影が見えた。
「……イゾルカ?」
「そ、正解。おはようアイル!気分はどう?」
今までの生活の中で、彼女が自分を起こしに来たことなんてあっただろうか。疑問に思ってふと、これがあの日々を抜け出した最初の朝であること思い出した。
「……まだ本調子じゃないよね。動けなさそうなら寝てていいよ?」
初めて聞くイゾルカの台詞は違和感しかない。しかし、声色から本当に心配してくれていることは明らかだった。
「……いや、大丈夫。ちょっとまだ慣れないだけ。」
「そっか、そうだよね。アイルにとっても初めての朝だもんね、今日は。」
そう言いながら、イゾルカは俺の上体を起こすのを手伝ってくれた。その手の温度は温かく、これが夢でないことがはっきりと伝わってくる。
「……大丈夫。アイルが恐れていた朝は、日々は、もう来ないよ。来るのは、私達との新しい朝だからね。」
震えていた俺の手をイゾルカの手が優しく包み込む。彼女の言葉が、手の温もりが、ゆっくりと染み入ってくる。俺の知らない言葉が紡がれることが、こんなにも嬉しいなんて。
「おはよう、アイル!」
「……あぁ、おはよう。イゾルカ。」
そうして、彼女に手を引かれながら、俺は冷えきった部屋を出た。
「みんな!アイル起きたよ!」
イゾルカの一声で、ラウンジに集まっていた皆の視線が一斉にこちらに向いたのを感じる。恐る恐る顔を上げれば、皆一様に安堵したような表情を浮かべていた。
「アイル、起きたんだね!良かった!」
クメリアが真っ先に声を上げて、こちらへ近寄ってくる。知らない台詞、見たことの無い動き。無意識のうちに身体を強ばらせていれば、そのまま腰あたりに抱きつかれた。とすん、とした軽い衝撃と、柔らかな温もり。分け与えられた体温から、少しずつ緊張が解れていくのを感じた。
「どこか辛いところない?アイル、結構長い間寝てたから……。」
そう言われてハッとする。俺、一体いつ寝たんだっけ。自力で移動した記憶が無いとすれば、誰かが運んでくれたのだろうか。
「丸4日。」
頭上から声がする。クセのついた栗色の毛が、俺の首筋に触れた。どうやら、後ろから抱きしめられている。
「……あの日から丸4日、1度も起きずに寝ていましたよ。まったく、お寝坊さんですね。」
小言なのか心配していたのか、微妙な声でオノロンがそう答えた。でも、その声はオノロン特有の優しさを含んでいて、決して嫌ではなかった。
「……悪い。そんなに寝てたんだな。」
「そーだよ!私、毎朝起こしに声かけに行ったけど全然起きないんだもん!本当、すごい心配だったんだからね!」
イゾルカが部屋に入ってきていた事すら知らなかった。今までは廊下を誰かが歩く音ですら目が覚めていたのに。改めて、自分の肩に乗っていた重荷は本当に下ろしきったのだと実感する。
「……感動の再会はいいけどよォ、飯冷めるぞ?お前ら。」
ラウンジテーブルの方から、カルナスの声がする。見ればウリムやエヴァンス、キーナは席に着いていて、その前には皿が用意されていた。
「ごめんごめん、食べよ!あ、アイルは朝ごはん食べれそう?」
「え、め、メニューは……?」
「今日はエッグマフィンとスープ!……どうかな?」
正直言うと食欲は無い。だが用意してもらった手前食べないのも気が引ける。どうしようかと思案していれば、きゅるる、と腹が鳴った。
「あはは、先にアイルのお腹が答えた!」
「ちょ、クメリア!」
「……食べる。」
なんだか恥ずかしくなって、それだけ答えて席に着いた。みんなといえば、銘々手を合わせて食べ始めている。
自分も食べようかといざ皿を前にすると、食べれるだろうかという不安でマフィンを掴めなかった。なんだか前にもこんなことがあったな、なんて思う。あの時はクメリアが食べてくれたが、今回はどうだろう。しかしこうしている間にも、目の前の食事たちの温度は下がっていく。食べると言った手前一切手をつけないのも良くないと思い、ええいままよとそれを掴んだ。
温かい。久しぶりに感じる温もりだ。みんな、俺が起きない朝もこうして朝食を作ってくれていたのだろうか。そう思ったらなんだか腹の底がくすぐったくなった。そのままマフィンを口にする。カリッとした外側のマフィンとじゅわりとした具材たちの食感が口内で混ざりあう。こんなにも心穏やかで味のする食事は何時ぶりだろうか。あれだけ心配していた食欲はむしろ一口食べる事に増し、結局スープの最後の一滴まで残さず飲み干した。腹に物が入った感覚がして、身体が重い。
皆が食器を片付けてくれ、ラウンジテーブルで一人ぼんやりとしていれば
「……なーにぼさっとしてんだよ。」
と後ろから小突かれた。
「……カルナスか。いや、腹いっぱいだなーって思って……。」
