Loving Children
アイル視点
「よし!とりあえず、私アイル呼んでくるね!」
イゾルカがそう言いながら勢いよく立ち上がるのを、俺はモニター越しに見ていた。一体、これは何回目の光景なのだろうか。そんなことを、ぼんやりと考えながら眺めていた。
何度となく繰り返してきたあの瞬間が、もうすぐやってくる。イゾルカの台詞から始まる、皆が死に絶えるまでの地獄の喜劇が。こんな舞台、観客席でふんぞり返って笑っていられるのは一人しかいない。しかし残念なことに、あいつはもうどこにもいないのだから、こんなもの笑い話にすらならない。
ぼんやりとして、身体に力が入らない。早くあの梯子を上って、イゾルカが部屋に辿り着くまでに準備をしなければいけないのに。皆を殺す、準備を。
前回のあの日からどれだけ経ったかもう覚えていないが、今回も異常はなかった、はずである。今回もイゾルカが部屋へやってきて、自分は何食わぬ顔をして部屋を出て、冷たい階段を下りて。そうして皆を殺して、元通りだ。大丈夫。今までだって同じようにしてきたじゃないか。何度繰り返したかわからないほどに、何度も、何度も。そう自分に言い聞かせてはみたものの、指先の震えは治まらず、動悸や息切れも時間を増す毎に酷くなっていった。でもそれでいい。それでよかった。この恐怖や苦しみに、自分が慣れてしまわなくてよかった。慣れてしまったら最後、自分は本当に何も無くなってしまうと思った。きっとこの恐怖や苦しみが、自分を自分たらしめるものだ。これだけは、何があっても無くしてはならない。震える指先でシリンジを取って、白衣のポケットへとねじ込んだ。
そうしていれば、コンコンコンときっちり三回、ノックの音が聞こえてくる。
「アイル〜、いる?」
これも、変わらない終わりの合図。イゾルカが、俺の部屋の前に到着したのだ。
「いるよ。何?」
いたって冷静に。いつもと同じ返しをする。ぎゅっと目を瞑って、イゾルカの次の言葉を待った。
「今、外への扉を見つけたの!そこにカードリーダーがあるんだけど、誰のカードでも開かなくて……。」
「へぇ。そりゃ面白いじゃん。」
「でしょ!んで、まだ試してないのアイルだけだから、カード持って来てよ!」
「ちょっと待ってて。カード……あれ?どこだっけ?」
そんな茶番を繰り広げながら、ゆっくりと部屋の外へ向かう。そうしてドアを開けて、申し訳なさそうな顔をしながらいつもの台詞を吐くのだ。そう、思っていた。
「……え。」
ドアを開け、眩しさに瞬きを一つ。目の前に広がる光景は、俺の知らないものだった。
そこにいたのは、イゾルカだけではなかった。正確に言えば、全員がそこにいた。おかしい。いつも通りなら、ここにいるのはイゾルカだけのはずだ。だというのに、今目の前には全員が揃っていて、皆一様にして真剣な顔をしてそこに立っているのだ。頭の中では警告音が鳴り響いているのに、予想だにしていなかったことすぎて身体が反応できない。そうしていれば、イゾルカがこちらへ向かって
「じゃじゃーん!サプラーイズ!というわけで、オノロン!カルナス!今だ!!」
と言い放つ。訳がわからず咄嗟に動けないでいれば
「動くんじゃねえぞこの野郎!」
「暴れないでくださいね。子供達の前で、手荒な真似はしたくありませんから。」
あっという間に両サイドから腕の自由を奪われる。そのまま後ろ手で拘束され、身動きが取れなくなった。思っていた以上に力が強く、痛いくらいだ。
「ちょっ、何!?何だよ!?おい、どういうこと……!」
「はいはい、聞きたいことは山のようにあるだろうけどそれはお互い様だから!キーナ、クメリア!ポッケの中だよ!怪我しないでね!」
「はーい!」
「あ、危ないから動かないでね、アイル……!」
ようやく声を出せたが、イゾルカに流され今度はキーナとクメリアがポケットの中身を弄り始めた。未だ混乱してはいるが、こいつらが俺のしようとしていたことを知っていることと、それを阻止しようと動いていることは何となく理解した。その証拠に
「あった!こーんな危ないものは……こうだ!」
キーナとクメリアが俺のポケットの中から取り出したシリンジを床に叩きつけていた。その様子を、ろくに抵抗できずに眺めていれば、やがて七本分の薬剤が床に広がった。
