2話 もう一つの出会い
北海道の東南にある港町。釧路。
もう一羽の鳥との出会いが、ここにあった。
両翼がそろい、物語は今動き出す。
早朝の釧路の町は霧に覆われているせいか、いつもより静かだった。
ニシンの漁と運び込まれる荷物でにぎわっているはずの港は、
前日の時化と今朝の霧の影響もあり、閑散としている。
その静寂を打ち破るように、突如二つの足音が響き渡った。
「おら!待ちやがれそこのアイヌ!」
「嫌だ!あっちに行け!」
二つの影が追いかけっこをするかのように町の中を移動していく。
先頭を行く足音は幾分軽い、子供か女か。
前を行く少女は怯えながら振り返る。白銀の目に褐色の肌。海藻色の緑がかった美しい髪。
白黒の美しいコートに身を包んだ彼女は追手の男を撒こうと必死に走る。
彼女は目についた路地にとっさに逃げ込んだ。
必死に走ったのが幸いしたのか、
後ろにいたはずのガラの悪い男はもう追ってきてはいないようだ。
「うまく、撒けたのか……?」
少女は路地で立ち止まり、着ている白黒のコートを整え、そして乱れた息を整える。
アホウドリとウミガラスの毛皮で編まれた、最上級の造りの白黒のコート。
少女の体よりだいぶ大きなコートは、彼女の母親の形見だった。
そこの路地の反対に抜けようとしたところ。
正面に大男が立ちふさがった。後ろには男の手下たちもいる。
「残念だったな。今日はついてるぜ。こんな上等なコートと女が同時に手に入るんだからな。ん?お前さんはせっかくの別嬪だが、アイヌなのか。はぁ、もったいねぇなぁ」
「アイヌなんてそれだけで値が下がっちまうぜ。けどこの見た目ならまあ、酒代ぐらいにはなってくれそうだな」
男たちの下品な笑いに、少女は一瞬固まるが、すぐに踵をかえして後ろに駆け出そうとする。
だがそこには先ほどまで自分を追いかけていた男がいた。
「撒いたと思ってぬか喜びしたか? 親分から逃げられると思うなよ」
袋のネズミとはこのことだ。哀れなアイヌの少女に逃げ道は残されていなかった。
昨日までは平穏だった。
彼女のハポ。つまり父と共に薬草を売り歩く行商をして生きていた。
それなのに突然、なんの前触れもなく、ハポが、父が、泊まっていた宿から消えてしまったのだ。
だから、初めての町で慣れないながらも探しに出ただけだったのに、自分の運命はここで終わってしまうのか
いいや。それが定めなのだろう。我々は数多の命を奪い生きて来たのだから、今度は自分の番が回ってきただけだ。
本来は逆の意味の言葉だが、短い今生へのカムイへの感謝を込めてあえて言おう。
コートの中のポケットの中。ロザリオに、もう一つの母の形見に、服の上から手を当てて彼女は言った。
「カムイレンカイネ……これがカムイの導きだというのなら、私は受け入れよう」
旅に生きていた自分たちはいつ死んでもおかしくなかった。
命をカムイに返すだけ
ただそれだけのことだ。怖くない。
そう信じ込もうとしても体が震える。
自分はどうなってしまうのだろう。
少女が運命に身をゆだねようとしたその時だった。
「おい。てめぇら何やってる」
低くドスの効いた声。
大男が声の方向を振り返る。
そこには軍帽をかぶった黒い軍服の男が立っている。
眼光は鋭く。赤みがかった茶色が賊を射抜く。
強風に翻る短いマント、ケープが捲れるたびに赤い肩章が見えていた。
そう、ヤタガラスのエンブレムが入った肩章が。
大男は言った。
「お前。軍人か? それにしちゃその肩章は妙だな。なんでカラスが」
「親分。多分こいつヤタガラスのつもりなんじゃないすか?」
「ヤタガラス? 俺も軍隊にいたときに噂ぐらいは聞いたが、こいつがか?」
いぶかしみながら見つめる大男に、手下はこう言った。
「まさか、間違いなく偽物ですよ。戦争で露助をたんまり殺したんだから本物は今頃恩賞で遊んで暮らしてるはずです。そもそも日露戦争で日本軍を勝利に導いた神兵サマがこんな田舎にいるわけないでしょうが」
