10話 カラスの羽ばたき
コタンの周辺はすべての方向が木々で囲まれていた。
コタンのすぐ北側にあるはずの釧路湿原でさえ、囲まれている林の中から見通すのは困難なほどだった。
きっと外敵から身を守るため木を植えたのだろう。
だが、皮肉にもその地形は猫塚にとってはただ有利をもたらすものになった。
なぜならば、昼間でも多くの影ができるからである。
猫塚は足元も怪しい林の中、軍靴を履いているとは思えないほど軽い足取りで林の中を進んだ。
本来であればこれは大変危険な行為だ。
なぜならば、アイヌのコタンの周辺の森には「アマッポ」と呼ばれる毒を塗った仕掛け弓があり塗られたトリカブトの毒にかかれば人間でもひとたまりもない。
さらに、最近和人から伝わった「口発破」と呼ばれる罠も凶悪だった。
これは肉塊の中に爆薬を塗りこんだもので、刺激を与えれば爆発する。
下手に触らなければ害はないが、ちょっとの刺激でも爆発するため細心の注意が必要な代物だった。
それらの危険な罠がそこかしこにしかけられている暗い森の中。
猫塚は羽でも生えているかのように軽やかに、音もなく進んでいく。
聡明な読者であればもうお分かりであろうが念のため述べよう。
猫塚が披露した黄金色に輝く目の効果は「暗視」読んで字のごとく暗闇でも目が見えるというものだ。
ぱっと見地味な能力ではあるだろう。だが、狙撃を得意とする猫塚と元々ヤタガラスとして携わっていた兵科。両方にこれほどかみ合った性能のものは中々ない。猫塚がヤタガラスに抜擢された理由もこの眼の能力にあるのだが、説明に尺を取るため別の機会にしよう。
さて話を戻すと、猫塚は暗い森の中を最初に居た南側から村の東側へ移動していく。
今は村の中央から見て東南の方向にいた。
猫塚が東に向かった理由はアイヌの家の窓にある。
先ほど住宅を偵察していたところ。必ず窓の一つは東側にあるということに気づいた。
この窓はカムイが出入りすると言われている特別な窓で、
カムイを迎える儀式以外では中を覗くのはご法度だったのだが、
そんなことはつゆ知らず、猫塚はそれぞれの家の東の窓から中を覗く。
「酋長の家がどこかわかりゃ早ぇんだが、しらみつぶしに見ていくか」
そう独り言を言ったところ。坂本の声が耳に入った。
どうやら村の中央の広場で取引の真っ最中のようだ。
猫塚は耳をそばだてる。
「へぇ。マキリは日本刀を買って鞘を加工してるんですか? じゃあ中身は日本刀なんだ」
「そうとも。そして取り外した刀の鍔は我々アイヌの宝として扱われる。このコタンの一番東にある私の家も銀の鍔と漆塗りの食器でいっぱいだ」
「そんなに沢山あるんですか! あまり沢山あったら困りませんか?」
「そういうときはウタレと交換だな。まあ最近は置き場に困る前に誰かしらウタレになるのだが」
坂本と、中国式の朱色の衣をまとったアイヌの酋長らしき男の会話を尻目に、猫塚はさらに東に向かった。




