24話 北見入り
網走監獄から北見の北光社までは直線距離で40キロほど離れている。
徒歩で移動するならどんなに急いでも1日はかかる距離だ。
駅逓所を利用し、馬を乗り継げば半日足らずというところか。
平野ではなく、高低差がある山地のため全力で移動すると馬がへばってしまうためだ。
その距離を汽車はなんと一時間で結ぶという。
一行は決して疲れることのない鉄の馬を駆って目的地へと進む。
先頭にある動力部を除いて客車の中の一番の先頭車両に三人は居た。
民間の一等客室のように客車は貸し切りになっている。広々とした室内で坂本は言う。
「さて、ここまで来たらあとは待つだけだ」
「なら俺はちょいと寝とくか。朝早くから走り回ったのが良くなかったらしい。起こすなよ」
猫塚は二人から離れたソファの上で横になる。そしてケープマントを外して顔に乗せ、目を覆った。サロルンは流れていく車窓の外を見ながら、ふと言った。
「石が多いな。あれ? あの石なんか紐みたいなものがなかったか?」
サロルンの言葉に坂本はバツが悪そうに目をそらす。
サロルンはそれに気づかず言った。
「またあった。よく見ると石じゃないな。土がついてるのかと思ったがサビだ。あれは丸い金属の塊なのか?」
「ねぇサロルン。その話やめないかい?」
坂本が止めたがサロルンは相変わらず気になって仕方ないようだ。
彼女が一向に独り言をやめない様子に、我慢ならなくなった猫塚が起きだしてくる。
「ったく寝られやしねぇ。何が珍しくてそんなに騒いでんだ」
「変な石があるんだ。ほらまた」
サロルンは通り過ぎる奇妙な物体を指さし、猫塚に示す。
それを見た猫塚は平静を装って言った。
「まず先に教えとくが、アレを見かけても今後は指を差さねぇ方がいい。ついてきちまうからな」
背筋に冷たいものが走る。何がついてくるのか。その疑問をサロルンが口にする前に猫塚は言う。
「あれは鎖塚って呼ばれてるもんだ」
「くさりづか?」
「正体は網走の囚人が外で作業に駆り出される際に足に着ける足枷だ。ただでさえキツイ外部作業をあの鉄球を両足につけて働かされる訳だが、必要が無くなったらあの通り足枷は放棄されるわけだ」
猫塚と坂本は険しい顔をしているが、いまいち意味が分かっていないサロルンは呑気に聞いた。
「必要なくなる? ということは、作業をしたらしゅうじんは解放されるのか?」
「まさか、網走にいる囚人は長期の懲役刑を食らった凶悪犯。そんな奴らが無事に社会に戻っちまう方が問題だろ」
サロルンはようやく察する。つまり憑いてくるというのは。
「死んだしゅうじんの……オバケ!!!」
サロルンは悲鳴を上げるとソファの下に隠れる。
「そういうこった。あの鎖塚の近くに当の囚人の遺体も埋められてるらしいぜ」
猫塚はサロルンを呆れたように見てから、元居たソファの方に戻って行こうとする。
坂本は猫塚が戻って行く前に引き留めて言った。
「猫ちゃん。実は僕の父さんもね。思想犯として何回か捕まって投獄されたことがあるんだ。……だから囚人を悪く言わないでくれると助かる。君がどう思ってるかは知らないけど」
猫塚は何を言っているのか分からない様子でぽかんとしていたが、しばらくして言った。
「ああ。そこは別に何とも。むしろ俺の方が間違ぇなく汚ぇ仕事してきたぜ。お国のためってことでお目こぼし貰わなかったら、俺も間違いなくあの塀の中だ」
そう自嘲気味に笑う猫塚に、坂本はいつもは決して見せない怒気を含んだ声で言う。
「それはそれで良くないな」
「おいおい落ち着け。こぇぇよ」
普段と全く違う様子の坂本をなだめようと、猫塚は坂本に対してサロルンを目で示した。
子供であるサロルンの前で取り乱すのはまずい。その意図が通じたのか、坂本はいつもの様子に戻る。
「引き留めてごめん。もうすぐ着くけど、横になるだけなったら?」
「そうするぜ。お言葉に甘えて。な。」
猫塚はケープマントで顔を覆い、再びソファで横になった。
進む汽車の中、坂本は手を組み何やら考えている。
その目には何かに対しての明らかな怒りが浮かんでいた。
*****
汽車は進み、数刻後、一行は目的地の北光社までたどり着いた。
駅から町に降りて目的地に向かう。広々とした土地にぽつぽつと建物が建てられ、間には農作物や動物の放牧地が連なっている。
会社というよりは大きな農園と言った風情だ。
一行は坂本に導かれるままに坂本の知り合いのもとへと向かう。
進んでいくと、向かう先の粗末なかやぶき屋根の中から讃美歌が聞こえてきた。
中を覗くと教会になっている建物のようで、奥の方で老紳士が一人歌っている。
「武市さん!」