「よし!廃棄完了だね!お疲れ様二人とも!」
その様子を確認して、イゾルカが二人に声をかけた。しかし依然として、俺の両腕の拘束は解かれないままだ。
「……なあ。」
「何?」
「……いつから。どこまで、知ってんの。」
これまで状況を見ていたが、シリンジを破壊されて改めて現状の異常性を思い返した。そうだ、俺は失敗したのだ。こいつらを守るためのこれまでの行いが、苦しみが、全て水の泡になったのだ。一体いつから、どこでバレた?これまでと同様に、何一つ間違えることなく動いていたはずだ。見落としたことも、やり逃したこともなかったはずなのに。
(あ……でも、一個見逃したとすれば……。)
「……そうだ、すごい眠くなった日があったわ……。あはは。あんなの、どう考えたって異変でしかないのにな。見逃したわ、それ。あー…………ほんと、最悪だ。」
思わず、乾いた笑いが溢れる。と同時に、床の水たまりが揺れた。悔しさか、虚しさか、はたまた絶望感か。それが何かはわからなかった。しかし得体の知れないそれらに押しつぶされそうで、顔を上げることができなかった。一呼吸するたびに視界が滲んで、その度に水面が揺れる。
「……一番最初に気づいたのはクメリアだよ。そこから少しずつみんなに知らせてくれたの。」
そうか。最初に気づいたのはクメリアだったのか。最年少なのにそんな重荷を背負ったなんて、さぞ恐ろしかっただろうに。
「すごく眠くなったのはキーナの睡眠薬。それを仕込んだのはオノロンとカルナスだよ。アイルが眠ってる間に、私とウリムとエヴァンスに説明してくれて、こうしようって計画したの。」
ああそうか、そうだったのか。俺が眠くなったのはキーナの薬のせいだったんだ。あいつ、いつの間にあんな強力な薬を作れるようになったんだろう。オノロンとカルナスも、子供達のことを考えれば、すぐにでも俺を問い詰めたくて仕方なかっただろう。しかし俺を疑っている素振りをそのままに、よく隠し通したものだ。そうして俺が眠っている間に、こんなことまで考えていたなんて。
「……こうしようって提案したのはイゾルカだけど。」
「そうそう。アイルのこと、助けたいって言ったのもイゾルカだよね。」
「ちょ、それは言わなくていいって!」
ウリムとエヴァンスがそう補足して、イゾルカがそれを牽制する。
俺を、助けたいだなんて。いつも研究報告は上げないし、何をするにも適当だし、挙句一番最初に手をかけたというのに。他でもないイゾルカが、そんな俺を助けたいと思ってくれるなんて。その言葉が、事実が、あまりにも申し訳なくて、でも嬉しくて。
「……これが全部。私達がアイルに隠してたことの、全部だよ。」
「……そっか。」
「今度はアイルが私達に隠してたこと、教えてくれない?私達、殺されたことは覚えてても、どうして殺されなきゃいけなかったのかはわからないからさ。」
もう、隠しきれない。皆がここまで行動を起こしていて、全てを思い出していて、シリンジが使い物にならなくなっていて、逃げ道がなくて。隠し切れるはずなかった。俺は皆に、全てを教える必要がある。各々が恐怖と戦って、こうして全てを話すための絶好の機会を用意してくれたのだ。その勇気に、努力に、報いなければならない。何より、皆への罪を償う方法がそれしか思いつかなかった。こんなもの、皆が受けた苦しみに比べたら贖罪にすらならないのだろうが、せめて、もう嘘をつくことも隠し事もしたくなかった。
「…………わかった。全部話すよ。でも、ここじゃ説明してもわからないと思うから、下に行きたい。」
警戒心を与えないように落ち着いてそう言えば、皆顔を見合わせる。そりゃそうだ。皆にしてみたらあの場所になんて近づきたくもないだろう。しかしあそこに行かなければ、この話の全てを伝えることができないのだ。
「お前、まさかまた暴れてやろうなんて考えてんじゃねえだろうな?」
右肩あたりから、俺の腕を押さえつけているカルナスの声が聞こえる。その声には怒りと疑いがたっぷりと含まれている。
「もちろん。……そりゃ信用ないだろうけど、シリンジがなきゃ何にもできないし、今更何かしようなんて考えてないよ。見せたいものがあるし、それを見せなきゃ全部は話せない。」
