victim of paradise
アイル視点
「よし!とりあえず、私アイル呼んでくるね!」
イゾルカがそう言いながら勢いよく立ち上がるのを、俺はモニター越しに見ていた。この光景も、もう何度目だろうか。
ここは地下の監視室。彼らが外への扉だと信じている壁の向こう側にあるのはこの部屋だ。この研究所内にある全ての監視カメラ映像はここにあるモニターに映し出され、自由自在に監視できるようになっている。
イゾルカの先程の言葉が、俺達の終わりの合図。イゾルカが俺の部屋に到着する前に、ここから自室へと繋がる梯子を登った。
そもそも、俺がこんなことをしているのにも、きちんと理由はある。もう、思い出すことも難しい程に昔の話だが。
まず初めに、俺は人間では無い。それは俺に限ったことではなく、この研究所で暮らす俺達全員がそうであった。俺達は、限りなく人間に近い、けれど決して人間ではない生命体だ。外見は殆ど人間に近く、パッと見では絶対にわからない。内臓なんかも本来の人間と比べると足りないものは多いが、かなり再現されている方だという。俺達が人間でないとする所以は、確実に人工的に作られた生命体であるということ、血液の色が青いということ、そして俺達を作った奴が「人間っぽく成長できるように」と、必要最低限のデータをインプットさせた知能──所謂人工知能を埋め込まれていることだ。
人工生命体である俺達の体は、皮膚などへの損傷を起こしても回復が異常に早く、怪我の治りはものの数秒である。仮に指先を怪我して血液が溢れたとしてもその色は青く、そしてその傷口も早々に塞がってしまうのだ。極めつけは、脳の代わりにデータ入りの人工知能。研究所で暮らすための最低限の知識から、様々な文献、自分達は人間であるという誤った知識まで、内容は様々だ。これのおかげで、俺達は今日までこの生活になんの疑問も持たずに暮らしてきたのである。永久的に傷つかない体と、疑問を持つことすらない知能。要するに俺達は、永遠の命を持つ存在なのだ。
そんな永遠を生きる俺達にも制約はある。それが、この研究所から出ないということだった。この研究所を出れば、俺達は死んでしまう。元々無菌状態のこの研究所で生まれた俺達にとって、細菌やウイルスで溢れている外の世界は地獄のようなものだ。外に出れば三日と持たず死ぬ。それが、俺達を作った奴の見解だった。だからこそ俺達は、研究所の中で過ごすことに疑問を抱かず、ただ研究や日々の生活に注力して、永遠にここで暮らしていればいいものを。
「……何が完璧に造っただよ。大馬鹿者が。」
どういうわけだか、あいつらは必ず外の世界に興味を抱く。必ず同じ方法、同じタイミングで。これを放っておけば、何も知らぬままいつか本当に外への出口を見つけてしまうかもしれない。本当のことを何も知らぬまま外へ出て、死の恐怖に晒されながら苦しみ続けるなんて、あまりにも悲しいことだ。俺は、愛する兄弟達にそんな未来を歩んで欲しくない。
だからこそ、自分の手を汚すしか無かった。必ず外への興味を持ち、外へ出ようとするあいつらに、強力な薬を投与し仮死状態にして、奴らの脳内から外に関するデータだけを引っこ抜き、抹消する。永遠にこれの繰り返し。俺に課せられた、永遠の代償だ。
イゾルカ到着まであと三十秒弱。部屋の中にあからじめ用意しておいた、薬の入ったシリンジを七本用意する。
今からまた皆に手をかけると思うと息が詰まる。この後訪れる階段を下りる時間も、皆の驚いた顔も、オノロンの絶叫も、仮死状態になっていく皆の呻き声も、何度やっても慣れなかった。そんな恐怖に苛まれていれば、コンコンコン、ときっちり三回ノックの音がした。
あぁ、また。
「アイル〜、いる?」
あの時間がやってくるのだ。
