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第60話(上):混沌

「GRRRRR!」


 獣性を体現したかのような異質の叫び。

 俺とカルバンの決着が付こうかという間際、邪魔者が現れた。

 己ごとカルバンを焼こうとしていた魔法陣の展開を止め、異音の正体を見上げる。


 キメラだ。


 その名、その存在は魔獣の代名詞として広く知られている。だが、王族の俺でも実物を見るのは初めてだった。

 伝承通りの三頭の怪物。だが、その身には伝承にない黒い瘴気を纏っている。ローランたちがウィリア森林で遭遇したものと同一個体なのだろう。

 三頭の中でも一際目を引くのは、咆哮を上げた獅子の頭だ。その双眼を爛々と赤く光らせ、不遜にも闘技場を睥睨(へいげい)している。対し、その隣の山羊の頭は眠ったように項垂れていた。


『どうして!?』


 放送からメアリー・メーンの疑問の声が聞こえる。


 ……『どうして』、か。


 まあ、いい。今は彼女の不信について考えている場合ではない。

 魔獣の乱入に闘技場はパニックを起こす寸前だった。大勢が事態をまだ飲み込めていないがために寸前で留まっていると言った方が正しいか。

 早急に対処しなければ、と俺が思考している間にも先んじて動く者がいた。

 空を駆ける人影。一つにまとめた青みがかった黒髪が、流星の尾のごとくたなびく。

 セレスト・リリシィだ。


────────────────


 私は状況を理解するよりも速く、剣を抜き、飛び出していた。

 放送局とキメラがいる場所は闘技場の丁度反対側であった。

 放送局は風の魔法を場内中に届けやすくするために高所に配置されている。キメラがいるのも最外部の外壁の上だ。

 己も相手も高い位置にいる。

 故に最短ルートは、空だ。

 空へと文字通り飛び出し、最短距離を一気に駆ける。

 リングの中央、カルバン様とロミニド様の頭上を超えた頃、キメラの赤い双眸と目が合う。

 敵が己の存在を認めた。

 構わない、このまま正面から切り込む。ただ真っ直ぐに、全力で加速を重ねる。

 しかし、まだ距離が空いているのに、獅子が口を開いた。

 その口内が赤熱していた。


「まさか」


 そのまさかだった。

 キメラが焔を吐いた。


 大気を焦がし、炎が迫る。

 炎の弾速よりも、むしろ己のスピードが問題だった。

 一直線に全速力で駆けていた私の身体は方向転換を許さない。

 獣の肺活量で吐かれた炎は巨大であり、カウンター気味に放たれたために相対速度で神速と化していた。少々の軌道の変化では避けられそうもない。


「クソ」


 背に腹は変えられない、か。

 私は自身の身体に、進行方向と直角の加速をありったけ叩き込んだ。


────────────────


「GRRR」


 上機嫌を誇示するようにキメラが唸りを上げる。

 セレストが炎に撃墜された。

 正確には強引に炎を避けたために『速度』を制御し切れず観覧席に突っ込んだようだが、戦闘不能には変わりなかった。


「あ、あああああ」

「いやぁああ」

「そんな……」


 声にならない叫びがそこかしこで上がる。

 元から火種はあった。

 それが、不意の闖入者に対して一番に立ち向かった勇敢な少女が墜ちたことで一気に表面化した。

 パニックになる。

 私はそれをどうすることも出来ずに舞台の上で見ていた。


「いけません……」


 キメラはセレストに炎を見舞った後も人々を襲うことはなく、ただ悠々と見下していた。

 その不気味な様が人々をより不安に駆り立てる。

 恐怖が、蔓延する。

 闘技場の出入り口は収容人数に対してあまりにも小さい。観客が恐慌のままに殺到すれば、キメラが何をするまでもなく多くの負傷者が出るだろう。烏合の衆となった観客をキメラが襲えば、死者だって。

 私は王族だ。

 人々を統治する責がある。

 なんとか、しなければ、なんとか──


「静まれ!」


 感じたのは大声と、熱。

 前に立つロミニドが声とともに魔法を放っていた。

 リングの中央から天へと放たれた炎。その轟音と光に、散乱していた皆の意識が集中した。


「警備は総員で避難誘導にあたれ! キメラは無視でいい! 放送部はアナウンスを続けろ、統括はテオフィロ・キアーラとノエル・アンファンがやれ! ローラン・シュバリエは武器を持って降りてこい! メアリー・メーンはセレスト・リリシィを救護しろ! 他の者は黙って出て行け! 王城の正規兵を呼んでこい!」


 ロミニドは闘技場の全域に一息で指示を下した。

 先刻までどよめき立っていた観客や運営全員が呆気に取られ、静まりかえる。


「返事はどうしたぁ!」


「は、はい!」

『は、はい!』


 有無を言わさぬ覇気に、誰もが思わず頷いた。

 そして、王命を受けた者たちはそれぞれの役割を真っ当しはじめていた。

 闘技場に秩序が戻る。


「これが……」


 たった一人で、たった一瞬で、闘技場を治めた。彼の背中を見せつけられる。

 王の器、というものを感じざるを得ない。


「カルバン、試合は中止だ。分かっているだろうが──」


「はい。今は(・・)、貴方に従います」


 今だけだ、と強調して言うと、後ろから見えるロミニドの口の端が少し上がった。


「それでいい。──来るぞ」


 空が陰る。

 太陽を隠す巨体が空から飛来しているのだ。

 轟音とともにリングの石畳を割り砕いて、獣の四肢が着地する。

 破砕した石が砂煙となり、瘴気と混ざってキメラの姿を隠した。


「安心したぞ。誰が肝要か見極める程度の知性はあったか」


「光と音に釣られて来ただけではありませんか」


 煙が晴れる。

 果たして、余裕と慢心を隠さぬ獅子の目は、はっきりと私たち二人を捉えていた。

 逃れられない。

 いや、むしろ、


「こうなると分かっていて、声を上げたのですか?」


「無論だ。これが最も被害が少ない」


 自分の命を危険に晒す行動をさも当然のように言い放って、ロミニドは杖を構えた。

 核の宝石には既にひびが入っている。

 ロミニド自身の体力と魔力も相当に消耗しているはずだ。長くはもつまい。

 私だってそうだ。固定を外したランスはもう一発きりの砲弾にしかならず、足はほぼ限界。炎に被弾した肩や耳、脇腹などは、興奮が冷めるにしたがって痛みを主張し出している。

 伝説の魔獣を相手にするには、あまりにも絶望的な状況だった。


 それでも、兄の背中は頼もしい。

 頼もしく、見せていた。

 それが王の義務だと言うように。


 だから私も、せめてポーズだけでも、強がってみせる。

 一歩前に出る。兄の隣に並んだ。


「行きましょう、兄さん。ああ、いつぶりでしょうか、兄弟で獣狩りをするのは」


 強がって、胸を張る。

 頭に浮かんだのは勇気を振り絞って愛を告げる彼女の姿だった。

 その勇姿を、未熟な己に重ねるように。

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