そういえばイゾルカはため息をついて
「わかった、じゃ下に行こう!ただし手はそのまま!いいね?」
「ああ。それでいいよ。」
そうして、皆で下に向かう流れになった。しかし
「……っ、動きにくい、な……。」
後ろ手で拘束されているが、二人とも力が強く身動きがとりにくい。拘束としては正しいのだろうが、この状態で階段を降りるのかと思うと若干の不安が募る。そんな俺の様子を見兼ねてか
「あ、あの……!それだと痛そうだし、歩きにくそうだから、手を繋いだらどうかなって……思うんだけど……。」
珍しくキーナが声を上げた。それを聞くなり右肩から「げっ」という声が聞こえた。
「うーん……まあ確かに、キーナの言う通りかもね。じゃオノロン、カルナス、手繋いでもらえる?」
「何でだよ!別に歩けるだろ!」
「まあまあカルナス、イゾルカの命ですから。ここは大人しく従いましょう。」
そうオノロンが諭せば、右肩からかなり大きめの舌打ちが聞こえた。その後両腕が軽くなったかと思えば、今度は両手に少し強めの温もりを感じる。
「……ぜってぇ暴れんじゃねえぞこの野郎。」
「そういうあなたも暴れないでくださいね、カルナス。」
俺の左側からカルナスをそう諭したオノロンがぽつりと
「……あなたの手、こんなに冷たかったんですね。」
と、俺にしか聞こえない声で呟いた。
トン、トン、パタ、パタ、パタン。階段を一段ずつ、皆で下っていく。八人分の足音が、冷たい廊下に木霊する。そうして、全員であの扉の前へと辿り着いた。
「で、下についたけど。ここで何を見せてくれるの?」
先頭を歩いていたイゾルカがこちらへと向き直る。それに続いて、他の皆もこちらへと視線を向けた。
「……俺の白衣の胸ポケットに、カードキーが入ってる。それ使って、そのドア開けて。」
そう指示すれば、近くにいたエヴァンスが「ちょっとごめんね。」と言って胸ポケットからカードキーを抜き取った。それを例の扉に翳せば、いとも簡単に扉が開く。
「ここ、何……?」
ウリムが怪訝そうな声をあげ、中の通路を覗きこんでいた。
「見せたいのはこの中。入っていいよ。」
そう言えばイゾルカを先頭に、皆ゆっくりと歩みを進めた。
中はたくさんのモニターとベッドが八つ。モニターから発される明かりだけが、室内をぼんやりと照らしていた。
「何ここ……この研究所、こんな場所があったの……!?」
イゾルカが驚きの声を上げている。他の皆も一様に、想像すらしていなかった光景に驚いていた。
「ここは監視室。あのモニターで、皆のことを逐一監視してた。」
そう言えば、空気が少し張り詰めるのを感じた。構わず言葉を続ける。
「研究所内にある監視カメラを通して、皆がどこで誰が何やってるかは大体把握してた。あそこにある梯子は俺の部屋と繋がってて、昼はあそこからこの部屋に移動して監視してた。てか、一日のほとんどをここで過ごしてたから、すぐ部屋に引っこんでたんだよ。」
「じゃ、朝起きて来なかったのは?」
「それは……夜、ろくに寝れなくて。自分がいつ寝てたかわからなくてさ。夜寝れなくてここでぼーっとして、気づいたら寝落ちして、変な時間に目覚めるから……たいてい寝坊してるように見えてたんだと思う。」
「どうして、眠れなかったんですか?」
「……それは……。」
悪夢を見るから、なんて言ったら、笑われるだろうか。そう思ったら言葉が続かなくて、口をつぐんでしまった。
「僕たちのことを殺したことと、何か関係があったりする?」
そんな状況を察してか、クメリアが声をかけてきた。こいつは本当に鋭い。俺の言わんとする事を、なんとなくわかっているのだろう。
「……まあ、そう。……そうだ、その話もしなきゃだよな。」
それで思い出す。そうしてこんなことをしなければいけなかったのか、その原因と経緯も説明しなければ。
「まず……皆、自分が人間じゃないってことはなんとなくわかってるんだよな?」
「ああ。でも知ってるのはそれだけだ。俺達が何者かは知らねぇぞ。」
「いや、それを知ってるなら十分。……まず、俺達についてだけど……。俺達ははとある奴に造られた、限りなく人間に近い、けれど決して人間じゃない、人工生命体なんだ。」