「いるよ。何?」
なるべく、声が震えないように。怪しまれないように。平静を装って返事を返す。イゾルカが次に放つ一言一句間違えずに復唱できるほど、俺はこんなことを繰り返している。
「今、外への扉を見つけたの!そこにカードリーダーがあるんだけど、誰のカードでも開かなくて……。」
決まっているフレーズに
「へぇ。そりゃ面白いじゃん。」
決まっているフレーズを返すだけ。
「でしょ!んで、まだ試してないのアイルだけだから、カード持って来てよ!」
「ちょっと待ってて。カード……あれ?どこだっけ?」
本当はカードなんか探していない。この隙にシリンジをポケットに忍ばせ、自分のものでは無いカード──あの扉を開けられる唯一のカードを、一緒にポケットに押し込んだ。
「よ、おまたせ。」
そう言いながら扉を開ける。俺、今変な顔してないよな。
「もー遅い!ほら、さっさと行くよ!!」
反応から見るに、大丈夫だったようだ。早く、次に続く言葉を言わなければ。
「そう怒んなって。じゃ、早速案内してくれよ。」
そう言ってイゾルカの後ろに立つ。特に怪しまれることもなかったようで、今回も無事イゾルカは先に歩き出した。そんな彼女の後ろを、黙ったままついていく。自室のドア、硝子部分に反射した自分の顔は酷く陰っていた。
「それでね、キーナが突然壁を触り始めて、『……あった!』って言うんだよ!」
知っているよ。
「へー。流石もの探しの天才だな。」
「そうでしょ!んでウリムが触ってサイズを目算で出して、それを聞いてたカルナスがカードリーダーだって言ったの!」
聞いていたよ。画面の向こうから。ずっと、一人で。
「すごいじゃん。みんな大活躍じゃんね。」
「そうなんだよ〜!ほんと、アイルもいれば良かったのに。勿体ない。」
その場に居合わせる資格なんて、俺はとうの昔に無くしたんだよ。本当は、皆に合わせる顔だって無いんだ。
「本当だな。その場で特に何も出来ずに、展開の早さに目を丸くするイゾルカが見れなくて残念だ。」
「は!?ちょっとどういうこと!?」
今だって、こんな風にイゾルカが話をしてくれているだけで十分だった。こいつはこれから俺が何をするかなんて知らないから、いつも通りでいてくれるんだ。そう思うと、視界が揺らいだ。涙なんか流している場合じゃないのに。そんな資格、一つもないのに。
あぁ、嫌だ。殺したくない。皆のためであったとしても、愛する兄弟達を手にかけるなんて。こんなの拷問だ。ここは永遠の楽園なんかじゃない。こここそが地獄だ。この階段を一段、また一段と下りる度に、あの光景が、あの音が、声が、脳裏を過ぎる。
どうしてこんなことをしなければならないのか。どうしてこの役を与えられたのが自分だったのか。どうしてこんな俺達を造ったのか。どれだけ考えても、残る答えは何も無かった。ただ残酷なまでの現実が、当たり前の顔をしてそこにあるだけだった。
最後の一段を、イゾルカが先に下りきった。すかさずポケットに手を入れて、シリンジを手に取る。
「みんなー!アイル連れてきたよ!」
皆に呼びかけるためにイゾルカが向こうを向いているうちに、腕を大きく振り上げる。他の六人にはこの光景が見えてしまうけれど、もう仕方がない。躊躇して力の入れ方を間違えば、刺し所を間違えたりシリンジが自分に刺さりかねない。
「イゾルカ、後ろっ!!!」
オノロンの絶叫を聞きながら、息を吸って、止める。
この殺人は、絶対に失敗できない。なるべく全員の苦しむ時間が少ないように。
「……ごめんな、イゾルカ。」
狙いを定め、高く高く挙げていた腕を思いきり振り下ろした。
「ア、イル……?」
イゾルカの右腕に、シリンジの針が深々と突き刺さる。突然の出来事にイゾルカはただ目を見開くばかりだ。しかし、その表情はすぐに苦痛に歪む。