「んだその感想。ジジ臭ぇな。」
そう言いながら、彼女は俺の横に座った。その手には酒が握られていない。代わりに握られているのはコーヒーだ。
「……珍しいな。酒、飲んでないんだ。」
「あ?あー……。」
そう言うと少しだけ何かを考えた素振りを見せたあと
「…………いいんだよ、あれはたまにで。」と言って、コーヒーを飲み干した。こうしてまた一つ、俺の知らない皆の顔が増えていく。それはいいことではあるのだろうが、どうしてか無性に焦燥感を覚えた。
「んな事より。」
そんな不安をかき消すように、カルナスが再び口を開く。
「お前、これからどうすんだ?」
「え?」
「え?じゃねぇよ。何すんだ、これから。」
「い、いや……特に何も……。」
何をする、と突然聞かれても。俺のやるべき事はもう全て終わってしまったに等しい。改めて何かすることはないだろうし、これといってしたいこともない。
「……お前、ほんとつまんねぇ奴だな。」
カルナスは俺の返答に顔を顰めながらそう答えた。こんなことを俺に言うのだから、こいつも自分のやることややりたいことが決まっているのだろうか。
「……そういうカルナスは?決まってんの?」
「別に。今まで通りだよ。」
まさかの返答に今度はこっちが溜息をつく。人に突然今後の話題を振り、その返答にケチをつけた上でこれである。何がつまらないやつだ。お前にだけは言われたくない。
「おめーにだけは言われたくねぇ、って顔だな。」
「その通りだろ。なんだよ今まで通りって。」
「まぁ待て。俺は今までも適当に生きてた。そんでこれからも適当に生きる。わかるか?俺のは現状維持だ。でもお前は維持する現状がねぇだろ。だからどうすんだ、って聞いてんだよ。」
そう言われると、発言の意図が腑に落ちる。「この先、俺は何をするのか。やりたいことはあるのか。」という、至極真っ当な質問だ。それに対して「わからない」と答えたのだから、つまらないと言われても仕方ないだろう。
「……ない、な。」
「ほら。つまんねぇんだよ、そういうところが。」
まずはお前がやりてぇことを見つけるとこからだな、と言って、カルナスは席を立つ。去り際、背中をバシと叩かれて
「……お前の好きに生きろよ。」
とだけ呟いた。俺は背中に感じるジンジンとした痛みを感じながら、小さくなっていく背を見送った。
(好きなように、と言われても……。)
これまでの生活は、皆の行動を逐一監視し、最後には皆を殺してやり直すだけの日々だった。それ以外に、特にしていたこともないし、好きだったものもない。
もちろんその日々に満足していたわけでも、その日々が好きだった訳でもない。しかし、それが本当に終わってしまった今、自分のやるべきことは本格的になくなってしまったのだ。改めてそれを考えようとしても、そもそも自分は何が好きで何が嫌いか、何に興味があって何がしたいのか、てんで見当がつかない。
「そら、つまんないって言われるよな……。」
「何がつまらないんですか?」
「うわびっくりした!」
またしても頭上から声をかけてきたのはオノロンだ。こいつ、こんなに癖の悪い声のかけ方をする奴だっただろうか。
「驚かせてしまってごめんなさい。でも、何がつまらないのか気になってしまって。」
私の耳もまだそんなに悪くはないんですよ、なんて言いながら俺の隣に座る。今日はなんだか来客が多い。
「それで、何がつまらないんですか?」
「いや……さっき……。」
カルナスに言われたことを伝えれば、オノロンはカラカラと笑った。
「あの子の物言いも困ったものですね。全く、素直じゃないんだから。」
「え?」
「あの子もあの子なりに、アイルのことを心配してるんですよ。」
「し、心配……?」
「ええ。あなたはずっと私達のために、一人で苦しい日々を過ごしてきたでしょう?もうその必要も無くなった今、あなたには自由に、好きに生きて欲しいというのが、私達の総意です。それはカルナスも例外ではなく、彼女ももちろんそう思っています。まぁ、言い方が少々乱暴ではありますが……それもご愛嬌ですね。」
所謂照れ隠しですよ、と言ってオノロンは笑った。カルナスは元々口こそ悪いが、なんだかんだ面倒見がいい。あいつのそういう不器用なところは変わっていないようだ。
「……でも彼女の言う通りですね。好きなように生きましょうね、アイル。」
そう言いながら、オノロンの手は俺の頭を撫でた。そこに、いつの日か向けられた憎悪の籠る瞳はなく、ただ慈愛に満ちたエメラルドがきらきらと輝いていた。
あんなに重たかった腹は幾分か軽くなっていて、今ならようやく動けそうな気がする。気晴らしになるかはわからないが、とりあえず皆が今何をしているのかを見に行こうと席を立った。