そう言えば、皆の頭の上には疑問符が浮かぶ。当然の反応だ。
「俺たちはあいつ──0番ってやつに造られたんだ。ほら、さっきここを開けたカードキーもそいつの。」
そう言うと、エヴァンスは手にしていたカードキーを確認する。
「……ほんとだ、アイルのじゃないね。」
「だろ?それがあいつのカードキー。ここは、それじゃなきゃ開かないようになってる。それで、0番についてだけど……。あいつは、ヒューマノイドだったんだ。」
「おはよう、アイル!」
その音の羅列が自分に向けられたものだと理解するのに、そう時間はかからなかった。目の前の“それ“はこちらを眺めながら、左右へ行ったり来たりしている。
「おはよー、あれ?聞こえていないのかな?もしもーし?」
聞こえている。ただ、それにどう返すのかをその時の自分は理解していなかった。
「聞こえてるなら返事なり瞬きなり、なんでもいいから返してよ〜。お願いだよ〜!」
目の前のそれがそう言うので、とりあえず瞬きを一つ。そうすれば、目の前のそれは目を見開いた。
「わ……!アイル、アイル!聞こえているんだね!あはは、やったあ〜!今度こそ成功だあ〜!」
異常なまでに大きな音を立てるそれが、喜んでいるのだと理解した。
これが、俺の一番最初の記憶。最初に起こされた時の、俺とあいつの邂逅。今思い返しても、本当にあいつはやかましくて仕方ないやつだった。よく言えば素直、悪く言えば子供っぽい。そんな、俺達の生みの親だ。俺があいつについて覚えていることは、これを含めても随分と断片的になった。もうそれだけ大昔のことで、それだけ同じ日々を過ごしてきたのだと痛感する。
次の記憶は、俺がある程度言葉を覚えた時のことだった。
「じゃ〜ん!見て見てアイル!すごいでしょ!」
「……何が?」
「君を造った技術を応用して、君の家族を造っちゃいました〜!どう、どう?びっくりした!?」
「……いや、別に。」
「なんで〜!?歳の近い子から遠い子、年上年下までみーんな網羅してあげたってのに!」
「別に頼んでないし。」
「まあそれはそうだけどね!でも、いつかいてよかった〜ありがと〜って思う日が来るよきっと!」
そう言いながら、あいつはまだ目覚めない七人を眺めていた。その瞳はあの日俺が見たものと同じように輝いていたことを、今でもぼんやりと覚えている。
次の記憶は、あいつとあいつを作ったマスターが話しているところだ。
「……ねえ、本当にそうするしかないの?」
「これは私が決めたことだ。……お前にはお前の自由がある。それに、お前にはあの生命体の世話もあるだろう。ついて来なくていい。」
「それはそうだけど……!でも、僕はマスターを一人で逝かせるわけにはいかないんだよ!人は、一人じゃ寂しいんだから!マスターが教えてくれたことでしょ……!?」
薄暗い廊下の先で珍しく言い合う二人を、俺はバレないように息を殺して、物陰から覗き見ることしかできなかった。あいつがどんな顔をしていたかは、全く見えなかった。
最後の記憶は、何があっても忘れられない。
「……それでね、僕は君たちをここに置いていくことにしたんだ。ごめんね、アイル。」
珍しくしおらしい声と表情に、ただ事ではないのだとなんとなく察した。
「僕はこれから、マスターとこの研究所を出る。そうして、もう二度とここへは戻らない。」
「どうして?」
「どうして、かあ……。うーん……。難しいなあ。……別に、君のことを嫌いになったんじゃないよ。それは確かだから。」
「で?」
「……マスターを一人にしたくないから、かなあ。僕を造ってくれた人だから。」
「そう。」
「うん。ごめんね、僕の我儘に巻き込んで。」
「……別に。」
「怒ってるの?あはは、珍しいね。」
「怒ってない。」
「そうかなあ……。多分この先、君は僕にたくさん怒るだろうけど。」
「……で、何をすればいいの?」
「ふふ、物分かりが良くて助かるよ。この後、君の家族が起きる。最初は君と同じようにぼんやりしているけど、時間が経てばそれぞれしっかりしてくるから、まずはそれを見届けて。」
「わかった。」
「それから……まあ普通に楽しく暮らしてくれればいいかな。別に、もう僕はここに帰って来ないわけだし。」
