第60話(中):混沌
足止めは意外にも静かに成功していた。
キメラが炎を吐き、ロミニドが火の魔法で相殺する。
獣は相打った炎が火の粉となって散っていくのを見届けると、また炎を吐く。
キメラは炎を吐く度に、勢いを、数を、軌道を変えていき、その度にロミニドが同じ勢い、数、軌道で相殺していく。
その様は遊んでいるようでもあった。
「カルバン、その槍は後どれほど使える」
キメラを注視し、魔法を合わせながらロミニドが問うた。
「固定を不可逆に解除しています。穂の下の剣身はなまくらですから、一発撃てるだけのものと考えて下さい」
「射程は?」
「私も撃ったことはないので、分かりません。至近距離でないと、当らないかと」
「ノエル・アンファンめ、使い難いものを作りおって」
舌打ちをしながらも、ロミニドは三つの魔法陣を展開し、迫り来る三つの炎を正確に相殺した。
「カルバン、具申を許す。奴の様子をどう見る、言ってみろ」
尊大な物言いに覚えた反感を押さえ込んで、素直に所感を述べる。
「遊んでいますね。攻撃の間隔が長過ぎますし、一回一回の撃ち方も私たちに被害を与えるというより、自分がどんな攻撃が出来るのかを確かめている気配があります。第一、私たちを殺すのならあの爪と巨体で襲いかかった方が余程効率的です」
ローランたちの報告では森で遭遇したキメラは火を使わなかったという。目の前の相手が同じ個体だとすると、この態度にも得心がいく。
「おそらく、あのキメラが火を吹けるようになったのは最近なのでしょう。新しい玩具を貰った子供のように、新しいことを試したくて堪らないのです」
しかし、キメラの生態は未解明とはいえ、成体に見える個体が数ヶ月で火を吹けるようになるほどの大きな成長をするものだろうか?
目の前の遊びに食いつく子供っぽさも気がかりだ。
仮にこのキメラがまだ未成熟な子供だというのなら、そんなものが何故学園に侵入してくるのでしょう?
「同感だな。だが、子供は飽きっぽいものだ。一向に勝てない火遊びには遠からず飽きる」
獣の存在に対する疑問は尽きないが、それはこの場を凌いでから考えることだ。
ロミニドの言葉を証明する様に、襲いかかる火の間隔が徐々に短くなっていく。
ノエルたちのアナウンスに従い観客が避難を終え、運営スタッフも退避をはじめた頃、キメラのうなり声に苛立ちが強くにじむようになっていた。
最早火炎は絶え間なく、軌道に遊びもなくなっている。
「ロミニド! カルバン! みんな避難したよ! でも、救援はまだみたい!」
放送局に残っているノエルたちが最後の人員のようだった。その中には、エリザベットの姿もある。
負けられない理由を再認識すると同時、
「GRAAA!」
ノエルの声に刺激されたのか、キメラが吼え、炎を噛み潰しながら疾駆した。
「カルバン!」
「分かっています!」
迎え撃つ。
ロミニドの魔法、実体のない炎ではキメラの質量と勢いを止められない。
だから、私たちの命運はこのランスに掛かっている。
両手で柄をしっかりと握り、反動に備えて腰を落とす。
魔力充填は済んでいる、後は点火だけだ。
射程はごくわずか。撃つならば至近距離まで引きつけてからだ。
キメラは太くしなやかな筋肉をめいいっぱいに躍動させ、口の端から漏れる火をたなびかせ、その巨体で私たちを轢殺せんと迫り来る。
衝突まで、後、四、三、二──撃つ。
笠状の鍔に刻まれた魔法陣が瞬時に赫く輝く。
直後、轟音。
音と衝撃だけを残し、規格外の槍は放たれた。
破砕音。
しかし、槍が穿ったのはキメラではない。直線上にあった内壁を観客席ごと破壊した。
引きつけは十分だった。狙いは正確だった。
だが、外した。何故なら、
「馬鹿な!?」
キメラの巨躯が上空に舞っていた。
三頭立ての戦車にも匹敵する突進だった。その勢いを完全に殺して真上へと飛び上がった。それも、セレストのように魔法を使ったのではない。純粋な筋力で方向転換を成していた。
一体どれほどの膂力があればそんなことが可能なのか。
「よい! よくやった」
ランスは当らなかったというのに、ロミニドは快哉を叫んだ。
ワンドの核が輝き、ロミニドの周りに無数の魔法陣が浮かぶ。魔法陣は全て、複雑な効果は廃した最も単純な文様のものだ。
単純、それ故に早く、多い。
空中で逃げ場のないキメラに火炎が殺到する。
キメラは炎を吐いて幾つかを相殺したが、圧倒的な数の暴力で押し込まれる。
炎の連打が空に浮いたキメラの巨躯をカチ上げる。
獣は地に降りられず、その身に衝撃を受け続けながら、私たちから離されていく。
この相対において、はじめてこちらが攻勢となった。
だが、それも長くは続かない。
乾いた、軽い音がした。
ロミニドのワンド、異常なまでの魔力光を放っていた核の石が遂に限界を向かえ、割れたのだ。
砕けていくコアの最後の力で、キメラを客席──先ほどランスが破壊した場所へと叩き付ける。
崩れかけていた一帯は衝撃によって崩壊し、瓦礫の山がキメラを押しつぶす。
「これで駄目なら──」
後がない。その想いは、
「GRAAAAAAA!!」
咆吼によって粉塵とともに吹き飛ばされた。
キメラが襲い来る。
さっきまでのキメラにはまだ余裕があったのだとわかる、怒りにまかせた暴力的な走りだった。
迎え撃つのは不可能。逃げても追いつかれる。
打てる手はもうない。
ならば、せめて。
か細いなまくらの剣を手に、武器を失った兄を押しのけて、その前に立つ。
せめて、兄だけでも生き残れるようにと、わずかな希望に縋って。
キメラの爪が金属に当る硬く、重い激音が響いた。
私は無事だった。兄もだ。
キメラの突進は、割り込んできた一人の男がその勢いごと押さえ込んでいた。
「遅い」
「申し訳ありません」
ローラン・シュバリエ。
『王国の盾』と評される侯爵家シュバリエの次期当主である。
書き溜めが尽きました。
しかし、三章の終わりまでは毎日更新で行きたい所存です。
結果として日付変更間際の更新が増えています。申し訳ありません。
明日はもう少し早く更新します、したい、出来るといいなあ……。(分路)