それもそうだと納得したような顔で、大男は黒軍服の男をにやにやと見つめる。
「偽物ってことは弱ぇんだろお前」
明らかに舐め腐った態度をされても、黒軍服は相変わらず強硬な態度を崩さない。
「答えろ。返答次第によっちゃ見過ごすわけにはいかん」
「ハッ偉そうに、俺らが何してようと関係ねぇだろうが! お前は何だって言うんだ」
霧の中から急に現れた白スーツの男が口をはさむ。
「今は僕の用心棒ってとこかな。なら関係あるよね?」
本人にそのつもりはないのだが、この街の気象条件により時折白スーツは光学迷彩と化するのだ。その白スーツの男の顔を見たとたん。粗野な男たちの顔がひきつった。無理もない。その顔を知らないものなど、この釧路の街にはいないのだから。
白スーツの男は言った。
「どうする? 今後こういうことをしないって約束してくれるなら見逃してもいいけど」
にこにこと笑っているが、白スーツの男は手を腰の刀にかけ少し抜いている。
白スーツの男の商家に代々伝えられた伝家の宝刀「陸奥守吉行」の刃が覗き、盗賊団を睨むように鋭く光った。
返答次第では容赦しない
白スーツの無言の圧力に大男は言った。
「馬鹿が! ここで引いたらおれたちゃおまんまの食い上げなんだよ!」
その言葉を合図に手下達がそれぞれの得物を取り出す。ほとんどは剣、大男は軍の払下げ品の二十八年式拳銃。
「いけ!やっちまえお前ら!」
「うぉぉぉぉ!!!!」
気が大きくなったのか、手下が一人こちらに向かってくる。
白スーツの男が一歩前に出ようとするが、黒軍服がさえぎった。
「僕でも相手できるよ?」
怪訝な顔をする白スーツに黒軍服は畳みかけるように言った。
「いやここは俺がやる」
「ここで乱戦になるのはまずい。破れかぶれであのアイヌのガキを巻き込みかねんぞ。向かってきてる奴には気の毒だが、奴を徹底的に痛めつけて他は戦意喪失させる」
白スーツの表情が曇るが、怯えて固まっているアイヌの少女を見ると、方法を選べないことを悟り、諦めたように言った。
「……君がそういうならそれが最適なんだろう。任せた」
白スーツは大人しく下がり、黒軍服が前に出る。
「本当は接近戦は苦手なんだがな。狙撃ならこっちの姿を見る前に全員仕留めてやるのによ」
黒軍服は面倒そうに、ボタン一つで三十年式の歩兵銃の銃剣を取り外し、くるくると回しながら銃剣の鞘を外す。そして向かってくる敵に向けて、銃剣の刃を向け構えを取った。
手下が、黒軍服に斬りかかる。
「死ねぇ!」
当然のように手下の攻撃は空を切る。
「力みすぎだ。振りに隙が多すぎる。戦場だったらお前は死んでたぜ」
そう言うが早いか、黒軍服は全くためらいなしに手下の急所に攻撃を叩き込んだ。
狙ったのは太もも。血管が集中しており、逃げることを必然的に封じられる場所だ。
体勢を崩していた手下は容易に攻撃を受ける。
黒軍服は一度ざっくりと刺してから、ぐりぐりと傷口をえぐるように刃を回転させた。
「おぐぁぁぁぁ~~~いいいいい~~~ぎゅ~~がぁぁぁ!!!」
苦悶の声が辺りに響き、大男たちの動きが止まる。
賊たちが退却するかどうか様子を見ていた黒軍服は思考を巡らせる。
(これでも引かねぇか。仕方ねぇな。こいつの足の一本は諦めて貰うか)
哀れな手下が立ち上がることが出来なくなると、今度は銃剣を刺したままの足を、
軍靴で蹴り、踏みつけ、見せつけるように、さらに執拗に攻撃を加える。
攻撃というのもおぞましい、何度も何度も繰り返される邪悪な拷問に敵は震えあがった。
敵を十分に怯えさせた後、黒軍服が哀れな手下の足に深々と刺さったままの銃剣に、
自身の足を乗せ、さらなる苦痛を与えながら、言う。
「どうする? 今なら俺の雇い主の坂本様はこいつの足の一本で許してくれるみてぇだぜ」