「そう。」
「あ、それからもう一つ。これはもうちょっと大事なことなんだけど。」
そう言うと、あいつは立ち上がる。俺の背後から、荷物をまとめたマスターもやってきた。
「君たちはこの研究所の外に出ちゃダメだよ。僕がこの研究所内で造った生命体だから、外に出たらウイルスとか細菌に体が耐えきれなくて死んじゃうから。」
声のトーンが少し下がる。これは本気の警告なのだと、本能的に察した。
「アイル、君にはね……。少し酷かもしれないけど、みんなを守って欲しいんだ。どんな手を使ってでも、みんなのことを。」
「どんな手を、使ってでも……?」
「そう。君たちはここから出ることさえしなければ、永久の命だ。僕の最高傑作なんだよ。それを、外に出る、なんて愚行で全滅させたくない。だからね、君にはこの楽園の守護者になって欲しいんだよ。」
そう言ったあいつの瞳に、あの日のような光はなかった。冷たく、しかしどこまでも澄んでいた、アイスブルーの瞳。あの日、あの時、あの瞳に見つめられた時、俺の中に使命が生まれた。そんなことを知ってか知らずか、あいつはマスターと共に、監視室の一番奥にある本物の外への扉へと歩いていく。そうしてドアのロックを解除して、最期にこちらへと振り返ると
「じゃ、後は頼んだよ!……絶対ここからでちゃダメだよ。君も、皆も。……それじゃあね!バイバイ!」
それだけ言い残して、あいつとマスターは扉の向こうへと消えていった。ガチャンというドアの閉まる音が、耳の中にしばらく響いていたのを、今でも鮮明に覚えている。
「……それから皆が起きて、今くらい話せるようになるまで待って、普通に暮らして……って感じかな。」
もう随分と昔のことすぎて記憶が曖昧な部分も多く、多少説明を省いたところもある。それでも、俺たちが何者なのかやどうして外に出ることができないのかなどという重要そうなところを説明することはできたはずだ。皆が理解できているかはまた別問題だが。
「……それってよぉ。」
沈黙を破ったのはカルナスだった。眉間に皺を寄せながら、おずおずと手を挙げる。
「俺たちを殺す必要あったか?別に、全部を素直に説明すれば済む話だったって俺は思うんだけど……。」
カルナスの言う事はもっともだ。勿論、これまでの日々の中でそれを考えなかったわけではない。しかし
「……素直に伝えることも考えたよ。それでも外があるっていう事実や、外に行ってはいけないってことを知った皆が何するかはわからなかった。事実を知ってショックを受けるかもしれない。もしかしたら、外への興味がもっと募るかもしれない。もしそうなって、万が一誰かがこの扉を俺が監視してない時に開けたら?そんなの最悪だろ。……皆を守るには、同じ事を繰り返す方がよっぽど楽だった。たとえその工程に皆を殺すことが含まれていたとしても、予定していない事が起こる方が怖かったんだよ。」
「……それでも。」
それを聞いて、クメリアが声を上げる。
「それでも、眠れなくなるほど恐ろしかったんでしょ?僕達を殺すことは……。」
「……ああ、そうだよ。目を瞑れば、あの時の光景が鮮明に蘇る。夢なんて見ようものなら、殺した皆に追い立てられるわ、0番には嫌味言われるわで……。眠れるわけなかった。」
それがどれだけ幻だとわかっていても、悪夢の光景が脳裏から離れることはなかった。消えてほしくて目を瞑っても、当然それは叶わない。思えばずっと、気も身体も休まらない生活だったと痛感する。
「……そんなの、おかしいよ!」
感傷に浸っていれば、クメリアは先ほどよりも大きく、震えた声を上げた。
「そんなのってないよ……!アイルは今日までずっと、0番に与えられた命令を守って、僕達の事も守っていてくれてたんでしょ……?それなのに、誰にも相談はできないし、まともに眠れないし、僕達には疑われ続けて……っ!」
クメリアは、拳を握りしめて震えていた。俺の現状をどう解釈したのか、どうやら怒っているようだった。
「……なんでお前が泣いてんの?」
「アイルが泣かないからだよ……!こんな話、悔しくってしょうがないんだよ……!」
クメリアはつくづく優しいやつだ。ただの過ぎ去った事実に、こんなに心を傷ませて泣くなんて。
