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第57話(裏):うごめく陰

 上流階級の集う煌びやかな舞踏会。未来への希望を感じさせる若者たちの薔薇園。

 王立エメラルド魔法学園の人々は祭りへの期待に胸を躍らせ、地上は明るい空気に満ちていた。

 しかし、光が強くなれば影もまた濃さを増すものだ。


「んーん、いやはや、残念残念。実に惜しかっタ」


 声が響くのは小さな暗い部屋だった。古くなった紙と劣化したインクによる独特のすえた臭いが狭い空間に充満している。

 図書館の地下に作られた隠し部屋だ。

 部屋にいるのは一人。白い長髪の男性が机に向かい黙々と(・・・)書き仕事をしている。彼の手元を照らすロウソクのわずかな灯りが窓のないこの部屋では唯一の光源だった。


「もう少し、後、ほんの少しで(ワタクシ)好みに堕ちていきそうだったのですが……」


 長髪の男は声を無視して手を動かす。

 この部屋には彼しかいない。しかし、声を発しているのは男ではなかった。彼の座る仕事机とは逆側、ロウソクの灯りが届かない暗がりから声は聞こえる。

 影に誰かが潜んでいるのか?

 否、声は暗闇そのものが発しているようだった。


「あの、マスター? 聞いてます? (ワタクシ)さっきからずーっとマスターに話しかけているのですが」


「……はぁ」


 男は溜め息交じりに一度振り返り、冷めた目線を暗がりに送ると、またすぐ机に戻った。

 彼の名はクロウ・マクガン。

 王立エメラルド魔法学園が誇る図書館の司書にして、魔獣の研究と積極的な利用を訴える秘密組織、獣法会──ベルルア・ウィスと名告る集団の首魁である。

 文字を綴る手を止めずにマクガンは言う。


「静かにしてくれませんか。研究の邪魔です」


「いやはや、マスターは手厳しいですナー」


 奇妙なことにマクガンの声は影から発せられる声と全く同じものだった。

 いや、実態としては逆なのだろう。己の声を持たぬ朧気な影が、他人の声を盗用して喋っているのだ。


「うちの生徒を(たぶら)すような真似は慎んで下さい」


 影を窘めるマクガンの声色はあくまで丁寧で柔らかく、しかし鋭かった。


「マスターは生徒思いな先生ですナ。(ワタクシ)感服いたしましたヨ。いや、本当に、学園襲撃計画を企てている主犯だとは到底思えません」


「……」


 影の軽口にマクガンは答えない。返答の代わりに、命ずる。


「貴方は余計なことをせず、そこで大人しくしていなさい」


 ロウソクの火が揺れ、床面に少しだけ光が届く。そこには床面の半分ほどを使った大仰な魔法陣が描かれていた。

 大半は闇に隠れているが、一部だけでも緻密で複雑に編まれていることが分かる高度な魔法陣だった。


「キッヒッヒ、言われなくとも(ワタクシ)はこの魔法陣から出られませんヨ。そもそも身体もまだまともに成立していませんし。それにしても、召喚と拘束をセットにするとは、マスターが作ったコレは素晴らしい出来ですナ」


