魔女のいるBar
渋谷の夜。
眠らない街。
街頭やネオンはうるさい程輝ていた。
そんな街も一歩路地裏に入れば、大通りの喧噪も弱まり、傘を打つ雨の音がよく聞こえる。
裏路地に古びたビルがあった。
何とも言えない古さと寂しさの漂う階段。
そこを降りればBarがある。
カランカラン
「あら、いらっしゃい。一人?」
薄暗い店内に入ると右脇にあるカウンター越しに女が一人。
男は頷き、近くの席に腰掛ける。
ゆったりとした曲が流れる中、白髪の妙齢の女はグラスを拭く。
疲れきった顔の男は、注文もせずおもむろにタバコを取り出し、くゆらせる。
「なぁ。あんた。魔女、だろ?」
グラスを拭く手が一瞬止まる。
「ここはBarよ。お酒も飲まずにいきなり言う言葉がそれ?」
「生憎と酒は断ってるんでね。アイスコーヒーはあるか?」
「お生憎様。うちには置いていないわ」
肩をすくめ不満を隠そうともしない声色。
女の言葉を聞いた男は鼻を鳴らす。
不意に鈴の音が聞こえた。
そちらを見ると白く、気品あるネコが、カウンター前にある椅子の上で毛繕いをしている。
「それで?私が魔女だとして、あなたの望みは何かしら」
水の入ったグラスをコースターに乗せ、先ほどよりは幾分柔らかくなった声で女は問いかける。
「殺し方を教えて欲しい」
「人の?」
「愛の殺し方だ」
それから男は独白の様に語りだす。
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あれは、暑い初夏の夜だった。その頃の俺はまだ学生だった。夏休み前に課題の作成に追われ、深夜まで作業した帰り道。
街頭が照らす誰もいない小道を通る。
家までは大通りを行く方が近道なのだが、この時間の小道に自分一人だけがいる空間が気に入っていた。
いつもなら、誰ともすれ違わないはずが今夜は一組のカップルが居る。
薄暗い壁際で、絡み合っている。
夜とはいえ、外でイチャつくなよ。恥ずかしい奴らだ。
脳内で罵倒するも、居心地は悪い。
俺は下を向き、足早める。
丁度、カップルの居る場所を通り過ぎる時。
「たすけて」
消え入る様な小声。一瞬聞き間違いかと思った。
立ち止まり、女の方の顔を見れば涙が流れていた。
その後、気がつけば男を殴り飛ばしていた。
これまで暴力とは無縁の人生だった。
あまり力の乗っていなかっただろうが、相手の男が酔っていたのが良かったのだろう。衝撃でふらつき倒れてくれた。
そのまま女の手を取り、大通りへ走る。
大通りの明りとまばらに見える人の姿が見え足を止めた。乱れた息を整え、少し笑っている膝を両手で抑え女を見ると、肩まで伸びた黒髪を整えていた。いきなり走った為か、少しぷっくら頬が紅潮している。
一息つき、先ほどの行動を振り返る。まるで昔見たロマンス映画の主人公みたいじゃないか、普段の自分からは想像できない行動力が可笑しくて、つい笑ってしまった。
「あ、あの、ありがとうございました」
震えたか細い声。
女は少し距離を取りながら頭を下げた。
「色々ビックリさせてしまったか、すまない。ここまで来ればもう大丈夫と思うが」
暗がりで男にされていた事、助けてくれた男も急に笑い出す変質者で暴力を振るうような奴だ。女にとってもここで別れた方が安心するだろうと思った。
だが女を見れば、うつむいていて少し肩を震わせていた。
「君がもう大丈夫と思える距離まで送るよ」
コクコク頷いた女は、俺を先に行かせ少し後からついてくる。道中は会話とも言えない、方向指示が出るのみだったが次第にポツポツとお互いの話をするようになった。
先ほどの男とは知人で、サークルの飲み会帰りに急に襲われた事。
実は俺と同じ大学の学生だと言う事。
教授の愚痴。
好きなアーティスト、番組。
会話をしていく中で、表情がコロコロ変わり、お互いのツボにはまり笑い合ったりした。
それが彼女との出会いだった。
その後、家の近くまで送り、今日のお礼がしたいからと連絡先の交換をして別れた。
連絡を交わしていく内に。
初めて大学内でばったり会った時。
お礼にと連れて行かれた小洒落たカフェで一緒に食べたパフェ。
彼女が熱唱するの中タンバリンを叩き過ぎて怒られたカラオケ。
日常は、あっという間に彼女で埋め尽くされ、そして恋をした。
だが、結局彼女との距離を後一歩縮められず、友達のまま数年が経った。胸に未だ消えず、膨らむ想い出を抱える日々。
彼女が結婚相手を紹介すると言って男を連れてきた。
その頃には悶々とした感情を悟られたくなく、連絡を控えていた。だから、なぜ俺に紹介するのかと疑問に思ったのだ。
待ち合わせ場所のカフェで相手の顔を見た時、愕然とした。
なぜ?なぜよりにもよってお前が?この場所で?