坂本が老紳士に声をかけると老紳士は歌を止め、はにかみながら挨拶をした。
「これはこれは、恥ずかしいところをお見せしたね。遠いところ大変だったろう。弥太郎くん」
「いいえ。武市さんに会えると思ったら全然遠いなんてこと、なかったですよ」
「そうかい? いつもながら人をたらしこむのがうまいようだ。きっと龍馬の血なんだろうね」
「お褒めにあずかり光栄ですよ」
おどけて言葉を返すと、今度は振り返って猫塚とサロルンに武市を紹介する。
「あの人が武市 安哉さんだ。僕の父の友人で自由民権運動時代の同志だったんだって。そして元国会議員でもある。左足が悪いんだけど、昔、脳出血で倒れちゃった後遺症なんだ。武市さんはここの北光社の最高責任者なんだけど、普段はこうやって教会の牧師さんをしてるよ」
「そうなのか、私はサロルンだ。釧路から父を探してここまで来た。よろしく」
「猫塚大九郎。元陸軍軍人だが、今は坂本の用心棒だ」
全員の紹介にうやうやしくお辞儀をした老紳士は言った。
「最高責任者なんてとんでもない。我々は誰もが赤心をもって天の父に仕えるだけですよ」
天の父という言葉に猫塚が反応を示す。
「天の父ねぇ。つまりあんたも生粋のキリスト教徒ってわけか」
「牧師ですからね。君たちも同志かい?」
「そうだぞ! ほら! 三人とも持ってるんだ」
サロルンは無邪気に、自身のロザリオについた十字架を掲げる。
その様子に坂本はほほ笑み、猫塚は苦い顔をした。
猫塚は一拍遅れて否定する。
「俺は違う。俺は何も信じちゃいない」
「今の時代。信じてないのに十字架を肌身離さず持ってるってのも考えにくいけどね。下手な人間に見つかれば迫害される代物なのに」
茶々を入れてくる坂本を猫塚は赤みがかった目で睨みつける。
しばらくそうしていた後、猫塚は武市に向き直って言った。
「あなたがキリスト者なら一つだけお聞きしたいことがあります。あなたにとって信仰とは何でしょうか?」
猫塚は普段と違う。無礼の欠片もない慇懃な態度を取る。
そんな猫塚の急な敬語に坂本とサロルンは驚いて固まっている。
武市は答えた。
「私にとって信仰とは生きる上での道しるべです。神の国に向かえば現世に生きる皆が救われる。そう信じて日々開拓のために身を粉にしています」
「そうですか」
猫塚は興味を無くしたように一言だけ言って押し黙った。
皆が猫塚の次の言葉を待ったが、彼はそれ以上口を開かない。
坂本は諦めて話を先に進めた。
「武市さん。お話していた通り、今年もこちらで坂本商会と北光社の直接取引をするためにやってまいりました。しばらくは少々手狭になってご不便をおかけしてしまいますが、今年もお願いいたします」
「とんでもない。同志が増えるのは嬉しいよ」
猫塚だけは、一人俺という邪魔者が混じってっけどな。
とでも言いたげな顔だったが、口には出さないところ空気は読んでいるのだろう。
坂本は続けた。
「そして武市さんにお願いしたいことがあるのですが、ここにいる間サロルンを預かってくれませんか?」
「もちろん構わないよ。そうなると学校の新しい生徒として、ということになるのかな?」
学校という単語にサロルンは弾けるように喜んだ。
「がっこう? 私が学校に行けるのか!」
「はい。お願いできればと思って。いろはの本は読ませたんですけど、同世代の子供と学ぶのが一番かなと」
「おいおい、学校まで行かすって。いつまでこっちにいるつもりだ?」
普段の荒々しい口調に戻り、馬脚を露わにした猫塚に今度は武市が驚く番だ。
坂本はウインクして答える。
「こっち来るついでに一か月ぐらい休暇も取ったんだよね。一か月はこっちで様子見て、サロルンさえ良ければそのままここに預けて置いてこうかなって思ってるよ。もちろん彼女の父親捜しは続行するし、父親と連絡がついたらどうするか相談して貰うけどさ」
軍服の猫塚はサロルンの方をちらりと見る。彼女は学校にいけることがよほどうれしかったようで、武市に抱きついてコートをひらひらさせながら一緒に喜び合っている。猫塚は視線を戻し言った。
「まあ、いいんじゃねぇか。俺がどうこう言うことでもねぇしな」
肩をすくめる猫塚に、坂本はにっこりと笑って言った。
「了承ってことでいいんだね。じゃあ、そういう訳で、サロルンは預けます。僕たちは夕食まで農作業手伝ってきますね」
そう言って坂本は猫塚と共にかやぶき屋根を出ていった。
相変わらず捏造がひどい。
この時代に北見と網走間に鉄道は無いはずだし、武市安哉さんに至っては作中の十数年前に高知からの帰りの青函連絡船の中で脳溢血でお亡くなりになってる始末。仮想なんだからなんでもありとは言え、こういう部分を本気にされたりしたら怖いな。