呆然としている大男に黒軍服はさらに畳みかけた。
「なぁ盗賊団「ヤタガラス」さんよ。お前らもヤタガラスだってんなら、足が一本ぐらいなくなっても不便はねぇよな?」
「それとも頭領のあんたの足を差し出すか?」
抵抗も出来なくなった手下から銃剣を抜き取り、じりじりと近寄ると、やっと事態を飲み込んだ大男は声を張り上げる。
「畜生! ずらかるぞてめぇら!!!」
こうなると脆いもので、集団は我先にとちりぢりに逃げていった。
逃げていく背中を見送ると、黒軍服は銃剣についた血を振り払う。
それを見、戦いが終わったことを認識した白スーツは言った。
「猫ちゃん。お疲れ様」
そう呼ばれた黒軍服は軍帽を押さえ。白スーツをキッと睨む。
「その呼び名はやめろっつってんだろ。俺は猫塚だ」
「いいじゃん可愛いし。僕にとっては猫ちゃんだよ」
「……お前が飼い主である以上従うのが筋だが、今後も意見だけは逐一言わせてもらうぜ」
「そう。早く慣れて欲しいなぁ」
いっこうに改める気のない飼い主に猫塚が溜息をつく。そこで先ほどの少女が近づいてきた。
「あの。助けてくれてありがとう」
じゃあ私はこれで。
そういってアイヌの少女は駆け出そうとした。
「へぶっ!」
だが意思に反して体は動かず、少女は地に倒れ伏す。
その視線の先には、先ほどの盗賊の手下がいた。
「そうだ。手当をしないと」
そういって少女は荷物を漁りだす、そんな少女に黒軍服。猫塚と呼ばれた男は言った。
「やめとけよ。あいつの足はもう使い物にならんぜ。このまま出血で死なせた方が幸せだろうよ」
「それはあの男が決めることだ。私は放ってはおけない」
「そういうのは偽善者って言うんだぜ」
年場もいかぬアイヌの少女に対し、また険悪な雰囲気を醸し出す黒軍服に、坂本と呼ばれた白スーツが割って入る。
「まあまあ猫ちゃん落ち着いて、ここはこの子の意思を尊重しようじゃないか」
「は? 馬鹿言えよ。こいつは」
坂本はウインクして答える。
「この気絶してる子。多分盗賊団のアジト知ってるよ。足が治るかは置いといて。とりあえず情報のために治療はした方がいいと思うな」
猫塚はそれもそうかと納得したが、アイヌの少女は逆にうろたえたようだった。
無理もないだろう。彼女が手当をしようとしたのは完全に善意からだ。
相手を利用するためなどでは断じてない。
「そういう訳なんだけどお願いできる? もちろん薬代は払うよ」
坂本がそう言うと、アイヌの少女はカバンから何かを取り出そうとしながら、改めて倒れている手下に近づこうとする。
その瞬間。あらぬ方向から声がかかった。
「あれ? サカモトサン。どうしたんですかコンナトコデ?」
サロルンは取り出しかけた品物をさっとしまう。
振り向くと背の高い黒髪の外国人がそこには立っている。
緑がかったグレーのスーツを着たその男は、どこかからの帰りのようで、黒く大きい重そうなカバンを持っていた。
「あ、カッテンディーケ卿。ちょうどいいところに」
「? 怪我デスカ病気デスカ? それとも妊婦さんでも見つけましたカ」
坂本が自身の背後に視線を送り、猫塚は倒れている盗賊の手下を無言で指を指す。それを見たカッテンディーケが言った。
「これはまたひどい。ふむ。……商会の設備なら、なんとか出来そうデス」
「それならお願いできるかな? はい。二円渡しとくから、運んでもらった人へのお駄賃にして」
そういって坂本は金貨を二枚渡す。
参考までに述べておくがこの時代の一円の価値は現代に直すと一万円ほどだ。
つまり坂本は見ず知らずかつ敵側だった人間のためにポンと二万円を出すような立場ということである。
「サカモトサンは太っ腹ですね。瘦せてるのに太っ腹というのもおかしいデスが。日本語オモシロイデス」
「まあ、この街の名士ってことになってるし、代表である僕が坂本商会の名に泥を塗るわけにはいかないから」