チクリチクリと黒い感情がこみ上げる。
彼女の結婚相手は、あの日、彼女と出会った日に俺が殴った男だった。
それからは苦痛に耐える日々だった。
結婚式のスピーチ、毎年送られてくる写真付きの年賀状、時たま電話越しに聞こえてくる楽しげな会話と子供の声。
さっさと忘れ次に進むべきなのはわかってる。
だがそう思えば思う程、彼女に対する愛おしさと同時に憎しみが強くなっていく。
もう、自分ではどうしようも出来ず、耐えられなくなりそうな時だった。
ここの話を聞いたのは。
うさんくさいと普通の人なら思うのだろう。
だがそれでも縋りたかった。
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「皮肉な話だろ?」
男が乾いた声で笑う。
溶けた氷がグラスのたたく小気味いい音。
深い沈黙が二人の間に流れる。
「そうね……。方法は、ある事にはあるわ」
「煮え切らない答え、だな」
男は目を細め女を見つめ、グラスを傾ける。
「まぁ、ね。あんまりおすすめの方法では無いの」
女は手を止め、まっすぐ男の目を見返す。
その瞳はどこかもの言いたげだが、何も言わなかった。
「魔女の使う魔法に、代償を払わないものなんてあるのか?」
「あら、意地悪な事言うのね」眉間にしわを寄せ、強めの口調で話し続ける。
「魔女の魔法に限らず、何かを得るためには対価が必要よ」
「気を悪くしたのなら謝罪する」
一拍置く。女は返事を返さない。
「すまなかった」そう言うと男はタバコを消し、席を立つ。
扉に男の手がかかった所でようやく女は口を開いた。
「満月の夜。また来なさい。代償として何を支払っても良い覚悟があるのならね」
見定める様に瞳を覗き込む女。
男は黙って見返す。
淡く透き通った紫の瞳に吸い込まれてしまう様な気がした。
「満月の前夜。月明かりの下で相手を想い流した涙で、この小瓶を満たしなさい」
「わかった。それで、いくらだ?」
考える様に顎に手をやり、それから女は微笑んだ。
「そうね。今度、お酒を飲みに来て頂戴」
男は一瞬何か言いたげだった。だが、何も言わず一つ頷いて店を後にした。
「雨、上がると良いわね」
足下に来ていたネコを抱き上げ、ぽつりと女は一人つぶやいた。
満月の夜。
薄暗い部屋の中。二人の姿があった。
部屋はお香が焚かれているのか、甘ったるい香りで満たされている。床には魔方陣まで描かれ、部屋の壁際に不気味で、何に使うのか分からない小物が棚に並べられている。
いかにも魔女の秘密の部屋だなと、男は思った。
「持って来たぞ。それで、俺は代償として何を支払えば良い?」
以前のバーテンダー姿とは違い、黒いドレスにゆったりとしたフード付きのローブをきた女に液体の入った小瓶を差し出す。
「代償として何を支払うのか、それを決めるのは私じゃ無いわ。願いを叶える”万物の力”によって定められるの」
「万物の力?」
「呼び方は色々あるの。神だったり、天使や精霊。時には悪魔と呼ばれる事さえあるわ。でも願いを叶える根源となるモノは皆同じなのよ?」
人間という生き物のエゴの現れね。女はそう続け、受け取った小瓶を指でもてあそぶ。
「それでも、代償をある程度予測する事は出来るわ。あなたの場合、再び誰かを愛す事は無くなるか、子を残す事も出来ない体になる。こんな所じゃないかしら」
女の視線がどこかこれで本当に良いのか?そう問いかけている。
「それでも、構わない」
