ハザマ
「君は選ばれた人間だ」
2010年7月。そいつは僕の前に現れた。
気味悪いくらいに青白い顔と、ガラス玉みたいな瞳、夏だというのに黒い長袖のシャツを着たそいつ―…自称「78型CR」は、僕の前に突然現れてそう言った。
「君は世界で1番純粋だ。よって生き残る事を許された。さあ、我々と共に来るといい」
何を言っているのかさっぱりわからなかった。
怪しい宗教の勧誘か、それとも単に頭がいっちゃった人なのか?
けれどそいつは凶器を持っているようには見えなかったし、駅に近い大通りだったし、何より学校をサボっていた僕は暇だったので、そいつの話を聞いてみる事にした。
「もうすぐ地球が滅亡するのは知ってるね」
「は?」
「ノストラダムスの大予言。……地球でも騒がれていると思うが?」
「それはもう…」
「ああそうか。今は2010年だった。あの予言は間違っていたんだ。予言は11年後の今年、実現する」
1999年。空からアンゴルモアの大王が降ってくる。
確かに当時は騒がれてはいたらしいけど、まだ幼かった僕は理解していなかった。
本気で信じてる奴なんかいなかったと思う。どっちにしろ、どうせ今は生きてる訳だし。
「それが?」
とりあえず僕は話の続きを聞いてみることにした。
78型CRは瞳を大きく開いて、大げさに手を広げてみせた。
「けれども君は我々に選ばれた。君は生き残る事が出来る。なぜなら君は、純粋な人間だから」
「………」
僕は呆れてしまった。こいつはこの暑さで頭がやられてしまったに違いない。
大体今初めて会ったばかりのこいつに、僕が純粋だとかなんだとかどうしてわかるって言うんだ?
「あ―…、我々ってのは誰のこと?」
やり込めてやろうと思った。睨みながら聞いてやったけど、78型CRの表情は揺るがなかった。
「政府だ」
「せいふぅ?」
政府の名前を騙るとは、ずいぶん話がぶっとんでる。こいつめちゃくちゃだ。
「生き残るってのはどうやって?」
「我々の星に連れて行く。そこならば、爆発の被害も及ばない」
「あんたたちの星?」
「火星だ」
「火星…。……どうやって行く訳?」
「タイムマシーンで」
「タイムマシーン…」
「ああ。我々は未来の火星から来たんだ」
まるでSFみたいだ。
漫画みたいで、僕はおもしろくなってきた。
「なんで?どうして俺1人なの?どうせなら皆助けるとか、アンゴルモアの大王を止めるとかすればいいじゃん。それにあんたって何者?アンドロイドとか?」
僕の質問攻めに78型CRは眉を寄せる事もなく、今までみたいに淡々と答えていった。
「タイムマシーンが開発されてから、火星では歴史研究が盛んだ。その一環として、過去の人類の研究も行われている。その為に選ばれたのが君だ。研究材料はひとつで十分だ。火星は、地球ほど広くない。アンゴルモアの大王と呼ばれる隕石を止める事は、今の火星の技術を持ってしても出来ない。私は火星から使わされた使者だ。機械人間ではない」
「ふーん…」
つまり、ノストラダムスの予言を信じるような純粋な人間ならば、こいつの話も信じて火星にも着いて行くって事か。
よく出来てる。僕は素直にそう思った。頭がおかしい割りには、78型CRの話は筋が通っていた。
ただひとつ、僕が純粋だという事を除けば。
「あんた間違ってるよ。俺はそんな話信じない。どうして純粋なんて思った訳?」
78型CRの目が、キラリと光った。
「君は純粋だ。だって自分の事しか考えていないだろう?」
「―――」
「純粋というのは、信じているかどうかじゃない。他人を蹴落として、ただ自分が生き残る為に、何でも出来るかどうかだ」
その時の僕の衝撃を、言葉では何と言い表したらいいかわからない。
たった今万引きした手の中のガムを見透かされたような気がしたから。
それ以前に、泣く母親を無視して家を出てきたのを知られているような気がしたから。
あいつの手の中に鈍く光る何かが見えたから。
いや、そんな事じゃ説明がつかない恐怖が、僕の背中を這い上がった。
戦慄ってのは、きっとこういう事だと思う。
僕はこいつがとてつもなく危険な存在だと言う事に、やっと気がついたのだ。
その後、僕は自分でもどうしたかよくわからない。
とにかくそいつの前から逃げ出した事は確かだ。だって今いるのは家の玄関だし。
なのに今も…こうしてヒステリックに泣き叫ぶ母親の前でも、僕の頭にはあいつの声がこびりついていた。
「明日の夜、12時ちょうど、地球は滅びる。生き残りたかったらここへ来い。また明日」
翌日、僕は学校へ行った。
あいつの所になんて行かない事を、自分にもあいつにも証明する為と、泣き喚く母親に「明日は行くよ」と言ってしまった手前、行かない訳にはいかなかったからだ。
授業はあてられる事もなく淡々と過ぎていった。
僕は教室を眺めていた。
寝てる奴。携帯いじってる奴。隣としゃべってる奴。まんが読んでる奴。その倍くらいの、真面目に授業聞いてる奴。
未来なんてないとしたら、勉強なんて無駄だ。そうしたら皆はどうするのだろう。
視線を巡らした先、教室の隅に使っていない机を見つけて、僕は隣の奴に聞いてみた。
「あ、学校来なかった木田さんていたじゃん。昨日、転校してったんだ」
「……ふーん」
顔も思い出せないクラスメートだったけれど、僕はなんとなく心を動かされた。きっとその子も学校が楽しくなかったのだろう。
「ユースケ君は、やめないでね」
僕は驚いて隣の席に顔を向けた。
