15話 水月の鏡
何事もなく翌朝を迎えると、サロルンと坂本は外に出る。
そこには猫塚が立っていた。
様子は昨日と変わりないが、二本の触角が気持ち垂れている。言葉に出さないだけで疲れてはいるのだろう。
猫塚が坂本に手を振る。インバネスケープが揺れた。坂本は阿吽の呼吸で軍帽を放り投げる。
受けとった軍帽で二つの触角のような髪の毛を隠すと、猫塚は言った。
「追っ手は心配ない。このまま商会に向かっちまおう」
坂本は首を縦に振る。
サロルンは坂本の後ろで裾をつかんでいたが、歩き出すと素直に従った。
坂本、サロルン、猫塚の順で歩こうとするも、昨日のこともあってか、サロルンが明らかに後ろを気にしている。
察した猫塚は言った。
「俺は距離を取って進むぜ。追手を警戒する必要もあるからな。それでいいな」
もちろん是非を聞いているわけではない。
先ほどの報告と違うのに、あっさり坂本からの了承を取り付けると、猫塚はその場に留まった。
坂本とサロルンが先行し、その大分後ろから猫塚がついていく。
気まずい雰囲気は払拭できないままだったが、一行は何事もなく商会までたどり着いた。
***
「Goedemorgen! オハヨウゴザイマス」
帰ってくるなり出迎えてくれたのはカッテンディーケ卿だった。
坂本が彼に会釈をし、三人は商館の中に入る。
カッテンディーケ卿と共に大広間に向かった坂本とサロルンに対し、徹夜をした猫塚はあくびを嚙み殺しながら言った。
「俺は寝る。起こすなよ」
そう言うと返事も待たずに一階の玄関近くの部屋に潜り込んでゆく。
そこは猫塚のために用意された私室だ。
いつもカーテンが敷かれ、外の光が差さないこともあり、
中を見たものは誰もいない。
秘密主義の彼らしい部屋。
そんな部屋の奥にあるベッドに猫塚は一人寝転がった。
***
そのままどれくらい経ったろうか。
眠っていた猫塚は扉をノックする音で目が覚める。
「起こすなっつったろ」
「すまない」
扉の向こうからしたのはサロルンの声だ。彼女は言う。
「お前に謝りたくて」
猫塚はちょっと考えて返事をする。
「中には入るな。用件だけ聞く」
沈黙の後サロルンは言った。
「昨日はごめん。助けてもらったのにあんな失礼なことして」
「そんなことか」
サロルンなりに意を決して謝りに来たのだろう。
それを、そんなことと軽く言われたのに動揺しているのが扉越しでも分かる。
サロルンに猫塚は言った。
「気にすんな。俺は慣れてる」
「第一お前だって似たようなもんだろ? しかも、お前は失礼な扱いから身を守ることも難しい。俺と違ってな。俺の心配じゃなく自分の心配でもしたらどうだ」
猫塚はそう突き放すように言うと、また布団に包まった。
そんな猫塚に、またサロルンが言う。
「お前は優しいんだな」
「何もできなくてごめん」
まだサロルンが扉の前にいる。泣き出しそうな気配に猫塚は面倒そうに言った。
「特別何かしてほしいなんて思っちゃいねぇよ。ただ普通に、単に人として接してくれれば、それで過不足無しだ」
その言葉にサロルンは救われたのか、扉の前からやっと気配が消える。
体力的にはそろそろ起きてもいいころだったが、猫塚はもう少しだけまどろみを楽しむことにしたのだった。