男の返事は短く、あっさりとしていた。
返事を聞いた女は棚から藁人形と古く錆だらけのナイフを取り、部屋の魔方陣の真ん中に足を運ぶ。
男から受け取った小瓶のコルクを抜き、何事かを呟く。
男の目に一瞬、青白い閃光が走り目を細めると、小瓶の液体は大粒の結晶と変わり、女はそこから取り出した一粒の結晶を藁人形の胴体に埋め込んだ。
それから女は自分の身の毛を数本切り、その髪を人形の胴体と頭に通し、結んだ。
人形を床に置き、女は立ち上がる。手を胸の前で交差し、瞳を閉じた。
小声でまた何かを唱えている。唱えながら女はナイフで指を切り、人形にその血をたらした。
最初は気づかない程微かな光。
女の声は次第に大きくなる。それに連れて魔方陣も次第に輝きを強めていく。
「ーーーーエロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め。訴えたり。力よ。我が求めに応じ、結果を示せ」
その言葉を引き金に一気に輝きは増した。目を開けていられない程の光量に溜まらず男は目を伏せた。
ほんの一瞬部屋の奥に白いネコが見えた気がした。
光が治まり、目を開けると人形は緑の炎に燃やされ、煙がたちのぼる。
次第に煙は蛇の形を取り、一気に男めがけ進んでくる。男は身構え、大きく息を吸い込む。
「怖がらず、煙を吸い込みなさい」
女の声が、男の行動を見透かし、悟す様に聞こえた。
煙の蛇は男に取り巻き、男はそれを受け入れ、少しずつ吸い込む。
「これであなたの願いは叶えられた。今日はもう家に帰ってゆっくり休みなさい。明日起きた時には全て忘れているわ」
「そうか、あまり実感が無い。だが、酷く疲れた」
「送っていきましょうか?」いたずらっ児の様に屈託の無い笑みを浮かべ女はいう。
「いや、結構だ」
「連れない人ね。じゃあ、店の外まで送るわ」
男は肩をすくめ、出口に向かう。
部屋の扉を開け、店に戻り、そのまま店を出る。
女も男の後に続く。
地上に出るまでに二人の間に会話は無かった。
外はまだまだ暗く、満月がよく見えた。
「ありがとう」男が振り返り様にそう言った。
「今度、お酒を飲みにくる約束。忘れないでね」
悲しそうに笑う女の顔を男は不思議そうに見ながらも短い返事を返し、立ち去っていく。
街角の大通りに男が消えていくまで女は見送った後店に戻った。
数日後。
渋谷にある、古びたビルの地下。
夜もふけ、掻き入れ時のはずなのだが、Barである店内に人の姿は無い。
『ーーー男性は知人女性をナイフの様な物でーーーーその後病院へ搬送され途中で女性は死亡しーーーー。』
Barに似合わないブラウン管のテレビからこぼれるニュース。
女はグラスを拭きながら静かに聞き耳を立てていた。
「あぁ、結局こうなっちゃったね。リィリィ可哀想」
椅子の上に座った白いネコが、ニュースを見ながら女に向かって話しかける。
「チェルビーノ、うるさい」
拭く手を止め、カウンターから出た女は、毛繕いを始めたチェルビーノの隣に座り、肘をつく。
人差し指で肩口で切りそろえられた髪の毛先を持て余しながらどことなく、不機嫌そうだった。
「まあまあ、そう不機嫌にならないでおくれよ」
「不機嫌なんかじゃないわよ」
「全く、素直じゃないね」チェルビーノの視線はリィリィの尖った唇に向けられていた。
渋谷。
眠らない街の裏通り。
古びたビルの地下で、今夜も魔女とネコはお客が来るのを待っている。