「……優しいな、クメリアは。ありがとうな。そうやって怒ってくれるだけで、今までの何かが少し報われた気がするよ。」
そう言って頭の上に手を添える。そのまま優しく抱きしめれば、胸の内に温もりをしっかりと感じた。ああ、よかった。こいつら、みんな生きているんだ。
そうしていれば、今度は自分の体の外側から重さと温もりを感じた。抱きしめられているのだとすぐにわかった。
「……アイル。」
耳元で、オノロンの珍しく掠れた声が聞こえた。
「……ごめんなさい。いくら事情を知らなかったとはいえ、私はずっとあなたを追い詰めていました。」
「……別に、オノロンが悪いわけじゃないよ。言わなかった俺も悪いし。」
「だとしても!……あなたを疑い、精神的負担を増やしていたことは事実です。何も知らないことをいいことに、あなたに全てを背負わせた。それに、この苦痛の中にいたのが私達にとってはたった一度のことでも、あなたにとっては覚えていられないほど長い時間だったのでしょう?それを打破することができないほどに、あなたが作った予定調和は完璧だった。それをたった一度でも私や誰かが打破できていれば、こんなにあなたを苦しめることもなかったのに……!」
「もうその辺にしろよオノロン。本当に、お前のせいじゃないから。いつも惜しいとこまでくるから、今回はもしかしたらって思ったことも何回もあるよ。でもそれを打破できなかったのはオノロンのせいじゃないし、それに関して負い目感じる必要とかないって。いつも皆の事必死に守ろうとしてんだなってのは、俺が一番よくわかってるから。」
「……本当ですか?」
「うん。……ほんっと、変なとこ真面目すぎるんだよなあ、オノロンは。」
そう言えば、俺を抱きしめる力がさらに強くなる。肩を震わせているのが、なんとなく伝わってきた。こいつも変なところで責任感が強い。年長者だからというのも相待って、ずっと気を張っていたのだろう。特に今回なんて、一歩間違えばまた皆殺しだ。己に降りかかる恐怖も、皆にそれが起こる恐怖も、ずっと一人で抱えていたに違いない。
「怖かったろ?……でも、もう大丈夫。もうしないよ。今日まで皆のこと守ってくれてありがとな。」
「……それはこちらの台詞ですよ。私達はずっと、あなたに守られていたんですから。」
震えた声で、オノロンはそう言った。オノロンの大きくて少し骨ばった手が、俺の頬に触れた。今まで触れられたどんな手よりも、それは優しかった。
「ねえ、アイル。」
不意に、イゾルカの声が聞こえる。
「何?」
「……ありがとね。」
「え?」
「さっきオノロンも言ってたけど……私達の事、ずっと守り続けてくれてありがとう。」
「守り続けるって、大袈裟な……。」
「大袈裟なんかじゃない!」
一際大きな声を上げたかと思えば、イゾルカも泣いていた。こういう時のイゾルカの顔はクメリアにそっくりだな、なんて、場違いなことを考えてしまう。
「私、覚えてるよ。アイルが私を殺す時、ごめんって言ったこと。」
「そんなこと言ったっけ。」
「言ったよ。その時苦しそうな顔をしてるのも覚えてる。」
「……そうだったっけ。」
「そうだよ。でもアイルはいっつも研究報告あげないし、そのくせお茶会は開くし、洗濯物は何回言っても裏返しで出すし、朝は起こしに行ったって起きてこないし!」
「え、なんで急に罵倒始まるの?さっきまでの流れどこ行った?」
「ズボラで緩くて何考えてるかわからなくて不真面目だよ!アイルは!」
「何!?なんでそこまで言われてんの俺!」
何をどういうことで話の流れが変わったのか、急な罵倒の嵐に感情が追いつかない。こいつは結局何が言いたいんだろうと思っていれば
「……でも知ってるの。誰よりも優しいって。」
ぽつりとそう呟き、言葉を続ける。
「研究報告あげられないのは、ずっと皆を監視してたから。お茶会を開いてくれたのは、私の気晴らしのため。洗濯物が裏返しなのはそれを気にするほどの余裕がなかったからで、朝起きれないのは悪夢で寝付けなかったから。」
「……。」
「全部、私達のために動いてたからだよね?アイルが、私達を殺したくて殺したわけじゃないってのは、皆わかってるよ。」
