8話 モノに宿る魂
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大広間のテーブルに並ぶのはトースト、目玉焼き、スクランブルエッグ、そしてサラダにヨーグルト。
ここが明治末期の日本だということを忘れるようなラインナップだ。
ちなみに卵も当然のごとく当時の高級品である。
それをお祝い事でも無い普段の朝食に山のように食べられる坂本家の財力は押して図るべしだ。
「Goedemorgen! オハヨウゴザイマス」
先にテーブルについていたカッテンディーケ卿が三人に挨拶をする。
各々がテーブルについて、朝ごはんを食べながら、坂本は言った。
「サロルンのお父さんのことだけど、一つ心当たりがある場所があるんだ。まずそこに行ってみない?」
「ほんとうか? どこだ?」
「サロルンカムイがいる場所の近くにお父さんのコタンがあるって言ってたよね? タンチョウヅルがいるのは街の北にある釧路湿原の事だと思うんだよね。確かにアイヌの集落もいくつかあったはずだから、そこで話を聞けば何かわかるかも」
「そうだな。お前たちが一緒に行ってくれるなら心強い」
「俺は異存はない」
「気を付けてイッテラッシャイデス」
カッテンディーケ卿は医師であり、街に何人も患者を抱えている。
だから、いつも見送る立場だった。
猫塚が坂本に質問をする。
「そのコタンまでは何日ぐらいかかる?」
「僕たちの足だと半日もあれば行けるかな。サロルンのことを考えて往復四日ぐらいの日程を組む予定だ。余裕がありそうなら他のコタンも見て回ろうと思う。一つ目のコタンで見つかるとは限らないし」
「往復四日だと出発の準備が間に合わないんじゃねぇか?」
「まあ大丈夫。初めてじゃないんだし工数削っても大丈夫でしょ」
「そう思ってる時こそ事故ってのは起こるもんだぜ。油断はすんなよ」
「じゃあ今回は専門家に委託しようかな? さっそく船大工手配しちゃおう」
「????」
目の前で訳の分からない話が展開され、坂本がまた何やら紙に書きつけている。
またも頭にはてなを浮かべているサロルンにカッテンディーケ卿が言った。
「あれは北見行きの相談デスね。いつも北見という街には船でいくらしいデスよ。サカモトサンの個人所有の船デネ」
「船を持ってるのか? 海に出るのに小船じゃ危ないんじゃないか?」
それを聞いた坂本が言った。
「大丈夫だよ。天龍丸は小型だけど立派な造りだ。軍用でも使われてるコルベット船を模した形式だから頑丈にできてる。そんなに心配することは無いと思うよ。もともと軍艦の廃材を利用してるし、大砲でも飛んでこなきゃそう簡単に壊れないよ」
「こるべっと??? ぐんかん???」
「坂本。そもそもこいつは西洋式の船を見たことないんじゃねぇか? 函館戦争は大分前だし、なによりアイヌだしな」
「それもそうか。じゃあちょっと実物見てみる?」
サロルンはこくんとうなづく。
「なら、ご飯食べたら行こうか」
「お前の行先がそこなら、俺もお供するとするか」
「うん。護衛よろしくね猫ちゃん」
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朝食を取った後、坂本、猫塚、サロルンの三人は船着き場に向かった。
港に停泊する船の中。商船に混じって、例のコルベット形式のものが一船停泊していた。
メインマストとサブマストという簡素な造りの木造船。蒸気機関も備え付けられているごつい船。
ただそれだけなのに、その船からはさらに鬼気迫る妖気とも言えるものが漂っていた。
戦争帰りの軍人には独特の雰囲気があるというが、この船も似たようなものだ。
大砲等は取り外してあるものの装甲は厚い。商船ではないということが一目瞭然だ。
坂本は船の足元に来るとサロルンに言った。
「さあ着いた。この子が天龍丸だよ。挨拶して」
サロルンは言った。