 影は耳障りな笑い声を立てる。

 魔法陣はこの世ならざる存在を呼び込んだ悪徳の扉だったが、同時に、邪悪を外へと逃がさぬ堅牢な檻でもあった。


「まあ、(ワタクシ)闇に潜む魔なれば、闇を介して耳と声を飛ばすことくらいは出来ますが」


 悪びれもせずに台無しなことを言う。

 影の言葉はクロウが檻として作った魔法陣の効果を否定する挑発でもあったが、彼は何の反応も示さなかった。最早何を言っても無駄だと諦めたのかもしれない。


「アー、嗚呼、しかしですネ! (ワタクシ)とて無意味に遊んでいたわけではないのですヨ。実は(ワタクシ)が目を付けたのはカルバン王子でして……ええ、なにせ──」


 影は彼に注意されたことを意にも介さずベラベラとしゃべり続ける。その様子にマスターと呼ぶ男を敬う気配は微塵もない。

 むしろ、(もてあそ)んでいるようだった。


「王家は貴方の仇でしょ? マイマスター?」


 クロウが手を止めた。そして、影に振り返る。


「だから、何だと言うのです」


「『何』とは悲しいことを。健気な使い魔がマスターの代わりに仇討ちをして差し上げようと奔走したというのに。労いの言葉の一つくらい、頂戴してもいいのですヨ?」


 反応が得られたのが嬉しいのか、影から発っせられる声は上機嫌だ。

 自分と同じ声が触れたくもない過去を軽率に触れる。冷静で冷酷に冷淡なクロウであってもその気持ち悪さには表情を歪めずにはいられなかった。


「前にも言いましたが、王を恨んではいません。確かに私の領地に手を下したのは国王ですが、やむを得ない処置だったと納得しています。国王や王家を恨むなど、逆恨みも甚だしい」


 力みや含みもなくマクガンは言う。建前ではなく本気で恨みを持っていないようだった。


「そんな高潔なマスターが、どうして学園襲撃など?」


「それも貴方を召喚したときに言ったはずです」


「アー、そうでしたっけ? すいませんネ、何分頭もまだ出来ていないもので忘れっぽくて」


 おそらく、嘘だろう。影の言葉は薄っぺらで、その身体と同じく不定形でおおよそ意味が感じられない。


「はぁ……。まあ、いいでしょう。聞きたいのならば教えます」


 クロウは何も見えない暗闇の空間を睨むような、あるいはもっと遠くを見ているような目をしていた。


「あの日、領地が侵されたのは我々に力がなく、魔獣にはあったからです。弱肉強食は世の摂理。我が領地を蹂躙した()の力。圧倒的な暴力。それを人類の手中に収めることこそが、生き残った私の使命なのでしょう。だから私はベルルア・ウィスを再興し、その長となったのです。学園の襲撃は、その目的に必要な秘宝の奪取のためというだけです」


 男は本気だった。

 私怨ではなく、人類のために凶行に走る。クロウ・マクガンとはそういう男だった。


「だったら、学生のことなんて、やっぱりどうでもいいのでは?」


「いいえ、彼らはこの国の未来を担う貴重な人材です。無闇に傷つけるのはそれこそ人類の損失ですよ。ですから余計なちょっかいは掛けないように」


 またしても男は本気だった。

 クロウは口の端を上げて、言う。


「我らの宿願は人類の希望を切り拓くことなのですから」


 人類の希望を語っているとは思えぬほど、彼の目は狂気と哀しみに淀んでいた。


「キヒヒ」


 いまだ名も無き影は小さく嗤う。

 やはり、我が召喚主は面白い。

 自らの目的のために若人の大量殺人を企てていながら、人類を、他人の未来を思いやる正しき心がある。

 理性と倫理を兼ね備えていながら、どうしようもなく狂っている。

 あの未熟で危うい王子も良かったが、やはり一番はマスターだ。

 この男の末路を愉しめるなら、召喚に応じた甲斐もあるというもの。マスターの言う『そのとき』が来るまでここで無駄話をしながら待ってやるのもやぶさかではないと思えるほどに。


「アー、そうそう。そういえば、(ワタクシ)(ともがら)とあのワンちゃん……いえ、猫ちゃんでしたっけ? どっちでもいいですが、どうなったのです? 元気ですカ?」


「猫……ああ、アレのことですか。そうですね。両プロジェクトとも順調ですよ」


 どうでもいい話題に戻ったことを察し、クロウは机に向き直る。インクにペンを付け直し、黒い水面に波紋が広がる。それを見つめながら、彼は呟く。


「ええ、丁度、そろそろ実験をしようと思っていたところです」

 次回は明日の朝8時半ごろに更新します。(分路)

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