「なに、これ……っ!?痛い、痛い…………!」
そのまま力が入らなくなったのか、膝から崩れ落ちた。シリンジが刺さったままの腕からは青い血液が流れ、白衣を青く染めていく。
「ア、イル……っ、なんで……?なん、で……っ!?」
良かった。反応から伺うに今回もいつも通り、しっかり薬が効いているようだ。あと一分もすれば意識が途絶えるだろう。
「イゾルカっ!……アイル!!あなた、イゾルカに何をしたんですか!?」
その様子を見ていたオノロンが、イゾルカに駆け寄るためにこちらへやってくる。安心している場合ではない。タイミングを逃さないようにと二本目のシリンジを手に取る。それを腹の辺りに構えてグッと力を込め、一歩踏み込んだ。
「悪いなオノロン。……お前、いっつも惜しい所まで来るんだけどなぁ……。」
怒りに任せてこちらへ来たオノロンは、俺の手元に注意を払わない。俺が構えたシリンジの針先は、そのままオノロンの腹へと突き刺さった。
「あ……!?アイル……っ、お前ぇ…………っ!!」
最期になると本性を表すあたり、実にオノロンらしい。でもそれだけ必死なんだろう。普段何があっても絶対に取れないその仮面が強制的に剥がされるほど、これが緊急事態だとわかってくれているといいのだが。
いつも通り、オノロンの口から文句と共に青い血液が吐き出される。それは床に落ち、小さな青い水溜まりを作り出した。そのまま膝から崩れ落ちたオノロンの身体は、うつ伏せの形で床へと横たわる。そうなってもなお俺を睨みつけ、最後の力を振り絞ってイゾルカの方へと這いずっていた。水溜まりの中の血液が這いずるオノロンの身体に付着し、青い線を描き出す。
俺はその様子を見ながら、三本目のシリンジを手に取った。順番が正しければ、次はカルナスが皆を庇っている頃だ。
「……おいアイル、てめぇまじで何してんだよ……!」
予想通り、怒りを含んだ声が寸分の狂いもなく聞こえてくる。後ろを振り返れば、カルナスが他の子供達を庇うようにして前に立ちはだかっていた。大人をさっさと片付けてしまいたいのはこれが原因だ。幸いにもカルナスはオノロンと違い力が弱い。奴が子供達の方を向いた時がチャンスだ。
「おいお前ら!ちゃんと俺の後ろに……!」
普段の言葉遣いや素行は悪いが、なんだかんだ面倒見が一番いいのはカルナスだ。今だってこんな緊急事態でも、子供達を守るために自らの身を挺している。
「……カルナス。お前のそういうところ、尊敬してるよ。でも、敵から目を逸らしちゃあダメだよな?」
子供達の方を向いた一瞬の隙をついて、カルナスの右太腿へシリンジを振り下ろす。鋭い針が肉を貫く感覚が、少し震えた手に伝わってきた。
「ぐっ…………あああああああっ!!!!」
予期していない痛みだったのだろう。絶叫しながら体勢を崩す。ここまでくれば、残っているのは子供達だけだ。そこまで手こずらずに済むだろう。
床に、カルナスの太ももから出た血液がパタパタと広がっていく。俺の白衣はすっかり青に塗れ、一歩歩けば床に青い足跡が付いた。
次の相手はエヴァンスだ。シリンジを手に持ち、まずはウリムに狙いを定める。ウリムは俺の凶行とこの惨状に腰を抜かし、全く歩けなくなっていた。そこを狙えば、火事場の馬鹿力を出したエヴァンスがウリムを庇うためにやってくるのだ。
「ウリムっ!!!!」
狙い通り。視界に、エヴァンスの右肩を捉えた。いくらウリムを庇って格好つけようとしたって、敵に背中を見せているようではどうしようもない。
「ダメじゃんエヴァンス。カルナスの失敗から何も学ばなかったの?好きな子守りたいのはわかるけど、それでやられちゃ意味ないでしょ。」
