21話 滅びの運命
その夜。
坂本、猫塚、サロルン一行がそろい、仲良く夕食を食べた。
今日のメニューは、猫塚が外で狩ってきた野兎をつみれ状にしたものと、坂本が物々交換で手に入れてきたプクサなどの山菜を共に煮込んだ鍋だ。
アイヌ風に表現するならウサギのチタタプ団子入りプクサオハウとでも言おうか。
生理で血を失っているであろうサロルンのために調達してきた。ということは二人とも当然のように口には出さない。
食事がひと段落すると坂本は何やらサロルンに質問攻めにされていた。
「ああ。これはロウソクって言ってね。火をつけて夜の明かりにするための道具だよ」
「そうなのか? そんなものがあるんだな。じゃあこれは……」
「こっちは……で、うんそう。帝都では見かけたけどこっちには無いんだっけか?」
延々と質問攻めにあっている坂本に猫塚が言った。
「坂本、今後のことだが、どうするつもりだ?」
坂本はサロルンの相手を止めて猫塚を見る。そして少し考えてから言った。
「そうだね。日程に余裕はもうないから、そろそろ出たいところだけど。サロルンの体調次第かな?」
「私は大丈夫だ。ほら、この通り元気いっぱいだ」
そういってぐっと手を伸ばすサロルンに、猫塚は疑念の目を向けている。
「どうだかな。村で倒れたからまだ良かったものの。海上で同じことになってたら最悪引き返す羽目になってたぜ」
「それはすまないと思ってる。けど本当にもう平気なんだ」
精一杯強がるサロルンに猫塚の目は厳しい。
坂本は言った。
「けど死ぬわけじゃないんだし、代えの布ならまだ沢山あるよ。なるべく船室で寝ててもらうなら、このまま向かっても大丈夫じゃないかなぁ?」
坂本としては妥協案を提示したつもりだったが、呑気な様子が猫塚の逆鱗に触れたようで、怒気をまとった声をぶつけられる。
「無責任に言ってるが何かあったらどうする? これ以上何か起こったら俺らじゃ対処できねぇぞ?」
相変わらず頑なな態度だ。坂本はようやく猫塚の言いたいことに思い当たる。
「君もしかして、サロルンをこれ以上連れていけないって言いたいのかな?」
「……そうだ」
「確かにねぇ」
坂本はサロルンのほうをちらりと見る。びくりと怯える彼女に、坂本はいつものように笑顔を向けて言った。
「僕は君の意思を尊重するよ。体調が落ち着くまでコタンに世話になってから、坂本商会まで送ってもらえば危険は無いと思う。サロルンはどうしたい?」
「私は」
猫塚は相変わらず厳しい目を向けている。顔には明確に帰れと書いてあった。だが、そんな圧を跳ね除け、彼女は言った。
「私はお前たちと一緒に行きたい」
まっすぐと坂本の目を見つめ、彼女はハッキリと自分の意思を口にする。
坂本は満足したように笑う。バツの悪そうに視線をそむける猫塚に視線を送り、言った。
「だってさ猫ちゃん。ご主人様の命令。聞いてくれる?」
「納得はしてねぇが、お前の命令には従おう。お前が俺の飼い主だからな」
猫塚は軽く帽子を取り、頭に戻すしぐさで敬意を示した。
最後に勝負を決めるのは気迫だというが、その意味でいえば今回のサロルンは勝負あったと言えるだろう。
*****
出発は翌日の昼と決まり、サロルンが寝付いた後、猫塚と坂本で詳細を詰めていった。
早朝に出ないのは、日程が押しているため夜通し航行するための準備のせいだ。
そして世話になった村長たちへの挨拶のためだった。
それらの話が終わると猫塚が言った。
「坂本。お前の耳に入れておきたい事がある」
「何かな?」
呑気な坂本に対し、猫塚は深刻な様子で言った。
「このコタンに来てからずっと違和感があった」
「あちこち聞き込みしてるうちにその違和感は解けたんだが、その結果分かったことがある。どうもこの辺のアイヌの状況は良くねぇらしい」
「違和感? そしてどんな感じなの?」
「お前は気づかなかったか? このコタン妙に老人が多いぜ。ガキは居るには居るが、青年層がごっそりいねぇ。若いやつでも中年ぐらいだ。アイヌは見た目じゃ年齢がよく分からんから函館戦争の話で特定したが」
「言われてみれば確かに、交渉してる時も年齢が高い人が多いのは感じたねぇ」
「理由を聞いてみたら若い衆が居ないのは大きく二つだ。出稼ぎに出てるか軍隊に召し上げられてるらしい」
「なるほど。確かにあまり良い状況じゃないね」
若手がいないということはいざという時の労働力がないということに留まらない。
例えば敵対的な集団がやってきたときにそれらを跳ね除ける力が無いということでもある。
和人と協力することに決めたのは村長が聡明であったから。のみではないのだ。
持てる手札の中から最良の手を選んだだけ、他に仕様がなかったのだ。
「このコタンが妙に和人に協力的だったのが分かったよ。要は死人に口なしってことか」
つまるところの生存者バイアス。降りかかる危機から逃げ延びられなかった者たちは観測されることすらない。
協力しなかった者たちはもうこの世には居ないのだろう。
「そういうこったな。この周辺にも他にアイヌのコタンが三つほどあったそうだ。だが、すべて無くなったそうだぜ」
「コタンが無くなった? 理由もなく無くなるわけないでしょ。もしかして」
数で勝る和人が、たとえば荒れくれ者の多い屯田兵などが集団で襲い掛かってコタンを壊滅させたのかと坂本は考えた。
しかし、現実は小説よりも奇なり。
事実は簡単に人の想像のその上を行く。
猫塚は言った。
「ああ、しかもその理由ってのが厄介でな。二つのコタンは疱瘡。つまり天然痘の流行。もう一つはシャケの不漁が原因の飢餓で壊滅したそうだ。ここのコタンは和人の有力者のコネで薬や食料を手に入れて何とかなったそうだが、よその面倒までは見切れなかったらしい。コタンのあった場所は全部和人の村に取ってかわられてるそうだぜ」
坂本は絶句する。
まるでオセロゲームのように、アイヌの居なくなった場所に和人が取ってかわる。
それが北海道の各地で繰り広げられていた悲劇の正体だった。
明治維新によって世界は大きく変わった。欧米列強は海の外に植民地を求め、日本はそんな彼らから自らの身を守るためにと近代国家へと生まれ変わった。そんな中で未だに旧態依然としているアイヌ社会が世界の変革に耐えられず、自重により自ら崩壊している。
そうも言えるのかもしれない。
だが、彼らの惨禍には和人の影響も少なくなく、そこに住む人間にとっては避けようもない災害でしかなかった。
坂本の脳裏に最悪の想像が駆け巡る。
「もし、サロルンが疱瘡だったとしたら」
「感染力から考えてこのコタンは少なくとも半壊。一切の奇跡が起こらない前提なら、普通に考えて全壊だったな」
猫塚は横目で坂本を見る。
その顔は沈んでいるようにも、何かに対して怒りを燃やしているようにも見えた。