そいつは避けるように視線を下げると、少し顔を曇らせた。
「昨日さ、木田さんが皆の前で言ったんだ。『もったいないことしたなって思います』って。それ聞いて私も、もっと話してみたかったなって思って。…だからユースケ君は、やめないでね」
「……だって、義務教育じゃん」
僕は小さな声でそう言った。
これからなんて、もうないかもしれないのに。
「俺もお前がいなくなったら寂しいぞ」
「うわっ」
授業が終わるなり、健太がそう言って抱きついてきた。
こいつは数少ない僕の親友。
「さっき竹内が言ってたじゃん。だから俺も」
「何聞いているんだよ。つーかやめろ。離せって!」
視線を集める居心地の悪さに、僕は声を荒げた。
健太は体を離すと、今度は首に腕を回してきた。
「疲れたから次の授業さぼうろうぜ」
サボり場は部室だった。僕と健太は一応剣道部に所属している。ほとんど幽霊部員だけど。
夏なので、剣道部はかなり臭い。僕らはすぐにいられなくなって、体育館に飛び出した。人がいないのをいい事に、卓球をして遊ぶ。
「お前さぁ、高校決めた?」
床に並んで大の字になって、はぁはぁ荒い息をついていた時、健太が突然そう言った。
「は?」
「高校だよ高校。知ってるか?俺達って一応受験生なんだぞ」
「あぁ……」
正直言って、僕は高校の事なんてちっとも考えてなかった。
78型CRの事を思い出す。
「ノストラダムスの大予言が当たってたら、こんな事考えなくてもよかったのに」
「だよなぁ。俺も兄貴が受験の時、アンゴルモアの大王が降ってくるから、俺は受験しなくてもいいと思ってた」
僕はにやりと笑った。
「だから勉強しないわけ?」
「お前に言われたかねーよ」
そりゃそうだ。僕と健太の成績は下の方で、それでも健太の方が上だ。
「別にあんなの、信じてなかったけどさ」
ぽつりと呟いて、そのまま健太は黙り込んだ。
僕だって健太が予言を信じてたとは思わない。でも、健太の不安や迷いを目にするのは初めてだったので、僕は動揺した。
健太は知らずにため息をつく。
「あーあ。もう夏休みだぜ。部活終わったら勉強しなくちゃなんねーし、したらもうこんな事できねーし。あーあ、もっと好きなことしときゃよかったなー」
『もったいない事をした』
唐突に、僕の頭の中にその言葉が浮かび上がった。
別にあいつの―…78型CRの言葉を信じた訳じゃない。
あいつの言う事が嘘だったとしても、こういう瞬間はもうやって来ないことに気付いたからだ。
例えこれから僕がサボらなくなったって、今と同じ事はもう起こらない。
もしサボらずにいたら、何度もあったかもしれないこの瞬間は、けれどもう戻らないのだ。
『もったいない事をした』
もっと真面目にやってればよかった。
僕は心からそう思った。
退屈だと思っていた、代わり映えのしない毎日。
けれど楽しい事はちゃんとあったじゃないか。
その日サボった事は結局担任にばれて、僕達はこってり絞られた。
しかし怒られている時でさえ、こういうのも結構悪くないとさえ僕は考えていた。
78型CRの所には行かないと僕は決めた。
久しぶりの部活に出て、健太と一緒にラーメン屋に行った。
あいつの言う事なんて信じてないけど、世界が滅んで、それでも自分1人が生き残りたいなんて、僕は思わない。
どっちにしろあいつの目は節穴だったということだ。
ラーメン屋を出ると、僕らは駅前の広場に通りかかった。
「遅かったな」
背後の声に、僕はゆっくりと振り返った。
案の定、78型CRだった。昨日と同じ格好だ。
「待ってた」
「違う」
畳み掛けるように僕が言うと、78型CRは眉を寄せた。
「おい、ユースケ」
健太が腕を引っ張る。けれども僕は構わない。
「俺は、ここで生きてたいんだ。だからどこにも行かない」
78型CRは、ただ目を丸くして僕を見つめている。
僕は同じくらい驚いている健太の腕を引いて、さっさとそこを去った。
「知り合いだったのか?俺てっきりやばい人だと…」
しばらく歩くと、驚きから立ち直った健太が、そう言いながら後ろを見た。
僕も振り向いたけれど、あいつの姿はもうなかった。
「昨日声かけられたんだ。もうすぐ地球は滅びるけど、俺だけ助けてやるって」
「おい…そりゃあ宗教の勧誘とかじゃねぇの?」
「うん」
今はもうはっきり言い切れる。なのに迷っていたなんて、今となってはお笑いだ。
「でも今のかっこよかったよな」
「なに?」
「俺はここで生きてたいんだ。だからどこにも行かないって。えらいよ。俺なんかいつも嫌だ嫌だ言ってるばっかだから」
茶化してる割には、健太の声には勢いがなかった。なんだか僕も、普段言えない事が言えそうだ。
「でも俺、母さんに泣かれると弱々だけどな」
「あ―…」
自分も思い当たる節があるのか、健太はうんうんと頷いた。
「ま、お互いがんばろーぜ」
「がんばろう」
あんなに嫌いだったはずの頑張るという言葉が、何故だか気持ちよかった。
明日も地球があることを、僕は疑っていなかった。
そこには母さんがいて、学校があって、関係ない人間がたくさんいるだろう。
それから何人かの……健太みたいな人間も。
部活をしてラーメンを食べてきたと言うと、母さんは驚いたみたいだった。
風呂に入る元気もなくて、そのままベットに倒れこむ。
時計の針はまだ9時を指していたけれど、僕はそのまま眠りについた。
きっと明日は晴れるだろう。
そんな事を、思いながら。