振り下ろした手は無事右肩に命中した。他の奴らは痛みに声を上げていたが、エヴァンスは声を上げない。本当、こいつのこういう根性だけは見習いたいものだ。
「……大丈夫?ウリム……っ。あ、はは…………っ、抱き、ついちゃった。」
体勢的に、エヴァンスがウリムに覆い被さるようになっている。あいつとしても、こうなることは多分本望だろう。顔がこちらからはよく見えないが、声の感じからして笑っている。
「や、やだ……。エヴァンス、エヴァンス…………!!」
対するウリムは、これまでに聞いた事の無いような悲痛な声を上げている。こういう姿を見ていると、なんだかんだウリムもエヴァンスのことが好きだったんじゃないかと思えた。良かったなエヴァンス、お前のために、お前の好きな子が泣いてるぞ。
ウリムがエヴァンスに気を取られている間に、すかさずウリムの後ろに回り込む。多少卑怯かもしれないが、これが一番手っ取り早い。
「そんなに心配するなってウリム。すぐエヴァンスのとこに連れてってやるから、な。」
そう言って、涙を流すウリムの左肩にシリンジを刺した。
ウリムも比較的声を上げない。上げない、というより上げられないの方が正しいのだろうが。
「ね、えっ……どうして…………?どうして、こんなこと…………っ?」
理由のわからない凶行に、ただただ混乱しながら泣くことしか出来ない。それは仕方のない事だ。俺がお前らの立場だったら、きっと同じことを思っただろう。どうしてこんな事、と。
そのままウリムとエヴァンスは向かい合ったまま、ゆっくりと動かなくなっていく。相変わらず、死に際までロマンチックなものだ。
そんな彼らの横を通り過ぎ、残った二人の元へ歩みを進める。キーナもクメリアもすっかり怯えきっていて、俺が一歩近づくことに二人が一歩後退っている。しかしそのまま攻防を続けていれば、彼らの背は大きく冷たい壁へと辿り着いた。追い詰められた二人はぎゅっと手を握り、震えながらこちらを見ていた。一方は恐怖を湛えた目で、もう一方は怒りを込めた目で。
「……怖かったよな。ごめんキーナ、クメリア。」
そう言いながら、為す術のない二人を抱きしめる。その身体はまだ暖かく、いつもより幾分も早い鼓動の音が伝わってきた。これで最後だと気を引き締め、シリンジを握り直す。
「でも、もう大丈夫。俺がお前らを、みんなと同じとこに戻すからな。痛いのも苦しいのも、ほんの一瞬だ。」
キーナは首筋に、クメリアは左目に。それぞれシリンジの針を当てがって、力を込めた。本当は二人とも首筋が良かったが、ループ一度目のこのシーンでクメリアが暴れたのだ。その時勢いでキーナは首筋に刺せたが、クメリアは上手くいかなかった。仕方なくキーナから手を離し、勢い任せに クメリアを引き寄せて左目に刺した。あれ以来、シリンジの刺し場所は左目となってしまったのだ。
「い、たい……!痛いよ…………アイル…………!」
「助けて……!何も、見え、ない…………!!」
腕の中で、二人が呻き声をあげる。こいつらは他の皆に比べて体が小さいため、薬の回りも早い。みるみるうちに鼓動や呼吸が小さくなっていく。自らの手の中で命が尽きていくのを、ただ呆然と見届けるしかなかった。
「どう、して……?ねぇ……僕た、ち、何したって、言うの…………?」
クメリアは小さくそう零しながら目を閉じた。
二人に刺さったシリンジを抜き、大きく息を吐く。身体から全ての力が抜けた。これで、全て終わった。もう何度目かもわからない地獄は、ようやく一旦の終わりを告げたのだ。
上がっていた息を整えて後ろを振り返る。そこにはもがき苦しみながら息絶えた、愛する兄弟たちの姿があった。ついさっきまで和気藹々とした皆の声が響いていたのに、恐ろしいくらいに静かになった。それも当然か。皆俺が殺しちゃったんだから。
