ナース
帰宅のドアを開けた。玄関に、ナースがセクシーなポーズをして待っていた。知らない女性だった。30代半ばだろうか。今の僕は独り身で彼女はいない。レンタルサービスを予約した記録も記憶もない。誰かがアパートを間違えて、というのもない。スペアキーを持つような相手もいない。姉も妹もいないし、母は30代ではない。お隣さんが間違えて、というのもない。お隣さんは物静かな男性と出張ばかりなのか人気がないほどに感じるが確かに男性が入っていた。大家さんでも、ない。大家さんはおじいさんだったし、おじいさんには家族と同居していない。足を開き片方の腰に手を当てて臀部を後ろに突き出した姿勢のまま彼女はピクリともしないし、一言も発しない。よく見れば瞬きも、いや瞬きはしていた。
「ちょっと待ってください」
応答のないのは承知でそんなことを言って、スーツのポケットからスマホを取り出すと電話をかけていた。仲介の不動産会社に、である。紹介の担当をしてくれたスタッフに一通り説明をした。
「は、ぁ」
事実をありのままに伝えた。戸惑いや意味不明を含んだ反応になることは容易に予想がついていた。逆の立場だったら、「お前何言ってんの?」と不審がってもおかしくない。逆ギレして電話を切りかねない。ところが、
「ちょっとお待ちくださいね、えっと。折り返しお電話させていただいてもかまいませんでしょうか」
との応答。体よく拒否られた、自分でなんとかせいとのお達しと思い、切った。
声をかけてみた。なぜいるのか、どうやって入ったのか、一体誰なのか。彼女は質問のたびごとに答える代わりにウィンクをするばかりだった。110番に電話するか、いや信じてもらえないだろう、交番に駆け込んでも同じ。
ふと、理屈が冷静に語りだした。施錠をした賃貸物件に無断で侵入し、あまつさえ逃げ出そうともしない。よく見てみろ。目は優しく、輪郭も肌の色もつややかである。四肢はなめらかで、このポーズをずっと続けている体幹の良さ。寄せているのかもしれないがプロポーションよ、なまめかしいと言っていいのではなかろうか。悪魔のいざないに野獣が目を覚ました。サービス残業、休日出勤、寝て起きるだけの部屋、コンビニ弁当はまだましな方でゼリー飲料やカップ麺や栄養食品のスナックバーが主食の日々。エナジー飲料と栄養ドリンクにいくらつぎ込んだことか。こんな体なのに悪魔にそそのかされて野獣は本能を呼び覚まし獲物へと飛び掛かるためのタメを使った。
その時である。電話が鳴った。熱はいきり立ったままだったが、表示があのスタッフだったので出る。
「お客様のおっしゃっていた件ですが確認できました。上の者からは『お客様のご随意に』との伝言でございます。ええ、さようでございます。また、何かご不明なことがございましたら、ご一報いただければと思います」
切れたスマホの表示画面。担当者の上の会社名を改めて見て何となく納得してしまった。フォールン・エンジェル不動産。
悪魔も野獣もたしなめられてしまった。