「そ、れは……。」
「今全部が明らかになって、私思ったの。あぁ、とっても愛されてたんだなって。」
「愛されてた……?」
「うん。だって、もしもう疲れちゃったとかどうでも良くなったなら、皆を殺してアイルも死ぬとか、みんなで外に出るとか、色々終わらせる方法はあったはずでしょ?でも、アイルは今日までそれをしなかった。それって、アイルが私達と過ごす日々が好きだったからなんじゃないかなって。殺すっていう恐ろしいことを何度繰り返してでも、皆と生きたいって思ってくれてたんじゃないかなーって……。買い被りすぎかな?それとも傲慢かな。」
「……いや、買い被りでも傲慢でもないよ。イゾルカの言う通り。もちろん、そうする度胸がなかったってのもあるけど。……それでも、皆と過ごす時間が大好きだったから。」
この言葉に、偽りはない。正真正銘、本心から出た言葉だ。俺は諦めたつもりでいたが、心のどこかでずっと待っていたのだ。こうして本当のことを話して、何にも怯えずに皆と幸せに生きて行ける日がくるのを。皆との生活が、たとえ同じことの繰り返しだったとしても、幸せであることに違いなかったから。
「……よかった。その言葉が聞けて、本当に良かった。」
イゾルカが、珍しく俺の首元に抱きついてきた。本当に、この相棒には敵わない。ずっと俺より子供だと思っていたのに、いつの間にここまで見透かせるほど大人になっていたんだろう。
「ねえアイル。そういうのをね、人は愛してるって言うと思うんだ。だから、ありがとう。どんなに辛くて苦しくても、諦めないでくれてありがとう。見捨てないでくれてありがとう。私達の事、愛し続けてくれてありがとう。」
ああ、そんなの。こっちの台詞に決まっている。
「……イゾルカ、皆も。俺の事、助けてくれてありがとう……!」
ずっと堪えていた嗚咽が止まらない。苦しさも悔しさもやるせ無さも、もうずっと消え去ることはないと諦めていた。またあの日々を繰り返して、同じフレーズに同じ返しをして、最後には殺すだけの生活だと受け入れていた。0番から命を受けたあの日からずっと、止まったままの俺の時間が動くことはないと思っていた。でも皆のおかげで、俺はこの地獄から抜け出すことができたのだ。それがたまらなく嬉しくて、まだどこか信じられなくて。
泣いた。声をあげて、みっともなく泣いた。それで良かった。誰かの温もりを感じながら泣けることが、あまりにも幸せだった。幸せすぎて、このまま死んでしまいたいくらいだった。
(ああ、こればっかりは。)
皆を造ってくれたあいつに、感謝しなければ。
「アイル……アイル?あ……どうしよう。」
「どうしたんですか?」
「アイル寝ちゃったみたい。」
「泣き疲れでもしたんだろ。」
「ですね。なら、起こさないように部屋まで運びましょうか。私がアイルを運びますので、皆さん先導をお願いできますか?」
「了解!じゃ、静かに行こう!」
「……さて、これで大丈夫そうですかね。」
「かな。それにしても、ほんっと起きないね〜……。」
「仕方ないですよ、これまでこの子が背負ってきたものを考えたら尚更。ようやくゆっくり休めたようなものでしょうし、今は静かに眠らせてあげましょう。」
「……そうだね。じゃ、行こっか。」
「はい。向こうでカルナス達が軽食を用意してくれたそうなので、私達も休憩にしましょう。」
「うん!……じゃあまたね、アイル。ゆっくり休んで、いい夢を。」
気がつけば、明るい空間に一人佇んでいた。あたりには誰もいない。もしかすると、今までの光景は全部自分の都合のいい夢だったのではないかと錯覚する。そう思ったら途端に恐ろしくなって、思わずしゃがみ込もうとした。その時だった。
「アイル!」
今まで誰もいなかったはずの目の前に、人影が現れる。
「……なんで。」
「久しぶりだね、アイル。」
目の前のそれは、あの日俺の名前を呼んではしゃいでいたような、屈託のない笑みを浮かべていた。
0番が現れてからどのくらい経ったのか。こいつは座り込んだ俺の隣に来て、黙って座っている。
「……なあ。」
「何しに来たんだ〜、でしょ?」
「……。」
「あはは、やっぱ相変わらずわかりやすいなあ、アイルは。」