「まあそれはそうですね。」
「おい。通行人に声かけて人足は集めてきた。こいつらに商会まで運んで貰え」
カッテンディーケ卿は手伝いを申し出てくれた男性二人に笑顔を向けたのち、一瞬。いつの間にか仲間に加わっている見知らぬ少女を見てから坂本に言う。
「そちらの女の子は……まあ帰ったら説明して貰えるデショウ。怪我人を優先しまス」
往診帰りのカッテンディーケ卿に怪我人を預け、三人は運ばれていくのを見送った。
アイヌの少女はそれを呆然と見送っている。
その様子を見て坂本は言った。
「ねぇ。もし君が良かったらなんだけど、僕たちとご飯だけでもどうかな?」
「ご飯?」
「うん。今ちょうど取引先回りしててね。この先にあるレストラン。あっ、この言い方だと分からないか。洋風の食堂を視察に行くんだ。卸してる原料の感想とか、希望とかを聞きに行く予定でね。僕たちの連れってことにして一緒に食べないかい?」
「そこで詳しい話を聞いてもいい? 何か訳アリのようだし」
坂本はそういってアイヌの少女を見る。少女は不安げに黒軍服。猫塚を見た。
さきほどまで明らかに反抗的な様子だった男は、今は落ち着いた様子で言う。
「俺は坂本の飼い猫だ。坂本の言うことには従う。坂本が良いと言ってるんだ。お前は俺の機嫌なんぞ取る必要はない」
言外に嫌そうではあったが、坂本の意思を尊重するという部分を強調すると少女は安心したようだった。
和人の女が一人歩いているだけでも危険な町で、アイヌの少女がひとりうろつけばどうなるかは明らかだった。
それでも人の少なくより危険な早朝に一人で歩き回っていたのはよほどの事情があるのだろう。
協力とまでは行かないまでも、親元に帰すことには猫塚は異存はなかった。
「じゃあ決まりだね。行こうか。僕は坂本弥太郎。この街に本拠を置く坂本商会の代表者だ。僕たちの間だと坂本龍馬の甥の子供。要は坂本龍馬の子孫って言った方が通りはいいんだけど、知らないよね? あ。欲しいものあったら遠慮なく言ってね」
「さかもとりょうま? 誰だそれは」
当然のごとく知らないという少女に坂本は困ったような顔をしてからこう答えた。
「坂本龍馬が何をした人かってことだよね。型にはまらない人だから一言では言えないんだけど、そうだな。しいて言うなら身分制度を嫌い、自由を何より愛した人と言えるかな。そして日本という国の鋳型を作った人だ。船中八策という龍馬の考えが今の日本という”国”を作る元になったんだ」
「くにをつくったひとか。くにというのが何かわからないが、すごく大きなことを考えるひとなんだな」
「まあそういうことだね」
坂本が言い終わると、サロルンは猫塚に顔を向ける。
自己紹介しろという意味だと気が付いた猫塚は、渋々ながら言った。
「……俺は猫塚。猫塚大九郎だ。もともとは陸軍の第七師団の所属だ。古巣に戻ってきちまった訳だが、今はワケアリで用心棒をやってる。俺の身の上はこれ以上話すつもりはねぇが、お前を親元に届けるまでは見守るつもりだ」
黒軍服の男は赤みがかった火のような眼で少女を見る。
少女はその目をどこかで見た気がした。黄金の月のような。燃える火のような何か。
アイヌにとって神聖な。どこで見たのだったか、それらのぼんやりとしたイメージを振り払い、彼女は答えた。
「私は。私はサロルン。ハポが、父が突然いなくなったんだ。私たちは行商のためにこの街に来ていたから、街のどこかにいると思って探していたら襲われてしまって。私は父を見つけたい。協力してくれ」
信頼して事情を話してくれたアイヌの少女。サロルンに坂本は言った。
「もちろんだよ。これからよろしくねサロルン」
「俺としちゃ子守なんぞ不本意だが、お前の親ももっと不本意だろうから、まあ仕方ねぇな」
私を子ども扱いするのか
サロルンがそう恨めし気に睨むが、猫塚はどこ吹く風だった。