ゆっくりと立ち上がって、床にいくつか放置したままのシリンジを回収する。そのどれにも青い血痕が付着していた。拾い上げてはそれを血痕まみれの白衣で拭う。誰のものかもわからない青を、白衣はどんどん吸い込んでいった。
シリンジを回収し終えると、次は皆の回収をする。一人一人身体を持ち上げて、隠し扉の前に横たわらせた。持ち上げる時に触れた彼らの体温はまるで氷のようだった。そんな所まで人間に似せなくていいのに。全くもって、「あいつ」は悪趣味でしかない。
全員を並べ終え、扉を開ける。その前に一度、皆を抱きしめた。なんの意味もない、形だけの行為。自らが生み出した屍を抱きしめるなんて、愚の骨頂だろう。それでもいつからか、こうしないと気が済まなかった。謝ることも本当のことも言えない俺にこんなことする資格は無いのだろうが、それでも俺は確かに皆を愛していた。自分のした事への正当化か、はたまた皆への贖罪の気持ちか。この行為に正解を求めるなんて今更すぎるだろう。もう、全てが手遅れなのだ。
「ごめん」の一言で済むのなら。本当のことを言えたなら。「助けて」と言えたなら、どれだけ良かっただろう。自分だけに課せられた使命を理解した上で、それに何度も何度も抗った。
あれは四回目のこと。あの時は本を燃やした。それでも上手く燃えなくて、結局不完全燃焼のままその本を隠すしかなかった。場所を変えては何度も隠しているのに、どういう訳だか必ずオノロンに見つかってしまう。もう途中から、あの本のことは諦めた。
あれは十三回目のこと。キーナとクメリアがプラネタリウムを見つけないように、倉庫の中でバラバラにした。元が大きく持ち出すと不審がられるので、小さいパーツに分解して倉庫の中に適当に隠した。それでもキーナとクメリアは、数日後には倉庫でその欠片を見つけ、修復を始めたのである。
あれは四十四回目のこと。監視カメラを見るのをやめ、色んなやつに話しかけまくった。話していれば余計なことを考える隙が無くなると思って。それでも無駄だった。結局いつも通りプラネタリウムが出現するわ、オノロンが本を見つけるわで何も変わらなかった。
あれは、もう何回目だかも数えていない時のこと。俺は死のうとした。俺が死んでしまえば、皆も死ぬことなく、特に何も解決はしないが全て解決すると思った。何よりもう疲れた。永遠に同じことの繰り返し。永遠に愛する者達を手にかける苦しさと罪悪感。全てに疲弊し、耐えきれなくなった。仮死状態にする薬を入れたシリンジを取りだし、部屋の中で自身の腕に突き立てようと腕を振り上げた。それでも、その手は下ろせなかった。怖かった。死ぬ事が怖かった。皆の中で、唯一死を経験したことがない俺にとって、死は恐怖以外の何物でもなかった。皆はこんな恐怖と、何回戦っているのだろう。そう思ったら、余計に死ねなかった。これまで何十、何百、下手すれば何千と繰り返してきたループの中で、その度に苦痛を、この恐怖を味わってきた皆の日々を、俺のこの身勝手な一手でなかったことには出来なかった。そんなの無責任だ。任された命をほったらかして、自分だけ逃げようなんて、救われようなんて。そんなこと、許されるはずがなかった。自分自身が、許すはずなかった。
せめて、皆が今まで通りの日々を過ごせるように。繰り返しでもいい。外に出て野垂れ死ぬことも無く、痛い思いも苦しい思いも、これ以上がないように。使命を与えられた俺に出来ることは、全てを諦めて同じことを繰り返すだけだった。