「和人は船に挨拶するのか?」
「和人が全部ってわけじゃなくて、海で船に携わる人間の風習みたいなものかな」
「船魂って言ってね。船には神様がいて僕たちを守ってくれてるって話があるんだ。和人は大切にされた道具に神様が宿るって考えてる。だから大切に扱えば船も神様になるんだ」
「そういうことか。我々もカムイを粗末にしては罰があたると言われる。お前たちのやり方に従おう」
「ありがとう」
三人で船に一礼すると坂本は言った。
「今はちょっと時間無いから、中を見るのは出航の時にしようか」
「わかった」
サロルンがそう言い。坂本に手を引かれて商館へと戻っていく。
反対に猫塚は船から視線を外さずその場に立ち続けていた。
目に見える部分ではない何か。それこそ魂に共鳴する部分があったのだろう。
猫塚は半ば無意識に船に話しかける。
「お前も生き残りか」
「主を守れず、姿を失い、こんな小船に改造されて、今はどんな気分だ?」
しばしの沈黙の後、猫塚は自嘲気味に言った。
「……なんて、船なんぞに答えられるはずもないな」
猫塚は誰にも聞こえない声で、そうつぶやくと二人の後を追った。
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屋敷に帰ったのちは、坂本が自らコタンへ行く手配をした。
仕事を片づけながらの片手間での準備だったが、翌日には向かえるとのこと。
なので、サロルンと猫塚には翌日の朝までの自由時間が与えられた。
いや、厳密に言うと、街に父を探しに行きたいというサロルンに猫塚が延々付き合わされるという状態になったのだが。
釧路の市場の一角。ほんの数日前までサロルンが父と共に商売をしていた場所に二人はいた。
「お前、ここ何回目だよ」
「分からないが、戻ってきてるかもしれないだろう」
「……」
呆れはてた猫塚は何も言わず無言になる。
「ここにいないならもう一度宿にもどって」
飽きずに何度も何度も同じ行動を繰り返すサロルンに流石に業を煮やした猫塚は言った。
「お前な。いい加減にしろよ。巡査共は綺麗な仕事をするとは言い難いが、素人が焦って闇雲に探したってあいつらに敵うわきゃねぇだろうが」
言われたことはもっともだったが、サロルンはムッとする。
「じゃあどうしたらいいんだ?」
「どうもこうも、何か手掛かりはねぇのか?」
何とか小手先でもいいから言いくるめて商館に戻りたい。
そう思っての質問にサロルンは意外なことを言った。
「マタンプシだ」
「? 何だって?」
耳なれない単語に猫塚は思わず聞き返す。
サロルンは頭に巻いていた鉢巻のようなものを外し見せてきた。
(アイヌ式の鉢巻のことをそう呼ぶんだな)
猫塚はそう納得し、差し出された鉢巻を見る。
中央がいわゆるハートマーク状になっており、その部分だけが赤い線になっている。
残りは黒色の布が貼り付けられた渦巻き状の緩やかな線が組み合わさっている幾何学的な模様。
少し離して見ると二羽の鳥が寄り添っている姿にも見える。
それを突きつけたサロルンは言う。
「父はこれと同じものをつけていた。私はもともと無地のものを使っていたんだが、居なくなる三日くらい前にこれをくれたんだ。私が大人になったお祝いだと言って」
「……そうかい」
猫塚はそう言って、彼女の手元のマタンプシをしばらく見ていたが、ふっとマタンプシから目を離す。
「……俺じゃ力になれそうもねぇな」
サロルンはしゅんとする。彼女は下を向いたまま悲しそうに言った。
「けいさつにまかせるしかないのか」
「そういうこった。さ、歩いて疲れたろ。帰って休もうぜ。どちらにせよ見つかったら真っ先に連絡あるだろ」
生きていれば、とは言わず。見つかったらと言ったのは優しさか冷酷さか。
「さて、俺は銃砲店にちょいと用がある。帰り際につきあってくれるか?」
「わかった」
二人は道すがら買い物を済ませると、商館へと向かい、明日に備えた。