「うるさい。」
「そういうところも変わらないね。あの日から、何にも。」
そういうと、0番は穏やかな笑みを浮かべて遠くを見つめた。今更目の前に現れて、こんなことを言いに来たのだろうか。だとしたら、かなり馬鹿げている。そう思っていれば、奴は遠くを見つめながら、独り言のように言葉を紡ぐ。
「……ずっと、君に悪いことをしたと思ってたんだ。あの研究所を出てから。ああ、僕はなんて恐ろしいことを君一人に押し付けてしまったんだろうって。でも、もう戻ることもできなかった。ずっと考えてた。本当は君を殺してあげるべきだったんじゃないかとか、皆を連れて外に出るべきだったんじゃないかって。」
そう言って、ゆっくりこちらへ向き直る。0番は声を振るわせるでもなく、肩を揺らしたわけでもないのに、ゆっくりと涙を流していた。
「お前も泣けたんだな。」
「そりゃもちろん。僕はマスターの最高傑作だからね!って、そうじゃなくて!僕は真面目な話をしてるんだよ。聞いてた?人の話。」
「あー、聞いてる聞いてる。」
「さては真面目に聞いていないな?ほんと、そういうところはマスターにそっくりだよ、君。」
涙を流したりため息をついたり、こいつは次から次へと忙しいやつだ。
「とにかくさ。ずっと謝りたかったんだ。こんなに遅くなっちゃったけど。……ごめんね、アイル。君がこんなにも長い間苦しむことになったのは、全部僕のせいだ。」
「ああ、そうだな。お前のせいだ。」
「うん。僕のせいだ。本当に、ごめん。」
確かにこいつのせいだ。こいつが俺を殺すなり皆諸共連れて外に出れば、こんな思いはせずに済んだはずだ。でも、それ以上に。
「……ありがとう。」
「え……?な、何で?」
「確かにお前のせいで苦しい思いはたくさんしたよ。お前の事、何回恨んだかわからないくらい。でも、お前が皆を造ってくれたから、苦しくても耐えられた。皆がいたから諦めなかったし、諦められなかった。皆がいたから、この地獄から抜け出せたんだよ。」
「……そっか。」
「ああ。お前、皆を作った時に言ったよな。いつかありがとうって思う日が来るって。その日が来たんだよ。だから、ありがとう。」
「あはは……君ってやっぱり、優しいねえ……!」
0番が、俺を抱きしめる。俺も震える腕をゆっくりと持ち上げて、0番の背中へと回した。温もりは感じない。それでも、なんとなく嬉しかった。
「ありがとう。皆を、俺を造ってくれて。」
「こちらこそ、ありがとう。今日まで諦めないでくれて、生きててくれてありがとう。」
そうして、どれだけの時間が経っただろうか。不意に0番が
「やっぱり。君は愛のある子に育ったんだね。良かった。」
と呟いた。
「何それ。どういうこと?」
「アイル、って名前はね、愛のある子に育って欲しいから。だから、君の名前はアイルなんだよ。」
奴はそう言って笑った。
愛。それが一体どんなやつで、どんなところに現れて、どんなものなのかは未だにわからない。それがどんなものかを知りたいとも思ったが、不意に睡魔のようなものに襲われ意識が遠のいていく。
「あ……もう時間か。早いね。……でも、最期にもう一回君に会えて良かった。」
そういうと、0番はゆっくりと立ち上がる。遠くの方が光り輝いていて、その光に呑まれるように一歩、また一歩と歩みを進めていく。
「……じゃあ、今度こそ本当にさよなら!これからも皆と、幸せに生きてね。……愛してるよ、アイル!」
その言葉を最後に、俺の意識も途絶えた。
目を開けたら、まずは何をしようか。なんとなくお腹がすいた気がするから、とりあえず皆でご飯が食べたい。それから部屋の片付けをしよう。あの部屋には、苦しい思い出が多すぎる。あとは監視室ももう使うことはないだろうから、簡単に片付けをして皆に自由に使ってもらおう。久しぶりに皆でお茶会もしたいし、ゲームや読書なんかも悪くない。ああそうだ、愛について考えるのもいいだろう。研究も、イゾルカのために少し付き合ってあげなければ。
愛しい皆と、そんな毎日を過ごそう。新しいページに、筋書きのない、新しい毎日を。これからもあの楽園で、新たな物語を紡いでいこう。ここから始まる日々はきっと、俺の知らない物語の連続だ。
了




