3話 カムイの魚
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近くにあるという坂本商会の取引先の洋風のレストランへ、三人は向かう。
少し進むと、空が溶け込んだような薄青緑色の屋根の洋風の建物が見えてくる。
そして、洒落ているといえば聞こえはいいが、薄墨の筆記体で何が書かれているかわからない看板の下。
両開きの扉にまずは坂本が中に入っていく。
外に残された猫塚は看板をぼんやりと見つめながら言った。
「アルファベット自体は一通り読めるんだが、言語となると話は違うな」
「あるふぁべっと? なんだそれは? 食べ物か?」
問い返されると思っていなかった猫塚は固まっている。
しばらく考えた後ようやく答えた。
「何って。文字の一種だろうが」
「文字?」
何をいっているんだこいつは。そう言いたげなサロルンに、猫塚も同じ顔をする。
しばらく考えていたサロルンは言った。
「そういえば学校で習うって聞いたことがある気がするな。お前は学校に行ったことがあるのか?」
……普通ならそうだろ。と返答する前に坂本が帰ってくる。
「お待たせ! サロルンも入れてくれるって。ちょうど出来た新作を是非とも食べてほしいってさ」
険悪な空気はサロルンの笑顔で吹き飛ばされる。
「ご飯をタダでなんて本当にいいのか?」
きらきらと輝く笑顔の裏で、猫塚が言った。
「念のために聞くが、アイヌは出ていけって言われたりしないか?」
「え? もちろん! むしろアイヌなら是非とも食べて欲しい食材なんだってさ。日本人だとたまに偏屈な人もいるけど異人は割とアイヌに好意的だよね~」
お前が町の名士だから文句を言えないだけじゃねぇのか。
猫塚はそう思ったが、そういう野暮な突っ込みはやめ、サロルンと共に中に入る。
用意された個室に入り、各々が席に座った。
猫塚は軍帽を取らないままだったが、坂本も含めて誰もそれをとがめることは無かった。
見慣れないものばかりだからだろう。きょろきょろするサロルンに坂本が言った。
「目の前にあるこのギザギザがついてる金属の棒、そうそれ。それはナイフって言って食材を切るのに使うんだ。そして、反対側の三又の金属はフォークって言ってね……」
目の前にある道具一つ一つを坂本がサロルンに説明していると、料理が運ばれてくる。
出てきた料理にシェフが解説をしてくれた。マリネという料理だそうだ。
煙で燻されたシャケをいくつかの野菜と共に、酢やレモンという果物の汁につけたものだ。
そのようにシェフから直々に説明があると猫塚は一人苦い顔をする。
(ゲッ!よりによってこれか)
猫塚は意図的に下を向いて表情を隠す。その下は露骨に嫌な顔だ。
坂本とサロルンは猫塚の様子に気づかず、料理を楽しんでいる。
思わぬピンチに困っている猫塚をよそに、シェフも交えて三人での会話が始まった。
「アイヌの方はシャケをよく食べるのですよね?」
「そうだ。シャケはアイヌではカムイチュプというんだ。カムイの魚って意味だ。カムイが食料としてシャケを天からおろしてくれるからだ。そしてシペとも呼ぶんだ。こちらは本当の食べ物という意味だ。私たちにとってシャケは無くてはならない魚なんだ」
「そうなんだね~。うちで働いている従業員もよくシャケを欲しがってたけど、そういうことだったんだ。いっそのこと現物支給しちゃった方が早いかな。いちいち確認取るのも面倒だし全員に配るようにしとこ」
「それはいいですね。坂本商会のシャケは質がいいからきっと喜ばれると思いますよ」
「満足してくれたならよかった。うちはよそと違って専門家たちに頼んでるからね」
三人の空気に入っていけず、取り残される猫塚に声をかけたのはサロルンだった。
「ねこづか~。お前手が止まってるぞ?」
ぎくりと背を震わせた猫塚に残りの二人の視線が集まる。
「え、どうしたの? もしかしておなか痛い?」
「何かありましたか? もしや料理に何か」
猫塚は何やら言いたくなさそうに口ごもっていたが、三人の視線についに耐えきれなくなって、言った。
「……嫌いなんだよ」
「何が?」
「……俺。……魚が嫌いで、特にシャケがダメなんだよ」
本人は深刻な顔をしていたが、これで笑うなと言っても無理だろう。
さっきの賊相手の勢いはどこへやら。猫塚はまさに借りてきた猫のように小さくなっている。
猫なのに魚が食べられないという事実に、最初に笑いだしてしまったのはサロルンだった。
「ははははは! 私のこと子供だって言ったのに、お前の方が子供じゃないか!」
からからと楽しそうに笑う少女に、猫塚は何とも言えない恨みのこもった視線を向ける。
心の奥で地獄の業火が燃えているのが透けて見えるかのような、不気味な炎が揺らめいていた。
坂本は必死に笑いをこらえつつも、所々こらえきれずに言う。
「フッ……えっと、ごめん。ハハ……前もって言ってくれれば別のものに出来たんだよ?」
その坂本に猫塚は言った。
「他の魚だったら目をつぶって鼻をつまめば何とかなるんだよ。よりによってこいつが出てくるとは思わねぇだろうが」
もはや逆切れのようになっている猫塚にシェフは言った。
「ええと、違うものを急いでお持ちします」
「その必要はねぇよ。シャケだけ抜いてくれりゃあいい。ほらサロルン。こいつはお前にやる」
「お前は素直じゃないな。食べてほしいんだったら次からはちゃんとお願いするんだぞ。私はお前よりお姉さんだから黙って受け取るけどな」
サロルンが受け取るのを見とどけてから、シェフは申し訳なさそうに猫塚に死刑宣告をした。
「わかりました。シャケはこれだけですが、コースはすべて魚料理になりますがよろしいですか?」
「マジかよ」