隠し扉を、「あいつ」のカードキーで開ける。皆がこの扉を見つけても開くことはない。ここは俺たちのカードキーでは開かないのだ。隠されたリーダーにあてがえばピッと音を立て、その後鍵の解錠音が聞こえた。バレないように壁に擬態しているこの扉にはドアノブがない。少し重たい扉に手をあて、思いっきり押す。扉の向こうは通路になっており、その先には先程まで俺がいた監視室が広がっている。通路には、これまで皆を運んだ時に落ちてそのままにしてある血痕が残っていた。ここから、皆を抱えて監視室の中へと運ぶのだ。
一人一人を抱えながら通路を歩く。響く足音が煩い。クタクタになりながら、全員を監視室の中にあるベッドに寝かせた。機械の音が響く部屋の中で、これから最後の作業に取り掛かる。
まずはイゾルカから。結わえてある髪をほどいて、電極を取り付けたパッドを頭部の至る所に貼り付ける。全て取り付け終えたら、電極が繋がっている機械のスイッチを入れ、しばらく放置。これで彼らの中にある外への記憶を消すのだ。簡易的な処置ではあるし、いつこれが上手くいかなくなるかはわからないが、とりあえず現状尽くせる手はこれだけなのである。イゾルカの記憶改竄が始まったのを確認して、他のやつの作業にも取り掛かった。
電極をつけつつ、濡らしたタオルで血痕を拭き取る。目覚めた時にこんなものが残っていたら大騒ぎだろう。拭き残しのないよう、しっかりと確認する。そのまま服も全て新しいものに着せ替えなければならない。人によっては白衣に血が付いていたり、服の上からシリンジを指すため穴が空いている。そうした物的証拠を何一つ残さないよう、細心の注意を払わなければならない。
衣服を変えたり血痕を拭き取りながら、彼らの傷跡を見る。人間では無い俺達は怪我をしても、細胞がすぐに復活し怪我の痕すら残らないというのに、どういう訳かシリンジの針を刺した痕だけは残っている。最初からそうだったのか、刺しすぎて治らなくなったのかはわからないが、この傷だけは特殊だった。幸いさほど大きくは無いので、皆気にしてはいないようだが。
大半の奴は身体に傷跡ができるが、クメリアだけは違った。奴は目にシリンジが刺さる。そうなると瞼に痕は残るわ左目は使い物にならないわで、眼帯をせざるを得ないのだ。青く染まった眼帯を取り外し、血を拭って新しいものに付け替える。その時見えた傷跡は痛々しいものだった。
そうして、全員のメンテナンスを終えた。ここからまた全員をそれぞれの部屋に運んで、ベッドに寝かせる必要がある。一息つく暇も無さそうだ。
一人ずつ抱えて、血痕の残る通路を歩き、階段を上り、それぞれの部屋へと運び込む。綺麗になった身体をベッドに横たえて、布団をかけて外へ出た。七人全員を運び終える頃には、もうじき朝が訪れようとしていた。またこうして、同じ日々へ戻っていく。俺以外は誰も、何も知らない日常に。
「おはよう、アイル!」
最初に目覚めてくるのは、いつだってイゾルカだ。
「……おはよ。相変わらず早いな。」
ラウンジの大きな円卓を拭きながら、イゾルカとその後ろの時計を横目に捉える。今日も相変わらず、定刻通りに起きてきたようだ。
良かった。何も変わっていない。何も変わらない。何も変えられない。いつもの日常だ。
「そういうアイルはどうしたの?いつもみんなより遅く起きるくせに、今日はやけに早起きじゃん。」
結局、あれから一睡もせずにここにいた。眠ることなんか出来るわけが無かった。もしかしたら気づいていないだけで眠ったのかもしれないが、ほとんど覚えていないため体感は徹夜状態。気分も体調も最悪である。
「腹減って目覚めたんだよ。朝飯作るから顔洗ってこーい。」
腹なんか減るわけない。それでも今日も作らなければならない。何一つ変えてはいけない。皆のために、俺のために。
あぁ、どうか。どうか誰も気づきませんように。どうか誰も、何も変わりませんように。どうかこの楽園の犠牲者が、俺だけでありますように。
了




